先週末、息子夫婦が遊びに来て、久しぶりに4人で夕食を囲んだ。嫁に会うのは久しぶりで、楽しい時間を過ごすことができた。私の勤務先も含め、それぞれが勤める病院ではクラスターは発生していないので、2家族での食事は許容範囲だったかと思っているが、あと一息でワクチン接種というところまで来ているので、もう少し我慢するべきだったかとも考える。症状の出る前に感染力が生じるという、新型コロナウイルス(SARS-CoV2)というのは本当に厄介だ。とにかく、おとといを起点として2週間は体調の変化に注意を払って生活しなくてはならない。
それはさておき、翌朝になって食洗機に入りきらずに洗い残しとなった食器の量に驚いた。さすがに鍋料理にはしなかったので、却って食器が増えたのかもしれないが、妻と2人の生活にすっかり慣れていた身としては久しぶりの大人数だった。遅くまで嫁と話し込んでいた妻が少し寝坊したので、昨日は私が朝から洗い残しを手で洗った。
食器の量に驚いたということを話したら、妻も前の晩、食洗機に入りきらなかったのをずいぶん驚いていたらしく、私に感謝してくれつつ、”(2人の子育ての間、あんな量)よくやっていたわ”と言っていた。妻は専業主婦で、家事育児に全力を傾注することができていたが、これに仕事が加わっていたりしたら水分大変だっただろう。世の働くお母さんたちへの支援をもっと拡充しなくては、少子化を抑えることはできまい。
息子と娘が出て行ってからのわが家は静かだ、そして夫婦2人となって共に年老い、いろいろ病を得ていくのだと実感する。それが新型コロナウイルス感染症なら、私は元喫煙者、(今は薬でコントロールはしているが)高血圧、男性と重症化リスクが3つあるから、死ぬことも覚悟している。妻は女性なので死ぬことはないだろうが、やはりかかったら面倒だ。がんのリスクなどわからないし、運動機能の低下か認知症が元で、不慮の事故にいつ遭遇するかも不明だ。互いのそういった命に関わるリスクを考えながら生きるようになり、これが運命共同体なのだとしみじみと思う。明日にでもどちらかに何かが起こるかもしれないのだと、いつもある程度の覚悟を持って生きているくことが大切だ。
人は必ず死ぬ