照る日曇る日 第1061回
本巻におさめられたのは、澪標、蓬生、関屋、絵合、松風、薄雲、朝顔、少女です。
源氏28歳の冬から33歳の春までの物語ですが、そこには明石須磨におけるしばしの流謫からカムバックした光源氏が、たちまち政敵を一掃して最高権力を掌握し、この世をばわがものと思うにいたる黄金時代の人事百般が、紫式部の達意の名文で書きつらねてあります。
諸行無常とは申せ、六条院の東西南北に妻妾に加えて中宮同居の豪壮な邸宅をば、あっという間に完成させた我らが主人公の、誇りかなる心中の満足は、いかばかりであったことでしょう。
広壮無比の地上の楽園の四季折々の草花を、事細かに列挙する紫式部の絢爛豪華な筆の冴えは、けだし源氏物語の白眉というても差し支えないでしょう。
けれどももっと秀逸なのは、編者の一人今西佑一郎氏による解説です。
桐壺帝と醍醐天皇、藤壺と醍醐天皇妃為子内親王の酷似を裏づけ、「源氏」執筆当時、直系の陽成天皇から傍系の光孝天皇に移った背景に陽成=在原業平息という「史書によらない」風説が根強く存在したことを指摘し、この風説を踏まえて紫式部が、本来ならタブーとされる皇統紊乱譚を取り入れたのではないかと推察しています。
紫式部が生きた時代は、すでに傍系の光孝天皇から数えて11代目の一条天皇の御代でしたから、この時点での「風説準拠」は、「不敬」に当たるどころか、傍系を主流に据え直すための新たな政治的材料だったかも知れませんね。
隅から隅まであなたの名前を探したけれどどこにも載っていないのよと教えてくれるヒグチさん 蝶人