こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

子供たちにこそ多様性をきめ細やかに提供するべき

2022年10月28日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
腰回りに岡山行の疲れが残っているものの今日も元気に出勤、といいたいところだが、休みたいと思う気持ちがないわけではない。
ただ、私の診断を首を長くして待っている腫瘍科の〇〇先生だの、消化器科の〇〇先生の顔を思い浮かべると、”がんばって”行かなくてはならないと、奮起して出勤。

NHKも朝日新聞でも小中学生の不登校が24万人余りと過去最多を更新したということを報道している。24万人というとどのぐらいかわからないが、鎌倉市の人口が17万人なので、その1.5倍近くの子供たちが不登校ということになる。
わかっているだけで61万件ということだが、実際はもっと多いに違いない。
 
これらの数字が尋常ではないことは教育関係者でなくてもわかることで、なんでこんなことになってしまっているのかを大人は考えなくてはならない。
不登校の原因は必ずしもいじめだけでないから、1対1対応で考えることはできないが、深い関係はあるだろう。

私が子供の頃は、学校は行くのが当たり前のところだった。
学校は人間関係を構築していく上のトレーニングの場で、意地悪したり、意地悪されたりということを繰り返していた。
意地悪されたことを覚えているが、意地悪したことも苦い記憶として覚えている。
他愛のない意地悪は、陰湿化していじめと化している、いや、私がかつてした意地悪も、された方からしてみたらいじめだったに違いない。

こういうことを含めて、社会訓練の場としての学校は限界に達していているのではないだろうか。
いじめだけでなく、ただ単に旧来の学校というシステムそのものが"合わない"という子供は少なくないだろう。
そもそも学校が好きだったという人にとっても、では学校の何が好きだったのか。
いろんな人がいるから公立学校がいいなどという人もいるがではそれは社会的ヒエラルキーの中のどこに位置する人の発言なのだろうか。

無知でいたら必ず知識のある人によって搾取されるので、教育は絶対に必要で、全ての人にされなくてはならない。
だが、それはよりきめ細やかにお金をかけてなされなくてはならないことなのではないだろうか。
教育にお金をだそう
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