平山周吉著「小津安二郎」を読んで
照る日曇る日 第2040回
これまでの小津関連資料を隈なく渉猟したうえでかなり自由なスタンスで書かれた小津安二郎論ですが、類書にない意外な指摘があって、なかなか面白かった。
例えば、「晩春」のラスト近くの京都の宿で突然登場する「壺」。あれをファザコンのヒロインの原節子と父親の笠智衆の間に「実事」があった証拠とするもっともらしい暴論も出されてきたわけですが、著者によれば飛んでもないということになる。
なぜならあの壺は、小津の親友で原節子にぞっこん惚れていた山中貞雄監督の遺作「丹下左膳余話」に出てきた百萬兩の壺で、生きていれば原節子を起用した現代劇を撮ったはずの山中=壺に、代理監督の小津が「晩春」を撮って、故人=壺に供養として見せているのだから、エレクトラ・コンプレック的な性交なんかする訳がない、という話になるわけです。
映画の最後では、嫁にやった原節子を偲んで、笠智衆が大泣きする代わりに、季節でもないのに突如リンゴの皮を剥くという唐突なカットが登場しますが、著者によればこのリンゴは、中国で従軍していた若き日の小津が心の支えにした志賀直哉と里見弴へのエールだということになる。
実際戦中に検閲を恐れた志賀直哉は、ペンを絶って画家を目指して描いた「大きな印度林檎の絵」が里見弴の傑作「本音」の装丁に使われ、それを読んだ戦地の小津は、痛く感銘を受けたというのですが、さあこれはどんなもんでしょうか?
噺はこれで終わりません。「晩春」のリンゴ剥きの失敗を苦にしていた小津は、里見弴から「酔っぱらって帰宅した笠智衆が、廊下の途中にある梯子段を見上げて、ああもう娘は居ないんだな、と落胆するラストにすればよかったね」と言われ、なんとその通りの結末を、遺作の「秋刀魚の味」でやってのけた、というオチまでついたのでした。
さはさりながら、日本史の中で小津の生涯と映画作品を振り返ろうとして書かれた本書であるならば、小津の戦争体験がもっぱら軍隊に取られた不運や、戦友山中の思い出話、映画製作が出来なかった苦労話などに交えて、彼が帝国陸軍・上海派遣軍司令部直轄・野戦瓦斯第2中隊に配属され、上官の命に従って敵兵に毒ガス兵器を使用した戦争犯罪についても、詳しく述べるべきではなかったでしょうか。
笠智衆、東山千栄子をなんとまあ昭和天皇、皇后に擬う 蝶人