kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

「イメージ」と「現象」

2020-12-02 | 陸上競技

よく分からないことをダラダラ書いています。頭の中の整理という意味合いが強いのですが。

 

先日話した内容。バイオメカニクスについて。これは何度も書いていますが。「接地」について触れてある記事。かなり前になります。トップ選手の走りを連続写真で切り取って見たときに「接地」が「身体の前」になっていた。これに対して「前側に接地することで大きな地面反力がもらえる」と分析してあった。前に進むための「推進力」を得るために「大きな地面反力」を得る必要がある。つまり「身体から離れた場所に接地することで大きな地面反力を得られる」と。スプリントのスピードを上げたかったら「身体よりも前側に接地する」ほうがよい、と。更には「間違っても身体の真下に接地することがないように」という補足まで書いてあった。

 

「地面反力」というものの捉え方。水平方向に重心移動している。それも速いスピードで。その段階で「身体よりも前に接地」すると「前に進む力と逆方向」の力が加わる。これは「反力」ではあるが、「スピードを低減させるための反力」でしかない。摩擦が存在する中で「身体よりも前」に接地することでその「反力」を「推進力」に変えることができるのかどうか。「静止画像」の中から得られることが本当に事実なのかどうか。

 

「現象」として「身体の前側」に接地している。しかし、その局面における「本人の意識」はどうなのか。ここが議論されなければいけないのではないか。本人が「前側に接地することで地面反力を得てそれを推進力に変える」と思っているのか。全く思っていないのに「現象」として「前側に接地する」ことになっているのか。本人がどのようにイメージしているのかどうかは大きい。

 

「接地局面」だけを捉える。これは「バイオメカニクス」においては重要なことなのかもしれない。「こういう形になっている」から「良い記録が出る」という「切り取り」。良い記録を出した者とそうでない者を比較したときに「良い記録を出した者」の動きが正しいという判断をする傾向がある。

 

「前側に接地する」ということはその前段階で「重心の移動が十分ではない」というのが出てくる。水平方向への移動スピードが上がれば自然に「良いポジション」に入ってくる。この「重心移動」というのは単純に「水平方向へのスピード」だとは限らない。接地した瞬間にきちんと腰の位置がその鉛直線上に入ってくるかどうかという話だと思う。移動が大きくなればなるほどこの「ポジション」が難しくなる。

 

「接地した瞬間」の局面を切り抜いてみると「接地脚」だけではなく「フォローレッグ」の位置も重要になる。「接地脚」に対して「フォローレッグ」が遠くにあるか近くにあるか。これだけで水平方向への移動は大きく変わってくる。大腿部は重い。重いものが自分の身体から離れた位置にあれば「水平方向」への移動にとってマイナスになる。当然。

 

が、だから「フォローレッグ」を早く前に持ってくるというのが正解だとは言えない。もちろん「フォローレッグ」を早く持ってくることは重要になる。が、「フォローレッグ」だけを切り取って「早く持ってくる」ことを意識してもこれは非常に難しい。その前段階の「接地」局面が重要になってくる。

 

「身体から離れた場所」に接地をすればどうしても「接地時間」が長くなる。その衝撃に耐えられず潰れてしまうこともある。地面に「長い間時間を加える」という考え方もあるのかもしれないが、「前側に接地」することで「接地時間」が長くなるのは間違いない。それにより「接地脚」は後方まで運ばれることになる。結果、「離地」が遅くなり、「フォロースイング」のスピードは遅くなる。「フォローレッグ」だけを取り出して「早く持ってくる」といってもそれは不可能。やりたい動きの前段階に「要因」がある。

 

こんなことを考えながら生きている。そしてこのタイミングでgt先生と話すことが。話をしている中で「膝締め」について出てくる。指摘を受けた。「膝締めをすることが目的になっているのではないか」という部分。私のblogを読んで選手が「異なる捉え方」をしていたという話からここに至る。「膝締め」自体は必要だと思っている。しかし、それは「速く走るための方法」であって「膝を締めれば速く走れる」という部分とは少し異なる。選手が「フォロースイング」を速くするために「膝締め」が必要だと考えているか。「接地」を良くするために「膝締め」が必要だと考えているか。「膝締めをすればいい」という考え方になっていないか。

 

「なんのためにやるのか」をもっと理解しておきたい。「膝締め」だけを目的にしない。どうしても「知識過剰」になるので走りの中で身につけていく必要もある。「速く走るため」の方法は様々だと思う。そこに「100%の正解」は存在しない。同時に「速く走れた選手の動きが絶対的に正しい」というものでもないのかもしれない。本人の意識とは違った形で「動き」「現象」が出てくる。その部分をもっともっと考えていきたい。実際は膝が開いていて接地が前側でも「速い」というのであればそれは「正解」なのかもしれない。

 

話が飛びまくる。とりあえず記録しておく。

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つらつらと

2020-12-02 | 陸上競技

頭の中にあることを言語化しておきたいという気持ちが常にあります。自分で何を考えているのか。何を表現しようとしているのか。この歳になっていまだに十分にできていない。周囲からいろいろな話を聞く。それが「自分の言葉」として発信できるか。周囲に言われていることを受け売りしてはいないか。本当に「考える」ことができているか。

 

「哲学」が好きだというのはある。「物事の本質」について考える。答えが出るかどうかはわからない。それでも「考える」ことから生み出されるものがある。そう思っている。こういうタイプの人間だから周囲の人から受け入れられることは少ないと思っている。別にそれはそれで構わない。「嫌なものは嫌」ということだけは常に言葉にしたい。「長いものに巻かれる」というのが苦手。信念を曲げて何かをするのであればもうやらないという選択をする。どうかと思うが。

 

「理想」と「現実」がある。「理論」と「実践」がある。これからの時代「陸上競技」だけを考えてやっていけることはない。もちろんこれまでも同様だったと思うが。様々なことを考えていく必要がある。前の記事にも書いたが「生徒に嫌われること」「選手に嫌われること」は何とも思わない。「迎合して生きる」というほうが圧倒的にしんどい。子供たちは「耳障りのいい言葉」を好む。褒めてもらうこと、認めてもらうことが好きだ。もちろん、その部分は大切にしているが「駄目なものは駄目だ」ときちんと伝えなければいけないと思う。

 

なんとなく許すことで「境界線」ができる。一度許してしまえば次も許さなければいけない。だからそのラインは明確に示すようにしている。以前と比べれば緩くなっている部分が自分の中にあるかもしれない。それでも「絶対に許せない」というのは常に持っておきたい。ほかの人よりも「境界線」が明確になっているのかもしれないなと思っている。

 

自分の中で「妥協できること」と「妥協できないこと」がある。ここも自分の中での課題となっている。本当はそこまでこだわらなくてもいいのではないかと思うこともたくさんある。それでも自分の中で「ここは譲れない」と思う部分はある。歳を重ねるにつれて人はそういう部分が「大きくなる」傾向がある。それだけはさけたい。「意固地になる」ことから生み出されることはない。必要であれば「後進に道を譲る」ことも必要になる。

 

いろいろな場面でいろいろな話を聞く。そこに何があるのか。人それぞれ「考え方」は異なる。何が正解で何が間違っているのか。これもわからない。でも自分が「信じること」に関しては譲りたくない。「飯のタネ」として今の仕事をしていくつもりはない。「対価」は必要になる。しかし、それがメインではありたくない。

 

「ボランティア」活動。東京オリンピックなどでも取り上げられていた。「ボランティア」だから手弁当で早朝から深夜まで手伝う。遠方からくる人たちであれば「宿泊費」も自分自身で負担して「ボランティア」をする。それって本当に「正解」なのかどうか。「ボランティア」は「余力がある」からできるのか。少しでも役に立ちたいという気持ちがあるからやるもの。そこに対して「評価」を受けて「認められる」ためにやるものではない。それなりの「対価」は必要になる。全て自分を犠牲にして「ボランティア」をやるのは本末転倒になるのではないか。

 

まったくまとまらない。それでも思ったこと、感じたことは言葉にしておきたい。それがいつの日は自分の「糧」になる。一時的な思いであってもやはり「記録」しておきたい。なんとなくそう思う。

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距離感

2020-12-02 | 陸上競技

思うことを。

 

教員になりたての頃。「若い教員はそれだけで生徒との距離感が近くなる」と言われたことがある。それが歳を重ねるにつれて「距離感」ができていって生徒と関わることがなくなる。そこからどうするかという話を。

 

若いころは生徒と年齢が近く話もできる。歳を重ねるとそれができなくなる。そういう言い方だった。

 

既に44歳となった。今はどうだろうか。何か変わってきているのか。SHRで生徒に「1分間スピーチ」をさせている。1回目は「自分の好きなもの」について。今は2回目に入ったので「近い将来にやりたいこと」を。少しずつコメントするようにしている。そして私自身のことも話をするようにしている。別に他愛もない話。

 

前任校と今では関わり方も違う気がする。生徒の気質も違う。これは最初かなり戸惑った。それでもスタンスは変えていない。それってどうなのかなと思う。正しいのか。間違っているのか。どこに正解があるか分からない。

 

元々生徒に好かれようとは思わない。好かれて懐いてもらう必要はない。そういう仕事ではないから。抱え込んで対応することに意味はないと思っている。授業中に質問するようには投げかける。補習はやらないと宣言している。質問があれば授業中に聞く時間を与えている。

 

それでも話はする。雑談も含めて。自分自身のやり方が正しいとも思わない。それでも「スタンス」は保ちたい。勉強さえすればいいのか。ばれなければそれでいいのか。そのあたりのことを話す。別に「教育者」だからという気は全くない。話したいから話す。それだけ。

 

色々なことを考える。生徒との距離感は保ちたい。むやみに距離感を置くつもりもないし、近づきすぎるつもりもない。どれくらいの距離感が正しいのかも。

 

今のスタンス。誰からも認められるものでもない。それでもなんとなく今の距離感を保ちたい。ふとそう思った。それだけの話。

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うーん

2020-12-02 | 陸上競技

エビ水槽の話。

 

比較的順調に来ていたと思うのですが。ここにきて再び☆になる個体が出てきました。レッドビーシュリンプは半減。原因が分かりません。これは非常にしんどい。水替えの頻度が高すぎるのか。

 

数日間水槽の中でツマツマする姿が減っていました。餌が残ることもしばしば。ばらける餌はお皿の上に置いているので残っているものは回収しています。水が汚れるということはないと思っています。水槽自体もかなり安定してきていたのでバクテリアの問題も大丈夫だと思っています。

 

先日、脱皮不全に近い状態があったのでカルシウムが不足しているのかなというのもありました。植物性の餌だけではなく動物性の固形の餌も与えています。それなのに・・・。

 

エビが☆になっている姿を見ると心が痛い。どうすればこれが改善できるのか。正直、改善策が見当たらないのです。この状況でどう育てていくのか。チェリーシュリンプに関しては抱卵個体が3匹います。しかし、今のままでは無事にハッチアウトするとは思えません。ハッチアウトしたとしても育つことは困難なのかなと。理由が明確でない分、対応策が打てないのです。

 

辛い。どうするかな・・・。

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