相変わらずですが。このblogを前向きに読んでくださる人が何人かいることを感じることで萎みかけていた気持ちがなんとか保たれている感覚があります。感謝ですね。
陸上競技のことを少し。色々とあって「もう陸上競技もいいな」と感じる部分がありました。kaneko=陸上競技みたいなところがありましたが、そこまで熱くなれない感覚が自分の中に強くありました。仕事も陸上競技もそこまで熱が入らないなと。書いたかもしれませんが、あまりにも嫌になって息子に「仕事を辞めたい」という話もしました。そんな話をするというのもどうかと言われるかもしませんが、これから先のことを考えると「意味がない」と感じることの方が多すぎて。
この冬は女子の練習を週3回別メニューにさせてもらっていました。今年勝負するならやらないといけないことがあると感じていたからです。が、全てがどうでも良くなりつつあったので数週間前に「もう男女一緒のメニューに戻して欲しい」とkbt先生に申し出ました。他のことに時間を使うことさえ「意味があるのか」と感じる状況でしたから。鬱というのがどういう状況なのか分かりませんが、それに近いのかもしれないなと。他の人のために時間を使うのが当たり前のようになっていたのですが、別に陸上競技やらなくても良いじゃないかという気持ちが9割以上になっていました。
私が陸上競技やらなくても良いんじゃないか。私が思う「本気」と周りの人が考える「本気」というのは多分違うのだと思います。時代も社会情勢も大きく変わって期待は今、教育や陸上競技も「誰か他の人が好きにやれば良い」という気持ちが大きくなっていました。冗談ではなく本気で。
グダグダしながら時間が過ぎていって本を読みながら「自分とは何か」を考えさせられる機会が多くありました。まー何者でもないのですが。そのタイミングで本を勧められたり、読んだ本に対するコメントがあったり。絶妙なタイミングで「自分」を保つために刺激が入ります。世の中というのは本当に奇妙なだと思いますね。
ほぼ切れかけていた陸上競技に対する想いもギリギリのところで保たれている感じがあります。私くらいの指導者は掃いて捨てるほどいるのだと思いますから、別に私がやらなくても良いんじゃないかなと。結構本気で「もうやりたくない」と思っている部分をkbt先生に伝えても「スルー」されていたというのもあってダラダラ今の感じになっているのかもしれません(笑)
何故かうちの選手はそれなりに私の話を聞いてくれます。女子の変化はある程度感じています。練習を見させてもらっていることが多少なりとプラスに働いているなというのは感じていました。本当に私の指導が必要なのかはわかりませんが。まー競技に対して微妙な気持ちになっている人間が指導をするというのが末期的なことは間違いない。とはいえ、その気になれば大きく変わる。私がどうこうではないかなというのもあります。
まだこれまでの私の感覚からすれば4割くらいの熱量でしかありません。結局、メニューを組み立ててその時その時の最善を求めるスタンスになっています。ギリギリのところで保たれているのかなという感じではありますが。一生懸命にやろうとしたいは目の前の選手に対して手を抜くことはできない。それだけは確かです。自分の中での葛藤が大きくあるのも確かです。
何度も書いていますが、別に自分を飾るつもりはありません。それなりに我慢していますがここに書くことに対しては嘘を書いても仕方ないなと思っています。年齢的なものなのかもしれませんが。陸上競技を辞めたいと思う自分がいる反面、きちんとやれば間違いなく選手が変わるという感覚もあります。まーそれを本当に私に求められているかどうかは分かりませんが。
まとまりませんが。この辺りのことに関してはまた書けたらとは思っています。陸上競技が自分にとって意味のあるものなのか。考えていきたいと思います。