こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

失うということ

2013年03月11日 | 自然災害・事故・感染症
仕事に疲れて伸びをして天井を見ると、2年前の今日、壁と天井の境にできたひび割れが目に入る。
外壁や廊下の修繕は済んでいるが、部屋の中などには地震の爪痕がまだ残っている。
本棚から落ちた資料類の片付けも終わっていない。

14時46分、院内に放送が流れ、病院全体で黙祷を捧げた。
黙祷の1分間はあの時の揺れに比べてずいぶん短い。
終わって外を見ると明るい。あの日は、何度も余震が来ていたのと、迅速診断を行っていたので、気がついた時、外はずいぶん暗かった。
あれから2年。

夜中、急に目が覚めて、寝床を出る。
妻の寝息が聞こえ、息子や娘の部屋の壁の向こうに感じる気配。ちょっと歩くとマルチーズのコロが軽く吠え、フラットコーテッドレトリバーのナイトのいびきが聞こえる。
もし、これらすべてから引き離されてしまったら、私はいったい、どうなってしまうだろうと想像してみる。

あの震災の津波で多くの人が家族と死別した。その悲しみはいかばかりだろうか。
絶望から立ち直ることはきわめて難しいに違いない。

そして、地震に引き続いて起きた原発事故。
住み慣れた家、町、ふるさとが放射能で汚染され、そこから引き離される。

手入れをして住んでいた家から離され、花の手入れもできなくなってしまう。

失うということは、なんとつらいことだろうか。
あの日、私たちは多くの命と心を失った。

現実の社会で、このような不条理が起こる。

被災された方々はいまだつらい生活を強いられている。
季節は春だが、本当の春は残念ながらまだ遠い。

何もできないまま、また1年が過ぎてしまった。

真面目に仕事をして、税金を納める。今のところ、それしかできない。