照る日曇る日 第1073回
偉大なアララギの良き伝統を受け継いだ観察と写生の技巧は、随所で冴えわたり、見事というも愚かである。
ほそながき鏝に煉瓦の目地を塗るひとの仕事の楽しきごとし
葛の葉ははやもみぢして古びたる石のおもてを這ひのぼりをり
青銅の孔子の像は推参の礼してゐたり諸手を揉みて
道の上に落ちし椿の花びらは黒き脂となりて溶けたり
それこそ景徳鎮の青白磁の冷え冷えと澄みゆく心にも似た、さえざえとした抒情美! 磨きがかかった名人芸の世界が繰り広げられ、(おもうに今日ではもはや死語と化した)文語を用いた日本語が、このように繊細優美で、さながら平成の藤原定家のごとき幽玄典雅な言語世界を作り出すことができるのか、と一読三嘆、再読驚嘆のほかはない。
夏の川みづ行くことも寂しくてやがて一人に還らむこころ
踊り場の壁に掛けたる絵が揺れてどこから風が来るか知らない
ひとつこゑ落してひとはきはまりぬ水際のごとく冷ゆるその声
しかしそのように高度な作歌活動を続けている著者の日常にも、大きな波紋が生じているようで、私たちはこの歌集から、父君の病とその死、妻君への微妙な感情、女人への性愛の情動が、作者のけして若くはない人世を大きく揺るがす様をみてとることができるのである。
父と見る映画に髪を吹かれゐしグリア・ガーソン美しかりき
妹が杉村春子のやうになり生前贈与といふを指図す
わが長く秘めたることを告白しほとを沈黙させしことあり
死ぬ犬を見下ろすごとき冷淡をこのひとに見てわれは憎みき
指先が内ふとももに食ひこみて横抱きにせし肉体ありぬ
ししむらのわ勝分ちなきまでわななきし来歴ひとつありて遂げにき
青眼の構えを少し外した視点から生れてくる軽妙な味わいの短歌も、逸すべきではないだろう。
写真家に大辻隆広といふひとの一人はをりて靴などを撮る
左ト全は三ヶ島葭子の弟にて生来的貧困の面貌を保てり
さびしいと言ふのは罪かウサマ・ビン・ラディンしづかに殺害されて
ターコイーズブルーの空ゆはららぎて落ちたる夏のナックルボール
呑みながら卑しく酔ひてゆくざまを八代目三笑可楽語りき
それにしても、(それがいいことなのか否かは分からないけれど、。全体を通じて著者の作風が、どことなく師匠の岡井隆氏のそれに近接しているような気がするのは、私だけであろうか。
不如帰は「テッペンカケタカ?」と訊くのだがまだ居直っている悪しきテッペン 蝶人