台風3号にせっつかれて、梅雨前線がようやく活発化してきた。
鎌倉を出る時は、少しだけ雨粒が感じられただけだったので、自転車で駅まで行った。
横須賀線の車窓からから外を見ると、結構な雨あしのところも途中にあったが、都内の駅に降り立った時には雨は降っておらず、いつもと同じように歩くことができた。
早い時間に降ったのだろうか、路面はところどころで濡れていて、花には水滴が残っていた。
いつもながらに歩いてみて、思ったのは、「人間、ぼんやり考えるということ(行為、時間)が必要である」ということだ。ずっと一つのことばかり考えているようでは、頭は疲れ、逆に何も考えられなくなってしまう。
とくに、先週、やたらと高いテンションで突入した日本病理学会が終わってみたら、ヘトヘトになっていて、この違いは何かと考えてしまう。
ブログの記事を読みかえしてみても、考えが思い浮かばず、却って苦労して文章を書いていたことがわかる。
ゆったりした気持ちで頭を休めながら、あれこれぼんやり考える。
病理学会の間も多少は歩いていたけれど、不慣れな街ではそうそうぼんやりもしていられななかった。
そういったことが意外に大切なことだと気がついた。
無駄に長い通勤時間の使い方の一つと思ってたが、今では私にとって、無くてはならないものになっている。
もちろん、健康のためにもなっている。


鎌倉を出る時は、少しだけ雨粒が感じられただけだったので、自転車で駅まで行った。
横須賀線の車窓からから外を見ると、結構な雨あしのところも途中にあったが、都内の駅に降り立った時には雨は降っておらず、いつもと同じように歩くことができた。
早い時間に降ったのだろうか、路面はところどころで濡れていて、花には水滴が残っていた。
いつもながらに歩いてみて、思ったのは、「人間、ぼんやり考えるということ(行為、時間)が必要である」ということだ。ずっと一つのことばかり考えているようでは、頭は疲れ、逆に何も考えられなくなってしまう。
とくに、先週、やたらと高いテンションで突入した日本病理学会が終わってみたら、ヘトヘトになっていて、この違いは何かと考えてしまう。
ブログの記事を読みかえしてみても、考えが思い浮かばず、却って苦労して文章を書いていたことがわかる。
ゆったりした気持ちで頭を休めながら、あれこれぼんやり考える。
病理学会の間も多少は歩いていたけれど、不慣れな街ではそうそうぼんやりもしていられななかった。
そういったことが意外に大切なことだと気がついた。
無駄に長い通勤時間の使い方の一つと思ってたが、今では私にとって、無くてはならないものになっている。
もちろん、健康のためにもなっている。

