kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

言葉にできない感情

2022-01-01 | 陸上競技

日付が変わっても特段何かをやるということもなく。息子と日の出を見に行ってから二人で少し散歩。一昨年も無理やり息子を付き合わせて本を買いに行ったことがあります。普段通らない道を通ろうと話して道に迷うというのもあり息子はそのことをずっと言い続けていました。ご愛敬。

 

で、またも本を読むことに。先日読んだ「滅びの前のシャングリラ」を書いた「凪良ゆう」さんの作品を読みたいなと思っていたので。これも図書室で借りていました。もちろん、内容はほぼ知らないまま。先日読んだ時に表現の仕方などがいいなと思っていたので。ぜひとも読みたいと思っていました。

 

表紙のアイスクリーム。何を象徴するのか分かりませんでしたが。読んでいくうちに見えてきます。「普通」って何か。「自由」とは「善意」とはという部分も含めて。

 


 
ブックカバーの内側に
 
「あたなと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。私を心配するからこそ、誰もが私の話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたいー。再開するべきでなかったかもしれない男女がもう一度出会たとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説」
 
と書かれている。
 
この作品に関しては中身については触れたくない。ぜひ読んで欲しい。「事実」と「真実」は違う。この言葉が強く印象に残っている。私自身、これまでずっと「感情」を言葉にすることの難しさを感じてきている。その言葉だけでは自分自身の「考え」や「想い」を表現できないから。今回の作品を読んでその「表現できない感情」の存在について強く感じさせられた。
 
「自分」と「自分以外の人」の存在の中で「感覚を共有」することがどれだけできるのか。どれだけ言葉を並べたとしても伝わらない。「真実」を伝えたとしてもそれを受け取る側が「善意」のフィルターで受け取ると自分の意思とは関係なく受け取られる。
 
読んでいて苦しくなった。もどかしいというか。「月」は見る人、見る場所、見る時期によって大きく形を変える。「月」が何かをしているということはない。ずっと同じ「月」でしかない。が、それを見る人、見る場所、見る時期によって全く違う形になる。その形を見た人が「月」というものを認識する。「月」自体は何も変わらないのに。
 
表現が難しい。が、中身には触れたくない。読んだ人がどのように感じるかだと思うので。ぜひとも読んで欲しい。本当に。そんな作品。「当人同士にしかわかりえない感情」が存在する。その意味を考えたいなと思う。
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年末読書

2022-01-01 | 陸上競技

大みそかの日に、テレビを見るわけでもなく本を読んだ。ここの部分は「日常」の中で何も変わらない。TVを見ようという気にもならないので「通常運転」で(笑)。

 

12月29日の練習終了後に図書室で本を借りることに。何がいいか全く考えていなかったが、「あーかなり前に話題になったな」というタイトルを見つけたので借りてみた。「桐島、部活やめるってよ」という書籍。10年以上前の本。それでも目についたので借りてみた。

 


 
高校生の「日常」が切り取られている。登場人物の名前で「章立て」がされている。学生の中で自然発生的に生まれる「上」と「下」という関係。誰かが明確に決めたわけではないのにできてくる。「スクールカースト」という言葉もこの辺りから出てきた気がする。
 
「運動部」と「映画部」の対比。でもそこにある「熱意」には差はない。「一生懸命になれるもの」が存在するならそれでいいのではないか。レギュラーが突然いなくなって「活躍の場」が与えられる。そこに対しての「安堵」や「希望」がある。これもある意味「上」と「下」という表現になるのかなと。ワイワイやっている生徒が「上」でおとなしく活動している生徒が「下」とみられるのかもしれないが、本当は全く違う。
 
人はそれぞれに「物語」がある。何かに直面した時に生じる感情は千差万別。同じものを見ても色々と違って見える。「時間」を共有していたとしてもそこに「伝えられない現実」があったりする。そんなものはどの年代でもあるのだろうが、「高校生」というカテゴリノーの中で考えるとその「気持ちの変動」や「抑え込んでいる思い」は伝わりやすいのかなと思う。
 
一歩踏み出せない。感情を出せない。そんな生徒は多くいる。それでも「時間」は過ぎていく。他者とのかかわりは続く。心の部分を感じ取りながら読むことができました。どこかで「熱くなる」という部分はほぼありませんが、「日常」と「心情描写」からいろいろなことを感じることができました。
 
2021年最後に読んだ本として。
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他愛もない時間

2022-01-01 | 陸上競技

1月1日。目が覚めるとまだ周囲は暗い。普段の生活とは少し違って「急がなければ」という感覚もない。あー、年がが明けたんだなというくらいの感覚。昔から「12月31日」から「1月1日」に変わる瞬間が好きではない。誰かと一緒にいると「0時」になった瞬間に「あけましておめでとうございます」という言葉を発する必要が出てくる。

 

もちろん、挨拶としては必要なんだろうなと思うけれど、そこには「白々しさ」がある。30秒前と今で何が違うのか。「節目」という意味ではありえるのだろうけど。年が明けた瞬間というのはなんか気持ちが冷めてしまう瞬間がある。とはいえ、時間が過ぎていって2022年になる。避けては通れない部分だと思う。時間だけが止まることなく過ぎていく。

 

こんなことを書きながらも「初日の出」は見ておこうという気になった。矛盾している(笑)。一人で見に行ってもいいなと持っていたけど、無理やり息子を起こして「一緒に行こう」と呼び掛ける。「さっき寝たのに・・・」と言っているがそこはスルー。せっかくだから歩いていこうと誘う。「眠い」「寒い」と言いながらも服を着替えて準備をする。

 

山の上まで歩く。日の出は「7時18分」となっていた。その時間に地平線から太陽が出るのであれば「山の上から」見るというのであれば少し早くなるかもしれないなと思いながら。「急がないと間に合わない」と言いながら息子は小走りに走って坂を上がっていく。いやいや、ちょっとふくらはぎ痛いから走れないんだって・・・と答えながら小走りになる。

 

できるだけ見晴らしがいいところでと思って上のほうまで上がる。寒い。普段は息子と何かをすることは一切ない。「元旦」ということで少し気持ちも違うのか。「白々しさ」とは少し違って「時間を共有する」ことの意味を考えさせられる。二人で山の上から太陽が出てくるのを待つ。「もう出てくるんじゃない?」とお互いに言いながら10分以上待つ。

 

東のほうから明るくなってくる。山際が次第に明るくなってくる。これまでとは違う「光」が山の向こうから見えてくる。

 
 
数分間の間だったが「日の出」を見た。こういう機会でもなければこの瞬間を見ることはない。いつもの生活であればその時間帯は通勤のために車に乗っている。西側に向かって進むので「太陽の明るさ」を直視することはない。本当に明るかった。奇麗だった。その瞬間を息子と共有する。最初で最後になるかもしれないなと思いながらも。
 
年が明けた。また日常が戻ってくる。その中で自分人が何をするのか。正直まだ何もわからない。それでも毎日は続いていく。1年後、何を思っているだろうか。それも見当がつかない。時間は流れる。自分自身が思い描く1年後を向けるtことができるかどうかは誰にもわからない。
 
本当に少しの時間。それでも「非日常」がそこにあった。「白々しさ」とは違う何かが。2022年、自分自身にとってどんな時間になるのか。想像はつかない。でも「自分」は持ち続けたいなと思う。真面目に。
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