1月1日。目が覚めるとまだ周囲は暗い。普段の生活とは少し違って「急がなければ」という感覚もない。あー、年がが明けたんだなというくらいの感覚。昔から「12月31日」から「1月1日」に変わる瞬間が好きではない。誰かと一緒にいると「0時」になった瞬間に「あけましておめでとうございます」という言葉を発する必要が出てくる。
もちろん、挨拶としては必要なんだろうなと思うけれど、そこには「白々しさ」がある。30秒前と今で何が違うのか。「節目」という意味ではありえるのだろうけど。年が明けた瞬間というのはなんか気持ちが冷めてしまう瞬間がある。とはいえ、時間が過ぎていって2022年になる。避けては通れない部分だと思う。時間だけが止まることなく過ぎていく。
こんなことを書きながらも「初日の出」は見ておこうという気になった。矛盾している(笑)。一人で見に行ってもいいなと持っていたけど、無理やり息子を起こして「一緒に行こう」と呼び掛ける。「さっき寝たのに・・・」と言っているがそこはスルー。せっかくだから歩いていこうと誘う。「眠い」「寒い」と言いながらも服を着替えて準備をする。
山の上まで歩く。日の出は「7時18分」となっていた。その時間に地平線から太陽が出るのであれば「山の上から」見るというのであれば少し早くなるかもしれないなと思いながら。「急がないと間に合わない」と言いながら息子は小走りに走って坂を上がっていく。いやいや、ちょっとふくらはぎ痛いから走れないんだって・・・と答えながら小走りになる。
できるだけ見晴らしがいいところでと思って上のほうまで上がる。寒い。普段は息子と何かをすることは一切ない。「元旦」ということで少し気持ちも違うのか。「白々しさ」とは少し違って「時間を共有する」ことの意味を考えさせられる。二人で山の上から太陽が出てくるのを待つ。「もう出てくるんじゃない?」とお互いに言いながら10分以上待つ。
東のほうから明るくなってくる。山際が次第に明るくなってくる。これまでとは違う「光」が山の向こうから見えてくる。
数分間の間だったが「日の出」を見た。こういう機会でもなければこの瞬間を見ることはない。いつもの生活であればその時間帯は通勤のために車に乗っている。西側に向かって進むので「太陽の明るさ」を直視することはない。本当に明るかった。奇麗だった。その瞬間を息子と共有する。最初で最後になるかもしれないなと思いながらも。
年が明けた。また日常が戻ってくる。その中で自分人が何をするのか。正直まだ何もわからない。それでも毎日は続いていく。1年後、何を思っているだろうか。それも見当がつかない。時間は流れる。自分自身が思い描く1年後を向けるtことができるかどうかは誰にもわからない。
本当に少しの時間。それでも「非日常」がそこにあった。「白々しさ」とは違う何かが。2022年、自分自身にとってどんな時間になるのか。想像はつかない。でも「自分」は持ち続けたいなと思う。真面目に。