照る日曇る日 第905回
第9巻から佳境に入ったこの小説は、著者の死と競争するようにめくるめくラストスパートに突入していく。
本巻では、アルベルチーヌを「籠の鳥」に捕えたとはいうものの、我らが主人公マルセルちゃんの疑いと不安は一瞬も止むときはなく、得体の知れない女との恋のアラベスク、あるいは恋のスコラ哲学的思弁が、ああでもない、こうでもないと微に入り細に穿って、縷々開陳される。恋をしたことにない人にはこれほど退屈で縁もゆかりもない世界もないであろう。
主人公は、あるときはアルベルチーヌを愛している。金輪際手放したくはないと思うのだが、その次の瞬間には、もはやどうでもいい退屈な存在と化し、早く別れてベネチアに逃げ出したいと考えている。そして男のそうゆう了見を十分に呑みこんだうえで、女は男を裏切っているのだが、おぼっちゃんの主人公はまだそこまでは見抜けていない。
まあ世間ではよくあるそんな話を、プルーストはあくまでもマイペースで滔々と弁じて行く。鞭生粛々と朗じながら彼は時々脱線し寄り道していくのだが、その中ではワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」などの音楽の魅力を論じた個所が、比類なき輝きを放つ。
それからマルセルちゃんが朝寝しているときに窓の外から聴こえてくるエスカルゴや古着屋などの物売りの声が、「ボリスゴドノフ」のどのレチタティーボや「ペレアスとメリザンド」やグレゴリオ聖歌のどの一節に酷似しているという具体的な指摘も面白い。
プルーストは目も良かったが、耳も抜群に良かったのである。
台風が迫る川辺に立つススキ背筋を伸ばして生きんと思う 蝶人