こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

コロナ大雨土砂崩れに考えること

2021年08月16日 | 日々思うこと、考えること
 前線が南下し、それに乗じて北の冷たい空気が来たのだろうか、気温が20度と肌寒い。妻はジャケットも着ておいた方がいいのではと言ってくれたが、長袖のシャツだけで出てきた。ジャケットを羽織っている人は少なかったが、ウィンドブレーカーの人はチラホラ。半数近くの人は半袖姿、短パンの人もいて、風邪をひいてしまうのではないかと心配になる。妻の勧め通りジャケットを着ておけばよかったかと少し後悔したが、電車に乗ってしまったら肌寒さもなんとかしのげた。長傘をもっていることもある、身に纏うものは少ない方がいい。ちなみに通勤電車はまだ空いていた。

 昨晩、下にあるものを拾おうとかがんだ瞬間に腰をやられ、思わず床に突っ伏しまった。湿布を貼って、痛み止めも飲んで一晩経ったがまだ痛みはひいていない。先々週あたりから少しずつ違和感を感じていて、まずいとは思っていたのだけど、面倒で何も手当てしていなかったのがよくなかった。しばらくの間、慎重に動くことにする。

 思わぬ時期の長雨で花や野菜は元気がない。暑すぎるのはもちろんだが、これにも困る。天候不順に土砂災害、新型コロナ。人間が引き起こしたと思われる災厄に世界中が見舞われている。旧約聖書をしっかり読んだことはないが、もしかしたら現代社会は数千年の時を隔ててソドムとゴモラになっているのかもしれない。当時と違うのは、善良であったら救われるというのではなく、全ての人間が多かれ少なかれ現代文明による”利”を得て生きているということだ。さらには無辜の人というのが必ずしも富裕層にいるわけではなく、貧富の差によって身分が固定化した結果が今の世の中であるということ。

 話がややこしくなるのでこれはこれぐらいでやめにして、また改めて考えよう。ただ、言えることは、ほんの少し前までは昔話や逸話を単純に信じていたらそれなりに幸せな気持ちになったり、実際幸せになることもあったかもしれないが、今やそんなことはまずなくなってしまったということだ。まあ、人類とはずっとこの繰り返しだったのかもしれないが。
政府は”何か”しろ

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします