あまでうす日記

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青木由弥子著「伊東静雄―戦時下の抒情」を読んで

2024-03-15 10:48:26 | Weblog

 

照る日曇る日 第2026回 

 

伊東静雄は我が国を代表する抒情詩人で、生前「わが人に与ふる哀歌」「夏花」「春のいそぎ」「反響」の4冊の詩集を刊行したが、惜しいかな47歳の若さで亡くなってしまった。

 

彼は明治39年生まれだが、同年生まれの有名人には、詩人の永瀬清子、作家の坂口安吾やベケット、俳優の杉村春子、出版人の古田晃、舞踏家の大野一雄、実業家のオナシス、政治家の西園寺公一などがいるので、それを思って、「なんとか2つでも3つでも長生きしてもらいたかったなあ」、としばし慨嘆したことだった。

 

でも私にとって伊東静雄は、青春時代にちらりと袖振りあった路傍の縁者にすぎず、彼の代表作である「わがひとに與ふる哀歌」の冒頭の「太陽は美しく輝き/あるひは 太陽の美しく輝くことを希ひ」や、「曠野の歌」の「わが死せむ美しき日のために/連嶺の夢想よ!汝が白雪を/消さずあれ」とか、「水中花」の末尾の「すべてのものは吾にむかひて/死ねといふ、/わが水無月のなどかくはうつくしき。」、「なかぞらのいづこより」の冒頭の「なかぞらのいづこより吹くきくる風ならむ/わが家の屋根もひかりをらむ」、「送別」の「うつくしきうた 残しつつ/南をさしてゆきにけるかな」などの名作の、ほんの一節に接しただけで、「嗚呼、なんてカッコいいんだろう!」と感嘆していただけの軽佻浮薄な読者だった。

 

本書は私が初めて読んだ、伊東静雄の人と作品にがっぷり四つに取り組んだ作品論&評伝であり、そのお陰で彼の妻君を含めた女性との付き合い方や、戦争詩の問題点、同時代の保田輿重郎、薄田善明、中原中也、立原道造などの文学者との交流について多くを知ることができて感謝している。

 

それにしても自分なりの疾風怒濤の時代に、伊東静雄と出会った感触を今にして振り返るなら、あれらの詩句は、日本語で書かれた黙示録であり、雅歌であり、箴言であったと思う。

 

彼はバイブルを愛読していたというが、彼がダビデの22篇に倣って、

「わが神わが神なんぞ我をすてたまふや/何なれば遠く離れて我をすくわずわが歎きのこえをきき給はざるか/ああわが神われ昼よはばれども汝こたへたまわず/夜よはばれどもわれ平安をえず」

という詩編を綴ったとして、私たちは驚かないだろう。

 

誰にせよ至福の時はあるものよ大谷夫妻よ今を楽しめ 蝶人

 

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