遥かな昔、遠い所で 第127回
第7話 ネクタイ製造 その3
ネクタイの生命は、柄にあった。これで他社にヒケをとってはならじ、と京都高等工芸出の意匠図案係三名に、欧米の流行を参考して研究工夫させた。
たまたま郡是に、スンプ*という顕微鏡のプレパラート同様のものがあり、極めて簡単、即座に作れるものが発明されたのを応用して、動植物の部分を拡大して検べてみると、さすがに神の巧みは人間の工夫に勝り、千差万別の意匠が得られて製品の柄、模様に一新機軸を開くなど、ネクタイ製造に独特の地位を占めた。
このように我が社は、戦前の日本産業大飛躍時代に小粒ながらも一役を買ったのであるが、時代はやがて日華事変となり、それが太平洋戦争に進む頃には、洋服も背広も廃れて、国民服に取って代わられ、ネクタイは贅沢品として、さっぱり売れなくなってしまった。
あまつさえ昭和18年には強制疎開で工場はつぶされ、機械は金属回収で取り上げられてしまったので、会社は解散のやむなきに至った。
戦後になって復興させたが、今度は思い切って趣を変え、家内工業の小工場十余箇所に織機数十台を分置し、別に加工工場を置いて、兄弟二人だけの当初発足の昔に還った。
弟の死後は、長男がその後を継いで今日に及び、戦前ほどの華やかさはないが、まず以て堅実な経営を続けている。
*スンプとはSuzuki's Universal Micro-Printingの頭文字をとったもの。郡是の鈴木純一が発明したプレパラート作製の一方法で、物体の表面の観察に用いられる。適当な溶剤で表面を柔らかくしたセルロイド板に被検物を圧着し,乾燥後これを取り除く。セルロイド板上には被検物の表面構造が転写されて残るという仕組みである。
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