照る日曇る日 第908回
著者による最近の文学・思想論集で、1の「災後と文学」では「永遠の0」「東京プリズン」、2の「文学の20世紀以後」では「巨匠とマルガリータ」「私を離さないで」、3の「時代の変り目の指標」では山田太一や沢木耕太郎、村上春樹、大江健三郎などの近著や映画感想文などを読むことが出来る。
「東京プリズン」や「巨匠とマルガリータ」は、私も読んで感想文などを書いたりしたが、著者の精緻で鋭利な解釈と鑑賞には完全に脱帽し、なるほど本はこのように読むものなのにかという内心忸怩たる思いを新たにしたことだった。
大学時代に著者が教室で実践した文学演習も眼が醒めるように新鮮で、私はこういう我が身を外部に晒して骨を切るような授業をやることなんて思いつきもしないし、思いついても絶対にやらないだろう。教師は生徒の一段高みに立って、永久に批判されない高論卓説を剛速球で投げおろしているほうが、安全かつらくちんなのである。
本巻で著者が強調していることのひとつは「作者があえて語らないことを見抜く」ことの大切さで、その具体的な例を著者は百田尚樹の「永遠の0」や芝崎友香の「わたしがいなかった街で」、ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」の批評をやり遂げる中で、具体的に示しています。
文章を読むときにほんのちょっとしたことに気づいて「そんなことってあるだろうか」と思って「わからなくなる」。そしてその生まれたばかりの驚きに立ち止まり、「世界をわからないものに育てる。そういう時間が大事だ」と、著者は力説するのです。
うな重を一気呵成に平らげて懸案事項を終えたるごとし 蝶人