こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

医師のバーンアウトと私の幸せ

2021年08月27日 | 生き方について考える
 今日も暑かった。朝の時点で28度もあった。日差しは真夏のそれよりは少し弱くなっているが、湿度が高くて気持ちが悪かった。今週は月曜日にまとまった仕事が入ったせいで、押せ押せとなってあっという間に過ぎ、気がついたら金曜日。先日、ちょっと古い医学雑誌を開いたら、『医師のバーンアウト(燃え尽き症候群)を防ぐには』という小文があった。時間つぶしに読んてみたら自分では医師としてあるべき姿として正しいと思っていたことが、実は自分の首を絞めていたこともあるようで、もう少し気楽にやったほうが良さそうだということに気がついた。ちなみにバーンアウトは、’情緒的消耗感・脱人格化・個人達成感の低下’の3因子で定義されているそうだ。

 人間誰しもが、幸せになりたいと思っている。私が求めている幸せとはなんなのかと考えると実際のところよくわからない。”幸せ”というものには様々な種類があって、一概にどれがその典型例かを決めることはできない。ただ、生きているほとんどの人はそれぞれの”幸せ”に少しでも近づきたいと思っているはずだ。そんな幸せというものが私には上手に描けない。

”それは、あなた(コロ健)がいま幸せだからだよ”

と言われてしまうだろうが、周りを見て羨ましいと思うことはたくさんある。才能、名声、地位、財産、健康・・・これがあったら、こうありたいというものをあげていったらきりがない。だから、幸せとは、こういった事項によって満たされるものではない。

 人間の欲なんていうものはそれほど大それたものではなく、ほとんどの人のそれはささやかなものなのだろうと思う。衣食住が確保され、命が守られていたらそれで御の字だ。その上で幸せを求めるとしたらそれは自己実現ではなかろうか。私の場合、理想の医師像、病理医像というのがあって、そこに届きたいと手を伸ばし続けているもののなかなかそうもならずもがいている。

 これまで、”足るを知る”という言葉(日の出、月の出 2014年11月14日)になんども向き合ってきた。全てにおいて理想的な存在というものなどどこにも存在しないわけで、人間にできるのはそれに向けて日々近づいていこうとするしかない。そして、理想像は自分なりに設定していいものなのだから、それを目指すあまり自分を見失うようなことがあってはならない。
ブログで息抜き

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします