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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

チャールズ・ブコウスキー著中川五郎訳「ワインの染みがついたノートからの断片」を読んで

2016-11-09 14:05:01 | Weblog


照る日曇る日 第906回


1920年にドイツで生まれアメリカをのんだくれ、ファックしながら放浪し、94年に白血病で死んだパンク作家によるエッセイ&小説集ずら。

この人は郵便局での労働と酒と女と放浪の合間に超マイナー紙誌に無慮無数のエロ話を書き飛ばしたが、すべての散文が見事な即興詩であり、これは異端のように見えてじつはアメリカ文学の正統派ではないかと思われれてならない。少なくとも彼の10行の前ではフィッツジェラルドのギャッビイなぞ霞み飛ぶことは間違いない。

2人の絶世の美女が、2度に亘って、全裸で激しく乱闘と接吻を繰り返す合間に、主人公がオナニーしたり、ファックしたりするという阿呆らしい光景を、これくらい煽情的かつ藝術的に書ききった作家が世界中のどこにいるというのだろうか。

ブコウスキーが師と仰ぐジョン・ファンテとの出会いと別れを描いた「師と出会う」も泣かせます。

彼は変態と言えば変態、色気違いと言えばその通りで、その人生は確かに無軌道で波乱に満ちているようにみえるが、詩人文学者としての芯はまことにストイックであり、なぜか質実剛健なジョージ・ギッシングを思わせるところがある。

本書は、彼の死後膨大な遺稿の中からステファン・カロン選手が編んだセレクションなので内容的に玉石混交であるが、「LAフリー・プレス」に寄稿した「スケベ親父の告白」などから試されてはいかがだろうか。

現在各地のライブハウスを巡業中の中川五郎選手の翻訳も深く静かにグルーヴしていて見事である。


  欲望を押さえられなかったと君がいうその欲望が私にはない 蝶人


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寅さん2本

2016-11-08 10:42:51 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1100&1101



○山田洋次監督の「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」をみて

あの岡田嘉子、太地喜和子と宇野重吉が一度にみられるという歴史的価値のある映画なり。

○山田洋次監督の「男はつらいよ 柴又慕情」をみて

1972年製作の寅さんが吉永小百合に振られる話。まあ酸いも甘いも噛み分けて壺を押さえてよくつくるものだ。宮口精二が小百合のお父さん役である。

 生協の指定商品を買ってあげるとお兄ちゃんがあまりにもうれしがるので悲しくなる 蝶人

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ウォルフガング・ペーターゼーン監督の「アウトブレイク」をみて

2016-11-07 10:34:02 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1099


アフリカ由来の未知の強力ウイルスでパンデミック寸前になるが、そこはやはり映画で、やっさもっさしつつもマールく収まってしまうずら。ウォルフガング・ペーターゼーンの堕落と退廃は言わずもがなだが、ダスティン・ホフマンともあろう名優が、なんでこんなアホバカ映画に出るんだろう。やはり金か。


   テレビ欄と死亡告知と「猫」を読んで捨てられていく今日の朝刊 蝶人
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由良川狂詩曲~連載第5回

2016-11-06 11:12:47 | Weblog


第2章 丹波夏虫歌~君美の里


「健ちゃん、健ちゃん、大丈夫かい。ほれ、ほれ、しっかりしなさい。お母さん、お母さん、健ちゃんにちょっと葡萄酒を飲ませなさい……。
 ああ、これで大丈夫だ。気がついたようだ。長旅で着いたばかりなのににぎやかな人ごみで花火を見たり、大売り出しを手伝ったりしたものだから、きっと疲れがでたんだろう。
 ほら、早く健ちゃんを休ませておやり……」

 翌朝5時、健ちゃんは元気いっぱいで飛び起きました。なんといっても少年時代から野山できたえにきたえたしなやかな体です。
 窓の外では、ニイニニゼミにまじってアブラゼミが猛烈な勢いで鳴き叫んでいます。
 健ちゃんは自転車を飛ばして、由良川のかなり下流、君美(きみ)の山のクヌギ林までやってきました。わずか10分ほどで到着です。
 綾部大橋をくぐった由良川が川幅いっぱいに張り巡らせた巨大な井堰によって急に堰きとめられ、苦し紛れに大蛇のようにもだえながら石の上を匍匐前進すること1・5キロ、やがて次第に元の勢いを取り戻した北近畿1の清流は、川砂利の丘によってふた筋、み筋に切り離されていた流れを大きくひとつに束ね、満々たる清水を豊かに蓄えつつ、倍旧のスピードで強固な岩壁に激突します。
 そして、ここで90度方角を捻じ曲げられた由良川は、やむなく下流の福知山盆地へ向かうことになるのですが、このあたり一帯を君美の里というのです。
 川の対岸の落葉樹林では、たとえば6月の黄昏時ですと、コナラ、クヌギ、ミズナラ、カシワ、ハンノキ、トチノキなどを食草とするムラサキツバメやアカシジミ、ミドリシジミ、そして時折は天然記念物のスギタニルリシジミたちが、それらの落葉樹林の樹冠の上空を猛スピードで飛び交い、あざやかな深緑や燃え立つような朱、ダイアモンドよりも素晴らしい七彩の光芒をあたりにまきちらしながら、ギリシア神話の妖精のように高ぞらに消えてゆく光景におめにかかれるのですが、ちょっぴり残念なことにいまは夏。

 健ちゃんが、君美の林道を両手を離して自転車で走っていますと、クリとクヌギの木々の根元から湧きだすあまい樹液を求めて、あの華麗な国蝶オオムラサキとその子分のコムラサキ、ルソーのように憂鬱な散策者キマダラヒカゲ、ぶんぶんとやたら元気なカナブン、獰猛なスズメバチに混じって、カブトムシとクワガタが群がっているのが見えました。
 あいにく何の用意もなかったので健ちゃんは黒光りするカブトムシの雄ばかり5匹をショートパンツの左のポケットに、ミヤマクワガタの大きいやつを右のポケットに7,8匹ぎゅうぎゅうに詰め込み、(ポケットの中では地を血で洗い、しのぎを削り同族相はむ同士討ち)さらに半袖のポロシャツの小さなポケットに、濃い黒と茶がいぶし銀のような光沢を放っている体長10センチはあろうかという巨大なオオクワガタを2匹つっこみ、
 ♪ミミファソ、ソファミレ、ドドレミ、ミレレ
 と喜びの歌をうたいながら、「てらこ」まで全力疾走で帰って来たのでした。
 それから夕方になると、健ちゃんは、お父さんのマコトさんと一緒に畑へ行って、湿った土を掘り起こし、できるだけ大きくて元気そうなテッポウミミズを5,6匹捕まえました。
 マコトさんは、地面でのたうつテッポウミミズにオシッコをひっかけていましたが、健ちゃんは、それをやるとオチンチンが腫れるという噂を信じ込んでいましたので、軽薄な父親の真似はしませんでした。
 それからマコトさんのオシッコのかかっていないテッポウミミズを持って、健ちゃんはおじいさんのセイザブロウさんと一緒に、もう薄暗くなっってしまった由良川へ出かけました。
 轟々と地響きをたてて流れる由良川が、川幅全体にわたって井堰によって堰きとめられている一帯を慎重に歩きながら、石と石の間、岩と岩の間にできたほの暗い穴、魚たちのひそんでいそうな隠れ家を見つけ、そこに縄で編んだヤナを仕掛けるのです。
 ヤナの奥には針を呑みこんだテッポウミミズがのたうちまわっています。
 健ちゃんは、思わず唄い出しました。

♪下駄隠し ちゅうねんぼ
 ながしの下の 小ネズミが
 ぞうりをくわえて チュッチュクチュ
 チュッチュクまんじゅうは 誰が食た
 だあれも食わない わしが食た

 さあ、これでよし。あしたの朝がたのしみだ。お父さんと一緒に5時に起きて、由良川に戻ろう。健ちゃんは期待に胸を膨らませて、西本町25番地の「てらこ」へ帰りました。

 さて翌朝です。
 健ちゃんが、お父さんをさそいに行きますと、マコトさんは、ベッドの上で普段の3倍は膨れ上がったオチンチンを押さえて、「痛いよお、痛いよう」と転げ回っていました。
 昨日の立ちションのバチがあたったのです。
 仕方がないので、健ちゃんはひとりで由良川へ出かけました。

                                             つづく



  できるだけ知的に見えるポロシャツを知的障がい者の息子と探す 蝶人
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ドイツ・ハルモニア・ムンディ盤「受難曲とミサ集」10枚組を聴いて

2016-11-05 12:00:55 | Weblog


音楽千夜一夜 第376回



定評あるレーベルからのCD10枚組大安売り版である。中身はバッハのマタイとヨハネの受難曲を2本柱に、パレストリーナ、ゼレンカ、スカルラッティなどだがデ・ローレのヨハネ受難曲、レヒナーの宗教的合唱曲という初めて耳にする曲と演奏も混じっていた。

バッハはお馴染みのクイケンとレオンハルトが指揮するプチット・バンドであるが、私はどちらかというとレオンハルトのマタイを好む。

合唱をする人はマタイよりヨハネを高く評価するそうだが、聞くだけの私はやっぱりマタイのほうが圧倒的に素晴らしい出来栄えだと思う。

そして数あるマタイ受難曲の名盤の中で合唱はあまり上手ではないとくさす人も多いリヒターとミュンヘンバッハによる新旧2つの演奏で、これさえあれば他は要らないとさえ思うのである。


  成長はもうええ加減で諦めてみんなで仲良う分かちあいましょ 蝶人
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鎌倉文学館主催の鎌倉文学散歩~北鎌倉周辺に参加して

2016-11-04 12:57:53 | Weblog

 
蝶人物見遊山記第218回&鎌倉ちょっと不思議な物語第373回


毎度お馴染みのブンガクサンポ。今回は「ビブリア古書店の事件手帖」にちなんだ北鎌倉コース。円覚寺から始まって八雲神社、そして光照寺まで歩きました。光照寺は時宗ですが隠れキリシタン寺でした。

じつはわたくしテレビドラマにもなったというこの三上延選手のこの有名なシリーズを読んだことがなく、参加した皆さんが、「「ビブリア古書店」って、きっとこのあたりにあったんでしょうね」などと指差してもいったいなんのことやらさっぱりわからず、大いに顰蹙を買ったことでした。

だいたい北鎌倉には昔から古本屋なんてないはず。鎌倉だって小町通りにあった2軒はなくなって1軒だけになってしまったし、裏駅の紀伊国屋の近所にあった四季書林も潰れてしまったし、いまなお健在なのは長谷のなんとか堂くらいなもんでしょう。

大船駅前の目耕堂もコンビニになっちまったし、誰か虚構ではない本物の「ビブリア古書店」を北鎌に作ってくれませんかね。なんてことを思いつつ歩きました。


   県道204の道端で死んでいたのは三太郎3本足の可愛いタヌキ 蝶人
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プルースト著・吉川一義訳「失われた時を求めて10囚われの女1」を読んで

2016-11-03 14:54:40 | Weblog


照る日曇る日 第905回


第9巻から佳境に入ったこの小説は、著者の死と競争するようにめくるめくラストスパートに突入していく。

本巻では、アルベルチーヌを「籠の鳥」に捕えたとはいうものの、我らが主人公マルセルちゃんの疑いと不安は一瞬も止むときはなく、得体の知れない女との恋のアラベスク、あるいは恋のスコラ哲学的思弁が、ああでもない、こうでもないと微に入り細に穿って、縷々開陳される。恋をしたことにない人にはこれほど退屈で縁もゆかりもない世界もないであろう。

主人公は、あるときはアルベルチーヌを愛している。金輪際手放したくはないと思うのだが、その次の瞬間には、もはやどうでもいい退屈な存在と化し、早く別れてベネチアに逃げ出したいと考えている。そして男のそうゆう了見を十分に呑みこんだうえで、女は男を裏切っているのだが、おぼっちゃんの主人公はまだそこまでは見抜けていない。

まあ世間ではよくあるそんな話を、プルーストはあくまでもマイペースで滔々と弁じて行く。鞭生粛々と朗じながら彼は時々脱線し寄り道していくのだが、その中ではワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」などの音楽の魅力を論じた個所が、比類なき輝きを放つ。

それからマルセルちゃんが朝寝しているときに窓の外から聴こえてくるエスカルゴや古着屋などの物売りの声が、「ボリスゴドノフ」のどのレチタティーボや「ペレアスとメリザンド」やグレゴリオ聖歌のどの一節に酷似しているという具体的な指摘も面白い。

プルーストは目も良かったが、耳も抜群に良かったのである。


   台風が迫る川辺に立つススキ背筋を伸ばして生きんと思う 蝶人
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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第40回

2016-11-02 15:26:03 | Weblog


西暦2016年水無月蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 245



在るものはすべて「ない」のである。「生きる」もない「死ぬ」もない。「きたない」もない「きよい」もない。「ふえる」もない「へる」もない。つまり。「ない」というそのなかには「ある」もない。伊藤比呂美訳「般若心経」より

またしても、「いつ、どこで、誰が始めたか?」。この国では、かの太平洋戦争も、豊洲市場の「もりつち」も、五輪の腕押しも、憲法破壊も原発再始動も、「ガバナンス欠如」とそのときどきの得体の知れない「流れ」の中でいつのまにやら実体化されてゆくのさ。10/1

むかし「朝はどこから来るのだろう」、という歌があった。そこには来るべき明るく楽しい朝への予感が籠められていた。いまこの国の人にとって、「明るい明日」はどこにあるんだろう。10/3

古き良き時代に基礎研究に従事した科学者の沈潜と努力の成果が、地下層を潜っていまごろノーベル賞という形で噴出している。税金を無駄遣いばかりしている安倍蚤糞も少しは見習ったらどうなんだ。10/4

「仮名手本忠臣蔵」を見物している外国人が、判官切腹から表門城明け渡しの場をみながら大いに退屈しながらも、時に奇異のまなざしを注いでいた。大衆化された歌舞伎といえ、平成に生きる現代人にとっても不可解な光景はいくつも現出する。10/6

昨夜は一晩中歯が痛み、その前の晩は背中の1か所が錐で刺されたように痛んだ。もともと狭心症だからそれとこれとが連動しているのかもしれないが、病院にいくとなると泰山鳴動して大変なことになるから少し様子をみよう。10/7

豊洲とか五輪とか小池とか慎太郎とか森とか二階堂とか稲田とか安倍蚤糞とかもうたくさんずら。全部まとめてどっかへ消えてしまえ。10/8

ドラマ「漱石の妻」では鏡子が100円と引き換えに養父塩原昌之助から明治21年の「離縁後の1札」を取り戻して一件落着したように描かれていたが、実際はそう簡単なものではなく、双方の軋轢は明治42年に100円と引き換えに塩原に「離縁誓約書」を書かせるまで続いた。http://www.kanabun.or.jp/souseki/list.html10/9

どうも日本には明るい軽い喜劇がない。大多数の民衆は、芝居でも活動でも、悲劇でなければ見に行かない。彼らは芝居へ泣きに行くのである。谷崎潤一郎「藝談」

作る方の側になると、一つ所に踏み止まって繰り返し繰り返し研きをかけるという、そのことに無限の感興を覚える。音楽家なら「残月」なら「残月」の曲を心ゆくかぎり何度でも弾く。或いは一生を費やして漸くその曲の秘奥を会得するのである。谷崎潤一郎「藝談」

肉体や神経とは繋がっていない文語を、頭の中でさながらラテン語のように操りながら、歌を詠むことは、私にはできない。それは絶滅寸前のネアンデルタール人や日本狼がするような、孤独で誇り高く知的な営為であろうけれど。10/12

安倍蚤糞がもくろんでいるのは、12月の下関でのプーチンとの北方領土交渉。ここで成果を収めるや否や衆院を解散して、総選挙に打って出ようとしている。10/13

憲法よりも安保よりも国の将来よりも、目の前の景気と成長への幻想を優先する。これがいつに変らぬ選挙民の本音である。10/14

A子さん、歯医者に行くなら、できるだけ近場がいいですよ。10/15

小池お七都知事はあちこちに次々に火をつけて回っているが、まだどこも鎮火していないようだ。10/16

敬愛する詩人についにお目にかかったら、「思っていたとおりの人だった」と仰ったので、なんとなく嬉しかったが、果たしてどのように思われていたのだろうと、あとで気になった。自分のことは、ついに自分には分からないものだ。10/17

「生き急いでいる人間だから真夜中に死者と仕事をすることだってあるさ」という元歌が
「生き急ぐ人間だから真夜中に死者と仕事することだってあるさ」に直されて毎日歌壇に掲載されたが、私は何が何でも57577の枠に押さえようとは思っていないのです。10/18

安倍蚤糞の3選に道を開く阿呆莫迦自民党。国民のために百害あって一利なき極右ファショ政党は一日も早く解体するしかないだろう。10/20

「土人」とか「シナ人」などという差別的な言葉が無意識に口をついて出るような精神的風土は石原慎太郎のような暗愚な政治家固有のものではなく、日清戦争当時、或いはもっと遡って秀吉のアジア侵略時代に培われたヤマト優等民族意識の所産なのだろう。10/21

警察や政党や政治家や企業の劣化は国民ぜんたいの知性と感性の劣化が原因だから、俺たちはそおゆう国民にふさわしい素敵な警察や知事や政治家や企業に恵まれているということなんだろうね。万歳、万歳、万歳!10/22

ドラマ「夏目漱石の妻」は余りにも駆け足で残念な出来だったが、三谷幸喜脚本の大河ドラマで漱石を正面から取り上げてはどうだろう。その際、雛子の死、江藤淳の「鏡子の漱石毒殺未遂説」や車谷長吉の「中根家の借財負担説」もぜひ取り入れてほしい。10/23

秋ドラマでは「校閲ガール」が面白い。石原さとみがうまく脚本に嵌って、その天然カワ莫迦性が生かされている。米倉涼子が大活躍する「ドクターⅩ」は完全にマンネリ。中園ミホの脚本も思いあぐねている感じ。大河の「真田丸」がいよいよ佳境に入ってきた。10/24

緊張していい仕事ができるなら、誰でも緊張してみるだろう。緊張することなどは誰でもできるのだ。自然体に勝るものはないのである。安西水丸「a day in the life」10/25

徹夜して30首作ったなどと自慢したりする人がいるが愚かな話だ。そんなものはどうせ碌な代物ではあるまい。歌や詩は作るものではなく、出来るものだ。慌てず騒がず待っていれば、それはどこからともなく降って湧いてくる。10/26

久しぶりに「ブラタモリ」をみたが、なんだか当初の自由さが失われ、珍妙で杓子定規な学術クイズ番組と化していた。どんな番組も定石を求め、それが確立されると当初の新鮮な息吹が失われてマンネリに堕す。10/27

野球解説者でいらいらさせられるのは、衣笠と掛布。妙に視聴者に迎合的で、その必要がないのにまず無意味なへらへら笑いから始まり、空陽気で無内容な言説を振りまく。アナウンサーさえいれば、こういう手合いは要らない。10/28

私は外来のカボチャ祭りと、これにいともたやすくうつつを抜かす連中が大嫌いだ。10/29

いつのまにやら日本シリーズが終ってしまった。黒田と大谷の対決が見たかったなあ。10/30

世界で唯一の被爆国が核兵器禁止条約の制定交渉に反対するとは、いったどういうことだ。米国の言いなりになるこんな奴隷国には、核廃絶を主張する資格はない。フィリピンのドゥテルテ大統領の爪の垢でも煎じて飲め。10/31


アルバムを見ながら昔の私は綺麗だったんだと呟く今でもあなたは綺麗ですよ 蝶人
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なにゆえに第32回

2016-11-01 15:29:05 | Weblog


西暦2016年神無月蝶人花鳥風月狂歌三昧

ある晴れた日に第413回


なにゆえに「真田丸」と「美しき伝説の商人」の主題歌は似ている時代劇を室内楽で捕捉せんとす

なにゆえに谷戸を揺るがせ蝉が鳴く今年の夏はまだ終わらない

なにゆえに朝から途方もなく疲れたケイタイ捜索大作戦に従事していた

なにゆえに大隅博士はノーベル賞で基金をつくる安倍蚤糞が基礎研究を怠る

なにゆえに毎晩毎晩胸苦しい生まれながらに心臓が悪いか

なにゆえに白紙の領収書がまかり通る人同士の空手形ゆえ

なにゆえに漱石の妻が100円で証文を取り返すドラマといえど出鱈目は止せ

なにゆえに月曜日なのに息子がうろうろしている今日はいったい何の日なるか

なにゆえにルドルフ・ケンペとイーゴリ・マルケヴィッチの顔はよく似ている

なにゆえに死刑は許されないのか国家が人殺しをするのは許されないので

なにゆえに突如歯茎が腫れあがるこれでは日曜日に出かけられない

なにゆえに大洋ホエールズは広島に勝てない監督が権藤ではないから

なにゆえに答えはノーベル賞が答え胃を出すにあるほんとは風の中でさまよっているのに

なにゆえに私には分からぬ歌を選ぶさすが大家の選択眼は鋭い

なにゆえにギレリスは素晴らしい「鋼鉄のピアニスト」ではてんでないから

なにゆえに国民は小池劇場に酔いしれる自称ジャンヌ・ダルクの恐ろしさを知らずに

なにゆえに沖縄の民を土人という本土から来襲せし野蛮人が

なにゆえに権力の狗どもを励ます権力に押し潰される民草は無視して

なにゆえにウヨウヨウヨウヨ湧いてくる単細胞の自己中ウヨク

なにゆえに冷たい言葉が飛び出してくるこの世も人も愛していない

なにゆえに1日1首を我に課す最後の日にもすらりと詠むべくみたし

なにゆえに新聞歌壇に投稿する「また出てましたね」と言われたいから

なにゆえに朝日歌壇に投稿する葉書10枚の謝礼が欲しいから

なにゆえにコンサートには行かない家でカラヤンを聴いているほうが遥かにまし

なにゆえに善き人々が鬼籍に入るみんなこの世に絶望したから

なにゆえに被爆国が核兵器禁止条約に反対する米国の狗に成り下がっているから

なにゆえにこのシリーズは終わらないなにゆえにと問う私が居るから


 なにゆえに小池百合子のみに光が当たる他に碌なものがいないから 蝶人


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