こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ダイエット! 三日あれば簡単に1キロ増えるが、減らすには一週間かかる

2023年01月10日 | スポーツ・健康・ダイエット
朝のNHKのニュースでは気象予報士の女性が舞い上がる落ち葉を伴った寒風に吹かれながら、寒くなることを報じていた。
あれは、東京渋谷からだが、今朝の鎌倉も結構な風が吹いていた。
三学期も本格的に始まった様で、ホームには学生があふれ、通勤電車にも休み前の様な混雑が帰ってきた。
成人の日も終わって、さあ本格的に仕事も再開だと思って日付を見たらもう10日で、1月も三分の一が終わっていた。
過ぎた時間を取り戻せることはできないし、それなりに楽しい年末年始だったので、不満はない。

昨日はあれだけ歩いたので、体重も減っただろうと思っていたらあにはからんや、むしろ増えていた。
これでガックリしたのもあってか、休み前にしまっておいた弁当箱を取り出そうとしたら落としてストッパーが壊れてしまった。
仕方なく昔使っていたわっぱ弁当箱を引っ張り出し、今日はこれに弁当を詰めてもらった。

妻も体重が減らなかったことで落ち込んでいたが、やはりこれは正月太りというものだろう。
体重の増える原因としては、まずは冬期の基礎代謝の低下、仕事家事通勤といった最低限体を動かすことがなくなってしまい、お節料理と飲酒、あとクリスマス以来やりとりしたお菓子もバカにならない。
こんな生活をしていて太らないわけがない。

これではいけないと、食べる量を減らしたり、少々動いたところで、体重はおいそれと減ってくれるわけがない。
体重を1キロ増やすのには三日もあったら十分だが、この逆、1キロ減らすには最低でも一週間はかかるだろう。

それでもこのまま放っておくわけにはいかないし、少なくともこのまま体が太る体質に向かってしまうのを止めなくてはならない。
では、どうするか。

昨日など、歩いて疲れたからと赤ワインをだいぶ飲んでしまったが、あれはあれで飲み過ぎたら肝臓に脂肪が貯まるので、ポリフェノールの効果も薄れてしまうそうなので、お酒を控える。
1日2リットルの水分摂取。
お歳暮がわりにいただいたお菓子がまだだいぶ残っているが、せんべいも含め1日1個まで。
ぬるめのお風呂に長めに入る。
眠る前に軽く体をストレッチ。

とりあえず、これだけをやってみようと思う。
朝昼の食事はこれまで通り

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やっと落ち着くかと思うのだが師走ももう下旬へ

2022年12月19日 | スポーツ・健康・ダイエット
今日は午後からの出勤で、時間があったので家の周りの掃き掃除をしたり、昨日作ったハンギングをぶら下げる場所を探したりしていた。
朝の気温は5度と低かったが、日差しを浴びながら小一時間掃いたら、汗ばんでしまった。
腕も痛くなり、こんな重労働を週に2、3度やっている妻は大したものだと感謝した。
いつものことながら、たまに家事を手伝うをその大変さを身にしみて感じる。
ちなみに昨日のはプリムラが中心で、霜に当てないように軒下を探したらこんなところがあった。
昨晩、というかこの未明、2時ごろにふと目が覚めて、用を足しにいって戻ったら妻がサッカーワールドカップの決勝戦、アルゼンチン対フランスを見ていた。
その時点では、アルゼンチンが2対0で勝っていたので、そのまま終わるかと思って、仕事も午後からだからまあいいかと、うつらうつらしながらみていたら、フランスが追いついて延長へ。
そして、感動の延長戦ののち、PK戦でやっと決着がついた。
こんなものを見せられてはすんなり眠ることもできず、表彰式まで見てやっと眠ったのが4時ごろだったか。
何人かのブロ友さんが速報を入れていたので、観戦ご苦労様の挨拶がわりの簡単なコメントを入れておいた。

準決勝あたりからだと思うが、フランスは大統領が観戦していて、表彰式でも健闘した選手を労っていた。
スタジアムを埋め尽くした数万人の観衆、世界中ではおそらくその何万倍もの人がテレビの前で応援していたのかと想像すると、スポーツというもののもつ力が恐ろしく思えた。
スポーツなんて、と一蹴するのはたやすいが、そこに絶対的な価値を見出す人の前ではことはそう容易ではない。
私のようなあまり熱心でないスポーツファンまで感動させられてしまうのは一体なぜなのかよくわからない。

何はともあれ、なんとなく寝不足気味に過ごしたひと月が終わった。
これにてもうしばらくは落ち着いて過ごすことができるのではないかと思っているが、気がつけば、十二月も残すところ十日余り。
あれもこれもしておかなくてはいけないと思うと気が重くなるばかりだし、今、引き受けるのを先延ばしにしてい論文の査読など、予約も入っている。
孫は生まれるは、娘の彼がまたやって来るわで、一体何をどの順番で片付けていったらいいのかよくわからなくなる。
歳をとるとこういうところの処理能力が落ちているのがよくわかるが、そうはいってもどうしようもないので目の前のことをちょっとづつ片付けていくしかあるまい。
午後は忙しく

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リバウンド、これは間食のせいだったか

2022年09月18日 | スポーツ・健康・ダイエット
大きすぎる予報円だったが、台風14号の進路は最悪で、日本列島を端から端まで襲うつもりのようで、ここ鎌倉などまだまだはるか遠くだと思っていたが、朝から大雨が降ったり止んだり。
母と一緒にお墓参りの予定だったが、残念ながら荒天のため中止。
昼頃には衣張山に雷の落ちるのが見え、その後数分間停電した。
すぐに復旧したので大谷翔平の13勝目は無事見届けることができた。
昨日のうちに植木鉢などは台風に備えて下に下ろしておいたのでやることはあまりない。
午前中のうちに大船まで食材を買いに行ったが、その後は閉門蟄居。
妻と娘が美容院に行ってしまい、私は留守番。
また停電になると困るので、早めに保存食としてのカレーを作るつもりだったが、もし時間があったら作っておいてくれと言われたので、作っておいた。
お墓参りには行かなかったが大きなおはぎを食べたので、お昼はいらないだろうと思っていたが、夕方になってお腹が減ったので、味見がてらちょっと食べてみたら美味しかった。
妻としては、明日味が落ち着いたところで食べようと思っていたらしく、フライングとなってしまった。
明日が楽しみ。

動かないで食べてばかりでは太ってしまうが、すでに体重は深刻な状況になっている。
私が太ったところでどうでもいいことだが、以前ダイエットのことを書いたことがあり、そのいきさつをご存知の方には経過報告となるだろう。

去年の7月には71キロを切るとこまで減った体重が、ついに75キロを上回ってしまった。

これぞリバウンド。

妻は娘のフィアンセ君が来て夕食に炭水化物を食べるようになったためだからと思っているが、私はそれだけではないということを知っている。
その原因はスナック菓子。
1日仕事をして、4時5時になってくると小腹も空く。
そんな時のために、以前はナッツを持って行って小腹を満たしていたが、近頃病院の1階にあるコンビニで百円のスナック菓子を買ってそれを食べてから帰っている。
せんべいとか芋けんぴ、チョコレートとかで、炭水化物も少なからず含まれている。
それを毎日食べていたらこうなってしまったようだ。

こうして、リバウンドというのがこうして昔の食生活に戻って起こるということがわかった。
お金は使ってしまったら、その分を取り戻すのは一苦労、体重も増えてしまったら、その分を減らすのは一苦労。
生きるということは難しい。
台湾の地震は大丈夫かな

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左目、今度はボディーソープに直撃される

2022年06月21日 | スポーツ・健康・ダイエット
 写真にもやがかかっているように見えるのは、朝霧のせいで、私の眼の調子が悪いせいではない。と言いたくもなるのはこのところ私の眼が災難続きだから。先週は結膜出血で真っ赤になった左目、出血はほとんど引いて、ヘモジデリンの茶色も残らずよかったと思っていたら、今度はボディーソープに直撃された。

 昨晩、目の高さにちょうどあるボディーソープを入れたボトルを押したら、ノズルの先にこびりついていた塊が本来の向きと違って、物凄い勢いで左目に飛び込んできた。目を閉じるまもなく大量のボディーソープが入ったようで、その直後から気絶しそうな痛みに襲われた。

 ここしばらく感じたことのなかった痛みで、屋根裏で荷物整理をしていてついうっかり立ち上がった時にぶつけた頭の痛みや小指を家具の足にぶつけたときの痛みなどとは比べ物にならない。なにせずっと痛いのだ。痛みだけでなく、"このまま失明するのではないか"という恐怖にも襲われてほとんどパニック。

 とにかく目を洗ったが目玉の裏側まで入っているかのようなしつこさ。シャンプーを逆さまにして洗ったり、風呂に入って風呂のお湯で何度も洗ったり、蛇口から出した水で洗ったりとかあれこれやるうちに少し落ち着き、裸のままで七転八倒というのもなんなので、タオルを巻いて脱衣所の洗面台に移動し、シャワーヘッドを逆さまにしてしばらく洗ったが、なかなか流しきれない。ボディーソープが涙管を伝って鼻腔に流れてきたような香りまでし、この辺りの解剖を思い浮かべて気を紛らわす。そういえば、涙管はただの重層扁平上皮の穴だから、単に、そこを通って流れてきたのだろうか。

 痛みがだいぶ落ち着いたところで、妻と娘と夕食。視力は落ちていないので、結膜だけがやられているのだろうと考えた。ワインを飲んだら疲れが出たのか、わりと早く眠ることができた。

 ところが、夜中に痛みで目が覚め、そのあとは目のことが心配になって目が冴えてしまう。仕事の前に職場の近くの眼科で診てもらおうと考え、開いている右目を使ってスマホで、職場の近所の眼科医院を探してみたら口コミというらしいが、どこも評判はイマイチ。それでも一番近くの眼科の評価が高かったのでそこに行くことにした。

 朝起きたところで、曇った空の写真を撮り、そのあと妻にそのことを伝え、いつもより30分ほど早く弁当を作ってもらって家を出た。とにかくその時点ではまだ失明の恐怖があったので、ブログを書く気にもなれず、今度の発表用スライドの整理をしているうちに着いた。

 眼科ではすぐに診てもらうことができ、問題はとくになくホッとした。顕微鏡仕事も差し支えないとのこと。病理医が目を使えなくなるなんて洒落にもならない。目薬を出してもらってから、職場に向かった。

 無事を妻に伝えたら、

 (シャンプーが目に入ったときなんて)そんなものよ、一週間は痛いわよ

と返されたが、あの凄まじい勢いを知らないからそう言えるのだ。目薬を何度かさしたが、痛みは引かない。それでも不安なままで過ごすよりはよほど良かったと思う。
気をつけて過ごそう

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あの斉藤仁の息子が全日本柔道選手権で優勝

2022年04月29日 | スポーツ・健康・ダイエット
 大型連休が始まった。低気圧が通過するということで、連休初日は大雨。
 雨の降り出す前にマルチーズのコロの散歩。16歳の老犬の散歩は結構時間がかかる。家に戻る頃には雨がポツポツ降り出した。家に帰ってきたら自治会の人が来ていて、地域全体で防犯を考えようということを話し合った。
 午後になったら本降りになった。

 夕方、テレビをつけたら全日本柔道選手権をやっていて、斉藤仁にそっくりの選手が出ていたので、まさかと思ってみたら、斎藤立という二十になる息子。原沢、影浦をクレバーというか素晴らしいセンスの柔道で下して初優勝。偶然だったが、とてもいい試合を見ることができた。それにしても、190センチ、160キロと恵まれた体格、インタビューの受け応えも立派で、偉大な父親のような大選手になるのではないかと思わせる逸材で、将来がとても楽しみだ。
若さはいいね

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年をとると時間が早く過ぎるのは周りの人が自分を置いてきぼりにするからでは

2022年04月21日 | スポーツ・健康・ダイエット
 今後の見通しは依然として立たないままG20が閉幕した。窮屈とはいえ、小さな地球上で互いに妥協しながら生きていたらよかったのに、ロシアというかプーチン大統領がウクライナへの侵略戦争を始めなければ、これほどの経済の混乱は生じていなかった。先日作った寄せ植えが元気になってきた。この子たちが美しく咲く頃にはウクライナに早く春が来てくれるだろうという願いが通じることを祈る。
 私は通勤時、電車とバスを使っている。バスを利用する人のほとんどは病気の人か病院職員で、このうち、病気の人の多くは老人だ。バス停は駅前にあって、改札口を出ると停車中のバスが見える。そのせいで発車時刻を把握している私であっても少し焦って早歩きになる。気の毒なことに(病気持ちの)お年寄りは私よりも余計に焦るようでヨタヨタと小走りでバス停に向かう。

 いくら小走りでも、その歩みは遅くて少なくとも私の倍はかかる。発車時刻が遅れることもしばしばあって、老人たちを追い抜いてバスに乗り込んでいる私は「おそいなー、次の(バス)にしたらいいのに」などと医療従事者にあるまじき感情を持つこともたまにあった。さすがにこれはお門違いと、もう一本早いバスに乗るように時間を調整した。このおかげでお年寄りの(駆け込んでいない)駆け込み乗車については、怪我をしないようにと祈りながらも鷹揚に待っていられるようになった。

 年をとって体の自由が利かなくなってきたことをひしひしと感じる。駅の改札口からバス停までのほんの100メートルかそこいらの距離だって、私が若かった頃はちょっと走って20秒もあったら余裕で着いただろうが、今では30秒、いやそもそも走りたくないので最低でも1分あまりは必要だ。あと、10年もたって70歳近くになったら、早く歩くのも嫌になって2分ほど必要になるのではないか。ということは見方を変えたら、歳をとってのろくなっても100メートルは100メートルであって、単に周囲の時間が早く流れるようになったということではないかと考えらようになった。

 年をとると時間の流れを早く感じるようになるのは、生きてきた年数によって一年の相対的な長さがどんどん小さくなるためだというジャネーの法則がよく知られている。そうなのかもしれないが、子供の頃に夕焼け空をみて感じた永遠とも思えた未来はこれとはちょっと違う。圧縮されてしまったとはいえ、記憶の中では、子供の頃、周囲の時間の流れは今に比べて圧倒的に遅かったように感じる。これに対し、今、周りの人の動きは少しずつ早くなっている。この先、周りの人はもっと早く動き回るようになり、私はゆっくりと流れる時間の中に取り残されていくのではないだろうか。かけっこではるか先を走る友人の背中は永遠に追いつくことはできないと思えるほど遠かった。これが歳をとると時間が早く流れるように感じるようになるメカニズムなのではないかと、乗り遅れまいとバスに向かって走ってくる老人を見て考える。
もう少し年を取ってから死にたい

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コロナ禍で見えたオリンピックとかスポーツ産業の姿

2022年02月16日 | スポーツ・健康・ダイエット
 旧ソ連の選手のドーピング問題で騒がれている北京オリンピック。昨晩、その渦中の女子選手の”絶望的に素晴らしい”フィギュアスケートを見てすごいと思うと同時に、他の促成栽培されたかのような旧ソ連出身の選手たちが上位に入る演技を見ていて、世界中学生選手権というか世界インターハイの決勝であるかのような光景を見て違和感を覚えた。そしてその違和感はこのオリンピックのみならず、最近のスポーツに感じるつまらなさに通じるものだと気がついた。

 若者がその身体的能力を極限まで鍛え上げて競い合うことはいいことだ。だが、それが金儲けのために利用される様になって久しい。スポーツは身一つ、もしくは最小限の道具だけを使う者同士の戦いであるからこそ、観るものに感動を与えてくれる。だが、現実は背後に巨大なスポーツ産業があって、高性能の器具、最先端の体調管理、戦略があり、それに携わることで多くの人が生計を立てている。かつては、その様な影が見えることは少なかったが、ネットを介しての情報普及が格段に進歩して、あの選手はスポンサー契約で年数億の収益を上げている、とか、インスタのフォロワーは何万人で、とか、本大会を契機に芸能界に本格デビューとか、スポーツを利用した”美味しいこと”が可視化されてきている。

 そういった背景を抜きにしても、人間が能力の限りを尽くして戦う姿は美しく、崇高ではある。だが、薬物汚染、一部の種目の低年齢化は商業化による選手一人一人の人権侵害につながっていて、それらを観戦者、視聴者は看過していてはいけない。アマチュアリズムとプロの境界が消滅したのは何もスポーツの世界に限った話ではない。情報発信方法だって、プロもアマも同じネット上で競い合っている時代で、そんなことに拘泥しているほうが時代に取り残されてしまう。

 だからこそ、良心をしっかりと持ち、相互に自主規制してルールを守っていく生き方というのが求められるのに、今回のオリンピックではその様なことは反故にされ、さらには政治利用もされている。新型コロナウイルス感染対策で観客席は静かになり、そのおかげで、会場の熱狂は消されて、様々な問題が露呈された様に見えるようになったということはなんとも皮肉なことだ。だからといって、オリンピックさらにはスポーツ産業を批判するばかりでは何も進歩はない。それらはもはやこの社会から取り除くことのできない歯車の一つとなっている。だからこそ、観客である私たちにできることは何があるかを、誰もが参加できるネットの場で考えていくことが大切なのではないか。
北京にも雪が降った

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炭水化物ダイエット、続けてきたのにリバウンド

2022年02月07日 | スポーツ・健康・ダイエット
 今朝も寒かった。水を飲もうとやってきたメジロが水盆がわりに使っている花器の縁に止まって下をつついているが直ぐに飛び立ってしまった。

 かわいそうに水が凍っているだろうと、ヴェランダに出て見ると、カチカチ。ひっくり返しても容易には外れず、トントンやったら器の形通りの氷が出てきた。台所で少し洗い水を入れてからいつものところに戻してやった。
 鳥も丸くなっているが、私も寒さに体が反応してか体重が少しずつ増えてきた。基礎代謝量の低下によるものだろうが、困ったものだ。以前、85キロに迫ったところで、このままいったら100キロになって、身体を壊すと思ってスタートした私のダイエットについては、これまでにも何度か書いてきた。始めは”あすけん”というダイエットアプリに体重を記録することからはじめ、一気に5キロ減らすことができた

 その後は下げ止まって足踏み状態が続いたが、二の矢として炭水化物ダイエットを始めた。それほどきついダイエットではなくて、夕飯に米パンなどの炭水化物をとらないというだけで、お酒はビールから赤ワインにしただけで、減らさなかった。これは驚くほどの効果があって、去年の6月には71キロと60キロ台を伺えるところまで来ていた。ただ、これも下げ止まって、72キロ前後を推移していたのだが、去年の暮れから斬増傾向となって、先週は74キロ台後半に。ちなみに私の身長はすこし縮み始め、この前の健康診断では175.5センチ。

 ダイエット開始時の目標は10キロ減だったので、いまのところ目標は達成しているが、クリスマスー正月太りは一気にきてしまい、これがリバウンドかと怖くなった。最近は留学から帰ってきた娘が、あちらで知り合った友人に教えてもらった、パスタだのティラミスだのを作ってくれて、お腹いっぱいの日が続いている。

 妻と二人の暮らしになって、年寄り的な食生活が板についてきたところだったが、冬の寒さも相まってこんな調子。贅沢をしているつもりはないが、人間が必要とするカロリー量はずっと少ないということだろう。減食を心がけたい。

 昨日、スーパーで買い物をした帰り、妻に、

 食費って、(思っている以上に)かかるよね

 と言ったら、

 食事は人間にとってのガソリンだからね、車と一緒よ
 
 と、達観したことを言っていた。さすが主婦だ。体重に気を配りつつ、せいぜい割引シールの貼ってある食材を買って、SDG’sに貢献しつつの食生活を送って行きたい。
食べる分だけ

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こんな時だし、誰が勝ってもいいじゃない

2021年05月14日 | スポーツ・健康・ダイエット
 コロナ禍で見直されてきたのが、物事の要不要。よくよく考えてみると、人間が生きていく上で本当に必要なことなどどれほどあるだろうか。人間社会は肥大してしまい、何が必要なのかが見えなくなりつつある。

 飲食店にしても、定食屋は必要だが、居酒屋・バーなどあってもなくてもいいことが明らかになった。各種ハラスメントの温床となる宴会が減り、助かっている人も少なくないだろう。

 芸術、芸能分野も要不要の見直しに迫られている。様々なことの価値観の急激な変容によって、美の価値観がこの先どの様に変わっていくのかよくわからない。はたして、モナリザは人類にとって必要なのだろうか、そんなことすら頭をよぎる。致死率の高い高齢者によって支えられているクラシック音楽界はこの先どうなるのか。

 そして、スポーツ。

 東京2020がこんなことになったのは新型コロナウイルス感染症のせいなのだから、政府にも、都にも責任はない。ただ、お金のことがあってオリンピック、パラリンピックをどうしてもやるというのなら徹底した感染対策が必要で、無観客で各競技場内で選手役員だけでやったらいいだろう。インドなど変異株が猛威をふるっている国からの選手役員を受け入れるというのならば、その人たちにはより一層の隔離的扱いが必要となる。ある意味、隔離された環境の中で行うことに対してどう感情移入したらいいのかわからない。そんなオリンピック、パラリンピックはそれを観る私たちにどんな感動、元気を与えてくれるというのだろう。命とスポーツを天秤にかけたら、どちらが重いか。考えるまでもないことだ。

 それぞれの人が健康増進のために楽しむものであるスポーツに、そもそも人生を賭けるほどの優劣をつける必要などあるのだろうか?誰が勝ってもどうでもいいことではなかろうか。”競い合う”、すなわち誰かを負かすということを目的化することにどれほどの意味があるのか。こんなことも、コロナ禍が明らかにしたことの一つなのかもしれない。
いまさら誰が勝ったところで

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太っている人にそのことを言ってもあまり意味はない

2021年04月07日 | スポーツ・健康・ダイエット
 午前中の仕事に余裕があったので、オフピーク通勤をしてみた。遠距離通勤の私にとってはこれでも随分遅かったのだが、出発の時間はちょうど地元の学生の通学時間と重なり、電車はそれなりに混雑していた。それでも少し寝坊できたのはちょっとした気分転換になった。もちろん、その分帰る時間は遅くなった。

 東京2020の開会式で渡辺直美さんの体型をバカにするような演出案を出したプロデューサーとかいう人が、顰蹙を買って退任した。私もこの問題が出てきたとき、すぐに、「あれ、渡辺直美のことかな?」とは思ったが、案の定そうだった。その後内容が明らかになり、まさかオリンピックの開会式で、彼女を動物に擬するとは、それは失礼でいただけない。ふくよかであることを売りにしているのだからそんなに目くじら立てなくても、という人もいるかもしれないが、ふくよかであることは、”まん丸な赤ちゃん”のような幼児体型の”カワイイ”姿を考える。それが人間を動物に見立てて笑い者にするというのは尊厳の問題に関わる。じゃあコロ健お前は他人のこと豚だ蛇だ猿だと言ったことはないのか、と問われたらそんなことはない、そうやって悪態をついてきたことはいくらでもあるし、自分が猿だゴリラだと言われて嫌な思いをしたこともある。私を含め多くの人にはそのプロデューサー氏を非難する資格は無く、ただその経過についてコメントするしかできない。

 日常生活でも、ふくよかな人、太った人、というのによく会う。現代社会では多かれ少なかれ太っている。さらに、自分がダイエットしてからは余計にそういう人が目につくようになった。そういう人に電車で隣に座られたら正直困るが、すれ違う分には気にならない。だが、コロナ禍でも問題になったが、一定以上の肥満は病的な状態である。どこかの時点でそれ以上の肥満を止めないことにはその人自身の命に関わる。そういう意味で、”痩せた方がいいですよ”とアドバイスしたくなるが、言い方によっては失礼になるので言わない。なぜ失礼かというと、ご本人に太っているという自覚がないことがほとんどだからだ。

 今回、私が自分の肥満に気がついた理由はいくつもあった。腰痛があり、しゃがむのが辛くなり、風呂で自分の三段腹を目の当たりにして肥満を自覚していた。私がどんどん太るのをみて、家族や親戚はそのことを指摘してくれたのに自分では気にしていなかった。そして、いよいよ体重が80キロを超えてからぐんぐん増えて85キロとなり、90キロも目前となった。ぼんやりと、”このままいったら100キロも簡単だな”と思い始めていた。そんなとき、とある飲み会(情報交換の場としての飲み会はとても重要!)で、ダイエットアプリ(あすけん)を教えてもらったのが転機となって危機を脱した。半年前からは妻と一緒に糖質ダイエットもして、結果1年半で12キロ減らした。そうしたら、しゃがむのも階段を上るのも苦にならなくなった。血圧も下がった。まだまだ体脂肪率が高いので、もうしばらく続けなくてはいけないが、それは仕方ない。

 知り合いには痩せたとよく言われるようになった。私としては、1年半前と今とでさして変化は無いように思われ、痩せたと言われてとくに嬉しくもない。結局のところ、体型などというものは本人の考え方次第だ。だから、太っている人に太っていると言っても、あまり意味はない。その人にとって、その状態が心地よければそれでいいのだ。そして、そのことについて他人は肯定も否定もしないのがいいのだろう。タバコもこれに近いものがあるが、これは匂いの問題があるので、それさえクリアしてくれたらこれも肯定も否定もすることはできない。大きなお世話なのだ。
自己責任の範疇

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ご飯が上手に炊けると

2021年02月24日 | スポーツ・健康・ダイエット
 今日からまた寒くなるというが、三寒四温、この時期の寒さは去りゆく冬を心に留め置くにはむしろちょうどいいのかもしれない。ここ数日の暖かな日差しはすっかり土を温めていて、ずいぶん多くの虫たちも目を覚ましたようだ。気温は下がっても、この土が冬の冷たさに戻ることはない。

 ここのところ土いじりでしゃがんでばかりいるものだからか、足がだるい。昨日は原稿書きもあってマルチーズのコロの散歩で近所をぐるっと歩いただけで歩数も8000歩あまりで、血行もあまりよくないのかもしれない。とは言っても、フラットコーテッドレトリバーのナイトが死んでしまってからというもの1年近くはあまり歩かなくなり、10000歩を超えることがほとんどなかったことを考えたら、大きく変わった。

 昨晩、ご飯を炊いたらあまりにもいい香りで美味しそうだったので、一口、大さじ2杯ほどを食べた。ウィークデイは妻にお弁当を作ってもらっているが、炭水化物ダイエットを始めてからというもの妻はご飯を口にしないので、ご飯は私が自分で炊いている。鍋で炊いているので、水加減や給水時間、火加減等々で炊き上がりがいつも微妙に違うのだが、昨晩は給水時間を長めにとったのが良かったのか、鍋の蓋を取ったらご飯がふっくらと盛り上がっていて、さらには香りも良く、夜の炭水化物はダイエットには厳禁にもかかわらず、つい一口たべてしまった。

 ご飯は2合ほど炊き、翌日分を取った残りを適当に量り分け、朝と昼で1日で合計200グラムほど食べるように按配し、ラップしたり、ジプロックに入れたりして冷蔵庫に保存しておく。朝食用の100グラムはご飯茶碗に入れてレンチン、あとの100グラムは弁当箱に入れておかずは妻につめてもらう。弁当箱は電子レンジ対応。ご飯にふりかけをかけ、あとは減塩味噌汁をいただくが、ほかにもインスタントの汁物を用意している。

 いつもはなとなくうまい具合に分けることができるのだが、昨晩のつまみ食いのせいで、全体のバランスが少々、崩れてしまった。明日と明後日分に切りよく分けようとしたら今日の分を含めこの3日分は普段よりもご飯が多めになってしまうことになった。ご飯が上手に炊けたからと言って、ついつまみ食いをしてしまうなんてダイエット中の身としては言語道断な話なのだが、その一方で、また昨晩みたいに上手に炊きたいと思ってしまう。
帰りは寒かった

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世の中太るようにできている、そしてDM高血圧

2021年01月15日 | スポーツ・健康・ダイエット
昨日は全国的に暖かかったみたいだが、ほぼ1日屋内にいたのでよくわからなかった。今日は天気はすぐれず気温も上がらないらしい。

一昨年から始めたダイエット、あすけんという体重記録アプリを使った、”体重管理ダイエット”で3ヶ月で84キロから79キロまで5キロの減量に成功した。ところがそこから下げ止まり、昨年の息子の結婚式の前後、外食が増えたせいもあってか、81キロまで戻ってしまった。これはまずいと思い、糖質(炭水化物)オフダイエットを始めた。

糖質(炭水化物)オフといっても、私の場合は”ゆる糖質オフダイエット”。”ゆる”というのは、食事での炭水化物を完全にオフにするわけではなく、減らすという程度で、ウィークデイは朝と昼に100グラムずつ計200グラム、白米を食べる。でも、夕食ではご飯は食べない。週末は3食とも炭水化物はとらない。当然のことながらうどん、そば、ラーメンは禁忌。パンも食べない。ただ、酒を控えることはしていない。10月の初めにスタートし、3ヶ月経って75キロを切るようになった。5キロ減量できた。これまでのただ記録するのと違って、実際に炭水化物を減らしているので、内臓脂肪が減ってウエストが細くなった。おととい、ここ数年穿いていたスーツのズボンがだぼだぼになって使えず、後生大事にとっておいた古いズボンを穿くことができたときは結構嬉しかった。なぜなら、あすけんの目標に”昔穿いていたズボンを穿けるように”としておいたくらいだ。

ところが、今朝体重計に乗ったらちょっと増えていた。原因は明白。外食だ。
おととい、昼食用に駅の売店で弁当を探したがどれもご飯たっぷり。以前なら、ご飯がたっぷりなのは当然で、おかずも気にせず選んでいたのだが、今はどれも選ぶことができない。ちょっと悩んだが、新幹線に乗るときによく買う、まあ、言ってみれば好物のロースカツサンドにした。これだとタンパク質が多くて、炭水化物は少ないように見える。あとで野菜ジュースも飲んだ。でも総カロリーはそれほど高くなくても炭水化物の量が多い。パンはただ単にカツに押し潰されていただけだし、衣もしっかりついていた。今の私には完全にアウトだった。

そして夕食は街に出てもどこも感染対策が不十分に見え、割高とはわかっていたがホテルのレストランで安心して孤食もとい個食。パンはつけてもらわなかったが、付け合せのジャガイモは食べてしまった。そして、昨日の朝食もホテルで食べたがご飯少なめにと言ったのに150グラムぐらいよそってあった。コロナでビュッフェ形式でなくなったのが私には仇となった。おいしい里芋、かぼちゃもしっかりあって、もったいないと全部平らげた。昼は施設内のコンビニで買った弁当。ロカボ(低炭水化物)弁当を探したが見つからず、考えた挙句ご飯が少なそうなネギトロ丼にしたら、ご飯がネギトロに埋まっていただけだった。
新型コロナウイルス 感染症のリスク要因として基礎疾患のある人、というのがさかんに言われている。糖尿病、高血圧、心疾患などだが、先天的な要因のある人を除けば原因は肥満であることがほとんど。人工透析の原因の1位は糖尿病性腎症だ。今や肥満は新型コロナ感染症に伴う医療崩壊の遠因といってもあながち外れてはいない。医療経済上も糖尿病性腎症の増加による血液透析患者の増加は深刻だ。もちろん、肥満による高血圧とそれによる脳血管障害も深刻な問題だ。

今回、わずか2日外食を中心とした生活をしただけで、世の中にいかに不要な炭水化物が溢れているかということがわかった。基礎代謝の盛んな若い間はそれなりの食生活は許される。ラーメンをたっぷり食べたって悪いことはない。でも、中年以降はそんなご馳走は不要だ。中年以降の人間に金を使わせ、飽食へと誘うのは犯罪行為のように思える。禁煙は20年近く続いているが、適正な食事というのもこれからは行なっていきたいが、ただ単にタバコを買わなければできる禁煙とちがって、食事の場合外食ではなかなかコントロールできないので難しい。
自助努力

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COVID-19 による症状
最もよくある症状:
・発熱
・空咳
・倦怠感
時折みられる症状:
・痛み
・喉の痛み
・下痢
・結膜炎
・頭痛
・味覚または嗅覚の消失
・皮膚の発疹、または手足の指の変色





都会は疲れた

2020年11月16日 | スポーツ・健康・ダイエット
おはようございます。

今日も朝からいい天気。
窓を開けたらそれほど気温はさほど低くなく、空気は乾燥していて気持ちいい。

ただ、なんだかだるい。
それにのどが少しイガイガする。
なんだか調子が悪いと思っていたら、妻も喉がどうとか、私の弁当を作りながら言っている。
妻も私同様調子がいまひとつのようだ。
さては、東京行きがまずかったのだろう。
久しぶりに母校の近所を歩き回ったら歩数は1万歩を超えた。
鎌倉だったらこの程度で疲れるわけはないが、昨日は幹線道路の横とか、30年近く前に勤めたことのある病院へのバス通りとか、車通りの多い道を歩いた。
さらには、帰りがけには夕食を買いにデパ地下も歩いた。
電車はそれほど混んではいなかったが。

都心を通り抜けるとはいえ、勤務先との往復だけならさほど疲れないのだが、不慣れな動きをすると勝手が違ってしまうようだ。
もう、何年も前から東京に買い物に出かけると疲れると感じてはいたが、今回のコロナ禍でその度合いが強くなったのだろう。
駅前の広場には、大きなクリスマスツリーが設えてあった。
その横ではバンドが演奏していて、どこも人だかり。このご時世、こういうのが悪いと言いたいのではなく、東京の人たちってこういうのを平気で受け止めて、平気に暮らしている。
これって、すごいことだと感じる。
東京で育った身としては”ものすごいところ”で自分が暮らしていたものだとしみじみ思う。
少々だるいものの、今日も無事、新しい一週間が始まった。
なんだかんだいっても英気を養うことはできた。
自分が元気であることに感謝して大切に、そしていいかげんなことをせず、丁寧で、正確で、迅速な仕事をして過ごしたい。

少し日焼けしたせいもある

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久しぶりにぎっくり腰。

2020年09月21日 | スポーツ・健康・ダイエット
刀鍛冶の正宗さん(正宗工芸美術製作所)のところに包丁の研ぎを出しに行ったついでに小町通りのうどん屋みよしで昼を食べようと、順番待ちの用紙に名前を書いたのが運の尽き、1時間半も待たされることになった。

小町通りはすっかりコロナ前の人出で、待たされることがわかっている地元の人間が何を好き好んでと言われそうだが、みよしは別。そこいらの観光客相手の店とは違う。

今日は朝から土いじりをしていて、家に帰ったらその続きを始めたのだが、ものの5分もしないうちに、下に置いてあった肥料を拾い上げようとしたらぎっくり腰になった。

今回のは久しぶりだ。前回やったのは昨年10月。コロナ禍のあいだ、やっていなかったということか。それはそれで驚く。

それにしてもほとんど身動きが取れない。安静よりも動いた方がいいというのだが、結局のところほとんど動けない。
痛み止めを飲んで、一晩ゆっくりしていよう。

腰が痛いと、文句だ愚痴だという事をいっている場合ではなくなるので、かえって笑ってしまう。午前中には、園芸バサミで血豆を作ってしまった。気をつけて過ごさなくてはいけないいちにちだったのかもしれない。
後片付けは妻にお願い

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人間がもってうまれた寿命の長さとは

2020年03月10日 | スポーツ・健康・ダイエット
免疫力というものが年齢とともに低下する、ということを昨日考えた(体は隅々まで歳をとる)。免疫力の低下を食い止めようと体調をいくら調えたとしてもそれには限界がある。
今の私の体を想像すれば、血液を作る骨髄はスカスカだろうし、Tリンパ球を作る胸腺などは痕跡を見出すことすら難しいだろう。血管はコレスレロールがたまって、硬くなっているだろうし、ガン細胞の芽がどこかに潜んでいるかもしれない。もはや肉体は私の命を守ってはくれない。

織田信長は、”人生50年”と喝破していた。栄養状態のそれほど良くなかった時代、飢餓や感染症を乗り越えた強靭な肉体を持った人たちであっても、寿命は今の半分という感じだったのだろう。たしかに、50歳にもなれば、生物学的に有用なのは経験だけだ。男性であれば、20歳過ぎに知力、体力のピークがきて、それから知力のピークもしばらくは続く。40歳ぐらいから経験が加わるが、体力は衰え、積極的に外に出て行かないでいたらそれもジリ貧となる。女性であれば10代で妊娠が可能となり、体力を必要とする子育てを20〜30代でするようにできている。それが終われば、男性と大して変わらない。生物として私は長生きしすぎたのだろうか。

これでは人間も他の動物も大して変わらないということになるが、もちろん動物とは違う。動物としての人間も遺伝子を残すために生きているが、肉体的に脆弱だった人間は、子育てを社会全体で行うために、長老、おばばといった経験を積んだ年長者の存在も必要だったのだろう。そして、寿命の長い個体が人間社会の持続のために機能して、それが今の長寿社会につながってきた。残念ながら、寿命は伸びたものの、体の寿命はそれほど伸びていなかったのだな、と考える今日この頃。
それでも健康管理はしっかりと

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