こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

病院の病理医が行う“医学研究”…一臨床医として

2007年12月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
医者に得意分野というのがあって、それが内科だとか外科で、それがさらには消化器とか呼吸器とか神経とかにさらに細分化される。病理医である私にも一応専門があり、学会発表などしている。
病理で専門なんていうのはたかがしれていて、勤務先の病院で盛んな科が出してくる臓器が必然的に得意となって、いつの間にか専門家を名乗るようになっている。
そんなわけで私も診断をよくやっている臓器で、おや?と思う変化があって、今度の学会で発表しようと考えていたのだが…
やられていた。今月発行の雑誌に世界初として報告されていた。とんだクリスマスプレゼントだ…
でもね、自分が思いついた時には必ず誰かも考えてるっていうし…世界と戦うには、免疫染色とちょっとしたPCRだけではね。病院の病理医の限界というか、こつこつやっているとたまにはすこ゛いことに遭遇することも有り得るということか。
乗りかけた船、もう少し戦ってみようと思う。

30万丁

2007年12月18日 | 日々思うこと、考えること
日本には警察、自衛隊および非合法所有者のもの以外に30万丁もの銃器が、合法的に一般人によって所有されているという。
銃乱射事件は、考えたくないほど悲惨な、凄惨なことで、許しがたいことだ。
そして、すぐに明らかになったことが銃器の数だ。

10年ほど前、飲み仲間が猟好きで、連れて行かれた飲み屋というのが猟好きの親父がやっている店だった。私は猟はやらないので、かれらが猟の話で盛り上がっているのをものめずらしく聞いていた。そして、彼らが猟に興ずるふうを想像し、野鳥を撃ち殺す瞬間の気持ちとはどんなものかと考えたりしていた。

たまたまかもしれないが、彼らはみな血の気が多く、飲むと結構乱暴なことを言うことが多かった。さすがに、直接の友人のことを疑うことはなかったが、直接のかかわりのない、友人の友人あたりは、もし怒らせたら、猟銃持ってきたりするかな?なんて、思ったことが何度かあった。
佐世保の銃乱射犯は、友人を呼び出し、撃ち殺した。殺された方は、犯人を怒らせてもいないのにだ。

飲んでいてもこの猟好きの親父の店のどこかに猟銃があるのだろうと思うと、あまりいい気分ではなったのも思い出す。
銃の管理がろくにできない、馬鹿医者のこどもが、玉のこめてあった銃で死んだ。暴発とか、なんとかいっていたが幼い兄弟がその場にいたということだが、なにがあったのだろう。

銃規制についての議論が活発になってきたが、銃に関わるいやな思い出は結構ある。ハイキングをしていたら猟をしている銃の音が聞こえてくるなんてよくある。銃にかかわる良い思いでというのは、まずない。

議論はいろいろあるだろうし、銃を持っている人にも言い分はあるだろう。
厳重な管理規制をただただ望むばかりだ。

今回の一連の事件の犠牲者の方のご冥福を祈る。