「ぼっちゃん」 大森立嗣監督
秋葉原の無差別殺人事件の犯人をモデルに描いています。自分のことを「ブサイクの負け組」と周囲が思っていると思いこみ、また、その弱みに気づいた「イケメソ」(イケメンを揶揄したネット用語)から馬鹿にされるだけでなくいいように利用される主人公(水澤紳吾)の姿は、今の日本社会の学校や職場などどこにでもいそうな存在です。彼が接する大人たち、たとえばイヤミな工場長や軽い気持ちでからかう同僚も普通にいる人たちで本人たちに罪悪感は皆無です。彼は決して特別な存在ではなく、あの事件を起こすきっかけを作ったのは社会を構成する私たち一人一人のなにげない言動です。そして一見豊かと錯覚している日本経済は底辺を支える彼らから搾取することで成り立っていると気づかされます。人生で最も充実しているはずの青年たちが孤独や失業で絶望してしまう社会にいつからなってしまったのでしょう。あれこれ考えさせられる秀作です。
2005年の映画に「電車男」があります。「電車男」の主人公も「ぼっちゃん」の主人公ととてもよく似ています。女っ気なしでファッションセンスもダサくてコンプレックスの塊のような青年です。しかし、「電車男」は書き込み仲間に励まされ「高値の花」だったエルメスさんとハッピーエンドを迎えます。「ばっちゃん」だって「電車男」と比べて人間的にそれほど貧弱なやつではありません。女性に対してはある意味では紳士的だし、反社会的な性格でもありません。あまりにまわりからひどい扱いを受けているからつい自分より明らかに立場が弱いコンビニの店員に、いちゃもんをつけるくらいのやつだったのです。ただ、大きな違いは「電車男」がきちんと仕事があり実家に住んでいるという環境です。「ぼっちゃん」の仕事はいつ切られるかわからないほど不安定でその上職をなくすと住むところもなくなるという過酷な環境でした。両者の間に起きた出来事が2008年のリーマンショックです。小泉構造改革で推し進められていた規制緩和で社会的格差はどんどん広がり、リーマンショックが引き金となって大企業は内部留保がたんまりあるにもかかわらず、労働者の切り捨てを容赦なくするようになりました。その結果が「ぼっちゃん」なのです。アベノミクスのプチバブルに浮かれている人にはぜひ見てほしい作品です。
また、主役級の3人(水澤、宇野祥平、淵上泰史)の俳優が甲乙つけ難い怪演でした。これからの活躍が楽しみです。
主役の水澤はもちろんすばらしかったのですが、水澤と似たような境遇でその上持病まで抱えてる役どころの宇野も人間の根源的な優しさをふりまいていて唯一救われる存在でした。さらにどうしょうもなくいやなイケメソを演じた淵上は冷酷な表情と人生の最初に犯した過ちから逃れられない苦悩がその冷酷な表情の陰に垣間見られるという絶妙な演技でした。助演男優賞候補になるのではないでしょうか。ただ、次回普通の人の役が回ってこないのではないかとちょっと心配です。