昨晩、小さな研究会があり、関西から来ていた病理の先生と帰りに食事をした。
例によって、ずいぶん飲んでしまったのだが、飲むうちに私もその先生もおおいに酔っ払って話が盛り上がった。
そこで言われたのが、
コロ健先生、先生は、夢を持ってはりますか?
先生、夢は持たなアカンですよ。そりゃ、先生が今からアイドルになるのは無理かもしれんけど、何か夢を持って、それに向かって進んでいくんです
はっきり言って、虚を突かれた。
「夢」と言われ、思い浮かぶものなどなにもなかった。
当面の片付けなくてはいけない仕事、それに付随するいくつかの事項はあるものの、将来の夢などというものを思い浮かべたことはなかった。
小学生のころの夢は外交官になって世界中を飛び回ることを夢想していた。
少し大きくなって、小説家になりたいと思ったこともあった。
結局、父の希望通り医者になった。
そして、それまで抱いた多くの夢は潰え去った。
医学部に入って、医者になったら将来ダウン症の弟の治療ができればと思ったこともあったが、染色体異常を根本的に治すこと(すべての細胞の染色体を入れ替えること)は無理と知ってあきらめた。
医者になって病理に進んだものの、そこでの専門は夢見ていたものとは別のものとなり、人事は私の希望とは違った。
こうして、「夢」などと言うものは次々と失われ、いつしか忘れ去った。
そこに来て、突然「先生、夢、持ってはりますか?」である。
その先生は52歳、不肖コロ健49歳。
お互いこの先何が何年残っているかもわからいような、そんな二人のおじさんが、居酒屋の片隅で、”夢”の話で盛り上がったのだった。
具体的な話はしなかったが、彼は確固たる夢を持って、その夢に向かって進んでいるそうだ。
正直いって、彼が、うらやましかった。
別れ際に、もう一度、
コロ健先生、夢はいいですよ。
先生も夢を持ってください。
そう言われた、それはほとんど励ましだった。
そして、私も夢を持つことにした。
だが、それから一晩たっても、夢は思い浮かばない。
さて、私はこれから夢を持つことはできるだろうか?
夢を持つにはどうしたらいいのだろう。
ちゃんと考えないと、夢を持つことはできない。