あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2024年葉月蝶人映画劇場その3

2024-08-16 08:49:13 | Weblog

西暦2024年葉月蝶人映画劇場その3

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3718~22

 

1)カンタン・デュピユー監督の「マンディブル 2人の男と巨大なハエ」

題名の「マンディブル」とは「昆虫の大きなアゴ」のこと。2020年製作のお仏蘭西コメディ。わずか1時間10分の短さだが素晴らしい出来栄えだ。

 

2)ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「DUNE/砂の惑星」

2012年の最新版だが、旧作のほうがキャラクターの設定が個性的で面白かった。見どころは砂の惑星のSFくらいか。

 

3)ケビン・ブレイ監督の「ワイルド・タウン」

軍隊帰りの主人公が保安官五なって故郷をもぎっていた悪人どもを一掃する2004年の勧善懲悪映画ずら。

 

4)ヤン・フェルヘイエン監督の「アンノウン・ボディーズ」

2017年製作の珍しいベルギーの犯罪映画だが、奇をてらい過ぎたプロットがせっかくの怖い御話を滅茶苦茶にしてしまっているずら。

 

5)サム・ペキンパー監督の「ダンディー少佐」

チャールトン・ヘストン主演の1965年のペキンパーの西部劇。冒頭騎兵隊は全滅してラッパ手の語り手だけが帰還したと語るが、物語ではヘストンがアッパチとフランス軍をやっつけ無事帰還するところで噺が終わる。なんでやねん?

 

「人間」と一口で言うが2つある「動物人間」「植物人間」 蝶人

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佐藤幹夫&村瀬学著「ウクライナ、ガザ、そして「松本人志問題」へ」を読んで

2024-08-15 10:19:53 | Weblog

 

照る日曇る日 第2091回

 

「激変する世界や日本の状況をどうしたら自分たちの言葉で表現することができるのか」という問いかけが、本書の帯の惹句に書かれていますが、それは瞬間ごとに断片にしがみついて生きている私などには、到底及びもつかない離れ技に類する高等藝なので、丁々発止と先行するお二方の思索の後を辿りながら勉強させて頂きました。

 

まずは村瀬氏の「ウクライナ戦争 私たちは何をみているのか」ですが、ソビエト連邦が崩壊したときに吉本隆明が唱えた「替わりばんこ提案」が、私の昔からの考え方と全く一緒なので驚きました。

 

吉本氏は「政府とか国家の権力は町会のゴミ当番とおなじで、替わりばんこでやればいちばん理想的だ」(「大情況論」)と断言しているのですが、安倍やプーチン、習近平の専制政治を持ち出すまでもなく、これぞ至言中の至言。素人を装いながらするプロフェショナルな提言と、村瀬氏同様いたく感じいりました。

 

因みにリーマン時代の私は、「会社の社長はもとより新入社員の採用も無試験の籤引きにせよ」と主張して、上司を大いに鼻白ませたことでした。

 

続く第2信では、佐藤氏の「非暴力」への言及が記憶に残ります。戦争を目前にして健常者たる我々は武器を持って戦うか、自分で自分の身を守るか、逃げるかの3つしか選択肢はない。しかしそれが出来ない障碍者は、死ぬしかないのか?

 

さりながら「存在そのものが非暴力」である彼らは、「戦わないことで戦うことができる」のではないか?自分たちの非暴力性を敵に突きつけ、敵の暴力性を徹底して暴き出すという、かつて障碍者でなくともガンジーが、山背大兄王がやってのけたような「非暴力の戦い」は、現代にも有効な生き方であり死に方ではないのか?と佐藤氏は暗に問いかけているようです。

 

第8信では村瀬氏が「福祉にとって美とは何か?」というヨシモト張り?の問題提起を行っておられます。かつて福祉の現場で障害児と昼食を共にした(具体的にはよだれを垂らしている水頭症の子どもの口に食事を運んでいた)普通学級の生徒がその後食欲を失ったと聞いた村瀬氏が、「その女の子の気持ちがわかると感じてしまい」、福祉の現場では「ともに」という倫理が優先され、世間では大切にされる「ととのえ」という(美学)が無視される傾向にある、と指摘しています。

 

この挿話を読みながら、私は今から半世紀前に、妹が勤務していた京都の北白川学園の糞便に塗れた茶色い風呂水を見たとき、「福祉は美醜を超越した聖なる絶対愛の世界である」、「福祉に携わることの嗜虐的な愉楽は、この汚水をウマイウマイと平気で飲み干すことだ」と直観したことを、はしなくも思い出しました。

 

それでここでの村瀬氏の問題提起ですが、理屈はともかくとして、思うにその時その女の子は、その障害を持つ子供がイヤだったのでしょう。健常児仲間と違って、異様な姿で涎を垂らしている障害児の世話を「障害児と健常児の交流」の美名のもとで強制させられることも、イヤでイヤで仕方なかったのかも知れません。

 

そしてこの故無き忌避と反発と拒絶の原因は、やはり昔ながらの健常児者による障害児者の差別と偏見に基づくもので、私(たち)が、表面はさしたる理由もなく、障害児者や、外国人や、部落民や、自分の仲間とは思えない者たちを際限なく異人化する、ある意味では本能的な心理作用と変わらないのではないでしょうか。

 

憲法14条の格調高い規定があるにもかかわらず、私(たち)は自分の遠くにある多くの見知らぬ存在に対して、限りなく沸き起こる不条理な忌避と反発と拒絶を、生涯に亙って持続してしまいます。

 

このような異人化作用をどのように取り除いたり、変容させたりするかを答えることは今の私にはできませんが、問題のありかは「福祉にとって美とは何か?」という問いかけや、「ともに」という倫理と「ととのえ」という美学の相克について、相似例を次々に想起する次元にないことだけは確かでしょう。

 

     クマゼミが開戦告げる敗戦忌 蝶人

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田部武光著「雨宿りまで」を読んで

2024-08-14 14:12:53 | Weblog

 

照る日曇る日 第2091回

 

若き日の著者が河出書房の文芸誌「文藝」の学生小説コンクールに入賞したとき、「自分のことを書け」と激励してくれた亡き石原慎太郎の助言に応え、半世紀以上かけて練り上げた自らと家族の回想録である。

 

著者の郷里と思しき若狭の封建的な旧家を舞台に、世間でよくあるような平板な暮らしが描かれるのではないか、という予想は、ものの見事に裏切られ、不倫に走って自殺を図った美貌の母、妻の不倫に衝撃を受けて生きる意欲を喪失してしまった父の姿が、精緻な自然描写と共に生々しく立ち上がってくるに及んで、読者は進行する物語から瞬時も目を離せなくなる。

 

それがよし尋常な噺であるにせよ、多少異常な噺にせよ、あくまでも市井の常民の身の上噺が、著者の筆に乗せてありのままに述べられているとはいえるのだが、私たち読者の側では、それがまるであの「遠野物語」のような、ある種の普遍性を備えた神話的な物語、のようにも思われてくるのだからちょっと玄妙不可思議である。

 

世界一美しい夢がここにある日本国憲法第9条 蝶人

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町田康歌集「くるぶし」を読んで

2024-08-13 10:25:41 | Weblog

 

照る日曇る日 第2090回

 

冒頭の「あの時の愛と勇気と感動が今は呪ひとなりにけるかも」から始まり、「天の原ふるさけみれば春日なるアンガス牛に出し月かも」で終わる、57577の鋳型に嵌りさえすれば、なにをどう歌っても俺の勝手だ、という、げんざいのタンカ啖呵担架に乗っかった一大歌集である。

 

「するめ屋で買うたするめが不味すぎて井戸にはまって死んでまうなり」

「山村はスエズ運河を潰すkら連れていかない次の旅には」

 

結論からいうと、こんなの世の中に出す値打ちのないゴミみたいな歌集だと俺には思われるが、なんせ当代一流?の芥川賞までもらった人気作家だから、仕方なく書物にしてやったのだろう。

 

「団栗は後輩にやれしみじみと秘術尽くして俺は男だ」

「炒飯は先輩にやれほのぼのと奇術学んで儂は女だ」

 

AIに頼まなくても、自動的になんぼでもできる。これが基本的には無意味な歌集であることは、著者がいちばんよく分かっていると思うが、もしかして崩壊寸前の短歌界のグランプリがもらえるかもしれん、と思ったのではないかしら。

 

「敷島の道を間抜けが歩むなりほのぼほのぼとのの字抜かして」

「なめとんかチュッパチャプスなめとんかしばきあげんど人らしくしろ」

 

この節の大多数を占める、自分だけにしか分からないおのれの内面の意識の流れを、唾液を垂れ流しながらうたった、胸が悪くなるような歌と違って、同じように意味不明ながら、こちらはやたら元気で、ポップで、ナンセンスで、多少はアナルコサンジカリズムなので、3割がたはマシだが、吐き気を堪えながら最後まで読み通すにはかなりの根性を要する。

 

大谷が絶不調でもカブスの鈴木や今永がぐあんばっているのでうれぴい 蝶人

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美しい10代

2024-08-12 09:55:06 | Weblog

 

これでも詩かよ 第317回

 

 

第3次世界大戦で、またしても廃墟と化した帝都の焼け野原を、

2つの影法師が歩いていく。

 

ラララ、2人だけの野道だ。ラララン、2人だけの夜道だ。

知り合ってまだ日も浅いのに、いつの間にかぼくらは手をつないで 

道なき道を、ゆっくりと歩いていく。

 

掌に汗が滲んできたのが気になって、ぼくは彼女の手を一回だけグッと握りしめると、

彼女も一回だけグッと握り返してきた。

 

「しめた!」と思って、今度は間をあけて2回連続でグッ、グッと握りしめると、彼女も2回連続でグッ、グッと握り返してきた。

 

「やったぞ!」と思って、今度は間をあけて3回連続でグッ、グッ、グッと握りしめると、彼女も3回連続でグッ、グッ、グッと握り返してきた。

 

「超ウレピイな!」と思って、今度は回数を間違えないようにイチ、ニー、サン、シーと頭の中でカウントしながら、10回連続でグッ、グッ、グッ、グッ、グッ、グッ、グッ、グッ、グッ、グッと握りしめると、彼女も10回連続でグッ、グッ、グッ、グッ、グッ、グッ、グッ、グッ、グッ、グッと握り返してきた。

 

それからぼくたちは、生まれてこの方、これ以上の幸福な瞬間がなかったかのように、すっかりうれしくなって、暗い野なかの一筋の道を、手と手をしっかり取り合って、

どこまでも、どこまでも、歩いていったのでした。

 

常に常にわが見解は容れられず賛成多数の原案が通る 蝶人

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吉増剛造著「詩とは何か」を読んで

2024-08-11 09:54:08 | Weblog

 

照る日曇る日 第2090回

 

素直に結論を述べようもないこわいようなタイトルのこの本に、もちろん著者は無理や無茶をせずに、ヴァルター・ベンヤミンやハイデガーやクレーやカンデインスキーやゴッホ、浦上玉堂や雪舟、蕪村、カフカ、中原中也、ディラン・トマス、ボブ・ディラン、マイルス・デイビス、モンク、アファナシエフ、李白、エミリー・ディキンソン、吉本隆明、田村隆一、吉岡実、パウル・ツェラン、石牟礼道子、西脇順三郎、ジョナス・メカス、ブランショ、折口信夫、ジョン・ケージ、武満徹、谷川俊太郎、タゴール、ランボー、石原吉郎、谷川雁、アルトー、ネルヴァル、ルイ・アームストロング、白石かずこ、諏訪優、ヴァレリー、ボードレール、ジミヘン、道元、ソシュール、ニーチェ……

 

などなど、錚々たるビッグネームとの出会いを挙げて、みずからの詩観の成長と変遷をライヴパフォーマンス的にモノガタルのだが、人は詩人になるために、あるいは詩とは何かを見出すために、かくも壮麗無比なる城砦に登攀せねばならないのだろうか?

 

すでにとっくの昔にその答えは出ているからこそ、吉増剛造は、吉増剛造的詩作をケイゾクしていると思うのだが。 

 

    希少なる天然ウナギを捕まえる悪辣非道な猟師よくたばれ 蝶人

 

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岩波文庫版・岩田文昭編「嘉村礒多集」を読んで

2024-08-10 13:18:22 | Weblog

照る日曇る日 第2089回

 

ものの本には「我が国私小説の極北」とか書かれているから、まあそれには違いないのだが、妻子を郷里に置き去りにして愛人と上京し、貧困の中で「文学道」に精進しながら35歳で夭折した未完の作家の小説を読んでみると、このひとあまりにも宗教的、倫理的、道徳的な背骨に規矩されすぎた人格であったことに驚く。

 

捨てた妻子のことなど、出来れば忘れるか、無かったことにして、新しい恋人との新生活に猛進すればいいのに、と、超軽薄な私などはつい思ってしまうのだが、嘉村選手ときたら、おのが罪業を逐一小説で再現し、あまつさえ血が噴き出る傷口に塩を擦り込むような、ある意味嗜虐的な断罪行為をみずからの文学的営為の中心に据えるのだから、書く方もそうだろうけど、読まされる方も、たまったものではない。

 

岩田氏は、それを「文学という宗教への殉教」と解釈されているようだが、私なんかそんな宗教も文学もできたら勘弁してもらいたいと願う方なので、この文庫本の中では、彼の代表作として有名な「途上」「業苦」「崖の下」なんかよりも、運命の女性小川チトセに出くわす前に書かれたエッセイ「再び故郷に帰りゆくこころ」なんかで、孤独な雪舟の後ろ姿について自由に空想を羽ばたかせた、さりげない数行のほうが、ずっと心に沁みるのだった。

 

「とことこと西日を浴びながら歩いて寺に帰って行って、裏の池で、大きな緋鯉や真鯉が足の指をパクパクくわえるのを、コレコレと叱って追い払いながら、手足を洗って静かに離室に入って行くのであった」。

 

そこばくの貯え次第に尽き始め洗剤の量を少なめにする 蝶人

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西暦2024年葉月蝶人映画劇場その2

2024-08-09 09:26:13 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3713~17

 

1)アラン・スミシー監督の「ガンファイターの最後」

都合が悪くなった頑迷な保安官、リチャード・ウィドマークが町人によって虐殺されるという1969年の哀れな話。

 

2)ニムロッド・アーントル監督の「バッド・デイ・ドライブ」

乗用車に爆弾を仕掛けられたリーアム・ニーソンが襲いくる危機一髪をなんとか乗り切る2023年のカー・サスペンス。

 

3)ハーバート・ロス監督の「摩天楼はバラ色に」

アラバマの片田舎から出てきたマイケル・J・フォックスがNYで大成功するまるで夢のように素敵な1987年のお噺。

 

4)ファブリス・ドゥ・ヴェルツ監督の「変態島」

行方不明になった息子を探してここ変態島までやって来たエマヌエル・ベアール夫妻が陥る2008年の大変な変態事態。

 

5)ジェイ・リー・トンプソン監督の「「DETHE WISHI4」

またしてもロスで大量の悪人どもを始末する正義の味方1987年のチャールス・ブロンソン。

 

パレスチナを皆殺しするイスラエルをいつでも支持する奇妙な米英 蝶人

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返せ

2024-08-08 11:10:45 | Weblog

返せ

 

これでも詩かよ 第316回

 

沖縄は、沖縄に返せ。

北海道は、アイヌに返せ。

 

香港は、香港に返せ。

台湾は、台湾に返せ。

 

チリは、アジェンデに返せ。

ミャンマーは、スーチーに返せ。

 

アメリカは、インディアンに返せ。*

メキシコは、アステカに返せ。

 

お女中良ちゃんは、正月に返せ。

丁稚小僧は、お盆に返せ。

 

アマテラスは、スサノオに返せ。

ヤマトは、イズモに返せ。

 

神宮外苑を、野原に返せ。

都庁なんか、青島に返せ。

 

空母赤城を、エトロフに返せ。

ロゼッタ・ストーンは、エジプトに返せ。

 

クリミアは、ウクライナに返せ。

イスラエルは、パレスチナに返せ。

 

この世の中の、不正を糺し、

こぼれた水を、器に返す。

 

「いやさお富、久し振りだなあ。」

「そういうお前は与三郎。」**

 

殺しても、殺しても、みなよみがえる

いくら死んでも、みなよみがえる。

 

 

         *正しくは「先住民」と表記。

         **三代目瀬川如皐作「与話情浮名横櫛」に拠る。

 

「あと100日で3人目が生まれます」ジョージママこそ我らの未来だ 蝶人

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辻原登著「陥穽 陸奥宗光の青春」を読んで

2024-08-07 10:10:56 | Weblog

 

照る日曇る日 第2088回

 

明治時代の外務大臣として、部下の原敬と共に、米英など列強6か国との不平等条約の改正と領事裁判権の撤廃に取り組んだ陸奥宗光の青春時代を描く長編小説である。

 

陸奥がその短かった生涯の最晩年に、日清戦争の外交指導について、その実態を後世への遺書として書き残した「蹇蹇録」はつとに有名だが、維新政府で重きをなしたその同じ人物が、薩長、とりわけ大久保の有司専制を、西郷軍の蜂起とは別に、土佐の立志社&和歌山藩内の日本最強武装集団による協同クーデターで打倒しようと準備していたとはつゆ知らなかった。

 

著者によれば、この企ては、われらが主人公が、「理念の「現実性」と計画・手段の「非現実性」の間に穿たれた陥穽に真っ逆さまに墜落した」ことによって失敗し、陸奥は長きに亙って獄中生活を余儀なくされたそうだが、その間のベンサム翻訳などの沈潜と沈思が実を結び、明治天皇の反対を押し切った伊藤博文の推輓で政界の第一線に返り咲くや、誰もが知る獅子奮迅の大活躍で、ニッポン帝国の国威を大いに発揚することに成功したのであーる。

 

さはさりながら、日経新聞に垂れ流し的に長期連載されたと思しきこの小説は、作者の文体に個性も魅力もなく、時折主語が(父親なのか、息子の本人なのか?)が曖昧になったり、物語の時系列をみだりに捻転させることの弊害が甚だしく、到底一流のストーリーテラーの作品とは思えない。

 

かてて加えて、ノイバラの芳香やアーネスト・サトウの思い人が、眉目秀麗だった陸奥夫人だったとする「浪漫文学的虚構」も恥ずかしくなるほどわざとらしく、小説の結構から奇妙に浮き上がっているようなのだが、辻原先生、以て如何となすや?

 

太陽が真っ赤に殺してくれるやろキシダ、プーチン、ネタニヤフから逃げても 蝶人

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キラキラ星変奏曲*

2024-08-06 10:18:15 | Weblog

これでも詩かよ 第315回

 

おおきなふかい穴の底に、たったひとり横たわったザネリが気がつくと、二十六夜のまっくらな夜でした。

 

黄金いろの鎌の形のお月さまと、大小さまざまな星が、白い牛乳を流したように、点点と輝いています。

 

「あ、あの三つ星はオリオン。あの赤いのはベテルギウス。こっちでキラキラ輝いているのはスバルだわ」と、ザネリはひそかに思いました。

 

どこかで誰かが「ツインクル、ツインクル、リトルスタア」の歌を、遠くのチェロにあわせてうたっているのが聞こえます。

 

「あれはジョバンニかしら。それとも、川で溺れたわたしを助けてくれたカンパネルラかしら」と、またザネリは思いました。

 

満天に星が輝く空の下、ばくだんでむざんにえぐられたような巨大な穴のむこうに、なんだか見たことがあるような建物の残骸が見えました。

 

「あ、あの建物の中に、私はおとうさんやおかあさんと一緒に暮らしていたんだわ」と、ザネリは、今度ははっきりと声に出して呟きました。

 

そこは、ガザの街でした。ザネリが家族や友達のジョバンニやカンパネルラと一緒に仲良く暮らしていた、なつかしい、けれども今ではむざんに変わり果てたガレキの山でした。

 

「でも私は、どうしてこんな蟻地獄のような穴の底に、たったひとりなんだろう? おとうさんやおかあさん、ジョバンニやカンパネルラはどこへいってしまったんだろう?」

 

「おとうさあん! おかあさあん! ジョバンニいー! カンパネルラあー!」

 

ザネリは、銀河の星星に向かって、何度も何度も叫びましたが、誰一人答えるものはありません。

 

すると突然どこかから、なつかしい「星めぐりの歌」を伴ないながら、チェロの奥深い響きのような声が、聞こえてきました。

 

「南無疾翔大力、南無疾翔大力 諸の悪業、挙げて数うるなし。悪業を以ての故に、更に又悪業を作る。継起して遂に竟ることなし。ザネリや、おまえの両親や友達は、悪因悪果の報いで、みんな遠い遠い所へいってしまった。お前は、彼らに代わって、彼らのぶんまで、しっかり生きるんだ!」

 

ザネリは、もうみんなには二度と会えないのか、と、おんおん泣いていると、アレアレ、からくも全滅を免れた飢餓陣営のパナナン大将が、曹長と一〇名の兵士を引き連れて、らりらりらあん、とやって来ました。 

 

バナナのような肩章を飾り、お菓子の勲章をいっぱいつけたパナナン大将は、もう何日もなにも食べていないザネリに、おいしいお菓子と、甘い冷たい汁がつまった琥珀の果実を、お腹いっぱい食べさせてくれました。

 

それからザネリは、パナナン大将と曹長と一〇名の兵士と一緒に瓦礫の中を、一列縦隊で行進しながら、「飢餓陣営の歌」を合唱したのでした。

 

生きてりゃ誰でも、腹が減る

そらそうよ、そらそうよ

猫も杓子も、腹が減る

 

腹が減ったら、食べること

たらふく食べて、眠ること

朝まで眠って、夢をみよ

 

喰うに困れば、どうするか

霞を喰らって、眠るのさ

死ぬまで我慢の、俺たちさ

 

おーん おーん アレのアレ

生きるは、誰かを、食べること

生きるは、誰かに、喰わること

 

おーん おーん アレのアレ

生きるも、死ぬも、みな同じ

死ぬも、生きるも、みな同じ

 

 

   *岩波文庫版・谷川徹三編『銀河鉄道の夜』の「二十六夜」「飢餓陣営」「銀河

    鉄道の夜」に拠る。

 

8:15広島で何が起こったか思い出してみる忘れていたが 蝶人

 

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西暦2024年葉月蝶人映画劇場その1

2024-08-05 15:03:45 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3708~12

 

1)ラオール・ウォルシュ監督の「限りなき追跡」

ドナ・リードが色っぽい1953年ロック・ハドソン主演の老獪な西部劇。

 

2)ブレット・ドノフー監督の「アクト・オブ・バイオレンス」

ブルース・ウィルスが巨大犯罪組織と戦う2018年の随分くたびれたアクション映画。

 

3)スチュアート・ローゼンバーグ監督の「暴力脱獄」

不屈の反抗人間ポール・ニューマンの戦いを描く1967年の傑作。

 

4)イム・サンス監督の「その時の人達」

韓国の朴正煕大統領の暗殺事件を描く2005年の迫真記録映画風の物語。

 

5)ルーク・ホランド監督の「ファイナル アカウント第3帝国最後の証言」

祖父母をナチに殺された監督が、当時のSSや警備員、主婦などの生き残りにインタビューする2023年のドキメンタリー映画。「ヒトラーは正しかった」という元SSの揚言を聞くと空恐ろしい。

 

トラックの運転手だった兄ちゃんが運転してるとすぐ分かるバス 蝶人

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高橋和巳全小説5「邪宗門上」を読んで

2024-08-04 09:37:55 | Weblog

照る日曇る日 第2087回

「神部」となっているが、我が懐かしの郷里「綾部」を舞台に、「ひのもと救霊会」ならぬ「大本教」が、国家権力の弾圧によって壊滅的な打撃を蒙っていく哀しい物語を、しみじみと再読している。

 

あんなに若くして教壇を去った高橋和巳を、前途有為な中国文学研究者としての未来をみずから放棄した得体の知れない小説家、として遠くから冷たく眺めていたおらっちだったが、「朝日ジャーナル」への連載が始まった本作を読んで、自分が熟知していたはずの郷里と宗門の生々しい真実の姿に、初めて触れたような衝撃を覚えたのだった。

 

綾部とは、結局大本教の出口なおと、郡是の波多野鶴吉の町なのである。

 

      自らの旗も誇りも投げ捨てて米国の犬がワンワン吠える 蝶人

 

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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第130回

2024-08-03 08:30:42 | Weblog

 

西暦2024年文月蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第428回

 

いくら探しても、土曜日に貰ってきたはずの頻尿薬がないので、雨降りの中もういちど貰いに行ったり、ふきのとう舎からかかってきた電話を、ホームからの電話と勘違いしてトンチンカンな受け答えをするなど、バイデンもどきの文月のはじまりだ。7/1

 

あらゆる業種で人手不足になってきたので、障碍児者福祉に携わる人材の採用がますます難しくなってきた。せっかく来てくれても、それが植松聖のような人物ではたまったものではないしなあ。7/2

 

残念ながら都知事選は緑のタヌキ、米大統領選はトランプの圧勝に終わり、英仏ではスナクとマクロンが降板、我が国の総選挙では野党への政権交代は実現せず、キシダの表紙だけ取り換えた自公政権が勝利して、わいらあの世界はますます夜郎自大になりゆくやろう。7/3

 

そりゃバイデンが、自分で候補を降りなきゃ、どうしようもないわいな。7/4

 

すべての物体を合わせても、そこから小さな思想一つすら実を結ばせることはできないだろう。すべての物体と精神をもてしても、そこから真の愛の動き一つすら引き出すことはでないだろう。そんなことは不可能であり、別な・超自然的な秩序に属することである。田辺保訳パスカル「パンセ」7/5

 

明日は、まかり間違っても現知事に入れないこと。それでもどうしても書きたかったら、「緑のタヌキ」と書こう。たったらそれだけで、今よりはるかにマシなトーキョーになる。7/6

 

昔から目明き千人、目★千人というが、後者の大半が緑のタヌキに投票するんだろう。世も末だ。7/7

 

小池大勝、蓮舫惨敗は予想できたが、石丸健闘と仏国民議会総選挙での左翼連合躍進には驚くほかない。一つだけ確かなことは、残念ながら私なんかてんで関係のないところで、世の中が激しく動いていることだ。7/8

 

33年間のうち30年間を、彼は外に表さずに生きる。3年間はペテン師といわれ、最後に弟子の一人に裏切られ、もう一人の弟子に知らないといわれ、誰からも見捨てられて死ぬ。これほどの輝かしさを持ちながら、自分では享受できなかった人が、他にいるだろうか?田辺保訳パスカル「パンセ」7/9

 

「この犬はぼくのものだよ」と、あのいたいけな子供たちは言ったものだ。「そこは、ぼくが日なたぼっこする場所だよ」。さて、これこそ、全地上における不当な専制の起こりであり、またその縮図である。田辺保訳パスカル「パンセ」7/10

 

どうしてもここで一発、という絶好機に打てない大谷を、今更責めようとは思わないが、咽喉から手が出るほど欲しい先発の山本は、いったいどうしているんだ?7/11

 

よしんば時代錯誤と言われても、立憲左派や社会党や共産党は、地盤が沈下しようが液状化しようが、従来通りの政治行動を続けるしかないだろうし、それでよろしいのだろう。ところでさいきん私のお気に入りの政治家大石あきこはんは、どないしとんねん?7/12

 

性暴力&パワハラ、特定秘密運用、潜水するたびに!潜水手当!!の不正受給、裏金による物品供与や飲食接待で海自トップ等218人を処分するが、キハラとイシダは辞職せず。こんな「帝国軍隊」は要らない。7/13

 

だいぶ前から帝国軍の軍事研究員が、公凶放送のニュース番組などに出演して、素人にもできるレベルのウクライナやガザの戦争の解説をしているようだが、これは民間の専門家に戻すべきではないだろうか?7/14

 

何一つ知らないのに、こんな風に安心していられるとは何とも奇怪なことである。だからこうした生活を送っている連中に対しては、無茶苦茶振りと馬鹿さ加減を目の前に突きつけ、思い知らせてやらねばならない。あの人たちには誠心誠意という気持ちがないのだ。田辺保訳パスカル「パンセ」7/15

 

下らぬものに心誘われ、情念の害を受けないために、1週間の命しかないように行動しよう。生涯の1週間を捧げねばならないものなら、100年を捧げるべきである。もし1週間を犠牲にしなければならないなら、全生涯を犠牲にすべきである。田辺保訳パスカル「パンセ」7/16

 

神が存在するということは分からないし、神が存在しないということも分からない。魂が肉体と共にあるということも分からないし、私たちには魂がないということも分からない。この世界が創造されたということも、創造されなかったということも、原罪があるということも、ないということも分からない。田辺保訳パスカル「パンセ」7/17

 

3種類の人がある。一つはすでに神を見出して神に仕えている人、次は努力して神を求めている人、そして神を求めようともしない人。第1の人は道理にも叶い幸福である。最後の人は愚かであり不幸である。真ん中の人は不幸ではあるが、道理には叶っている。田辺保訳パスカル「パンセ」7/18

 

正しい者についていくのは正しいことであり、いちばん強い者についていくのは仕方のないことである。力のない正義は無力であり、正義のない力は暴力である。力のない正義には反抗する者ができる。常に世に悪人は絶えないからである。田辺保訳パスカル「パンセ」7/19

 

正義のない力には、非難する者ができる。だから正義と力とを一つに合わさなければならない。そのためには、正しい者を強い者にするか、強い者を正しい者にするかしなければならない。田辺保訳パスカル「パンセ」7/20

 

なぜ人は大勢の方に従うのか。その方に正しさが多くあるからか。そうではない。力が多くあるからだ。なぜ古代の法律や古人の意見に従うのか。それが一番健全だからか。そうではない。それらがただ一つのものであって、種々雑多なものの芽生える原因を取り除いてくれるからだ。田辺保訳パスカル「パンセ」7/21

 

力はこの世の女王である。世論は力をふるう女王のようにみえるが、むしろ力の方が世論をつくるのだ。田辺保訳パスカル「パンセ」7/22

 

人間は1本の葦に過ぎない。自然の中でも一番弱いものだ。だがそれは考える葦である。これを圧し潰すには全宇宙はなにも武装する必要はない。しかし宇宙が人間を圧し潰しても人間はなお殺すものより尊いであろう。人間は自分が死ぬこと、宇宙が自分よりも勝っていることを知っているからである。田辺保訳パスカル「パンセ」7/23

 

だから私たちの尊厳の全ては考えることのうちにある。まさにこころから私たちは立ち上がらなければならないのであって、それを満たすことの出来ない空間や時間からではない。だから、正しく考えるように努めようではないか。ここに道徳の原理がある。田辺保訳パスカル「パンセ」7/24

 

ワン嬢は自分の音楽を聞かせたいのか、自分の裸体を見せびらかしたいのか、それともその両方なのかさっぱり分からないところがあるが、あのイケメン指揮者は、てもなくそいつにイカレたんだろう。7/25

 

津久井やまゆり園事件から今日で8年。いまもどこかで第2、第3の植松聖が、障碍児者を亡き者にせんと辺りを窺っているような気がする。7/26

 

「戦争は嫌だ。もうこりごりだ。絶対に反対だ」と思ったり、実際に口走ったりもしながら、いつの間にかその戦争のお先棒を担いでしまっている俺たち。7/27

 

オリンピックとか万国博とか、いったいどこが面白いんだか、さっぱり分からん。それに、せめて世界で2つの大戦争大会が開催されている間くらいは、自粛すればよさそうなものだが。7/28

 

五輪だか六輪だかの阿呆莫迦騒ぎの間に、「アメリカ・ファースト」の米軍は、日米共同軍事行動の指導権&支配権を確立したようだが、来るべきなんちゃら有事の際に、この国の「自衛隊」や日本会議や極右の連中は、それでいいのかね?7/29

 

キシダ内閣の支持率がいつの間にやら上がっているのだが、どおゆうこっちゃ。健忘症の民草は、「満点青空レストラン」の宮川大輔よろしく、腐りきったジミンコエタゴの糞尿を呑みながら「ウマイウマイ!」と絶叫するんだろうな。7/30

 

1967年10.8&11.12両日の羽田闘争で、襲い掛かる機動隊に対して初めて振るわれたゲバ棒の多くは、恐らく各党派のタテ看の心張棒から抽出されたものではなかったろうか。7/31

 

   底なしに落ちよ落ちよと思うのみ1株も持たぬ年寄りなれば 蝶人

 

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なにゆえに第120回~西暦2024年文月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2024-08-02 09:17:23 | Weblog

なにゆえに第120回~西暦2024年文月蝶人花鳥風月狂歌三昧

 

ある晴れた日に 第731回

 

なにゆえに軍事費だけは青天井戦争できる軍隊を潰せ

 

なにゆえに突如キシダが能登地震復興なんでもいいから支持率上げたい

 

なにゆえにお札の顔を変えちまう漱石と一葉で良かったのに

 

なにゆえに地方自治を破壊する国と県とは全く同等

 

なにゆえに自公維国に投票するそれ以外なら政治は変わる

 

なにゆえに6打席連続三振の絶不調そんなもんだよ大谷翔平

 

なにゆえに政権交代が実現できない日本と似ている英国に学べ

 

なにゆえに若い世代が石丸伸二に入れあげるいかなる風の吹き回しにや

 

なにゆえに石丸伸二が現れた橋下某の跡継ぎとして

 

なにゆえに急遽「大和」は特攻したか「もう海軍には艦はないのか?」

 

なにゆえに「お大事にされてください」という「されて」なんちゅう日本語はない

 

なにゆえに「お大事になさってください」と言えない小学校からやり直せ

 

なにゆえに自衛隊を解体しないジミンと競う腐敗と堕落

 

なにゆえにトランプはんは死ななんだ悪い奴ほど悪運強し

 

なにゆえに悪い奴ほど選挙に強いその政策の良し悪しで無く

 

なにゆえに岡田のサインをシカトする盗塁できない阿呆莫迦選手

 

なにゆえに紅い蓮が咲いている八幡宮の源氏池に

 

なにゆえにアウシュビッツを思い出す浴槽の垢を擦っている時

 

なにゆえに春日さんは死んでいたいつもニコニコ笑っていたのに

 

なにゆえに新千円札は偽物に見える新しいものはニセモノである

 

なにゆえに米帝NATOの同盟国なの?そんなことを誰が決めたの?

 

なにゆえにホームで時々歌を唄う職員さんへの息子のサービス

 

なにゆえにエアコンを使わない猛烈な暑さで死にかけているのに

 

なにゆえにインド太平洋が自由で開かれている泳ぎに行けよお前一人で

 

なにゆえにこの糞暑いのにせっせと働くわが民族は偉大なるかな

 

なにゆえにパリで五輪などご臨終戦争なんかいない居ないバア

 

なにゆえにアジャコングを思い出す余りに暑いこんな日に

 

なにゆえに西馬音内踊りは悩ましい繊細にして超官能的で

なにゆえにブルックナーとモザールはマッチする宇野功芳がいうたとおりや

 

なにゆえにルルルルルルと鳴っているあれは確かに冥界のベル

 

ベンサムの長い計算は終わらない最大多数の最大幸福 蝶人

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