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kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

人間ドックの結果・・・

2020-12-07 | 陸上競技

数週間前に人間ドックを受信。その結果が日曜日に来ていました。ひょっとしたら金曜日に来ていたのかもしれませんが。気づいたのが日曜日でした。

 

肝臓の値が非常に悪い。γ-GTPの値が「533」でした・・・。過去最高値。これはさすがに・・・。ちなみに基準値は「50以下」ということですから10倍です。肝臓の値が高いと尋常ではないくらい身体がきつい。しかし、これがずっと続いているので「きついのが当たり前」という感じになっています。

 

「精密検査を受けたほうが良い」とアドバイスを頂きました。養護教諭にも相談を。過去のγ-GTPの値を再確認するほうがいいと言われたので印刷して確認。2010年のものから確認できました。10年203、11年386、12年220、13年289、14年280、15年264、16年245、17年313、18年274、19年234。やはり高い。どうなんでしょうか。

 

体質的なものもあるのかもしれません。毎日めちゃくちゃ飲酒しているわけではありません。それでも値が高い。かなり前に意識的に禁酒をして検査に臨んだことがありましたが前年よりも数値が上がっていました。これはもう関係なのではないかと思って諦めました。

 

教員になって3年目くらいからこの値が非常に上がっています。当時、真剣に他の人に相談したら「本当に悪かったら値がもう一桁違う」という話をされました。2000以上になると。こうなると黄だんが出て即入院になる。だから大丈夫だと言われました。毎年引っかかるので病院に行っていましたが「休肝日を作って」と言われるだけで何もない。薬が出るわけでもありません。これって・・・

 

そして今年は500を越える。さすがに・・・ですね。病院にいって相談しないといけないと思っています。養護教諭は「大きな病院に行っても改善は去れないだろうから定期的に病院に行くほうがいい」と言っていました。何がいいのか分かりませんが。

 

とりあえず「気休め」にしかなりませんが薬局で薬を購入。漢方です。効果がどれくらいあるのか分かりませんが。ひとまず飲み続けておきたいと思います。






 

そしてしばらくは禁酒。これで劇的に改善されるとは思いませんが。まずはできることから始めてみようかなと。体力的にも精神的にもきついですね。ストレスを感じやすいのでこういう部分も影響しているのかもしれません。

 

はぁ。どうなんでしょうか・・・。

 

 

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できるように

2020-12-05 | 陸上競技

いろいろと。

 

今考えていることがどうすれば「できるようになるか」というのは重要だと思います。「理論」と「実践」です。頭でわかっていてもそれが「実際にできるかどうか」は大きい。この部分をどうすればいいのかを常に考えるようにしています。どこに正解があるのかは見続けなければいけない。

 

できるだけ「単純化」したいなと思っています2年生の男子が比較的走れるようになってきました。細かい部分まで考えているのかどうかはまだまだ不明ですが。やっていることの感覚が分かってきている感じがあります。決してもともと力があったわけではありません。12秒8くらいでしょうか。なんとなく11秒台で走るようになりなんとなく形になりつつあるのかなと。これが一冬超えるとどうなるか。おもしろいのかなとは思っています。あまり褒めるといいことはないのでほぼ褒めませんが。

 

女子は一生懸命にやります。が、驚くほどに不器用。おかげさまでいろいろな方法が思い浮かびます。どうすればこの手の選手に「やりたいこと」を伝えて「できるように」することができるか。頭でわかっても実際に体が動かなければいけません。ここは本当に難しい。

 

「できない」を「できる」に変えていくため。これが練習です。一段ずつ上がっていくしかないと思っています。選手にも「考え方の癖」があります。自分で都合よく解釈することも多々あります。前の記事にも書きましたが「止まり方」一つとっても「できている」と思い込む。否定的な話をするというのではなく「できていない」ことに関しては「できていない」という認識を持たせることが重要だと思っています。

 

先日、全校生徒にタブレットが貸与されました。練習中にマネージャーに頼んで「動画の撮影」をしていました。視覚的に見てどうなのかという部分だと思います。「頭」でわかっていたとしても「身体」が体現できていないのであればそれは「できない」ということです。一生懸命に努力している。しかし、それが「できる」につながるようにしなければいけないと思います。

 

一生懸命にやる。こういう選手が陥りやすいのが「間違った動き」をひたすら身につけるという部分です。間違った動きをひたすらやる。「違うよ」といってもそれを「違う」という認識ができていなければ「きちんとやっている」という思い込みの中でやり続けることになる。「できる」につなげていくはずが「できない」を助長する結果になる。これは絶対に避けたいのです。

 

「前に進むためにどうするか」ということ。これをどう考えるか。小難しいことを覚えてもそれが実践できない。また、ドリル的な動きができるようになったとしてもそれが独立してしまって走りに直結しないこともある。これも困る。どういうバランスでどのような配置でどう練習を組み立てるのか。ここを考えたい。そしてそれをどのように選手に落とし込むか。重要な要素だと思っている。

 

時間がかかる。それでも「できる」につなげていきたい。スモールステップという感じで段階を追ってできることを増やしていく。それが走るために必要になる。身体の使い方も重要になる。しかし、それ以上に「感覚を作る」という部分も重要になる。筋力も。やるべきことは非常に多い。

 

優先順位をつけながら「できる」を増やす。自分自身が「できる」ことが選手に「できる」とは限らない。どちらかというと「できない」ことのほうが多い。感覚を共有することが難しいのでそこに対してどのようなアプローチをすればいいのかをもっともっと考える必要がある。

 

どうすれば「できる」か。これをもっともっと考えた貰いたい。私にできることは最大限にやろうと思っている。しかし、最後は選手自身が「速くなりたい」とどれだけ思うか。正しい方向に「努力」できればもっともっと変わってくると思う。一生懸命を「結果」につなげていきたいと強く思っている。

 

まとまらない。目の前の選手が一生懸命に取り組んでいる。それをなんとかしたい。

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水槽と水質

2020-12-05 | 陸上競技

水槽の話。

 

エビ水槽でレッドビーシュリンプが☆になります。正直理由が判明しない部分もあります。ここからは私自身の「推測」の域を出ないので正しいのかどうかわかりません。それでも水槽の様子を記録しておきたいと思います。

 

1週間前くらいからいきなりエビがぽつぽつ死になってきました。一気に減っていくというのではなく毎日1匹ずつ☆になる感じです。いきなり水質が悪化したとは思えません。何かしらの要因があるはずです。

 

気になることがありました。それは水槽に「餌を入れるお皿」を投入したことです。これ自体は問題ないと思っています。お皿があることで「食べ残し」がソイルの間に埋もれていくという部分がほぼなくなりました。

 

が、その反面「少し多めにあげてもあとで取ればいいや」という甘さが出ていた気がします。ソイルの間に埋もれないので「常時餌がある」状況になります。それにより「水槽の水」自体に餌の栄養素が溶け出しているのかもしれないなと。

 

そう感じたのは「固形」の餌を与えて翌日見たときに「食べ残し」に「水カビ」が生えていたのです。水質が安定してろ過がしっかりとできている水槽内では「水カビ」はほとんど発生しません。エビが☆になりはじめた後、見てみると「水カビ」がでていました。調べてみると「過栄養」の状況のようです。1週間に1度は水替えをしていましたがそれ以上に「餌を過剰に与えていた」のではないなという疑問が生まれます。

 

毎回同じような失敗をしている気がします。レッドビーシュリンプは餌を食べるときに非常に可愛い。ツマツマします。その姿を見たくて餌を与えてしまう部分があります。「餌の皿」を入れてから後はそこにエビが集まってくるのでついつい過剰に餌やりをしていた気はします。

 

少し多めにあげてもあとで取ればいいやという慢心もあったと思います。これにより水質が悪化していたのではないか。レッドビー自体は非常に弱い個体です。一度ダメージを受けると劇的に回復することはありません。水替えなどをしても手遅れに近い状況になります。

 

脱皮不全や脱卵をしていた時期にしっかりと考える必要がありました。あの時点で何らかのサインだったのだと思います。その部分をきちんと見切れていなかった私の責任です。本当に情けない話です。

結局20匹いたレッドビーシュリンプは3匹となりました。どうするか考えたいと思います。

 

チェリーシュリンプに関しては抱卵していた個体からハッチアウトして再び稚エビが生まれています。同じ環境下で何が違うのか。単純に個体の強さの問題なのか。この辺りも水槽観察を続けていきたいと思います。なんとかしたい。強くそう思っています。

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練習もそれなりに

2020-12-05 | 陸上競技

更新する意欲が全くなくなっていました。エビが・・・。これは今の私の心の支えです。毎日毎日水槽の様子をチェックするのが生きがいになりつつありました。それなのに・・・。毎日毎日☆になるエビたちを見ていると・・・。苦しいです。

 

テスト期間に入っています。それなりに身体は動かしています。木曜日からテストが始まるのでそれに合わせて。月曜日、火曜日は1時間程度。水曜日は休みとしました。私は水曜日昼から休みを取りました。本当に久しぶりに。身体を休めるというよりは「やらなければいけないことがある」というだけなのですが。

 

木曜日、金曜日と練習は1時間程度。内容的には「テスト期間の練習」と同じです。補強と短い距離。この繰り返しです。練習を見ない時間があるのでその間に色々と考えます。どうすれば「イメージが伝わるか」という部分です。こちらが「やりたい」と思っていることと選手が「やっていること」が異なる場合はうまくいきません。どうやってその部分をすり合わせていくのか。重要なことだと思っています。

 

久々にコーチングに関する本を読みました。別にこれをどう使うかというのを考えているわけではありません。水曜日の午後から気持ち的に時間に余裕があったので目の前にある本を読んだというだけです。「褒める」ということがひたすら書いてありました(笑)。まーそういうことなのでしょう。

 

やりたい動きをどのような形でイメージさせるか。言ったらすぐにできる選手もいます。どれだけやってもなかなか身につかない選手も。ここに対してどうすれば「やりたい動き」が身につくのかを考え続けなければいけません。重要な要素だと思っています。

 

難しいことはしたくない。できるだけシンプルにしたい。「普通の選手」がどうすれば速くなるか。ここを重視したい。そう考えると「走るために必要なこと」を自分の中でしっかりと選ばなければいけないと思います。数日間、機会があるごとに師匠と電話で話をしていました。本当は全くの別件で始まるのですが途中から「走りについて」の意見交換になる。私は教わることばかりですが。

 

この年齢になって「スプリント」について話をし続ける。これは貴重なことだと思います。通常相手をしてくれる人がいないので。今年は合宿などもないので気づきや感じたことを話し合う機会が極端に少ない。私はこの部分で保たれているところもあります。「どうすれば走れるのか」を常に考え続けたい。まー私一人がこの部分を考えていてもしかないのですが。

 

選手に「どうすれば足が速くなるか」を考えるように話しています。これは最近になって特に。「与えられたメニューをやればいい」という話ではない。そのメニューをどのようにやっていくか。強制的に「目的とする動き」をさせることも重要。道具などを使いながらです。

 

見ていると「走った後」に顕著に「差」が出る気がします。40mなら40mを走る。その直後に極端にスピードを落とす選手がいます。ブレーキをかけて。無理やり止まる。慣性の法則からいえば「前に進む」のだから走り終わった後に「すぐに止まる」のは難しい。ブレーキをかけるのではなく「出力を落とす」ことで自然に止まっていくのが理想。

 

極端な者は走った後に後傾して重心を後ろにして前接地でブレーキをかけます。これが「間違いなく走れない姿」の特徴です。結局、走るときにこのような動きはしたくない。スピードを落とす動きにつながるのだから。止まるのも練習の内だと思います。こういう部分も意識できるようになると変わってくる。

 

さらには「歩き方」もです。見ていると後ろ重心で歩いている者がいます。何度も指摘をしていますが修正できません。すぐに「かかと重心」で「接地した足が曲がる」という状況で歩きます。普段の練習で「前に進むために」という指導をしてもこういう部分で「前に進まない」動きをしているのだから走っても変わらないと思います。

 

「速い選手」というのは自然にこういう動きができていたりします。周りが何も言わなくても「無意識」で前重心で歩く。ベタベタ歩く選手は速い選手にはいません。自然に前重心で歩くのです。そうであれば「できない」選手は「できるようにする」ための努力が必要です。ここをどう考えるか。

 

やりたいこと。それをどう習得させるか。結局は「もっと速く走りたい」と思ってくれるかどうかなのですが。この部分も含めてしっかりと考えていきたいですね。

 

まとまりません。直近で感じたことを文字にしておきます。

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壊滅的・・・

2020-12-04 | 陸上競技

エビ水槽。

 

ぽつぽつ死が出始めて1週間。20匹いたはずのレッドビーシュリンプはすでに4匹になりました。理由が全く分からない。これは本当につらい。

 

チュエリーシュリンプは☆になることがありません。稚エビが成長していたはずですが3匹いたうち1匹しか見かけないのでやはり☆になっているのかもしれません。大きな個体は強い。

 

個体としての「強さ」の影響もあるのかもしれません。しかし、これだけ☆になると気持ちが・・・。

 

どうしたらいいのか。勉強しているつもりですが生き物を飼うことは本当に難しい。

 

別に水槽を1つ作ることに。万が一のことがあった際に回避するためです。これが機能するまでに1か月くらいかかります。もっとかも。

 

うーん。辛い。辛い。

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「イメージ」と「現象」

2020-12-02 | 陸上競技

よく分からないことをダラダラ書いています。頭の中の整理という意味合いが強いのですが。

 

先日話した内容。バイオメカニクスについて。これは何度も書いていますが。「接地」について触れてある記事。かなり前になります。トップ選手の走りを連続写真で切り取って見たときに「接地」が「身体の前」になっていた。これに対して「前側に接地することで大きな地面反力がもらえる」と分析してあった。前に進むための「推進力」を得るために「大きな地面反力」を得る必要がある。つまり「身体から離れた場所に接地することで大きな地面反力を得られる」と。スプリントのスピードを上げたかったら「身体よりも前側に接地する」ほうがよい、と。更には「間違っても身体の真下に接地することがないように」という補足まで書いてあった。

 

「地面反力」というものの捉え方。水平方向に重心移動している。それも速いスピードで。その段階で「身体よりも前に接地」すると「前に進む力と逆方向」の力が加わる。これは「反力」ではあるが、「スピードを低減させるための反力」でしかない。摩擦が存在する中で「身体よりも前」に接地することでその「反力」を「推進力」に変えることができるのかどうか。「静止画像」の中から得られることが本当に事実なのかどうか。

 

「現象」として「身体の前側」に接地している。しかし、その局面における「本人の意識」はどうなのか。ここが議論されなければいけないのではないか。本人が「前側に接地することで地面反力を得てそれを推進力に変える」と思っているのか。全く思っていないのに「現象」として「前側に接地する」ことになっているのか。本人がどのようにイメージしているのかどうかは大きい。

 

「接地局面」だけを捉える。これは「バイオメカニクス」においては重要なことなのかもしれない。「こういう形になっている」から「良い記録が出る」という「切り取り」。良い記録を出した者とそうでない者を比較したときに「良い記録を出した者」の動きが正しいという判断をする傾向がある。

 

「前側に接地する」ということはその前段階で「重心の移動が十分ではない」というのが出てくる。水平方向への移動スピードが上がれば自然に「良いポジション」に入ってくる。この「重心移動」というのは単純に「水平方向へのスピード」だとは限らない。接地した瞬間にきちんと腰の位置がその鉛直線上に入ってくるかどうかという話だと思う。移動が大きくなればなるほどこの「ポジション」が難しくなる。

 

「接地した瞬間」の局面を切り抜いてみると「接地脚」だけではなく「フォローレッグ」の位置も重要になる。「接地脚」に対して「フォローレッグ」が遠くにあるか近くにあるか。これだけで水平方向への移動は大きく変わってくる。大腿部は重い。重いものが自分の身体から離れた位置にあれば「水平方向」への移動にとってマイナスになる。当然。

 

が、だから「フォローレッグ」を早く前に持ってくるというのが正解だとは言えない。もちろん「フォローレッグ」を早く持ってくることは重要になる。が、「フォローレッグ」だけを切り取って「早く持ってくる」ことを意識してもこれは非常に難しい。その前段階の「接地」局面が重要になってくる。

 

「身体から離れた場所」に接地をすればどうしても「接地時間」が長くなる。その衝撃に耐えられず潰れてしまうこともある。地面に「長い間時間を加える」という考え方もあるのかもしれないが、「前側に接地」することで「接地時間」が長くなるのは間違いない。それにより「接地脚」は後方まで運ばれることになる。結果、「離地」が遅くなり、「フォロースイング」のスピードは遅くなる。「フォローレッグ」だけを取り出して「早く持ってくる」といってもそれは不可能。やりたい動きの前段階に「要因」がある。

 

こんなことを考えながら生きている。そしてこのタイミングでgt先生と話すことが。話をしている中で「膝締め」について出てくる。指摘を受けた。「膝締めをすることが目的になっているのではないか」という部分。私のblogを読んで選手が「異なる捉え方」をしていたという話からここに至る。「膝締め」自体は必要だと思っている。しかし、それは「速く走るための方法」であって「膝を締めれば速く走れる」という部分とは少し異なる。選手が「フォロースイング」を速くするために「膝締め」が必要だと考えているか。「接地」を良くするために「膝締め」が必要だと考えているか。「膝締めをすればいい」という考え方になっていないか。

 

「なんのためにやるのか」をもっと理解しておきたい。「膝締め」だけを目的にしない。どうしても「知識過剰」になるので走りの中で身につけていく必要もある。「速く走るため」の方法は様々だと思う。そこに「100%の正解」は存在しない。同時に「速く走れた選手の動きが絶対的に正しい」というものでもないのかもしれない。本人の意識とは違った形で「動き」「現象」が出てくる。その部分をもっともっと考えていきたい。実際は膝が開いていて接地が前側でも「速い」というのであればそれは「正解」なのかもしれない。

 

話が飛びまくる。とりあえず記録しておく。

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つらつらと

2020-12-02 | 陸上競技

頭の中にあることを言語化しておきたいという気持ちが常にあります。自分で何を考えているのか。何を表現しようとしているのか。この歳になっていまだに十分にできていない。周囲からいろいろな話を聞く。それが「自分の言葉」として発信できるか。周囲に言われていることを受け売りしてはいないか。本当に「考える」ことができているか。

 

「哲学」が好きだというのはある。「物事の本質」について考える。答えが出るかどうかはわからない。それでも「考える」ことから生み出されるものがある。そう思っている。こういうタイプの人間だから周囲の人から受け入れられることは少ないと思っている。別にそれはそれで構わない。「嫌なものは嫌」ということだけは常に言葉にしたい。「長いものに巻かれる」というのが苦手。信念を曲げて何かをするのであればもうやらないという選択をする。どうかと思うが。

 

「理想」と「現実」がある。「理論」と「実践」がある。これからの時代「陸上競技」だけを考えてやっていけることはない。もちろんこれまでも同様だったと思うが。様々なことを考えていく必要がある。前の記事にも書いたが「生徒に嫌われること」「選手に嫌われること」は何とも思わない。「迎合して生きる」というほうが圧倒的にしんどい。子供たちは「耳障りのいい言葉」を好む。褒めてもらうこと、認めてもらうことが好きだ。もちろん、その部分は大切にしているが「駄目なものは駄目だ」ときちんと伝えなければいけないと思う。

 

なんとなく許すことで「境界線」ができる。一度許してしまえば次も許さなければいけない。だからそのラインは明確に示すようにしている。以前と比べれば緩くなっている部分が自分の中にあるかもしれない。それでも「絶対に許せない」というのは常に持っておきたい。ほかの人よりも「境界線」が明確になっているのかもしれないなと思っている。

 

自分の中で「妥協できること」と「妥協できないこと」がある。ここも自分の中での課題となっている。本当はそこまでこだわらなくてもいいのではないかと思うこともたくさんある。それでも自分の中で「ここは譲れない」と思う部分はある。歳を重ねるにつれて人はそういう部分が「大きくなる」傾向がある。それだけはさけたい。「意固地になる」ことから生み出されることはない。必要であれば「後進に道を譲る」ことも必要になる。

 

いろいろな場面でいろいろな話を聞く。そこに何があるのか。人それぞれ「考え方」は異なる。何が正解で何が間違っているのか。これもわからない。でも自分が「信じること」に関しては譲りたくない。「飯のタネ」として今の仕事をしていくつもりはない。「対価」は必要になる。しかし、それがメインではありたくない。

 

「ボランティア」活動。東京オリンピックなどでも取り上げられていた。「ボランティア」だから手弁当で早朝から深夜まで手伝う。遠方からくる人たちであれば「宿泊費」も自分自身で負担して「ボランティア」をする。それって本当に「正解」なのかどうか。「ボランティア」は「余力がある」からできるのか。少しでも役に立ちたいという気持ちがあるからやるもの。そこに対して「評価」を受けて「認められる」ためにやるものではない。それなりの「対価」は必要になる。全て自分を犠牲にして「ボランティア」をやるのは本末転倒になるのではないか。

 

まったくまとまらない。それでも思ったこと、感じたことは言葉にしておきたい。それがいつの日は自分の「糧」になる。一時的な思いであってもやはり「記録」しておきたい。なんとなくそう思う。

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距離感

2020-12-02 | 陸上競技

思うことを。

 

教員になりたての頃。「若い教員はそれだけで生徒との距離感が近くなる」と言われたことがある。それが歳を重ねるにつれて「距離感」ができていって生徒と関わることがなくなる。そこからどうするかという話を。

 

若いころは生徒と年齢が近く話もできる。歳を重ねるとそれができなくなる。そういう言い方だった。

 

既に44歳となった。今はどうだろうか。何か変わってきているのか。SHRで生徒に「1分間スピーチ」をさせている。1回目は「自分の好きなもの」について。今は2回目に入ったので「近い将来にやりたいこと」を。少しずつコメントするようにしている。そして私自身のことも話をするようにしている。別に他愛もない話。

 

前任校と今では関わり方も違う気がする。生徒の気質も違う。これは最初かなり戸惑った。それでもスタンスは変えていない。それってどうなのかなと思う。正しいのか。間違っているのか。どこに正解があるか分からない。

 

元々生徒に好かれようとは思わない。好かれて懐いてもらう必要はない。そういう仕事ではないから。抱え込んで対応することに意味はないと思っている。授業中に質問するようには投げかける。補習はやらないと宣言している。質問があれば授業中に聞く時間を与えている。

 

それでも話はする。雑談も含めて。自分自身のやり方が正しいとも思わない。それでも「スタンス」は保ちたい。勉強さえすればいいのか。ばれなければそれでいいのか。そのあたりのことを話す。別に「教育者」だからという気は全くない。話したいから話す。それだけ。

 

色々なことを考える。生徒との距離感は保ちたい。むやみに距離感を置くつもりもないし、近づきすぎるつもりもない。どれくらいの距離感が正しいのかも。

 

今のスタンス。誰からも認められるものでもない。それでもなんとなく今の距離感を保ちたい。ふとそう思った。それだけの話。

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うーん

2020-12-02 | 陸上競技

エビ水槽の話。

 

比較的順調に来ていたと思うのですが。ここにきて再び☆になる個体が出てきました。レッドビーシュリンプは半減。原因が分かりません。これは非常にしんどい。水替えの頻度が高すぎるのか。

 

数日間水槽の中でツマツマする姿が減っていました。餌が残ることもしばしば。ばらける餌はお皿の上に置いているので残っているものは回収しています。水が汚れるということはないと思っています。水槽自体もかなり安定してきていたのでバクテリアの問題も大丈夫だと思っています。

 

先日、脱皮不全に近い状態があったのでカルシウムが不足しているのかなというのもありました。植物性の餌だけではなく動物性の固形の餌も与えています。それなのに・・・。

 

エビが☆になっている姿を見ると心が痛い。どうすればこれが改善できるのか。正直、改善策が見当たらないのです。この状況でどう育てていくのか。チェリーシュリンプに関しては抱卵個体が3匹います。しかし、今のままでは無事にハッチアウトするとは思えません。ハッチアウトしたとしても育つことは困難なのかなと。理由が明確でない分、対応策が打てないのです。

 

辛い。どうするかな・・・。

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感覚のすり合わせ

2020-12-01 | 陸上競技

思うことを。

 

前の記事の続きになるかもしれません。「感覚」というのがどうやって作られていくのか。どうすれば正しい方向に持っていけるのか。ここの部分に関してはいつも考えさせられます。何が正解なのか。いつも「間違った方向」に受け取られることがある。これは「伝え方」の問題だと考えている。

 

10人いたら10人に「同じ表現」で「感覚」が伝わることはない。部活動のように大人数でやる場合は「最大公約数」のような形でやっていくことが多い。マークを置くにしても本当は一人一人にあった幅がある。しかし、それをしていると道具が足りなくなったり場所が足りなくなる。時間も限りなくかかる。そういう部分で「最大公約数」が「適している」と感じる距離で行うようになる。ここは本来は避けるべきなのかもしれない。

 

こういう部分の表現が「間違った理解」につながることがある。これにより「一生懸命にやる」のだがそれが悪循環を生み出すという結果になることがある。やればやるほどドツボにはまるという感じ。そこに対して「練習方法が悪いのかもしれない」と考えると「本質から離れたこと」になってしまう。本当は「受け取る側」ともっともっとコミュニケーションをとる必要がある。これも最近の反省。

 

元々走るときには「フォロースイング」を重視している。前に持ってくる脚のスイングで前に進む。きちんとスイングができれば腰が自然に進むようになる。走りとしてはシンプルだと思う。こうやって書いていると「スイング」という言葉も「回す」ととらえられるかもしれないと心配になる。直線的に脚を前に運ぶことで腰も進むと書くほうが正解なのかもしれない。表現が難しい。

 

「膝締め」に関して誤解があったのでそこを正した。更に。「接地は身体の真下で」という表現をしている。これも捉え方によって全く違ってくる。足が直線的に引き出されて腰が進むと自然に脚は落ちてくる。落ちないと転んでしまうので。接地する時には「接地ポイント」に「腰が乗っていく」といいう感じになる。自然に腰が進むことで一番ブレーキの少ないポイントに入っていく。そんなイメージ。

 

が、これも間違って捉えられる。いつも「前に前に」という表現をする。これは「前に脚を運ぶ」というイメージで言っている。マーク走などは全てこれ。前に運んでいくことで身体が前に進む。「膝締め」に関してはこのスイングスピードを上げるために必須だと思う。が、「身体の真下で接地」という言葉が頭に残っている者は「強く落とす」という感じになっている様子。これもまた・・・。

 

こうなるとまた「力み」が生まれることになる。「膝締め」をして前に運んできたとしても「強く落とす」ことで次の動作が遅れる。結局前方向に足を運びにくくする。流れるから。膝締めをしていけば「自然と良いポジションに入る」ようになると思っている。脚は引き出されたら必ず落ちる。重心が前に移動するのだから落ちないはずがない。腰が移動すれば物理的に落ちる。そこを「強く落とす」ようにすると結局、反発などをもらう云々ではなくなる。後ろ方向に加えた力を無理やり前方向に変えるのだからパワーを使う。

 

いや、私自身が「イメージ」しているものと「選手」が感じることが全く違う感覚になるというのは良くない。それに対してもっともっと感覚をすり合わせて行く必要がある。「動き」として連続写真を見るのではなくその中にある「感覚」や「動かし方」についてしっかりと共有する必要がある。説明をしていたとしてもそれがこちらが思っている感覚とは違うことがある。そこに対してどうするか。

 

とにかくこの数日間、「え?そうなの?」と思うことが重なった。想像を超えた受け取り方がある。「走る」という動作はいたってシンプル。複雑なことをする必要はない。シンプル化することにより走りが洗練されていくと思っている。それなのに「複雑化」していなかったか。「求めるもの」を言語化して明確に伝えられていなかったのではないか。こういう部分も重要になる。

 

考えさせられる。本当に。日々勉強になる。自分自身の「やりたいこと」を体現してくれる選手たちの存在に感謝しなければいけない。そして「結果」につながるようにこちらも考えなければいけない。修行。まさに修行。

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