kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

停滞

2014-11-18 | 陸上競技
かなり気分的に停滞しています。土曜日に文化祭がありこの準備に明け暮れました。クラス経営的には比較的安定していると思っています。適度な距離感があるのと「何が何でも」という部分がないからなのかもしれません。これが良いことなのかどうなのか相変わらず分かりませんが。これまでクラス経営で「これはまずい」と感じることはありませんでした。師匠が「上手くいかない人は学年が変わっても上手くいかない」という話をされていたことがあります。こういう部分ではクラス経営に関してはそれなりの適応力があるのかもしれません。

文化祭当日、何人かの卒業生が来てくれていました。前回担任をしていた子も数人。ありがたいことです。前日に「危機的状況だからタイミングが合えば来てほしい」という話をしていました。模擬店の売り上げに協力してもらうことに。そういう感じの中で卒業生が「先生、誕生日おめでとうございます」という話が出ました。「生徒にお祝いしてもらってんですよね」という話まで。何故そのことを知っているのか?と確認するとTwitterで「kanekoの誕生日」というのが拡散していたようです。確かに色々な生徒に「おめでとうございます」と言われました。この話をうちの妻にしたところ、「まー普通はそうやって祝ってもらえないんだから良いことなんじゃない」と軽く言われました。見えないところで情報が流れているというのはちょっと怖いなと思う部分がありましたが、生徒に祝ってもらえることというのはそうないのかもしれません。

が、気分的に停滞感があるのは間違いまりません。この文化祭準備の1週間、微妙な気持ちの中でやっていました。放課後すぐにあれこれ仕事が入る。こればっかりは仕方ないことだと思っています。やるべき仕事はやはりこちらですから。その部分を度外視して他のことをやり続けるというのは良いことではないと思っています。部活動業務はこういう所から考えると二の次。部活の指導をして給料をもらっているわけではありません。あくまで「ボランティア」の部分、趣味の延長の部分です。このことは一般的に受け入れられないでしょうね。中学校の顧問などは「専門外」であっても「半強制的」にその役割を求められます。

これも感覚の問題なのですが、自分の意志で「生徒のために何かしたい」と思う部分と周りから「生徒のために何かやれ」と言われるのでは全く違います。自分の内側から湧き出てくる「エネルギー」が存在して初めて「誰かのためにないかをやりたい」と思えるのではないか。これを「やるのが当たり前だからやれ」と言われるのは違う気がしています。教職員だから全ての人が同じ感情を持って人と関わっているかどうかというのは分かりません。私と同じ感覚で生徒と関わっている人がいるのかどうかも不明。これも客観的な指標があるわけではありませんから何を持って比べるのかもわからないという状況です。

あまりにも多くのことがありすぎて自分の「立ち位置」を見失っているのかもしれません。「授業をする」「付随業務をする」というのは給料をもらう対価であり、自分の人生の中の「時間」を売っていることになります。生きている時間は限られていてその時間をどのように使うか。今は最低限の生活をするために自分の人生の中の「時間」をお金で買ってもらっている。「時間」というのは限りがあります。いつも思うことですが明日今の命が失われてしまうかもしれない。その時、「時間」は止まってしまう。そうであれば限りある「時間」をどのように誰のために使うのかというのを考えなければいけません。ドライな考え方をすれば勤務時間の8時間のみで十分なのです。それ以外の時間を働くために使ってもその対価を得ることはありません。一般企業であれば多少なりと残業代が出るのかもしれませんが。今の仕事の中でそういう「対価」は一切発生しません。勤務時間をオーバーして働くことで得られる「対価」というものは形あるものとしては一切ないのです。

そうであれば「自分が納得できる形」で時間を使いたい。「生徒のために何かをしたい」と思うのであればその部分が「対価」だと思っています。しかし、ここを誰かから強制されて「生徒のために何かしなさい」と言われるのであれば自分自身の中の「気持ち」が上手く処理できないと思います。別に「何かしなさい」と強制されているわけではありません。そういう状況になった時に「納得できるか」どうかというのが自分の中の価値基準として存在しているというだけ。

気分的にかなり停滞気味です。何故そこまでしてあれこれやらなければいけないのか?そこに対価があるのか?分かりませんし、見えてきません。
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釈然としない

2014-11-16 | 陸上競技
色々と思うことがある。ここ最近ずっと感じていること。部活をやる意味ってなんなんだろうか?本当に必要なのか?子供達にとってもっと意味のある事があるんじゃないか。そんなことを考えている。

これに答えがないのも分かっている。競技として部活をするのか。レクレーションとして部活をするのか。それともその中間なのか。ここは分かりません。これまでやってきた部活動としての競技指導を多少なりと見直さなければいけない時期なのかなと。

こちらが本気でやることを求める。しかし、それを高校生は求めていないのかもしれない。今のスタンスを大きく変えたら本当はもっと伸びているのかもしれない。もっと楽にもっと楽しくやれば選手はストレスを感じずにやっていけるのかなとも。正解は分からない。何故なら全く反対のことを同時に同じ対象に行うことは不可能だから。どのやり方が正しいか見極めるのは本当に難しい。

競技とは何か?教育的視点とは何か?本当に私の人生の中で陸上中心で良いのか?ここにも正解はない気がする。今の自分のスタンスが今の選手に受け入れられるのか。これから先本当に必要なのか。ここを考える。本当に必要とされる立場なのか分からなくなってきています。結局は私の自己満足なのかもしれないというずっと葛藤がありました。

こんな事をここに書くのは如何なものか?否定される可能性は十分あります。それでも限りある命をどう使うのかという視点に立った時、あれこれ考えます。競技という部分が自分の中に大きくあるが、それが本当に正しいことなのか。必要とされない、必要とされる。ここは分かりません。何だか自分でどこを目指すのが良いのかもっと考えなければいけないなと感じています。全てが「当たり前」として求められる生活に少し疲れているのかもしれない。

病んでいるというわけではないですが、もっと自分自身の生き方について考える必要があるのかもしれません。まとまりがないのですが気持ちにの整理がつかないのです。だったら書くなと言われるのかもしれません。精神的な疲れもあるのではないかと思います。上手くまとめられませんが。

どこに向かうの?しばらく今の生活リズムを変えることができるんだろうか?何となくそこの部分が自分の中で処理できないと前に進めない気がしています。下らない内容をここに書く必要があるのかどうかも疑問。もっと自分の力を冷静に見極められようにしないなと感じています。

やはり、疲れているのかな…。
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考える

2014-11-14 | 陸上競技
火曜日の練習、ちょっと考えさせられました。前日の練習で気になるところがあったのですがそこは個別に指摘。記録会まで残された時間は限られています。1本1本を大事にしなければいけない。そのことは日ごろから言っているつもりでした。試合の前の1本も試合から離れている日の1本も同じ。大切ではない日はないのです。そのことがきちんと分からなければ勝負云々ではなくなる。ここをどう感じ取れるかだと思っています。

前日、大会の結果が微妙だったこともあり数人はテンションが低い。声も出ません。このような状況で本当に勝負できるのか。悪かったらそこで終わりでは駄目。気持ちを切り替えて次を向かない限りは戦えないのです。普段から注意を受けたらそれを引きずってしまい声が出なくなることが多々あります。注意を受けたという事実とその後の練習が同じ状況で進めることになると雰囲気も悪くなります。そのことを繰り返し言っていましたがなかなか改善されません。大会の結果を受け止め次に何をするかをきちんと考えなければいけないのです。高校生には難しい部分かもしれません。しかし、それをやらなければ1週間でどうこうできるレベルではありません。

週末は文化祭。その翌日に記録会です。あれこれ制約を受ける中でやっていかなければいけないのですから1本1本を大切にするということが当然のように求められます。頭髪服装検査も文化祭までに実施しなければいけないということでしたから練習開始時間が遅くなります。火曜日のバトン練習は周囲が暗くなってからになりました。見えにくいのはあります。しかし、それは誰もが同じこと。見えにくいということは出遅れてしまう可能性がある。バトンが詰まってしまった時の対応を考える機会になります。物事はマイナスばかりにとらえるのではなくそれをどう利用するかという視点で考える。それにより様々な部分でプラスになります。

あろうことかこの最後の1本でバトンを落としました。かける言葉もありません。上述のように見えにくいのは当然です。完全に詰まりました。それでもバトンを渡す者がバトンを離さなければ落ちません。詰まった時に焦るからミスが生まれるのです。これまでも何度も何度もこのような場面でミスをしています。バトンを落とすということではなく焦って冷静な判断ができなくなるという部分です。同時に受け取る側も出遅れがひどかった。前日に「声が出ない」と指摘していた選手です。こういう状態ですから「起きるべくして起きるミス」だと判断しました。「一事が万事」です。ミスというのは「たまたま起きる」のではない。その前の段階からその予兆があり「起きるべくして起きる」のです。今回のことは確実のその部分です。

落とした後、「もう1本走らせて欲しい」と申し出がありましたが却下。やる必要はありません。次上手くいったとしてそこに何の意味が生まれるのか?「上手くいかなかったらやり直せばよい」という考え方が結果このようなミスを生むのです。様々な場面で焦って自分のやるべきことを見失う、リーダーとして全体の前に立ち雰囲気を作らなければいけない者がそれができず自分のことだけになる。このような状況でもう一本行ったところで何も生み出しません。4継の練習はほとんどできない中でのミス。これが結果的にどのようなことになるのか。

集中していなかったとは言いません。それなりにきちんとやっていましたから。しかし、今回は「起きるべきしておきたミス」だと判断しました。そこまでの過程が悪すぎる。今回の記録会は1走を変えて出場します。記録が出るかどうかは別にして、きちんとバトンが渡らないという状況だけは避けなければいけません。県新人前にもこの手のミスが何度もありました。結果、失格。練習で100回中100回上手くいっても試合でミスをする可能性があります。練習で100回やって50回程度しかできないようなことが試合で上手くいく確率はどれくらいでしょうか?かなりの確率でミスをすると思います。それが分かり切っていてこの状況を打破できない。練習する意味はないと思います。

その2名は「練習終了」にしました。やっても仕方ないので帰るように指示。この指示は聞かずに歩きながらバトンをやっていましたが・・・。この段階でバトンウォークをやって本当に意味があるのか?落ちた原因はそこなのか?本当の意味が分からないまま何をやっても意味がない。「バトンが落ちたから練習ができない」と思っているようでしたから何をやっても意味はないだろうなという感じを受けました。先が見えません。競技を続ける意味も見えないくらいの取り組みだと私は思いました。力があるから試合に出る。私はそう思いません。これは他者から批判されるかもしれませんね。「指導者のエゴ」だと。それでもここにどのような意味があるのか。それが伝わらない限り次も同じようなことをしますし、一番大切な場面で取り返しのつかないことが生まれます。県新人のように・・・。

最初からミスをすることが分かっている、上手くいかないだろうなというのが分かっている状況で『一生懸命にやりなさい』という方が酷ではないでしょうか?中途半端に取り組んで上手くいかないのであれば思い切って練習をしない、他の選択肢を選び別の道を進む。これも視野に入れるべきだと思います。「やりたいからやる」だけで本当にいいのか?ここは今の私の大きな課題です。

怒る部分ではありません。上手く表現できませんが。
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真剣に考える

2014-11-13 | 陸上競技
ここ数日間の記事はほとんど競技とも関係ない気がしています。私が思うことをひたすら書いているだけなので。

あれこれ考えます。先日の大会で1年生が13秒23で走りました。客観的に見るとそれほどすごい記録ではないと思います。別にベスト8に残る記録でもなければ県総体で決勝に残れる記録でもない。しかし、この記録を出した選手を評価しています。特別視するという訳ではなく「変化」という意味での評価です。

今年、リレーでインターハイに出場しました。そのメンバーが2人残っていましたが絶対的なエースが不在。12秒1で走る選手が2人いなくなり戦力は大幅ダウン。この状況でどうやって戦うのか考えながらやってきました。今回13秒23で走った選手、5人のうち5番目でリレーメンバーに入れない状態でした。100mも200mも出場枠がないため短長に種目変更。中学時代にハードルをやっていたというのもあって400mHをメインにしようかと考えていました。「生き残る道」を見つけてそこで戦うことをしなければいけません。

当初は「苦手なことから目をそむける」という部分が多分にありました。何度も指摘していましたができないことが恥ずかしいのか避ける部分がありました。何度も話をしましたがそれでも難しい。夏の終わりの時点では厳しいなという感じがありました。どこかの場面でかなり厳しく話をした気がします。更にそのタイミングで自分はリレーメンバーに入っていないという状況。ここを打破することができなければ戦うことができないのです。ある時から取り組む姿勢が変わりました。今は引退した小さなエースが「随分変わりましたね」と辞める前までかなり言っていました。目に見える「変化」があるのです。

県新人では400mHで72秒。これも客観的に見るとそれほどいい記録ではありませんがこれまでのことを考えると大幅な成長。県体では400mで63秒7、400mHで70秒。驚きの記録です。それもまだまだ可能性を残しての記録更新。県体でリレーで50秒18を出しましたがこの時のメンバーには入っていません。うちは5人しかいませんからリレーメンバーに入れないのは1人。その「悔しさ」というのはやはりあると思います。で、先日の大会で13秒23でチーム2番目の記録を出す。4番目が13秒31ですからそれほど差があるかと言われるとないのですがそれでも2番目で走ったというのは大きなことです。トップとも0.1秒しかありません。気が付けば逆転するのかもしれません。それくらいの勢いがあります。

人はその気になれば変われる。もちろんまだまだ改善の余地がありますが・・・。それを考えると他のメンバーは何をしているのか。一生懸命にやってはいるのでしょうがそれが形になりません。そして火曜日にちょっと気になることがありました。「一事が万事」です。練習中に通常ではありえないミスが発生しました。「仕方ないね」で終わらせることはできないと思いました。更には「もう1本走っても良いか」という質問。上手くいかなかったからもう一本という考え方は良いことではないと思っています。更にはこの日の練習開始時から空気が重い。その状況の中で生じたミス。なるべくしてなったと感じました。変わる可能性は誰にでも平等にあります。そのチャンスを生かせない者はなにをやってもいかせません。「次こそはきちんと結果を出す」という考え方では駄目。目の前の1本を大切にしないというのではどれだけやっても効果は生まれないと思います。

その姿を見て私自身、今まで何を見て指導をしてきたのだろうかと深い反省をしました。結局、何も変わっていない。変えることができていない。力不足の認識です。情けない話ですが自己満足でしかなかったのかもしれません。目指す方向を示していますがそこに向かっていない。この状況で何をしても次にはつながらない。

自分自身の取り組みも見直したいと思います。このままでは駄目だと痛感しています。
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blogを書くこと

2014-11-12 | 陸上競技
blogを書くという話の中で「ネタ」があるかないか。毎日のことを書こうと思ったらそれなりに書くことがあります。が、他の人にとってはどうでもいいことだったりする場合が多いのでわざわざ書く必要はないのかなという気はします。ここに書くことで批判を受ける可能性が高くなる。他者の目につくというのはそういうことだと思っています。それなら最初から書くなという話ですが。

昨日のyahooニュースに気になる記事がありました。芸能人が沖縄に行って浜辺で小さな「サンゴ」を拾ったというのをSNSで公開したらファンが「それは違法では」ということで指摘されたという内容でした。それに対して芸能人が謝罪をしたというもの。あまり深く考えたことはなかったですが実際にこれはダメなようですね。秋吉台で石を拾って帰ることも厳密にいうとダメ。この理由は様々あるようですが普通の生活をしていたら「砂浜で貝殻を拾う」のと大差ない感覚だと思っています。もしそのことが「違法」というのであれば各所に「ここで拾ったものは持って帰ってはいけない」という情報を提示し周知徹底させる必要があるでしょうね。

ニュースでは中国漁船のサンゴの密漁を取り上げています。今回の芸能人のSNSでの公表はこの「サンゴの密漁」と重なる部分があるのでしょう。公にしたことにより他者の目につき「それは許されないことだ」という批判の目にさらされる。実は多くの人が小さな違法行為はしているのかもしれません。それを公表したことで「なんなんだ」と言われる。売買目的で生きているサンゴを持っていくことと砂浜に落ちていた死んでいるサンゴを持っていくこと。厳密に区別するのは難しいのかもしれません。海の中から取ったのか落ちていたのかを線引きするのは不可能だからです。見ていたわけではないし。

時代が進み誰もが情報を発信できるようになってきました。私がblogを始めた10年近く前はそれほど多くの人がこのような形で情報発信をすることは少なかった。12年くらい前はCGIという「掲示板」形式の日記を書いていました。これもクラスの生徒や部活の選手に対して感じたことを書いているだけの話。クラスのwebページを作りパスワードをかけて写真などの公開もしていました。比較的閉鎖された空間の中でのコミュニケーションでした。それがweb logが注目され気が付けば「blog」となる。HTMLの知識が一切なくても誰でも簡単に情報を公開できるようになりました。

このころは「プロフ」というものが高校生の中で流行っていて「リアル」という名前の日記を高校生も書いていた。このことはなんとなく批判的にとらえていました。「○○が好き」「××がむかつく」「彼氏が云々」というものを書いている。ネット上に公開されているものですから一生残ります。そこの部分を10年後に見たらどう感じるか。高校生の安易な考えで何かをするというのは後々弊害が生じるのではないかと考えていました。私自身が書いた内容を見直すと同じことが言えるのかもしれませんが・・・。

それが今はLINEやFacebookとなる。何かあればスクリーンショットで投稿を保存される。簡単にできるからこそ思慮に欠ける行為があれば批判される危険性があるのです。今の高校生のほとんどはTwitterで毎日の出来事を呟く。それを誰かに見てもらってリツイートされると喜ぶ。内容が云々ではなくそこの反応があることが嬉しいのだと思います。私自身、かなり前にTwitterをやっていました。ここまで流行る前です。が、気が付けばフォローやフォロワーが増え見るのが大変になってきたので一切やめる。なんとなくです。

そもそも、このblog何のためにやっているのか?結局は自己満足です。LINEやFacebookと大差ありません。誰かに見てもらって反応があることを喜んでいる部分があるのかもしれません。自分の中では「頭の中の整理」という言い方をしていますがひょっとしたら「誰かに認められたい」という承認欲求が顕在化しているだけなのかも。自分は違うと思っていても実際は同様。誰かから「毎日blogを書いてすごいですね」と言われたいのかもしれません。自分自身はそのようなつもりはありませんが客観的に見るとそのような部分が残ります。ここは自省しないといけないですね。

今の仕事、自分が評価されるためにやる気はありません。だからと言って「個」としての意見を持たないということはない。自分自身がなんのために生きているのかを見直していきたいと考えています。こういうことを公の場で書く。これがどの部分で他者に見られているのかはわかりません。「自分の頭のなかを整理する」ために書いているつもりです。それは自分だけであって本当は違うのかもしれません。

自分自身を把握することの難しさ・・・。どうなんでしょうね・・・。
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あれこれ考える

2014-11-11 | 陸上競技
レースの結果をどう受け止めるか。ここは私にとっても選手にとっても非常に大きなことだと思っています。理想は全てのレースで結果を残すこと。出るレース全てで自己ベストを更新できるといいのかもしれません。が、これは絶対に不可能なことです。そんなことができれば誰もが世界記録まで到達するかもしれません。毎回安定した力を発揮するというのも簡単ではない。その中でどうやってレースを組み立てるかを考えていく必要がある。今回のことは私自身もう少し考えるべき内容だと感じています。

根性論で競技をやるつもりはありません。同時に「選手の能力に頼る」という指導もしたくない。難しいところです。男子400mHの為末さんが書いた本の中で「スポーツ選手の能力は99%才能で決まる」というようなことを言われています。割合は違うかもしれませんがほとんどの場合「努力は万能ではない」という内容です。努力をすればすべてが上手くいく。そういう幻想を追い続けていたらきっと上手くいかない。教育現場でこのようなことを声を大にしていうことは批判されるだろうけど・・・という感じでしょうか。

この部分は現場でやっている指導者には痛いほど分かる内容です。どれだけ練習をしても追いつけない壁がある。それほど練習をしなくても強い選手は強い。この現実を突き付けられた時にどのように行動するか、どのように行動できるか。ここはすごく大切なことだと思っています。私は現役時代それほど強い選手ではありませんでした。インターハイには出場していません。同じ県のライバル(私が一方的に思っていただけかもしれませんが)はインターハイで準決勝に進み、国体ではあと一歩で決勝へというレベル。私は努力はしていましたが到底追いつけるレベルではなかった気がしています。相手は練習が嫌い。ほとんど練習をしなくても圧倒的に強い。この現実を高校生、大学生の時は突きつけられました。

それでもやるしかない。そう思って練習を重ねる。大学2年生になって逆転することができ、大学4年ではライバルの記録を越える。ライバルと思っていた選手は気が付けば競技を辞めていました。勝てなくなったことに興味がなくなったのか、それとも他にやりたいことを見つけたのか。それは分かりません。ウサギとカメではありませんがウサギが止まっている間にカメが前に進み続けて逆転することができた。そういう経験が今の私のスタイルの根底にあると思っています。実際はそんなケースは稀だと思います。私の成功体験を他の選手に押し付けるのは正しいことではないかもしれません。それでも「弱いからやらない」というのでは先は見えません。

ウサギが努力を重ねるとどうなるのか・・・・。もう太刀打ちはできないでしょう(笑)。それでも目指す所は同じ。何とかして勝ちたいという部分でしょう。そのために何をするか。指導する者の技量が問われる部分です。強い選手ばかりが集まってくれば自然と強くなる。他県の強豪校ではそれが実際にあると思います。もちろんすぐれた指導力がある指導者がいらっしゃるのでしょうが。そういう学校にどうやったら勝てるか。それは常に考えておきたいと思っています。「才能」という大きな壁の前に「努力」は無意味かもしれません。それでも自分たちできることは「一生懸命にやる」こと以外にはない。そう感じています。

指導をし続けてきて県内ではある程度の地位が認められていると自負しています。私がではなく「選手」がですが(笑)。これは選手たちの取り組む姿勢だったり、目標意識だったりするのかもしれません。他校からすればうちも選手が集まってきてくれているかそれなりに走るのだと言われるかもしれませんが・・・。私からすれば普通のチームだと思っています。中学時代に全国を経験した選手が集まるわけではなく個人で中国に進んだ選手がいれば「今年はすごい」という感じですから。その中で県内で力を示す。これが中国、全国で力を示せるようにならなければいけないと思っています。

そのためにはやはり私自身のスキルアップが必要。このままでは駄目だなと痛感しています。だからといって下を向いてうじうじするつもりはない。これからのために何をするかを考えて行動しなければいけません。今回のレースは考えさせられる部分が多くありました。選手は一生懸命にやっていたと思います。それでもきちんとした力を出せなかったというのはそれなりに理由があります。今回のレースの失敗の部分は私自身に責任があると思っています。指導者がマイナス思考になるというのは良いことではないのかもしれませんが、現実を見たときに「技術的な課題」が明確なのであればやはり考えないといけません。今のうちの状況では「走れ」で強くなるほど甘くはありません。ここがどれだけできるようになるか。私自身が未熟さを感じなければ次のレベルアップはない。そう感じさせられる大会でした。

上手くいっているときは何をやっても上手くいく。こういう壁があるときにどうするかで今後の結果は変わってくると思っています。まだまだ私が甘い。選手に甘いと言っている場合ではないかもしれません。もっともっと自分自身を磨かなければだめですね。

真剣に反省しています。そして前を向いています。自己ベストが出たという結果だけでは評価できません。本来の力が出せるようにしたい。そう思って取り組みたいと思います。雑文ですみません。
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自分の未熟さを痛感する

2014-11-10 | 陸上競技
もう記憶があいまいなので数日間飛ばします(笑)。お許しを。

日曜日は山口市で大会がありました。女子はこのレースに参加。男子も参加しても良かったのですが持ち記録云々の部分があって「参加できるから参加する」というのは避けました。記録会とは違います。それなりの記録がなければ出るのは失礼かなと。これは私の考え方なのでそれは違うという方もいらっしゃるかもしれません。

細かいことを書きたいのですがちょっと「想うこと」を優先的に書かせてもらいます。大会の結果は6人中3人が自己ベスト更新。6人のうち1人は県体後、膝を痛めていたので思うような走りが練習でもできていませんでした。この時点から結果はある程度推測できるレベル。きちんとした練習がつめるというのは大切なことです。半分は少しですが自己ベストを更新したことになります。3人とも中学時代に出した記録がベスト記録。13秒13→13秒10、13秒41→13秒23、13秒55→13秒31と微妙な記録更新。本人たちが納得できて喜びのある記録更新であれば評価できるのですが誰一人納得できない記録でした。記録更新するというのは素晴らしいことだと思いますが、「もっと出せるのに」という感覚がある中での記録というのはなかなか納得できないでしょうね。

昨年はこの大会で大幅自己ベストを更新して「来年は戦える」という手応えを得ました。時期が異なるとはいえ一応同じ大会です。今年は「絶対的エース」がいません。その中でどうやって勝負をすることを考えていくか。大事なことだと思います。この日はアップ場では「良く動いているな」という感じがある選手が多かった。しかし、それが実際のレースでは上手く出せない。ここは大きな課題です。理由はいくつも考えられます。選手の取り組み云々という部分よりも私の判断の甘さが大きかった気がしています。

この1週間、大会に出場する選手はそれなりに練習を落としました。とはいえ、全く休むのは違うなと思っていたのでひたすらドリルをやりました。バランスディスクを使ってのドリル。自分の身体を上手くコントロールするための練習です。ずっと立ってやるドリルなので少なからず疲労は蓄積していたでしょう。「万全の状態で試合に臨む」という部分ではなかったのは間違いありません。それでもある程度は走れるだろうという手応えはありました。走る練習だけではなくこういう感覚作りは絶対に大切だと思っています。これはぶれない部分です。しかし、・・・・。

この練習を一生懸命に取り組んでいました。そこに落とし穴があった気がします。分かりにくい部分だと思いますが、この練習は冬期練習の前半部分に良く取り入れる形の練習です。しっかりと膝を締めて足を前に運ぶ練習。完全に縦の動きです。縦の動きというのは脚運びの基本になると思っています。冬期練習ではこの部分をしっかりとやってから前に進む動きに変えていきます。縦の動きというのは重心の移動が小さくきちんと動きを作るという部分がメインとなる練習です。この練習を1週間繰り返しました。この部分が問題。

「速くなりたい」という想いが強い者ほ脚運びと体重を乗せる動きを真剣に繰り返します。負荷を増やしたくないという想いがあったので大きく動く練習はほとんどしませんでした。一応考えていたのでスティックを使ったドリルは行いました。これは前に進みながら同じ動きをするというものです。これも本人たちの感覚に合わせて実施ているだけでした。一生懸命にやればやるほど「縦の動き」の部分は良くなっていたと思います。しかし、その動きが「前に進む動き」につながってきませんでした。レースでの走りを見ると共通して「中間からの伸びを欠く」というものでした。アップ場での走りは結局、加速段階から中間へのつなぎの部分までしか見れていません。ここまでの動きが改善されてもそれからの動きができなければ走れないのです。

試合前日に「加速から中間への走りがしっくりこない」と何人かが言っていました。動き的には悪くない。しかし、本人たちの感覚は良くない。ここの部分の見極めが私自身できていなかったのだと思います。「木を見て森を見ず」という最も基本的な部分の見落としです。部分的な動きを強調するあまり全体の流れが作れなかった。しっかりと感覚を作ったところでそれを中間につなげる動きができなかったのです。そしてそれを見極めることができなかった私自身の未熟さゆえの結果だったと思います。本当に情けない。

偉そうなことをblogに書いておきながら・・・ですね。細かいことをやらずとも走れる選手は走れます。しかし、うちの選手は違う。地道に練習を積み重ねていってそれが結果につながる。だからこそ小さい部分を大切にしたい。それが「感覚作り」でした。が、その部分を一生懸命にやればやるほど「練習の組み立て」が重要になってくる。これが冬期練習に入っているのであれば問題はないのです。長い目で見たときに「縦の動き」をしっかりとやっておくことは来年以降につながります。まだレースがある現状ではこの部分は「特化してはいけない」という所があります。今の時点大幅自己ベストを更新して冬期に入ることができればモチベーションも上がるでしょう。目の前のことだけにとらわれてはいけない。この部分は私も反省するべきところです。

想うことは多々あります。これは可能な限り記録しておきたいと思います。とりあえずここまで。また書きます。
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木曜日の練習

2014-11-08 | 陸上競技
木曜日、練習はそれなりに。朝の段階で男子はメデァ投げ。女子はウォークをしてから簡単にドリル。これから先のことを考えて女子は感覚作りに時間を割いています。周りから見ると何をやっているのかと思われるかもしれませんが、長い目で見たときにプラスになると考えています。流行りの練習をするつもりはありません。自分が目で見て選手のために何がプラスになるかを私が判断していきたいと思います。

午後は男子は通常練習。ダイナマックスをやってからハードルアップ。記憶が曖昧ですがこの日も練習の最初に居なかった気がします。あやふやです。女子は軽く身体を動かす程度にしました。簡単にドリルをやってから短い距離の動き確認。この数日間中間の動きをずっとやっていました。これから短い距離に移るとなかなか動きがつながりません。加速段階と中間の動きの感覚は違います。特に何も考えずに走ることはできます。しかし、中間の動きをずっと意識し続けて来たので加速段階での動きがスムーズに出来ませんでした。面白いものです。特定の区間の練習ばかりやるという弊害があるのだと思います。バランスの良い練習をしていかないといけません。練習の組み立てについて改めて考えさせられる出来事でした。

男子は基本からショートへ。並走から30アンド60、バトン合わせ。特にバトンの部分ではこれからの課題を考えました。これは今までも感じていたのですが火曜日の練習の時に改めて感じました。バトンをもらった者の走りが甘い部分があります。もっときちんと課題を決めて取り組まなければいけない。今までの私のやり方の甘い部分が浮き彫りになった気がします。もっともっとやるべきことをきちんと考えていきたいと思いますね。

女子は早めに終わらせて最後は男子のみ。タイヤ引きをすることにしました。火曜日に短い距離のタイヤ引きをしていました。この日は長い距離のタイヤ引きを。パワーで押し切れる距離ではなく技術的に改善しなければできない距離設定にしました。ここ最近はこの手の練習をほとんどやっていませんでしたから、久々にやるとダメージは大きいと思います。1年前くらいからこの手の練習をほとんどやらなくなりました。選手のタイプによって判断していた部分があります。体重が軽すぎてタイヤをきちんと引っ張れないのであれば他のパターンの練習の方が効果がある。また、キツくて動きが保てないという肉体的限界より精神的限界が先に来る時に超えられるタイプと越えられないタイプがいる。ここを私自身の判断で変えていました。

選手に迎合するつもりはありません。しかし、全てのタイプを一律に型にはめることが選手を伸ばすことに上手くつながらない気がします。国体前後から特に感じていました。アップの量が少なくても十分身体が動く選手がいる。この手の選手に量を追う練習を課してもあまり効果がないのではないかと感じています。正直分からないところはありますが(笑)。これまで居なかったタイプの選手を見る中で感じることも多々あります。この冬はこういう部分の見極めをしていきたいと考えています。今年は様々な部分にチャレンジしていきたいと考えています。

これから先のことを考えるとやりたいことがたくさんあります。また、やらなければいけないことも。ここを自分の中で精査してしっかりと取り組んでいきたいと思っています。迷うのではなくしっかりと道を見極めていきたいですね。

書きたいことが散文のようになってしまっています。面白くないかもしれないですがお許しを(笑)
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嬉しい出来事

2014-11-08 | 陸上競技
もう記憶が・・・。問題ですね。あやふやすぎてblogを書く必要があるのかどうかというレベルに達しています。ほぼ自己満足のblogですからこのような状況が続けば閉鎖しても問題ないのではないかという気にもなりますね。何人かの方々は毎日見てくださっているかもしれないので大変申し訳ないのですが。もう少し内容がなければ見ても面白くないでしょうし。きちんと毎日更新できる内容があればいいのですが。正確に言うと内容はあると思います。実際は更新する時間が確保できないというのが正直なところです。

順番は前後しますがこの日、卒業生と食事に行きました。国体終了後、「食事に行きましょう」と誘ってもらっていたのですが絶妙なタイミングで体調を崩し延期。そして日々の仕事に忙殺され連絡するのを忘れていました。水曜日に「食事の件、どうなりました?」と最速の連絡がありました。いやー申し訳ない。こういう部分はあまり良くないことですね。せっかく誘ってもらっているのにきちんとした返事ができていない。深く反省すべき部分だと思います。結局、翌日である木曜日に食事に行くことにしました。これ以上先延ばしにすると本当にいつになるのか分からなくなりますから。

卒業生2人と食事(1人は忘れていました(笑))。迎えに来てもらいましたが待ち合わせ場所に行くと車の外で2人が待っていてくれました。わざわざ私の誕生日だったので花束を準備してくれていたようです。そういえば国体後に私の誕生日がありました。そういう意味もあって誘ってくれたのだと思います。申し訳ないことです。卒業して4年くらいたつのですがいまだにそうやって連絡をくれたり気を使ってくれるというのはものすごく幸せなことだと思います。自慢をしているようにとらえられるかもしれませんが、こういう部分では卒業生のつながりは深いと思います。なかなかこういう状況にはならないのではないでしょうか?こちらも在学中はかなりのエネルギーを使っています。その見返りは求めません。何かしてもらうためにやっているわけではありませんから。それでもこうやって長い付き合いができるというのは幸せなことです。



更には食事の最後にはケーキまで準備してくれていました。「誕生日おめでとう」と書かれているケーキでした。前日に予約まで入れてくれていたようです。本当にありがたい。そんなこととは露知らず「何回か一緒に行ったことあるから別の店にしよう」とか「飲み物(銘柄)があまり好きではない(笑)」とわがままを言っていました(笑)。そんな勝手なおっさんのために時間と労力を使ってくれたことに心から感謝したいと思います。オチとしてはお店から帰る直前だったので私はお腹いっぱいになっていてほとんど食べれずに本人たちが食べたという部分ですかね(笑)。とにかくこの気持ちが嬉しい。誰かのために何かしようという気持ちがあるというのがこの子たちの良さだと思います。



その話の中で「高校時代の競技」についての話になりました。卒業後、何かの場面で他の人に「走るだけなのに何が楽しいのか分からない」と言われたとのこと。他のスポーツをしている場面だったとか。更には「高校時代にそんなに一生懸命にやっている女子がいたら引く」と言われて大激怒したとのこと。まーそうでしょうね。この子たちの取り組みを誰か他の人が否定する権利はないと思います。更には競技に一生懸命に取り組んだことがある人間であればそのような発言はできないと思います。この二人、どちらも県レベルの大会で優勝経験があります。今でも県体のマイルの大会記録を持っています。毎年毎年県チャンピオンは出てきますがその年にその大会で優勝できる選手は1人だけ。どれだけやってもそこに届かない者の方が多いのです。そこに到達したこの子たちの取り組み。簡単なものではありません。

適度にやって適度に高校時代の部活動を終える。それも一つの思い出づくりかもしれません。しかし、必死になってやってきたからこそ得るものがある。多くの人はそこまで一つのモノに打ち込んで高校生活を送ることはできません。それなりにやってそれなりに部活を終える。それも一つの生き方でしょう。これを否定できるかと言われると何とも言えません。「適度にやる」というのを求める人にとってはこれが最善の「高校生活」なのでしょうから。実際、この子たちや今の子たちが一生懸命に競技に取り組んでいる姿を周囲がどのように思っているのかは分かりません。価値観が違えばこの姿は「なんでそこまでやる必要があるの?」という風に映るでしょう。

話しの中にもできましたが高校時代は他の生徒がかなり気を使ってくれていたようでした。この子たちの時代は本当にストイックでした。お菓子は絶対に食べない、競技に集中するというのが顕著に行動に出ていました。そのため現役時代は友達が「遊びに行こう」と誘ってくることもなかった。休み時間にお菓子を食べたりする仲のいい友達がいても「食べる?」と言ってこない。周囲が「一生懸命に取り組んでいるのだから邪魔はしたくない」と感じ取ってくれていたようです。引退して一番変わったことは「友達がお菓子を進めてくるようになったこと」と言っていました。競技をする限りはこういう部分も見てくれているのです。この子たちは友人にも恵まれているのだと思います。

実際に一生懸命にやっている姿を見ているから分かる。「一生懸命にやっている女子がいたら引く」という価値観の人とは絶対に分かり合えないと思います。他のスポーツをやったり何かに没頭して本気でやったことがあるのであれば「一生懸命にやる」という部分で共有できます。結局、「それなりにやっていた」からこそそういう発言ができるのだと思います。この子たちが「絶対に許さない」と感じる部分は私自身も許せないですね。特に一番近くで見ていました。この日の話にも合ったのですが保護者と一緒に過ごす時間よりも私と一緒に過ごす時間の方が圧倒的に長かったと思います。だからこそ多くのことを共有できる。幸せなことだと改めて感じますね。

色々なことがあります。嫌なことの方が多いかもしれません。それでもこうやって卒業生や生徒と何かを「共有」できるというのがあるから今の自分がいるのだと改めて感じます。多くの人に出会い、その中で多くのことを学ぶ。感じる。想う。そういう経験の積み重ねが自分自身をつくっていると思っています。高校を卒業した後に何が残るか。それがすごく大事だと思います。私にできることは一人で多くの子供たちに「自分にしかできないこと」を経験させることだと思います。

そういえば「最近先生優しくなりましたよね。前はめちゃくちゃ怖かった。」と言っていました。どうなんでしょうか。年を重ねる中で少しずつ自分自身も変わっている気はします。逆に「厳しさ」というのがなくなっているのかもしれません。時がたてば人は変わる。しかし、変わってはいけない部分もある。厳しくしようというつもりはありませんが「絶対に許せないモノ」を持ち続けて指導することは必要だと思いますね。この子たちと話して自分の今の立ち位置も見直すことができました。色々な意味で感謝したいと思います。
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トレーニング&感覚作り

2014-11-08 | 陸上競技
水曜日、田島に出る者は練習を落とし目にしました。他の者はひたすらトレーニング。時間をかけて身体作りをしたいという部分は変わりません。男子、一生懸命にやるのですが気が付くと「一生懸命にやる」ことがメインとなっている。この意味が分かってもらえないかもしれません。強くなるためには練習をしなければいけない。ここは当然です。しかし、「練習をやること」が狙いとなっていてそれ以上のことができない。「やればよい」という訳ではありません。きちんと目的を持って何のためにやっているのかを明確にする。「頑張ることを頑張る」というのではだめだと思っています。

例えば「声を出す」という行為。練習中の雰囲気を明るくするためには必要です。全員で元気を出して練習をする。これがいつの間にか「声を出せばよい」という方向に進む。大きな声でひたすら叫ぶ。以前女子でもありましたが「とにかく声を出す」のです。周囲の雰囲気を感じ取らずにひたすら声を出す。ここにどのような意味があるのか分かりません。動きを指摘する声出しであったり、みんなを元気づける声だしであったり。そういう声であればチームは明るくなりますが「叫んでいるだけ」では何も変わりません。「言われたからやる」という典型的なパターンです。

このような状況では何を言っても伝わりません。「一生懸命にやる」という部分に関してはきちんとやっていると思います。しかし、そこがメインとなっている。ここが変わらないとこれからの練習も変わらないと思います。この部分、分かる人には分かってもらえると思います。変わるチャンスを生かせるかどうかというのは本人の感覚です。自分自身が「一生懸命やっている」と思っていても実際の行動が伴っていない。客観的に見ると「まだ変化ないな」という部分があってもそれを本人が自覚するというのが難しい。女子の例を前に挙げました同じことを言っても行動が変わる者とそうでない者がいいる。難しいですね。

この日はアドバイスをもらいました。現時点では学年関係なく練習をしています。負荷もほぼ同じ。が、2年生が1年生と同じ負荷で本当にいいのか?本来であればそれなりに負荷を増やさなければいけないはずですが同じレベルの練習をしています。うちのトレーニングはどちらかというとサーキットに近い部分があります。ほとんど休まず動き続ける。ウエイトトレーニングであれば「重量」で成長度が測れます。しかし、今のうちの形ではその変化が見られない。そうなると本来必要な負荷ではなくなっている可能性もあるのです。これでは強くはなりません。タイム設定や距離設定など詳細に考えていかなければいけない気がします。不十分なところがある。改善の余地ありですね。

そういう話をしながらやっていると約2時間で通常の練習が終了。やはり思った以上に基礎筋力はついているのだと思います。以前はこれが2時間半くらいかかっていました。テスト週間にシャフトとバランスディスクで1時間程度で終わるのではないかと思ったのは事実でした。重量を増やすか距離を伸ばすか、もっと複数の種目と取り入れるか。どの形にしてももっとできる気がします。現状に満足しない。ここは重要ですね。

記憶があいまいになってきています。とりあえずこの日にあったであろうことを記録しておきます。
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