あまでうす日記

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鎌倉文学館にて「没後35年澁澤龍彦 高丘親王航海記展」をみて

2022-12-01 11:35:12 | Weblog

蝶人物見遊山記第351回&鎌倉ちょっと不思議な物語第436回&ある晴れた日に第704回

 

霜月最後のお昼前、久しぶりに妻と鎌倉文学館へいって、澁澤龍彦の「高丘親王航海記展」を見物した後で薔薇園に行ったら、もう花は僅かしか咲いていなかったが、辺りには誰もいなかったので、広い庭園を、一人ならぬ2人占めした気分で嬉しかった。

 

夭折した澁澤龍彦の原稿は、万年筆ではなく、恐らくB2の柔らかな鉛筆を使って親しみやすい文字で書かれており、いたく好感が持てました。

 

ところでこの文学館は、まもなく4年間の工事期間に入る。4年といえばなんでもありの長期間なので、もしかするとおらっち、この世に居なくなってしまうかもしれないので、そういう意味では昨日は大切な訪問だったのである。

 

文学館から長々と続く下り道を降りたところで、右から左へ小道を横切る明治時代の官吏のような風体の中年男がいた。左手にコクヨの台帳を持ち、鋭い目で余を睨んだので「彼奴は何者?」と後姿を眺めていると、妻君が「タハハシゲンイチロウよ。きっと川端康成邸に用事があったのよ」という。

 

なるへそ、そうかもしれんと思ったが、ここから彼が住んでいる比企一族の旧跡辺りまではかなり距離がある。途中でどこかに寄るのかもしれないが、まだ若い子供を養うために書いて書いて書きまくり、その合間にテレビやラジオにも出まくらなきゃらんのだろう。急いで歩いているだけじゃなくて、生き急いでいるようだった。

 

安西水丸、加藤典明が没してから、私が秘かにシンパシーを懐いている物書きは文化女子大で袖擦り合った白井聡選手とこのゲンチャンくらいしかいないので、好漢自重して長書きせよ、と瞑目して祈ったことであった。

 

    柔らかなB2の鉛筆で物語を軽く紡ぎし澁澤龍彦 蝶人

 

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