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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

2002年10月3日に見た夢~「これでも詩かよ」第75番

2014-04-15 10:58:03 | Weblog


ある晴れた日に第224回


夢の中で、もうかなり前に亡くなった近藤さんを見かけた。

近藤さんの顔は茶色の斑点入りのヴェールのようなもので覆われていたためにちらとしか見えなかったが、たしかにそれは近藤さんだった。

彼女が腰をおろしていた丸いテーブルの反対側には、でっぷり太った広瀬さんが座っていた。

でもどうしてガンで死んだ女性が生きているのか。

もしかして男性の広瀬さんももう死んでしまっているのではあるまいか、と怪しみながら、僕が丸いテーブルの方へ近づいたとき、突然マガジンハウスの雑誌編集者のI君がその部屋に滑り込んできた。

そして背中に背負ったリュックサックをどさりと投げ出すと、そこから2枚のLPのアルバムを取り出して、部屋の片隅の壁のたもとに丁寧に並べた。

僕がI君に近づくと、彼は僕の顔を見るなり少し顔を赤らめてリュックをつかむとさっと走り去った。

そこで僕は好奇心に駆られてアルバムを手にとってみると、カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団が演奏しているバッハのブランデンブルグ協奏曲全曲のレコードだった。

1枚のジャケットに2枚のレコードが入っていた。



      なにゆえに密室で歌ばかり詠んでいる原発にも秘密保護法にも口を噤んで 蝶人
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ダイアン・キートン監督の「想い出の微笑」をみて

2014-04-14 08:16:55 | Weblog

bowyow cine-archives vol.636



キートン選手はむかしウディ・アレンの映画に出ていた頃から才女の風を吹かしていたから自分でも監督したかったのだろうが、脚本のネタが早くに割れ過ぎているので、どうにも鼻白む。

つまり病に冒された母親が死ぬのを知った息子が美しく懐かしい彼女の思い出をホームビデオに遺そうとする話で、彼の愉快な叔父さんたちとのエピソードはそれなりに楽しめるが、お涙頂戴の「ニューシネマ・パラダイス」的なラストもちょっといただけないな。

ヒロインのアンディ・マクダウェルって、エマ・トンプソンに似てる。




なにゆえにコンピューターにプロ棋士が負けるのか人間が作った機械に負ける人間 蝶人
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アリス・マンロー著・小竹由美子訳「小説のように」を読んで

2014-04-13 10:14:41 | Weblog


照る日曇る日第666回


私がこれまで読んで来たマンローの小説に、駄作は一本もありませんでしたが、これは恐るべきことのように思われます。

マンローの小説は、そのすべてが短編、あるいは長くても中編なのに、まるで長編小説のような長いリーチとしたたかな重量、そして鋭い劇性と起伏を内蔵しているのです。

またマンローの小説は、プロットの展開も登場人物の行動のみならず内省や心理の動きもきわめて映像的であり、すべての局面が「映画のよう」に推移するのが特徴のひとつです。

流行作家に成り上がった旧知の小娘に私事を書かれたヒロインが、あえてサインをしてもらいに書店へいく表題作「小説のように」、同じく年輩のヒロインが、たまたま交通事故に遭った少年に人工呼吸を施すシーンがとりわけ感動的な「次元」、ロシア人で初めての女性の大学教授になった数学者にして作家のソフィア・コワレフスカヤ最後の数日を鮮やかに切り取った「あまりに幸せ」などを読んでも、素晴らしい映画になること請け合いです。

だからもしも彼女がみずから声明しているように筆を折ったとしても、これから私たちには映画になった彼女の原作を鑑賞するという楽しみが残されているのです。彼女がそれを許可すれば、の話ですが。

さて粒揃いの傑作が並んだ本書のなかで、私の心を捕えた一作は「子供の遊び」でした。

「天使のように無邪気で純真な」子どもの心の奥底に棲息する悪魔が、ふとした気まぐれから、自然に、いともたやすく、どのように恐るべき事件を引き起こすか。そしてその罪がいかにして忘れられ、いかにして突如蘇ってくるのかを、これほど淡々と、しかも真に迫って描き尽くした、それこそ身も心も戦慄させる文章を、私はこれまで目にしたことはありません。

いかにして大木を切り倒すかという技術論から、「偏微分方程式についての理論」まで、小竹由美子さんの翻訳は今回も冴え渡り、さながら著者の日本人の分身のようです。



      なにゆえに阪神は万年駄目トラなのか虚人を巨人と勘違いしているから 蝶人
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リュック・ベッソン監督の「サブウェイ」をみて~「これでも詩かよ」第74番

2014-04-12 03:53:34 | Weblog


ある晴れた日に第223回&闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.635


ビヤンヴニュ! 
ようこそモンパルナス・ビヤンヴニュ駅へ!
ようこそ黄泉の国へ!

地下鉄に轢き殺された人たちは、みな地下鉄の下に隠れ住んでいた。
ACミランの本田選手のように黄色い髪の毛のクリストフ・ランベール、
蒼ざめた頬のイザヴェル・アジャーニ

颯爽とローラースケートで疾走するジャン=ユーグ・アングラード、
花売り男のリシャール・ボーランジェ、
そして激しくドラムを叩くジャン・レノ

彼らは黄泉の国の住人となって、地上と地下を行き来していたのである。
この世のはずれ者たちを懸命に追う素っ頓狂な刑事や警官も、みなこの暗黒の地下室に寝起きしながら、朝から晩まで意味不明のおっかっけっこをして遊んでいる。

ああ、またしてもメトロの急ブレーキの音が聴こえる。
猛烈なスピードで走っていたバットマン刑事は、追跡の職務を放棄して、その場で立ちすくむ。

火花を発した鉄の輪が悲鳴を上げて静止すると、また一人の新人がこの闇の国の住人となる。それは男か女か。若いか年寄りか。
敵も味方も息を凝らしてその人物が姿を現すのを待っている。

ああ、どんどんどんどん人死にがでるね。
安西マリアも安西水丸も死んだ。「東京の地霊」の鈴木博之も死んだ。
伊勢丹の元バイヤーも死んだ。クラウディオ・アバドも死んでしまった。

明日もまた有名無名の人々が死んでゆくのだろう。
そうして人々が地上から姿を消すにつれ、
地下の黄泉の国はますます賑やかになってゆくのだ。

ビヤンヴニュ! 
ようこそモンパルナス・ビヤンヴニュ駅へ!
ようこそ黄泉の国へ!


なにゆえに今年の春はまだ来ない我が家の桜がまだ咲かぬから 蝶人
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美神たちの黄昏 第八夜~西暦2014年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-04-11 13:59:48 | Weblog


ある晴れた日に第222回


「お父さん行ってきます」と出かけたり新年より月給500円の君

「木が3本で森ですよ」と君が言えば「では2本では何ですか」と散髪しながら小林君が訊ねる

最愛のあなたの息子が障がい者ならホーム建設に反対しますか?

生れし子のすべてが障がいを持つならば初めて人は優しくなるだろう

わが息子が描きしわれの肖像画遠き亜細亜の草莽の民

十年に一度、百年に一度の台風が次々に襲い来る年なりき

わたくしの大好きな日本男児が一心不乱に走っている

私が歩けば私の内なる祖父も一緒に歩いている

我が家の屋根の上で背伸びした棟梁が、次はあの家を直そうと呟きたり

生まれて初めて青蚊帳の下で眠ると大騒ぎしている青ゐけ家かな

誰ひとり弾く人のいなくなりしピアノの蓋を開けておくかな

この木はトビこの電柱はカラス鳥たちも張り巡らす防空識別圏

なんじゅうんねん働いてきた御褒美に朝七時まで眠っていられる

地球人みんな自己中で地球をぐるぐる引っ張り回すので地球は目を回している

人よりも猫可愛がる小春かな

でんでん虫のその歩みもて冬生きる

十年の年賀状を捨てる松の内

春の風静かな海と楽しい航海

爺と孫餅搗きする目出度さや

孫の無き夫婦で過ごす松の内

我が家よりよく陽の当たる墓場かな

飛行機雲は消して見ており冬の空

激流を小さき魚遡りゆく

松の内去りゆく頃の別れかな

出す訳も出さぬ訳もあり年賀状

止めんとしなお止め難かりき年賀状

直筆のなき年賀状の冷たさよ


なにゆえにハンミョウを有毒という毒々しけれど無毒の昆虫なるに 蝶人

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美神たちの黄昏 第七夜~西暦2014年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-04-10 09:28:16 | Weblog

ある晴れた日に第221回


家中のお皿を全部叩き割っちゃえそれで君の気が済むなら

カレンダーは貰う物と思いしが買う物となりき会社辞めてから

1966年英国で作られた薔薇プリンセスミチコは優雅なピンク

棟梁の槌音高らかに鳴り響きわれら第三次産業従業者のいかがわしさよ

製薬会社の整然とした敷地だが労働スペースは余りにも狭い

履歴書でもないのに学歴を書けと迫りくるSNSのおこがましさよ

一等でもビリでもいいいつでも命懸けで走っている君が好きだ

亡き父の面影残すキャロライン聖林スタアのごとく迎えられおり

宇宙には暗黒物質があると聞きわが魂の暗闇をおもう

いかにも凶悪犯らしき顔はわずか二、三人重要指名手配されし一三名のうち

ターナーがいちばん好きなヴァーミリオン、ネービーブルー、クロームイエロー

ターナーがパレットの海に塗りたくりし絵具の船こそ心の風景画

「ああ卵買うの忘れた。どうしたんだろう私」と嘆きつつバスより降りし老婆あり

高速を百二十キロで曲がり行くその快感を語りおりしが

「3ヶ月間で3.25キロ減らすのよ」と肉食系美人医師に命じられたり

ひと目見て蝶の名当てる特技あれど何の役にも立たざりしかな

天然ウナギの三郎海に去り青鷺のザミュエル滑川に舞いたり

独創的な見解を持っているわけではないけれどその他大勢の意見と一緒にされて怒る

皮のままの柿をむさぼり食う腹に落ちたその皮のエグさこそがわが実存

列島のすべての海岸に人が出て海に向かって泳ぎ出す日

もっと若い子なら立つってよプールを歩きながらおばさんが説く

臨時ニュースは無けれども「何事も無し」とは言えず十二月八日

横須賀に夏の終わりの薔薇咲きて原子力空母入港したり

原発で国を危うくした国の首相が他国に原発を売る

69年ただひとりの戦死者も出さざりし憲法9条は国の宝なり

セイタカアワダチソウも薄も入り混じって咲いている秋の原っぱ

少年がヤツデの葉を振りたりバスに乗りたる私に向かって

人身事故で遅れし電車を呪う人誰ひとり飛びこみし人を思わず

始業時に間にあわそうと踏切を潜りしことが仇となりき

もしなにかあればこの山に逃げようと呟く妻と森を歩めり

「万一の時はこの山に逃げましょう」と妻が言うがその万一とは何

秋の日を身一点に受けるべくヤマトシジミ羽根を伸ばせり

韃靼海峡を渡っていったのはアサギマダラいまそこを飛ぶのはゴマダラチョウ

ユーミンの「ノーサイド」流れる競技場さらば昭和よわが青春よ

羊雲綿雲鰯雲は天からの贈り物飛行機雲は別にして

全員で一年掛けて封筒の切手を集めて壊れたパソコンの修理をたのんだ

鶯もおタマもツバメも蛇も棲むこの仕合わせを何にたとうべき

水中に長らく身を浸せばおのずから少しく溶け出るものがある

他ならぬ愛の力で地球は浮いてる



なにゆえに真夜中に短歌は生まれるさあ飛び起きて手帖に記せ 蝶人
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美神たちの黄昏 第六夜~西暦2014年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-04-09 10:37:12 | Weblog


ある晴れた日に第220回


無理矢理に遣おうとしたが縊死してた古式豊かな旧字旧仮名

無理矢理に旧字旧仮名で歌詠めばラテン語で書くローマ人の心地す

様々なネタが現れ次々に消ゆ回転寿司のように一年終われり

誰からも忘れられた人をしみじみと思い出している忘れられた人われ 

「お父さん、人身事故いやですねえ」と息子はいう

「お母さん人世って何?」と聞く息子に「過ぎてゆくこと」と答えている妻

「ありがとう」とバスの運転手に礼を言うまだそんな人がいる私のこの街

潔く眼を閉じて死を待ちし青鷺ベンジャミン

鴨一羽匹殺せはしないこの子哉

薄四分泡立草六分秋津島

秋深しわが祖父母はいずこなるか

鎌倉を関取が行く小春かな

木犀やわが祖父は祖父ならず

鯉幟われに二人の男子あり

秋明菊がこんなに咲いていいのかしら

わが足の小指の爪の小ささよ

小春日や北枕でする宵寝かな

中也忌やなんのおのれが桜かな

中也忌やおひたし食す白き骨

行く年や忘れられし人を忘れまじ

発条を出し終えて死ぬ蟷螂

ほなあんさんあんじょうやっとくれやすわいらあでかけるさかいにな

わいらあ汲み取りのない厠にスンドルようなもんやそら臭いわ汚いわ

若い女のこやったらできるみたいやでとプールの中でオバハンがいうとった

ほんまのこといううたらなあみなモアイの像塩みたいな塊になってしまうさかいわいらあ黙っとんや

余りにも長く都会に暮らしたりもう故郷の言葉は喋れない

金銀の世、我良しの世、獣の世を断じて拒否したり出口なお

妻君が裏の畑でおろ抜いた大根の葉を毎日食べてる

残りものには福ありやたった2袋だけ残った1袋198円のナス

隕石をひらりひらりと交わしつつ今宵も地球はゆるやかに巡る


   なにゆえに急に耕君はドモルようになったのか悪いやつらが圧迫したから 蝶人
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美神たちの黄昏 第五夜~西暦2014年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-04-08 10:48:58 | Weblog


ある晴れた日に第219回

鎌倉の八幡様の大通り恋人の手を引き関取が行く

親よりも年長のガードマンを従えて御成通りの銀行ウーマン

町角の小さきイタリアレストランを応援したいが駐車場がない

鎌倉の小町通りの遺跡発掘現場身の丈掘れば鎌倉時代

午後二時の太陽の光に照らされて眼下に広がる御家人の館

美輪明宏7000円加山雄三6800円菅原洋一6000円チケット料金の違いは微妙

なにやら取り返しのつかないことをしたような大きな忘れ物をしたような気になりませんか電車の扉がするすると仕舞ったとき

なんとなくこの歳になるまで生きてきて縁なきものはセクシー、ギャラクシー、ベン・ケーシー

「チチンプイプイ痛イノ痛イノ飛ンデユケ」ト母サンハ魔法ヲカケマシタ

世界ジュウノ悪イ鬼ドモ退治スルソレガ桃太郎ノ仕事ナノデス

海ハヒロイナオオキイナ一日ニ三百トンノ汚染水ヲ黙ッテ呑ンデル

ミエコサンノテアテデグングンドンドンナオッテユク

ミエコサンハドンナフクデモニアウケドムラサキイロガトリワケニアウ

さらさらとゆびよりおちるすなよりもはかなきものはいのちなりけり

「お父さん、僕おうちが出来てうれしいよ」ケアホームに入った息子がいうのだが

おはようと小さく呼べばおはようと同じ音量で答えるうちの耕君

その時の気分によってお父さんと呼んだりまことさんと呼んだりするうちの耕君

耕君がグルーチョ・マルクスのように歩いてる腰を二つに折ってギクシャクと

消去法で行けばほとんどゼロしかし私には妻子と歌がある

さなきだに無信心のわれなるが篤信の心なきバッハ受難曲の演奏に怒り覚えて

われ山に向かいて眼を上げたれど神はいまさず白雲に烏

電子書籍で読むランボオには私の髪の毛もふけも鼻糞も挟まっていないだろう

わが投石を呵々大笑する台湾リス疾く雷落として懲罰せよ天上のゼウス

そのかみの一大ゲバルトの寸前に手渡されしは黄色いレモン

蟷螂なれば誰ひとり顧る者もなく路上放置轢死体累々

スタンダールの『赤と黒』を読んだこともない若者を前に情熱恋愛を語っているわたし

天皇を元首にしたい政党に清き一票入れた君たち

列島の全海岸に人が出て沖合に向かい泳ぎ出す日

真昼野の大樹の下に歩み入りミンミンゼミの号泣を聞く


なにゆえにS席のみ売れ残りたるコンサートなにゆえC席をもっと増やさぬ 蝶人
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美神たちの黄昏 第四夜~西暦2014年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-04-07 11:08:17 | Weblog


ある晴れた日に第218回


さよなら台風十八号!と耕君は叫びました。

商人のささやかなる策略はサン・キュー・パーと値決めすること

次々に散歩ボランティアが名乗り出て被災地犬次郎は町内の人気者

考えてみれば我らの平平凡凡たる人生のすべてが空前絶後の一期一会

三ヶ月引き取る者なき粗大ゴミ誰かと市役所の我慢比べ

長き夏ようやく果てた証しとて一尾百六十八円のサンマ賞味す

祟りなど微塵も気にせず曼珠沙華根絶やしにする不届き者め

町内の誰も行かないレストランを「うまい」「オイシイ」と持ち上げるテレビ

皿運ぶチャプリンの如く強かにヴェルディのアリアを持ち上ぐジェームズ・レヴァイン

ニコチンの塊のごとき男ありてわれの隣で毒素を放つ

一月ぶんの新聞が一個のトイレットペーパーになりその一切れで尻を拭いてる

六十代で夫婦生活が復活したと触れまわるあれらの誇大広告を取り締まれすぐに

国家てふ臭い鍋物に蓋をすれば味噌も糞も見えなくなる

誰のためのどんな国かはさておいて上御一人に拝跪する

ただアハアハと莫迦笑いいずれあんたの生命を奪うレバイアサンとも知らず

金曜の夜に少しく濁る我が家の風呂施設から戻りし耕君ゆえに

三菱鉛筆のUNI2Bならでは紡げない思想があるとは摩訶不思議

我はいつも我のことのみ考えているのにいつも我らのことのみ考えている妻

物みながどんどん値段を上げてゆく安倍自民党に感謝したまえ

選者から選ばれなかった我が歌も私にとっては大切な歌

二階家の二つ並んだ六畳の南の部屋の端っこが毎晩私が夢見る畳

デパートへ行けば次々欲しきもの後期資本主義はしたたかなるかな

新築のホテルの水は金気あり宴会は老舗ホテルにせよと言いし総務部長

現世で鳴くらんかはたまた隠り世にて鳴くらむかまだ鳴いている蝉の声

小なりといえども魁偉なり紋黄揚羽目前を過ぐ



なにゆえにまずモザールを愛さぬかバッハを好みアルバン・ベルク聴くとふ岡井隆 蝶人
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美神たちの黄昏 第三夜~西暦2014年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-04-06 10:42:18 | Weblog


ある晴れた日に第217回


「かわかわの耕ちゃん」と言ってみる小学5年の君に会えるかと思って

「かわかわのムクちゃん」と呼んでみる02年に死んだ君に会えるかと思って

除草剤を散布された後の土地は茶色く汚染された草一本はえぬ不毛の土地だ

われついに衛生無害の男となり果てて黄昏の街をさまよう

コンビニのレジ前の西瓜姿消し桃と葡萄と梨並ぶ朝

茶葉の陰で茶色の裏翅を立てるミドリシジミお前のそのうるわしき翠を見せよ

てのひらの中で激しくもがくコチャバネセセリよいま逃がしてやるそんなに焦るな

遥々と遠き国より帰りたりほんの短き午睡より覚めて

ニコチンのかたまりのごとき男いてわれの隣で毒素を放つ

午後五時に酒場の仕事でバスを待つ美貌の寡婦の足の細さよ

朝にはきりりと咲き夕べにはうなだれる朝顔のその姿よ何かに似ている

いっさいの防御を捨てたゼロ戦の設計思想は恐ろし哀し

グスタフ・レオンハルトのブクステフーデ懐かしき嗚呼油蝉の断末魔

真夜中に枕元の電話が鳴り響くよもしや西本町ののぶいっちゃんではあるまいか

どうしてもジャムのついたスプーンを舐めずにはいられない私のケチな性分

前田敦子大島優子道端ジェシカ冨永愛森泉杏みな私とは関係が無いにっぽんチャチャチャ

樹下にしていざ蝉声を浴びるべし

朝顔は二階からアンダンテ・カンタービレで咲き下る

世を呪い我が身を呪うか夜の蝉

地にもがく油蝉の体液を啜るな雀蜂よ

欲望は消えてゆくなり行き合いの空

赤ちゃんよもっと母親の乳房に縋りつけ

横須賀の歯医者名人岸本先生わが第二臼歯に匙を投げるな

マスコミを喜ばせるごとく今日も事件が起こっている

邦人が大事故の犠牲になっていなければ疾く忘れ去るこの国のならわし

この夏は初出場の公立高校がないのでどこも応援しない高校野球

たまさかにものに怯えて噛みつくこともあるのです被災地からやって来た犬次郎

よろこびもかなしみもつぎつぎにはしりすぎるいまさへよければそれでよろしと



なにゆえに過去の記憶がまたよみがえるあらゆる記憶を蓄積し続ける君 蝶人

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美神たちの黄昏 第二夜~西暦2014年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-04-05 11:15:11 | Weblog


ある晴れた日に第216回


通りすがりに子供の頭をポンと叩きしポンタのおじさんいずこへ行きしか

腕時計を久しぶりに身につけるお前はずっと私のために動いていたのか

1万円の赤いデジカメが壊れたので9千円の若草色に買い替えました

その昔鎌倉に台湾リスを放した奴お前のお陰で小鳥は大被害

全身を針で武装せる樹がありて近よればブスリと刺すなり

電車の中で本を読んでいたら頁の上に誰かの毛が落ちたよ

平成の少年の顔の奥に棲む昭和、大正、明治の人々

タンポポの花が一輪咲いている 世界一弱い国でいいじゃないか

ヨハネの首がお盆に盛られたような月が不気味に輝く夜、無数の星々に混じって星と同じくらいの大きさのホタルたちが夜空に舞っている。

自動車も猫も蛇も利用する道路なり

神仏もまた中国から渡来したり

朝顔はその日限りの命なればよく咲いたねと声掛けるべし

大いなる山を潰して聳え立つすべての墓に夕陽差したり

それがまた一同を不快にしてしまうのさ昼下がりの教室自同律の不快

日銀からお金じゃぶじゃぶ垂れ流し景気がよくなるなんてそりゃアベノリスク

チーヒー、チー0h-イと高らかにさえずる鳥よお前の名前はなんていうの?

必ずこの服でいいのと外出の時に尋ねる私の妻よ

平成をぐいぐいと消し去りて2013年と書きし人かな

「死んでしまったんじゃないかと思って見に来たの」と妻がいう長すぎた昼寝

2年前の震災の悪夢思い出し今日は施設へは行かないと息子はいう

幼き日ヘ短調で鳴りしドイツ製の柱時計の調べわが耳にのみ響く

この分量なら洗濯剤はこのくらいというように外交の目盛を作るとよいのだが

ラジオから流れ来る「蛍の光」さまざまな別れ思い出しけり

長々と布団に腹ばいて動こうともしないなにを考えているのか私の長男

基督教徒のくせに法華経旅館に泊まる小太郎爺目の色変えて銭を数える

窓を開ければ巨大な岩から湧水流れる真っ暗な部屋なり

家康が秀頼さんにガンつけた方広寺国家安康の鐘のみブラリ

京都駅より東山七条めがけて坂を登ればOh Yeah! 進駐軍の兵士が立っていた

つかまえしモンキアゲハの胸押せば殺されてなるものかと押し返す蝶の意気地

明るさは滅びの姿か太宰になりきり夜の銀座歩く

ビニールまたビニールされどどのビニールも勿体なくて捨てられない

前のメールを消さないでその上にまたメールを書く人の無精と礼儀知らずよ

父も母もわれも心臓病で世を去りぬ余もまた狭心症の身なればアンジェリーナ・ジョリーの乳房痛し

すでに見た映画の名前も内容も思い出せない哀れなわたし

砂上の楼閣のごとく日々くずれ行くなりわが脳内のウキペディア

我が死ぬはなんでもないがこの世から君が消えてしまうと思うだにつらい

複数の録音を同時に聴けばいままでに聴いたことの無い音が聞こえてくる



なにゆえに短歌入選で葉書10枚プレゼントこれが朝日と日経の違いか 蝶人
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死んぢまった絵とまだ生きている絵~「ラファエル前派展」とアンディ・ウォーホル展をみて

2014-04-04 11:18:36 | Weblog


茫洋物見遊山記第148回


私は六本木ヒルズという建物が大嫌いで、出来るだけ行かないようにしているのだが、いよいよ「ラファエル前派展」が終わるというので重い腰をどっこいしょと上げ、雨を冒してやはり大嫌いなロッポンギの街へ出かけていきました。

有名なミレイの「オフィーリア」は割合最近どこかの展覧会でゆっくり見物して美女の半開きの唇のあえかさを堪能したので、もしかするとあれを凌ぐ傑作をたんと拝めるかもしれない、とひそかに期待していたのですが、それを描いたミレイも、ハントも生気に乏しく、霊感のひらめきが皆無であり、どの作品も凡庸で、鈍重で、光彩が陸離する日なぞ未来永劫訪れないでせう。

名のみ轟くロッセッティも、よく見ればデッサンは弱いし、構成力もいまいちだし、色彩の取り合わせもいびつで、あえて言わせて頂くならばとてもプロの所産とはいえない代物です。

そもそも英国の音楽と絵画の出来栄えは、大陸のそれより昔からセンスが悪くて鈍くて数等落ちるから大幅に割引するとしても、こんな訳の分からない作品は、ただで上げると言われても私は要らない。

ラファエル前派だか後期だか知らないが、カッコいいのはネーミングだけ。世間ではその素人っぽい曖昧で朦朧としたところが英国風でいいのかもしれませんが。まあ明治時代の英国自然派でいちばん内容がしっかりしていたのはターナーただひとり、というのが私だけの超個人的内緒の秘密のあっこちゃん的感想でした。(4月6日まで開催中)

近来稀なる不出来で不愉快なコレクションに遭遇して腹を立てながらアホ莫迦超高層ビルジングを脱出しようとしたら、同じフロアの別会場でアンディ・ウォーホル展をやっているという。

ウォーホルなら最近横浜でちょっと見たからもういいかと思ったのですが、ラファエル前派を見た人は1000円におまけするというのでちょっくら入ってみたら、これが凄かったのなんの、早くも本年ベストワンと太鼓判を押してもよいほどの充実ぶりで、これを見逃せば一生後悔しただろうと心の底から思ったほどに素晴らしい展覧会でしたあ。

およそ400点というラインナップにも驚かされますが、それよりも芸術の質の高さと鋭い現代性に完膚無きまでに圧倒されてしまいました。前のラファエル前派が過去の遺物の死んだ陳列品とするならば、こちらは切れば血が出るような生命に輝きわたっている生きた展覧会なのです。

まずは1950年代の広告作品ですが、ここにそっと展示してある「赤いハイヒールの脚」という小品こそウォーホルのアルファにしてオメガでもあり、ここにに彼の人間的な本質がすべて込められているような気が致します。

そしてウォーホルが商業デザイナーからアーチストに進み出る転機は、1962年の「潰れたキャンベルスープ缶」、そして1963年の「自殺」、1965年の「病院」をモノした瞬間で、このときに何を対象にどう表現するべきかという彼の作家としての流儀が確立されたと思うのです。

「ジャッキー」「エルヴィス」の異様な暗さと美しさは、「マリリン・モンロー」や「毛沢東」のそれとは姿は似ていても芸術的感銘の深さが違いますが、いずれにしても多色使いのシルクスクリーンによる大量生産技法の原点がすでに50年代に築かれていたことは、この大回顧展ならこその発見であり収穫でした。

会場には彼の製作現場であるNY東47丁目231番地の「シルバー・ファクトリー」が再現されており、ベルベットアンダーグラウンド&ニコのライヴ映像が流れ、「銀色の雲」が空を舞い、彼の大量の私物が惜しみなく大公開されるというこの上ないサービス振りですが、

私に随喜の涙を流さしめたのは、かのエンパイアステートビルの夕暮から真夜中までを同一視点で延々と捉えた幻の映像作品「エンパイア」でありました。

ウォーホルは「エンパイアステートビルはスタアである」と申しておるようですが、荒れた粒子で再現されたランドマークが、まるで生き物のように灰白色に点滅する超現実的な映像を眺めながら、私は芭蕉の「海くれて鴨の声ほのかに白し」を思い出し、この世もわれらも非在的存在であり、夢のまた夢ではないかというお馴染みの感慨が、またぞろ湧きあがってくるのでしたあ。(5月6日まで開催中)


ウォホールとは俺のことかとウォーホル言い 蝶人

ウォーホル描きし<サンフランシスコ・シルバースポット>なる絶滅危惧蝶美し サンフランシスコのいずこに舞うらむか 蝶人
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美神たちの黄昏 第一夜~西暦2014年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-04-03 09:03:07 | Weblog


ある晴れた日に第215回


野に山に花咲く乙女ら耀えど疾く陽は墜ちてペルセポネーの黄昏

儂といい己といい手前といい自分というときの私とは何?

僕って誰? 九十過ぎても僕と言っていた吉田秀和

自閉症の息子が「自閉症って何?」と聞く私が「私とは何?」と問うように

ただ単に整髪のために行くのではない月一で息子と通う小林理髪店

横須賀駅より大量の春風運ぶバス

我こそは愚者中の愚者よ万愚節

月末に追い詰められ人は死ぬ

幽玄の能の世界に遊ぶ時わが霊魂も虚空に彷徨う

全国の学友諸君お元気ですか相変わらず馬鹿やっていますかな

主語動詞さだかならねど助動詞に強迫を置く男であった

書きあげし手紙をそのたびこれでよいかとわれに聞く妻

大根にきんぴらごぼうにバラ肉を君と一緒に生協に買いに行く

そなたこそ夜空に輝く星なれどわれ人知れず真昼に瞬く

群がる敵をバッタバッタと斬り倒しおのれこそは無敵と勘違いしてるぜ

必殺の武器の引き金に手をかけて全世界を敵に回すならず者あわれ

中国北朝鮮日本アメリカロシアみな暗けれどわが心に如くはなし

脳内に繁殖したる大思想蒲柳の体と共に崩れ落ちたり

みんな私が悪いのと繰り返す女みんなの中に私のことも入っているような

もうそろそろ帰って来てもいいのではないかあの日南に逃げた人たち

糞を放る時間まで精密に設定すリーマンの掟にして現代の奴脾のはじまり

臨終に小鳩くるみと音羽ゆりかご会なら許そうが「川の流れのように」なんかやめてけれ

よろこびも悲しみも疾く来たりかつて疾く去りぬさまざまの夢浮かびては消えしこの家

なにゆえにお父さんお母さんと呼んでいたのかお父ちゃんお母ちゃんと呼んだことなし

おそらくは誰にも知られず身罷らむかのガラパゴスの大亀の如く

別るとは少し死ぬることと覚えしがこの身を刻む痛みなりけり

いずこより来たりし蛇かいくたびも車に轢かれて長々と横たう


なにゆえに午後2時半に夕刊を配るいくらなんでも早すぎないか 蝶人
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美神たちの黄昏 序夜~西暦2014年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-04-02 11:35:15 | Weblog


ある晴れた日に第214回


うらうらと光のどけき春の朝アフロディーテは降り立ちにけり

愛する人が死んだ時ワンワン泣く人は良い人なり そうではないか

テレビではなかなか良いことをいう豚男もそっと減量しておくれでないか

テロップが出るより早く「尾瀬コウホネです」という 我が家の長男の得意技なり

鎌倉の東南の平屋の居間にひとりいて朝から晩まで本などを読む

「ネコ、ネコよ」と妻に注意されて背筋を伸ばすタマよ君のことではない

ハグしても返してこない耕君だけど父を愛していないわけじゃない

オサムシもタマムシもコガネムシさえ見ないがミチアンナイはまだいるよ

幼稚園でスキプできず小学校でオクラハマミキサーが踊れないところに不幸がはじまった

横須賀線の踏切の音はイ短調小田急は嬰ヘ長調と教えてくれしは自閉症の長男

こんにちは 坂道行き交う人々が必ず挨拶するという尾道へ行きたし

ネットでも毎日歌壇に投稿できるのだが、ミニストップには毎日新聞を置いていないのだ

発達障碍などとご大層な名前はつけても原因などさっぱり分からず

おばあちゃんが亡くなってようやく揚げ物が作れるようになりましたと妻がいう

吾よりも年上の人は哀しいが年下の人はもっと哀しい

我に見えぬ後ろ姿の猫背が父にそっくりと妻がいう

謙譲の美徳てふ言葉死語となりそういう人も絶滅したり

この短歌いまだ歌わずいざ歌えわが心の中の短歌よ

今日ひと日わが生みしものただひとつ五七五の一首の歌なり

本当の僕の気持ちは五七五七七の奥底に沈んでいる

ああいくいくいくうこれがいちばんいいのよなぞとおめきつつ昇天したり

新聞が来れば死亡欄に目をやりて俺はまだ生きているぞと確かめる

福祉施設で働く人は神様仏様深く頭を下げて脱帽す

アナ恥ずかし五輪開催の資格なし殴って蹴っていじめるニッポン

我をリストラせし人物をリストラしたる人物がリストラされたり

今泣くか今泣くかとアップで迫るテレビカメラのあや憎し

受給証の区分判定上がりたれば施設の人々はつかに潤う

新聞の連載小説のうそくさい物語の展開のうすらさむさよ

ミニストップで68円で買うてきた青森リンゴ2切れを夫婦で食べる夕かな

喰うては寝るされど悪心なき重度の障碍者穏やかな顔で椅子に座りき

さっと拳銃をさっと引きぬき撃ち放てばDICの色見本なり

「と、びっくり仰天」「そこでおそるおそるのぞいてみるとお」言い差して止める日本語は気持ち悪い

君のお陰でどんどん歌が生まれるしょうぐあい者の家族はありがたきかな

介護するも介護されるも月月火水木金金

去年今年生きてしあればそれでよし

冬ざれやヤマトシジミの翅の藍

ハグすれどハグを返さぬそれが自閉症者の耕君さ

われもまた新聞の死亡欄から読む人となりにけり

四軒に一軒の空き家を順繰りに見て歩く

遠からず日本列島1億2600万の墓標にて埋まるべし

世の中はなべてつまらぬものにしてわれひとともにアホ馬鹿音頭


なにゆえに消費税をまた上げる民草の生きる力をまた奪うため 蝶人

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高橋源一郎著「101年目の孤独」を読んで~「これでも詩かよ」第73番

2014-04-01 10:43:34 | Weblog


照る日曇る日第665回 &ある晴れた日に第213回

親が障がい児を持つということは、健常児を持つことに比べて時間的にも経済的にも心理的にも少なからぬ障がいと重荷を担わされることを意味するんだな。

しかし当事者にしてみれば、それを上回るというか、そんな事情を超絶してしまうような生きる喜びと思いがけず遭遇し、人世の掛け替えのない真実を見いだせる恰好の機会でもあるということが、「障がい児を持ちそこねた」著者によるこの本を読むとよくわかるんだ。

余人はいざ知らず、身近に右往左往している障がい児者を眺めていると、私の心は武装解除された兵士のような不思議な安堵感に包まれ、それがなにか彼岸からの使者というか贈り物のような気持ちがして、疲れた心が慰藉される。
慰藉される。

「この世ならぬものからの光を感じる」と、生涯に一度くらいはいうてみてもよろしいか。
よろしいかな。

もとより障がい児者の多くは、この社会の中では最後まで自立できず、最後まで弱者であり、周囲の健常者と競争したり競合する余地はハナからない。
ハナからないのだよ。

彼らは、誰とも争えないことによって争わず、いかなる勝負からも最初からオリテいるのサ。
オリテイル。

生まれながらに敗者であり、生けるデクノボウのごとき彼らは、そのように徹底的弱者であり絶対的無力者であり続けることによって、健常児者の全員が徹底的強者と絶対的権力者を指向するこの非情かつ非人間的な競争社会に対峙するもう一つの弱弱しいけれど独特の価値観を、嵐の海に輝く灯台の光のように示し続けているのではないだろうか。
灯台の光!

私たちはみんな生まれてしばらくは無力な弱者であり、生涯の終末期に入ればどんなに頑健な強者もふたたび同様の無力な弱者に帰る。
弱者に。

だからすべての健常者は本質的に内在的な障がい者であるほかはないのに、私たちは普段はそのことを忘れている。
忘れているんだ。

もとよりなにが人間にとって幸福かは軽々に論じることはできないが、私たちがいちばん幸福な時期とは赤ん坊の時代や赤子同然となった終末老人期にあるのかもしれないな。

そのとき、私は見たのだった。
曇天の空高く、かの無力主義と敗北主義と反闘争主義の白旗がゆるゆるとうち振られる姿を。



     なにゆえにわが長男は自閉症になりしやわがニコチンを胎児に喫ませしゆえ 蝶人


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