写真を撮るのを忘れて返却してしまいました。柚月裕子さんの「最後の承認」の続きです。図書の先生に借りたのでそのまま何も思わず読みましたが、どうも「最後の証人」から「検査の信義」の間には2冊あるようです。無念(笑)。基本シリーズものは順番通り読みたいのですが。
このシリーズ「まっとうに罪を裁く」というのがめいんにあるようです。結果的に「有罪」になるとしてもそこに至るまでのプロセスがあって「きちんと自分が犯した罪で裁かれる」というのが根底にあります。有罪だからそれでいいというのではない。なかなか難しい部分です。読みやすい内容であるのは間違いないですし、「結果」だけではなく「何故そこに行き着いたのか」という過程が詳細に示されます。
結局、「目に見えるもの」と「見えないプロセス」です。「罪を犯した」という「結果」が同じでも「何故そこに行き着いたのか」という部分により物事の捉え方は全く違ってきます。普段読まない分野の話なので面白かったですね。できれば途中の2冊も読みたいなと思って図書室に行きましたがありませんでした。うーん。どうするかな。
単純に「人に対する感情」をどのような言葉で捉えるか。何度も書いていますが「好き」という言葉は聞く人によっては「許されない」という評価を受けます。例えば「教え子が好きだ」と書けばその文字だけを捉えて「これは問題だ」と言われる。恋愛とか感情移入とかではなく「好き」という感情が生まれる。そこに対して「教員が教え子に」といく批判の対象になる。こうやって文字にすると全てが批判の対象になるリスクを背負うのだと思います。
私はこういう性格なので「感覚が合う」人は徹底的に好きです。また、「尊敬できる部分」や「凛とした人」はこの上なく好きです。が、「非効率的な考え方」をする人は好きではありません。感情が最優先される人も好きではない。理知的というかスマートな考え方をする人に憧れます。惹かれます。
そんな感じで感情を表すと「失礼な人間だ」と言われるのでしょう。雉も鳴かずば撃たれまた」です。余計なことを言うから批判も受けるのだと思います。が、無駄なことを無駄だというのは必要だと思います。上手くいかないことをどれだけ続けても誰にもプラスにはならない。
まーそんな感覚の中で生きているので。
本を読むことで頭が活性化するのは確かです。これまで腐りかけていた頭の中枢が動き始めます。だからといって世の中が変わるわけではないのですが。それでも「結果」をどうするかだけではなく「そこに至るプロセス」がどれだけ大切なのかも考えさせられます。勝ちたくない者は勝たなければいい。勝ちたいと思う者はそれに見合うだけの努力をすればいい。単純な話だと思いますね。
画像がないのでどんな本を読んだのかを伝えられませんが。まー読んでいます。読書熱がめちゃくちゃ高まっています。
とりあえず記しておきます。自分の中の変化を周りがどう感じるかもある意味楽しみではありますが。まー分からないと思いますが。