kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

どこまで我慢するのか

2023-07-13 | 陸上競技
思うことを。

結構真面目に考えています。内容的には「面白い」と思わない人のほうが多いでしょうが。日々の葛藤というのがあります。別に誰かに認めてもらうつもりもありません。時間的に余裕もなく、押し寄せる色々なものに抗うこともできず。色々なことに「疑問」を持つ。そのことに関して周囲で賛同を得ることができない。難しいなと思っています。

前の記事にも書きましたが。「指導すること」について色々と考えることがあります。周囲では「クラブチーム」を作って指導に対する「対価」を受け取りながらやっているというのが見受けられます。きっとこれが「正しい形」なのだと思っています。「サービス」を提供する。そこに対して「指導を受ける」人は「対価」を払う。受益者負担。体のいい「ボランティア」で成り立ってきたこれまでとは大きく流れは変わるのだと思います。それは必要なことなのだと思っています。これまでの「部活動スタイル」という方向性が間違った「システム」の中でやってきたことから変わっていく必要がある。教育に関することの9割くらいは変更するべきだと思いますが。時代錯誤の取り組みをいつまで続けるのか。

「教員免許制度」がなくなりました。これって何だったのか。「教員に研修を義務付けて質を高める」みたいな話だったと思います。「お金を取れるところから取る」みたいな印象でした。やっていることは意味がない。「教育の最新事情」というテーマの中で退職した「元管理職」が話をする。どこが最新なのか。新しいことがすべて正しいわけではない。その中で教員免許を持っていない(失効している)教員が授業をしたといって「単位を認められない」というニュースが出てきました。ずっと授業をしていて「教科指導」はできる。それでも「教員免許」がないから「単位を認めない」という話。そんなことをいったら「教員」という肩書があっても授業が成立していない人間がどれだけいるのか。「身分保障」というのはあると思います。しかし、「指導力不足教員」を洗い出すための「システム」みたいなものを作っておきながら実際は「形骸化」する。それによりどれだけ多くの人に負担が出てくるのか。「仕方ないよね」で済ませる話ではない。それをずっと放置している。

そんな中で「教員になる人が少ない」という理由で「免許を持っていなくても教員になれる」という訳の分からないシステムが導入される。これってどうなのか。教職教養の授業を取って「教科教育」の授業を選択して(意味はない部分は多々ありましたが)、教育実習に行って教員採用試験のための勉強をしてそれで「合格」になる。しかし、もう「教員免許」はただの紙切れになっている。「教員免許」がないから教員にならないのではない。もっと根本的な問題が存在するのです。本当にそれが分からないのであれば幸せな人たちだと思います。間違いなく崩壊の一途を歩んでいるのでしょう。

ここ最近ずっと「あまりにも扱いがひどくないか」と思うことが増えていました。仕事はオーバーフローするくらい流れてくる。大会の部分では「明らかにおかしい」と思うことを口にしても「仕方ない」とか「こっちが悪い」みたいな話になる。それなのに色々なことをやらないといけない。他のことに関しても私はほとんど知らされないまま色々なことが進んでいって、最終的に「やって」みたいなことになる。そんな中でなんで自分だけが我慢してやらないといけないのか。「やれる人がやるしかない」みたいな意味の分からない理由で「理不尽」が「正当化」される。だったら「やらない」方が圧倒的にいいじゃないか。別にやりたいと言っているわけでもないのに「やらされる」のであれば「やらない」という選択をするのも必要なのではないか。これまでずっと「我慢」してきましたが、もうどうでもいいなと思う部分が大きくなっています。

「陸上競技」との関わり方。ここも自分の中で考えていく必要があるのかなと思っています。「思うこと」を話しても「また~」みたいな感じで流されることが多い。問題点を指摘したり、確実におかしいことを「kanekoが言っているだけ」という雰囲気がある。冗談じゃない。これまで我慢をしてきた部分がありますが、「正しいこと」を指摘しているのに「仕方ない」で済まされる。「招集時間」があってその時間内に選手が行くのに「嫌味」や「注意」をされる。ギリギリに行くのではなく余裕を持って「招集時間」にいっているのに。室内練習場でバトンを持っていたら「道具は使えない」ので出ていくように言われる。「山口県ルール」だとまで言われてなんで我慢しないといけないのか。しかし、それを指摘したところで「我慢」を強いられ、「不条理」な話で終わる。それにより「kanekoはめんどくさいやつだ」とまで揶揄される。

なんか本当に馬鹿らしくなってきています。これが「正しい」というのであれば私自身が歪んでいますから逆にそういう場面に行くべきではない。審判をすることも必要ないのではないかなと。そう考えると「指導」についても考えさせられます。「どちらが間違っているのか」という議論ではなく「めんどくさいから」という感じで本当にやらないといけないことが蔑ろにされる。

これまでずっと我慢してきました。限界に近いなと思っています。というかすでに限界を越えているのかなという気もしています。なんでこんな嫌な気持ちを抱えながらあれこれやり続けないといけないのか。本当に面白くないなと思う部分が自分の心の大部分を占めています。

無理かもしれないなと思っています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やりたいことは何か

2023-07-11 | 陸上競技
まーもはやどうでも良くなってきている感覚が強いのですが。

指導をすることに関して。私自身思うことはあります。様々なことに我慢して指導することは意味があるのかどうか。結果的に県で勝ったらインターハイに行く事ができればそれは「意味がある」こととして評価されるのかもしれません。が、どこかに「押し殺されている感情」が存在します。私が「本当にやりたいこと」を我慢して周囲に合わせてやっていく事で物事が上手く回る部分もあると思います。それにより「自分自身」が存在しなくなったとしても。

私自身は「少しのことにこだわりたい」と思ってやっています。もう時代に合わないのかもしれないなと思っています。もっと気楽に適当にやっていく方が多くの人がストレスを感じずにやっていけるのだと思います。しかし、それでは「最大限の力を引き出す」ことはできないのではないか。それさえも求められていないのかもしれません。

数センチに対しての拘りがあります。そこは多くの人にとって「別にどうでも良い」と思われる内容かもしれません。しかし、本当にやりたいこととしては「距離設定」や「バトンが渡る位置」などがズレるのは許容できません。それで失敗して負けたらどうするのか。勝つためにやるというのはシビアな部分だと思っています。そこに対してどれだけの人が「許せない」と思うのか。思わない人の方が大半だと思います。

「勝つこと」「結果を出すこと」を求めないならそれはそれで「あり」だと思っています。自分の理想の指導論を突き詰めていけば良いだけだから。「この練習が良い」と思っていたらそれだけをずっとやる。何年かに一度そのスタイルにハマる選手も出てくるでしょう。そこに対して評価を受けるかもしれません。が、それは決して万人には当てはまらない。目の前の選手にとって何がプラスなのかを考えて判断する事が重要なのだと思っています。

だからこそ「マーク走」をやるならその「距離」に拘る。チューブ5歩をやるなら「チューブを引っ張る角度」と「強度」に拘る。それが「適当」であることは「速くなる」ことに対してプラスなのかマイナスなのか。他の人にとっては「どうでも良い」ことかもしれません。別にインターハイに行けばそれで良いじゃないか。インターハイで予選落ちしたとしても「全国大会」に出場したのであればそれで価値はある。そういう考え方もあると思います。

もう、自分に与えられた時間は限られています。理論的な話をするつもりはありません。目の前で見てきたことの中で何が必要か、何をするべきかというのが重要だと思っています。無駄な一本をやる時間が勿体無い。与えられた時間は限定的です。もっと伸びるのに「ある程度伸びた」ことで評価を受けるのであればそれはそういう評価を受けたい人がやれば良いと思います。

私の考え方は時代に即さないのだろうなと強く思っています。伸びる可能性があったとしても「自分たちが納得する」ことの方が大きい。厳しく指摘されるよりは「自分達は頑張っている」という「青春物語」の方が大切だと。このことはもう20年くらい前からざっと言っています。「自分達は頑張った。でも負けてしまった」と涙を流すことの方が「青春」なので思い出に残るのでしょう。

私はそういうことはしたくないなと。学校教育とは違う部分になっているのかなと強く思っています。もったいない。そう思うことさえ今の時代には合わないのかなと。

考えていけたら良いなと思います。価値観は多種多様。どの考え方が正しいというのは分かりません。私の考え方は時代錯誤であり、「楽しくやろう」という今の時代には適合しないのだと思います。分かっています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物足りなさ

2023-07-10 | 陸上競技

土曜日に「特別国体選手選考会」が実施されました。天候的には「本当に実施できるのかどうか」というくらいの天候。大雨が降るのではないかという感じがありました。時折降ることはありましたが、最後の15時くらいまでは持ってくれたという状況でした。

 

個人的には100mが10分に1本というゆるいスケジュールだったこともあり、1時間以上「審判業務」が続きました。これはかなりきつかった。股関節が痛かったのが悪化。歩くのもままならないくらいの痛みが発生していました。これはどうなのか。良いことではないですね。健康ではない。明らかに「過剰労働」な気がします。なんだかな。

 

レース自体も天候と同様、「微妙」な感じがしました。スプリント系はほぼ「微妙」です。湿度が高く走りにくかったのもあると思います。出場者も少なく「間延び」するなかでの競技会でしたから「緊張感がない」というのもあります。中国大会以降、何人かは「体調不良」になり計画的に練習ができなかったのもあります。すべての大会で「良い結果」を出すのは難しいと思いますが、「やっていること」がどれだけ出せるかは大きな話だと思います。

 

300mHも「前半から突っ込む」ために導入しています。が、全員が全員「足がめちゃくちゃ詰まる」という状況。16歩、17歩の選手がどちらも詰まりまくっていました。これでスピードに乗るというのは難しい。想定していたタイムよりも2秒悪い。1分03秒31で走る選手が300mHで47秒かかる。どう考えてもあと2秒は上がってこないといけない部分です。練習でやっていたことが試合でできない。これは面白くないですね。

 

雨が降るから練習ができなかった。これはどこも同じだと思います。どのような条件であれば「やってきたこと」ができるかどうかは大きな問題です。タイムよりもそちらの方が大きい。100mの12秒44の選手も12秒8かかっていました。色々と考えさせられます。秋に向けて。来年に向けて。どのように取り組むか。簡単な話ではありません。現状、4継を組んでも同じメンバーで48秒台が出るかどうかの話かもしれません。「いつも走れる」というのは難しい。それでも「ある程度のこと」はできないといけないのではないか。

 

能力を伸ばす。簡単なことではない。それは分かっています。そこに向き合うためには多くのエネルギーを使わないといけません。私自身がです。それだけの活力が私にあるのか。自分自身で精一杯な感覚があります。それを他の人に使えるくらいの余裕があるのか。エネルギー配分が難しい。

 

どうしたものか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

極度の・・・

2023-07-10 | 陸上競技

極度の疲労に襲われています。日曜日はひたすら寝る。これだけおっさんが眠れるのかというくらい寝る。本当に疲弊しています。雨だったというのもありますが、眠すぎて動けない。良くないなと思いながらもひたすら寝ていました。

 

色々と疲れるなと思うことが多すぎて。考えることを止めておきたいなという気もします。「結構しんどい」という話を何人かにしますが「大丈夫やろう」ということで終わっています。本当に大丈夫なのかは謎ですが。

 

土曜日、日曜日になるとひたすら「ヤフオク」から「レッドビーシュリンプが気になりますか?」という通知が来ます。気にはなります。が、毎週毎週購入するほどの話ではありません。そんなことをしていたら大変なことになります。週末は「1000円以上購入時に使える200円割引クーポン」があります。それを利用することでお得な感じになります。だからといって毎週購入する話ではありません。

 

本を読みたいなという気がしているのですが、そこまでエネルギーが残っていませんでした。本当は練習計画を立てないといけないのでしょうが、それさえも「気持ちが乗らない」という感じでした。練習計画を立てるほど自分にエネルギーがあるのか。「考える」ことをしばらく放棄したいなという気もしてます。インターハイがあります。そこに向けてやらないといけないことはあります。しかし、私自身がどれだけ「その気」になれるのかも大きな話です。

 

難しいですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やること

2023-07-07 | 陸上競技

思うことを。

 

ある方から「大丈夫なのか」というコメントをいただきました。ご心配をかけします。結構、しんどい部分があります。年齢的なものなのか、過剰労働なのか。「kanekoなら大丈夫」みたいな話をされますが「無理」なことは無理です。それでも「なんとかしないといけない」と最終的に終わらせるようにしています。これって本当に正しい状況なのか。分からないですね。

 

前の記事に少し書きましたが、「競技をすること」がこれから先どれくらい求められるのかというのはあります。「ハードル練習会をして欲しい」と言ってくださる指導者や選手が何人かいます。本当にありがたいことだと思っています。しかし、それができる余裕がない。今年度は3年生の担任です。総合実践という授業があってそれも回さなければいけません。三者面談もあるし同時展開でインターハイの準備もある。その中で本当に自分自身がエネルギーを注げるのか。全てにおいて「中途半端」になることは自分自身許せません。やるからにはきちんとやりたい。が、そうなると「何かを犠牲にする」必要が出てきます。

 

指導に関しても「見る」時間が必要になります。目の前でみて「修正」できるかどうかは大きな話だと思っています。メニューを立ててそれをやっていたら強くなるというのは違うと思います。目の前の状況で「変更」も必要になってくる。ということは、「現場」で見ておかないといいことにはならない。見れるかどうかです。私は「きれいごと」でやるつもりはありません。「やる」のであれば「勝つためにやる」必要がある。やっておけばよいというのではなく、「妥協」を許さずにやっていく。このスタイルはもう現代には受け入れられないのかもしれないなと。別に生徒や選手に「慕われる」ためにやっているわけではありません。そこを求めるのであれば「指導をしない」ほうが良いなと思います。大きなストレスです。

 

「時代錯誤」かもしれません。「現代の指導者」のスタイルがどのようなものか。「コーチング」として何がプラスになるのか。周囲がどのように私のスタイルを見ているのかは分かりません。「良い」と思われるかもしれませんし、「ひどい」と思われるかもしれない。それでも「結果に繋げる」という部分に関しては「行動する」こと以外ではできないと思っています。威圧的に練習をさせることはありません。そう思っているだけかもしれませんが。かなり「我慢」もしています。どうやって「取り組ませるか」は本当に大きな部分です。

 

「専門性」を求められる指導がどれだけあるか。今の状況を考えると「指導を受けたい」という基準で学校を選ぶことは少ないと思っています。それは山口県の特徴だと。別に「指導者」がいるからその学校を選ぶというのではない。ある程度はあるのかもしれませんが、今はそれは感じていません。今のskyの選手で「この指導者の指導を受けたい」と思ってきてくれているのは1人か2人いるかどうか。別に私でなくても「学校」で選んでいる部分は大きいと思います。女子の指導をするというのは色々な部分で大変なことが多い。それを理解して「指導をする」という人がどれくらいいるか。一時的な「結果」ではなく長いスパンで考えたときに「結果を出す」ことが必要になる。

 

語弊があるかもしれませんが。今回、ヨンパでインターハイに2人出場します。中国大会で3位と4位になりました。これに関しては「指導の差」だと思っています。もちろん、能力のある選手たちがいてくれたから実現できたと思っています。が、それが「何もない状況」でやっていたら本当にインターハイに行けたかどうか。行ったかもしれません。そこは「比較」ができないので難しい部分ではありますが。ここに来るまでにどれだけの「大変さ」があるかは周囲には分かりません。「結果」だけを見て「行って当たり前」という評価になるのかもしれません。「私でなければ無理だった」と思うことが多々あります。「自慢するのか」と言われるかもしれませんが。まーblogなのでそれくらいのことを書いてもいいかなと。大きなエネルギーを使わなければ、過剰なストレスに耐えなければ「結果」を出すことはできない。少しやったら「結果」がでるのであればそれでもいいですが。そんなことは現状においては絶対にないと思っています。

 

「たまたま私がいた」だけのことであって、そこに対して「満足感」はありませんん。私が指導しなくてもインターハイに進んだのかもしれませんし。他の指導者が指導していたらもっと上になっているのかもしれません。自分自身が「やること」は何かを考える中で「最低限のこと」をしているだけなのかもしれません。取り組みなどを見ていると「もっとできるのにな」と感じる部分も多くあります。しかし、「やっている」と思っている間は「能力」を最大限に伸ばすことはできないと思っています。ここも難しい部分ですが。

 

まとまりませんね。自分自身を「否定的」にとらえないようにしたいなとは思っています。しかし、現状を考えるとそのも難しいなと思う部分がある。どれだけ「本気」になれるか。私自身がです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぼちぼち

2023-07-06 | 陸上競技
多忙。この一言に尽きますね。時間を作るというのが本当に難しい。

練習について全然触れていません。触れるほどの余力がないというのもあります。テスト期間だったというのもありますし、雨で計画通りのやりたいことができないというのもあります。インターハイに向けてどうするか。ここは少し話をしています。しかし、結局は本人たちがどう感じるかだと思っています。やるのは私ではない。冷たいかもしれませんが、ここまできて手取り足取りやるのはどうかなというのもあります。

インターハイに出場できる。インターハイに出場できない。どちらの選手にとっても「やるべきこと」に関しては何も変わらないと思います。しっかりとやるべきことをやっていく。トレーニングに関しては必須だと考えています。この部分に関しては一切妥協できないなと。テスト週間でしたがシャフト補強に関してはかなりやりました。1時間という限られて時間の中で優先事項は何かを考えた時に「走る」ことよりも「筋力アップ」を選びました。正しいがどうは分かりません。

トレーニングに関しては「成果」が見えてくるまでに時間がかかります。やればすぐに結果が出るものではない。そこに関してどう考えるか。面白いものではないのでなかなか取り組めない部分だと思います。が、時間をかけないと変わらない。今の子供達は比較的早い成果を求める傾向があります。やったらすぐに速くなって欲しい。速くなっていなかったら「ダメだ」という判断をする。そかに対してどうするのか。話していくしかないのかなと。難しい部分がある。

この数週間で何人かは明らかにレベルが上がっています。特にショートハードルのkarかんは力が上がっていると感じています。練習を見て欲しいという強い気持ちが出ています。テスト期間中の土日、フリー練習でしたが「学校に来ますか?」と聞いてきました。舎監と中学生の試合を見る予定だったので「行く」と伝えると「練習を見て欲しい」という返答。普段は色々なパートが存在するので特化して見ることは少ない。物足りないのかもしれません。だからこそこういう時間に「細かく見て欲しい」と思うのかもしれません。

中国大会で8位になったという悔しさ大きいのだと思います。きちんと走れれば14秒3を切るくらいまではきていると思います。試合の時にどれだけ力が出せるかですが。U18の参加標準が「14秒50」です。今は「14秒54」。少し足りない。そしてサブ種目が100mで「12秒80」ですが今シーズンのベストが「12秒83」です。どちらも微妙に足りていません。力が出せれば「12秒50」を切るくらいまでいけると思っています。もっとスピードを上げて100mHで13秒台を狙いたい。それくらいの力はあると思います。

スプリント系とハードルに関してはかなりの指導ができると思っています。それ以外に関しては自信はありません。「指導できるよ」と無責任な話はできませんから。だからこそ指導ができる部分に関しては徹底的にやれたらいい。そう思っています。だからこそスプリントとハードルは他には負けられない。ショートハードルをきちんとできるかどうか。ここは譲れない部分。周りがどのように思うか、判断するかはわかりませんが。

300mHも同様。練習では5台目のタッチダウンが25秒7で入りました。スタートの部分がタイムがきちんと計れていない部分はありますがそれなりのタイムだと思います。5台目まで16歩。スピードに耐えられずに2台目で大きくブレます。体幹の強化は必須ですが長いスパンで見ていって戦えるようにしないといけません。300mHのメリットは前半から突っ込めること。そこを考えて計画的に練習ができると違ってくると思います。

この種目、インターハイでは実施されません。国体とU18のみです。そのために300の練習ばかりをしていくというのはないと思います。しかし、ヨンパにつなげて行くためという位置付けでやって行くことでレースを作れるようになると思っています。今年はインターハイに2人ヨンパで進みます。来年も2人狙います。そのために長いスパンで勝負をしていけたら良いなと。

ハードルをやるならskyでと言ってもらえるくらいになるか。他には絶対に負けないと思います。しかし、そんなことは中学生にも保護者にも分かってもらえないと思います。地道な活動をして行く。ハードル練習会もやりたいなとは思っています。今は本当に時間に余裕がないので夏は厳しいかなと思いますが、落ち着いたら必ずやります。期待されていないかもしれないですが。

なんとなく記録しておきます。もう少し書きたいことはあるのですが。また余裕があれば。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

疑問

2023-07-04 | 陸上競技
思うことを。

精神的にも肉体的にもかなりキテいますね。自覚症状があるだけまだましなのかもしれませんが。この手の話を周囲に漏らしても「kanekoなら大丈夫」「仕事が集まってくるね」と言われますが、これって本当に正常な状況なのか。本当に疑問を感じます。「やるしかない」という状況に置かれて本当にそれが「正しいかどうか」の判断が難しくなる部分もあります。間違っていると思いますけどね。

blogに書くということはそれなりにリスクもある。しんどいなと思っていることを書くというのは難しい部分があります。「こんなに幸せですよ」と書く人もいるのでしょうが。大半はそうでもない。嫌だなと思うことのほうが圧倒的に多い。しかし、そういうSNSは好まれない。良いのですが。

金曜日、めちゃくちゃ雨が降りました。その影響で土曜日は全国版で学校周辺の様子が放送されていました。被害にあわれた方々が近隣に住まれているので心配です。この状況下でひたすら雨が続くというのはきついですね。「練習ができる」「練習ができない」という小さな話をしている場合ではない気がします。2011年、東日本大震災が起きたとき。同じような想いを感じていました。日本中が「笑ってはいけない」「喜んではいけない」という「感情を無にする」ような雰囲気がありました。同時に「練習なんかして」みたいな風潮も。実際問題、今回被害にあわれた方々は「日々の生活」が優先ですから他のことに気が回らないと思います。

とはいえ、「日常生活を送る」というのは必要なことだと思います。全員が「できない人に合わせる」というのであれば世の中は回っていきません。不謹慎かもしれませんが。それぞれが「できることをやる」というスタンスは変えてはいけない。「それどころではない」という状況の人に「やりなさい」と求めるのは違うと思います。同時に「できる」のに「やらなくていい」というのも違うと思うのです。

人の感覚というのは本当に違います。「電車が止まっているので登校できない」という部分に対して少し離れているけど自転車で行くという選択をする者もいれば「自転車ではいかない」という選択をする者もいる。批判することはできません。「条件」として「電車が止まっているから」という部分が事実としてあるからです。それに対して「何故来ないのか」という話はできません。そうであれば我々も「無理して何かをやる必要はない」のではないかなという気がしています。これまでの「常識」として「生徒のために何かをしてあげる」というのが「良い教員」でした。全ては自己犠牲の上に成り立っている。それが「美徳」でした。が、それによりすり減っていくことがあるのではないか。

「提出物を出さない」という者がいる。それに対して「出しなさい」と何度も話をする。それでも出さない。そこにかかる労力としては莫大なエネルギーと大きなストレスがありまs。ここ数年ずっと言っているのですが「自己責任」として処理できないのか。「期日」を示す。それに対して「提出しない」のであれば「放棄」しているのではないか。「忘れていたから仕方ない」という理由は「正当なもの」ではありません。大学受験の際に、教員が提出書類が遅れたということになれば恐ろしいほどバッシングを受けます。「人一人の人生」を大きく変えることになるからです。しかし、「生徒が提出物を出さない」ことに対しては「寛容」でなければいけません。それって間違っていないですか?「未熟だから」「忘れていたのだから」という理由であれば他のことも同じように「許される」べきだと思います。実際は許されない。

この話をすると「後でトラブルの原因になるから」というよくわからない理由で「期日を伸ばす」ことや「何度も確認する」ことを求められる。では、大学受験の時に事前に大学に「受けます」と申し出ていたら「期日」を過ぎても許してくれるのか。絶対に許されません。それなのに「許す」という行為を率先してやっている。大きな疑問を感じます。18歳で成人になる。それなのに「責任」に関してはほとんど背負わない。「学校教育」だから当然なのかもしれません。保護者対対応も同様。「やりません」という権利は全くない。何か言われたらそれに対して「親切丁寧」に対応する必要があります。そしてそれを強く求められます。「過剰サービス」であってもそれが「当たり前」になるから。

プリントを忘れる。「A先生は印刷してくれたのにB先生は印刷してくれないのですか?」みたいな会話になる。提出期限が過ぎていて「紙を無くした」と申し出てくる。それに対して「仕方ない」と印刷して提供する。これが「当たり前のサービス」になっています。「期日を過ぎた」という事実からは目が背けられて「提出する」ことがメインになる。そうであれば毎回同じように「期日を過ぎてから出せばいい」ということになります。最後は学校が何とかしてくれる。何とかしてくれなかったら学校が悪い。まーよくわからない理論の中で進んでいる。

疑問を投げかける。そこに対して「今までは」という明確な根拠もない理由で「やる」ことになる。おかしくないか。結局「やってしまう」からこんなことになるのではないか。

それなりに仕事はできるほうだと思っています。早く終わらせたらまた別の仕事が舞い込んでくる。「多重債務」のように次から次へと舞い込んでくる。「仕事ができない」という雰囲気を出しておけばいいのかなと思っています。やったふりをしておけば問題ないのでしょうし。何か本当に理不尽さを感じています。こんな「疑問」は意味がないのかもしれませんが。

しんどいですね。現状打破とはいきません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

更新ならず

2023-07-02 | 陸上競技
いや、なかなか時間の確保ができません。テスト週間というのはあるのですが実際問題、やることは減っていない。どちらかというと増えている感覚もあります。これって正常なのか。愚痴係みたいになっていますが、本当に洒落にならないくらいやることがあるんです。あれこれ山積みに。一つ仕事をやっていたら二つ増えるみたいな。

ふと、「生きている時間の使い方」について考えました。寝起きだったか。同年代の芸能人が病気になって療養しているという記事を見た時だったと思います。本当にこのままでいいのかなと。いつか私自身も死を迎える日が来ます。それがいつなのかは全く分かりません。今考えていることも「無」になる。考えることさえなくなる。怖くなりました。人が宗教に走る部分はこういう「見えない不安」に対して抱えきれない感情が生まれるからだと思います。明日がどうなるか分からない。何かすがるものが欲しい。頼れるモノが、心の支えが欲しくなる。

そんな気持ちでいた時に「本当に今の仕事をしていて良いのだろうか」という感情が強く湧いてきました。必要のないことに対して必死にやっている。「これまで通り」を求められていて「働き方」に関して疑問を投げかけてもあまり反応がない。今「生きている時間」というのが本当に意味のあるものになっているのか。「無」になる時に何を感じるのか。そう考えると「無駄」なことをしている時間が本当に惜しくなりました。

高校生にはなかなかわからない感情だと思います。毎日を何気ない生活をしていたらこの時間が無限に続くという気がしてきます。が、実際はそうではない。いつの日か「終わり」がくる。その中で今の自分の生き方に対して疑問を持つ人がどれだけいるのか。毎日毎日同じことの繰り返し。その中に必要ではないことが腐るほどある。そこに対して「これまでやっていたから」という概念の中でやることになる。感覚や共有ができないので本当に苦しいなと思います。

結構しんどい。子供たちもある程度大きくなっていて、関わりも薄くなる。いや、かなり前からそんなに濃くはないですが。そうなると「今の自分」の存在価値ってなんなのかなという気になってきます。明日、突然脳梗塞になって思い通りの行動ができなくなるかもしれない。そうなった時に今の自分の活動で「よくやってきたな」と自分自身を納得させられるのだろうか。感情の赴くままに活動することはないと思います。だとしても、「今の自分」が本当に正しい生き方なのだろうか。

何が残るのかなというのがあります。これまでの生活はさまざまな先人の活動があったから今があります。それは分かっています、
が、なんか本当にしんどいなと思うことが多くて。この年代になったから思うのかもしれません。今年47歳になるのかな。あと18年間教員の仕事をすることになるのかもしれません。本当にそれが正しいことなのか。私のような教師を現場が求めてくれるとも思えません。生徒に対しても同様。私のような人間がこれから先、生徒に慕われるという気もしません。それなのにずっと今の仕事にしがみついている自分がいる。それって本当に「正しい」のか。

別にやらないという概念の中でめんどくさい仕事は断れば良い。多くの人がやっていることですから。意味のあることではないと感じたら断れば良いのではないか。そこに疑問を持たない組織の中でずっとやっていくことの意味。生徒からも現場からも求められていないのではないかという疑念。

なんか本当に疲れてきているなというのがあります。これってきっと心療内科に行ってこの手の話をしたら「精神疾患」として診断してもらえるのではないかなと思っています。多くの人が思っていても口にしないだけなのかもしれないですし。世の中が毎日楽しいことだけではない。SNSに関しては「楽しい」「こんな良いことがあった」をアピールする場だと思っています。が、私はそういう使い方をしたくないなと。それにより閲覧者が減るとかいうのは全くないですし。承認欲求が皆無だとは思いませんが、人に認められることを求めているわけではない。唯一kd先生には認められたいという欲求がありましたが(笑)。kd先生が現場から離れた今それもも動かす叶わぬ願望となっているのかもしれません。

なんか本当に疲れています。楽しいことは書けません。というか、息つく暇がないくらい何かに追われています。そりゃ教員になりたいという人が減るわなという気持ちがずっとあります。

愚痴ですかね。吐露しておきたいなというだけかもしれません。しんどいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする