こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

コロナでわかった要不要(下)

2020年12月24日 | 日々思うこと、考えること
新聞を取りに玄関を開けたら暖かい。南寄りの強めの風が吹いているけど、そのおかげで気温が上がり、体も今日はホッと一息。いつの間にかクリスマスイブ。昨晩、東横線を使うのに渋谷駅で乗り換えようと思ったら、少し迷ってしまった。渋谷の場合、学生時代通学で利用した記憶があるのが邪魔をするのと、東横線が地下に入って以来、地上も地下も動線がどんどん変わってしまうので仕方がない。渋谷では山手線から東横線に乗り換えるには一旦外に出なくてはならなく、ハチ公口から乗り換えようとしたらものすごい人出。これでも、かつての賑わいからは程遠いが、こんなではもう感染爆発は抑えようもない。なにより若い人が多く、彼らにとってはたかだか風邪の一つの新型コロナなど恐るるに足らない。中高年男性の重症化などよりもクリスマスの方がよほど大事と彼らが考えるのは当然だ。結局のところわれわれ中高年者自身が感染拡大を防ぐしか手立てはあるまい。それなのに、どこかの市議会ではコンパニオン付きの忘年会をやったとか(”宴会”した議員らが謝罪「コンパニオンはコロナ感染対策のため」と説明 愛知県西尾市)。

昨日は、社会で必要な人としてエッセンシャルワーカーと言われる人について考えてみた。今日は、不要と考えられる職業について。不要といっても、これまでには必要だったから現在存在するようになっているので、正しくはその価値観を見直す必要がある存在といえる。いま現在苦境に立たされている各種の職業が必ずしも不要なものとはいえない。スポーツにしても音楽にしても飲食業にしても、不要なわけがない。ただ単に、これまでとは違った形で提供しなくてはならなくなったということ。”これで稼ぐ”という人が生き残るのは難しくなるかもしれないが、”これがしたい”という人はそれぞれの分野で生き残っていけるのではないか。

私が一番不要というか見直しが必要だと考えるのは結局のところ議員と呼ばれる人たち。コミュニティーでの話し合いを代表して行う、決まり事を作る、そういったことを、行なってくれる人すなわち議員は必要な存在だ。ただ、こんなに高い給料を払う必要はあるのかと思う。高そうな布地の背広を着ている代議士がテレビに映っているのをみると、この人にこんな服を着てもらうために高い税金を払っているわけではないのにと思う。高級料理店での食事の話を聞いてもそうだ。この人たちにそうさせてあげるだけの価値があるとはとても思えないのだ。
政治家一般に言えることだろうが、”主導権を握ること”で存在感を出そうというのも、今回のコロナ禍を悪化させている原因となっている。医学的知識など全くないにも関わらず、専門家委員会を”分科会”に切り替え、東大出の担当大臣をつけて、主導権をコントロールしようとしているが、医療というのは人間の体について十分訓練した人間でなくては理解できないものだから、コロナのコントロールをしようなんて土台無理な話だ。そもそも医者は主導権を握ろうなどとは思っておらず、皆が健康になってくれることばかりを願っているのに、政治家にはそれがわからないのはとても残念。

議員が不要などという気は全くないが、その働き方は見直さなくてはならない。先日も書いたことだが、会議の大半はオンラインで行えるだろうから、すぐにでも切り替えるべきだし、そうしたら各種経費が大幅に削減されるはず。私の知る限りでも、給料にあたる議員歳費が2000万円で、文書通信費は月100万。あわせて3000万円以上のお金を税金で賄っている。こんなもの、国会休会中はズーム会議でやれば、月100万も要らないはずだ。国家存亡の危機にいったい何を考えているのか。少しでも生活の苦しい人に分けようと思わないのだろうか。そんなわけで、不要なことの一番、というか変えなくてはいけないこととして、議員の働き方、経費削減が最大のものだと思う。与野党ともにそうなのだからたまらない。議員の経費削減が無理だというなら、議員定数の削減か。
コロナ禍はもう、待ったなしの状況。今、多くの”不要”を見直さなくてはならない。菅さんも縦割り行政の解消を訴えているが、いかにもスピードが遅い。トランプさんが大統領令を次々と出したのを見習い、抵抗勢力を突破し、断行してほしいものだ。
そうでなくては今の政治不信、自身の支持率低下を防ぐことはできない。
起死回生はこれじゃない?

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