吉田秀和著「ブラームス」を読んで
照る日曇る日 第2156回
図書館で並んでいた河出文庫をなんとなく手に取ったのが運の尽きで、久し振りにヒデカズさんを読んでしまう。
2002年4月に音楽之友社から出た「吉田秀和作曲家論集5」の文庫版だが、なんというても70年代に「ステレオ芸術」に11ケ月に跨って連載されていたという「ブラームス」が集中の白眉。その要点は、大恩あるシューマンの影響を作品10の「ピアノのための4つのバラード」の、なかんずく最初のニ短調の標題音楽の母と息子の対話によって粉砕し、あたかもギリシア神話やフロイトの父親殺しのように乗り越えてブラームス独自の道を歩み始めたことを、具体的な譜例分析を通じてあきらめるところにあるのだが、音楽のド素人である私などにその真偽を判定することができないのが哀しいずら。
それから読みようによっては、片思いだったヨハンネスがとうとう想いを叶えた喜びが、1877年のあの幸福な第2交響曲や翌年のヴァイオリン協奏曲、第2ピアノ協奏曲の長調の調べに繋がったとする恐るべき推察も漏らされているが、それはもしかして私だけの空耳アワーだったのかもしれない。
さはさりながら、今までとかく敬して遠ざけていたブラームスの音楽に、もう一度近寄る楽しみが出来たのは思わぬ収穫だった。
追記。「ヴァイオリンソナタ」の項目に、私の大好きな悲運のコンマス、ゲルハルト・ヘッツエルの懐かしい思い出話が載っている。1987年9月に偶々ヴイーンの国立オペラの「ラ・ボエーム」を聴いたヒデカズさんが、オーケストラ・ボックスから聴こえてくる主役のミミのフレーニよりもうまいヴァイオリンに気づく。それは在りし日のヘッツェルがヴァイオリンを持つ左腕を幾分高めに上げて、心からうれしそうに身体をゆすり、いかにも気持ちよさそうに弾いている姿だった。
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