いよいよ本格的な夏がやってきたような気がする。
熱帯低気圧から成金のように勢力を増した台風5号が北西方向へ抜けたら、日本全国すっかり夏だ。
そうはいっても、まだ7月。
戻り梅雨のようなものがあったものの、梅雨明けが早かった分、長い夏となりそうだ。

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻で、世界が包含する問題点、矛盾、限界が急速に明らかとなった。
この先のことを考えるにあたって、何か行動を起こす時、人間はみなまず自分の判断で動くので、結果として論点があまりにも多くなってしまうということがわかった。
なんの見返りもなしに他人のために死ぬ人はいない。
この先、私はまだしばらく生き続けるつもりで、そうであれば考えながら生を全うしたい。
そこで大事だと思うのが、不変の価値基準を持っておかないといけないこと。
ここまで書いて、「なんだ、これってずっと昔、2000年以上前にも考えたひとがいるじゃないか」、とモーセの十戒があるのを思い出した。
人間、考えることは大して変わらない。
私はキリスト教者ではないので、冒頭の神様についての部分には触れないでおく。
その後に続く、”あなたの父母を敬え””殺してはならない””姦淫してはならない””盗んではならない””隣人に関して偽証してはならない””隣人の妻を欲してはならない””隣人の財産を欲してはならない”については、絶対化していいか難しいところもある。
毒親を敬うとか、自分を殺しにきた人から自分の命を守るためでも殺してはならないのか、愛情が失われても相手に貞節を保たなくてはならないのか、悪人を懲らしめるために一切の嘘は許されないのか、などなど、反駁することはいくらでもできるが、それらはいずれも”常識的な”範疇を超えたところの話なので、例外としてここでは考えない。
では”常識的な”とはどう定義するのかといわれると堂々巡りになるので、先に進む。
人間の生き方というのが実はとても多様だということが明らかになるにつれ、個々人の中にその多様性が覚醒した、というのが今の世の中だ。
あんな考え、こんな考え、いろいろあるよね、ということだが、私として絶対に守らなくてはいけないことは、他人を殺してはいけない、ということだ。
殺人に意味はない。
戦争反対、は主義主張ではなく、戦争とは絶対的な悪であるという立ち位置でこの先も考えながら生きていく、ということだ。
もし、殺人を犯すとしたら、それは絶対的な悪を犯すということだ。
問題は、それらの悪をなしたところで必ずしも罰が与えられるわけではないということだ。
良心には期待できない
ランキングに参加中。
応援お願いします!