あまでうす日記

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佐藤幹夫&村瀬学著「ウクライナ、ガザ、そして「松本人志問題」へ」を読んで

2024-08-15 10:19:53 | Weblog

 

照る日曇る日 第2091回

 

「激変する世界や日本の状況をどうしたら自分たちの言葉で表現することができるのか」という問いかけが、本書の帯の惹句に書かれていますが、それは瞬間ごとに断片にしがみついて生きている私などには、到底及びもつかない離れ技に類する高等藝なので、丁々発止と先行するお二方の思索の後を辿りながら勉強させて頂きました。

 

まずは村瀬氏の「ウクライナ戦争 私たちは何をみているのか」ですが、ソビエト連邦が崩壊したときに吉本隆明が唱えた「替わりばんこ提案」が、私の昔からの考え方と全く一緒なので驚きました。

 

吉本氏は「政府とか国家の権力は町会のゴミ当番とおなじで、替わりばんこでやればいちばん理想的だ」(「大情況論」)と断言しているのですが、安倍やプーチン、習近平の専制政治を持ち出すまでもなく、これぞ至言中の至言。素人を装いながらするプロフェショナルな提言と、村瀬氏同様いたく感じいりました。

 

因みにリーマン時代の私は、「会社の社長はもとより新入社員の採用も無試験の籤引きにせよ」と主張して、上司を大いに鼻白ませたことでした。

 

続く第2信では、佐藤氏の「非暴力」への言及が記憶に残ります。戦争を目前にして健常者たる我々は武器を持って戦うか、自分で自分の身を守るか、逃げるかの3つしか選択肢はない。しかしそれが出来ない障碍者は、死ぬしかないのか?

 

さりながら「存在そのものが非暴力」である彼らは、「戦わないことで戦うことができる」のではないか?自分たちの非暴力性を敵に突きつけ、敵の暴力性を徹底して暴き出すという、かつて障碍者でなくともガンジーが、山背大兄王がやってのけたような「非暴力の戦い」は、現代にも有効な生き方であり死に方ではないのか?と佐藤氏は暗に問いかけているようです。

 

第8信では村瀬氏が「福祉にとって美とは何か?」というヨシモト張り?の問題提起を行っておられます。かつて福祉の現場で障害児と昼食を共にした(具体的にはよだれを垂らしている水頭症の子どもの口に食事を運んでいた)普通学級の生徒がその後食欲を失ったと聞いた村瀬氏が、「その女の子の気持ちがわかると感じてしまい」、福祉の現場では「ともに」という倫理が優先され、世間では大切にされる「ととのえ」という(美学)が無視される傾向にある、と指摘しています。

 

この挿話を読みながら、私は今から半世紀前に、妹が勤務していた京都の北白川学園の糞便に塗れた茶色い風呂水を見たとき、「福祉は美醜を超越した聖なる絶対愛の世界である」、「福祉に携わることの嗜虐的な愉楽は、この汚水をウマイウマイと平気で飲み干すことだ」と直観したことを、はしなくも思い出しました。

 

それでここでの村瀬氏の問題提起ですが、理屈はともかくとして、思うにその時その女の子は、その障害を持つ子供がイヤだったのでしょう。健常児仲間と違って、異様な姿で涎を垂らしている障害児の世話を「障害児と健常児の交流」の美名のもとで強制させられることも、イヤでイヤで仕方なかったのかも知れません。

 

そしてこの故無き忌避と反発と拒絶の原因は、やはり昔ながらの健常児者による障害児者の差別と偏見に基づくもので、私(たち)が、表面はさしたる理由もなく、障害児者や、外国人や、部落民や、自分の仲間とは思えない者たちを際限なく異人化する、ある意味では本能的な心理作用と変わらないのではないでしょうか。

 

憲法14条の格調高い規定があるにもかかわらず、私(たち)は自分の遠くにある多くの見知らぬ存在に対して、限りなく沸き起こる不条理な忌避と反発と拒絶を、生涯に亙って持続してしまいます。

 

このような異人化作用をどのように取り除いたり、変容させたりするかを答えることは今の私にはできませんが、問題のありかは「福祉にとって美とは何か?」という問いかけや、「ともに」という倫理と「ととのえ」という美学の相克について、相似例を次々に想起する次元にないことだけは確かでしょう。

 

     クマゼミが開戦告げる敗戦忌 蝶人

コメント
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