こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

院内に病理医がいることの意義

2024年01月26日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今朝もまた冷え冷え。
車窓からは真っ白な富士山が美しい。

私は今のところ一人で病理診断科を切り盛りしている。
結構孤独な毎日だが、私に対して意地悪をする臨床医もおらず結構大切にしてもらっている。
これというのは、私の年齢のせいもあるだろうが、それよりは4年近く病理医不在の時期があったことを覚えている人が多いからだろうと思う。
幸い、検体の一部を検査センターに出したり、隣接する総合病院の病理医、ほかの小児医療施設の病理医が一部を手伝いに来てくれていたので、仕事は回っていたが、カンファレンスやCPC、学会発表の準備などはできないでいた。
病理医というのは、診断だけしていればいいというわけではなく、その病院のアカデミックな部分の下支えをするという役割がある。

ただ、一人でいると、煮詰まったり、勘違いして思い込んだりというようなことが起こる。
そんなことを防ぐために、外部の病理医数名にコンサルタントとしてきてもらっている。
昨日はそのうちの一人の先生に来てもらう日だった。
私より5年次ほど上の先生で、いろいろなことをよく知っている。

昨日も頭がこんがらがってしまっていた複雑な症例を一緒に考えてもらって、ずいぶん助かった。
もちろん、仕上げは私がしなくてはならないが、何事においても多角的な見方をすることは大切だ。

昨日は、反町隆史演じる病院病理医が主役のグレイトギフトというドラマの第2話だった。
自分に降りかかってきた火の粉を落とすために、仕事そっちのけの感があるが、それでも講師からいきなり教授になってしまうという、相当無理のある展開だが、若手の病理医を失ってこの先、完全な一人病理医になってこの病院の病理診断は大丈夫だろうかと他人事ながら心配になる。
それとも検査会社に外注するのかもしれないが、それでは臨床医は困るだろう。

なにも検査会社の病理診断というのが悪いわけではない。
専門医資格を持った病理医が診断するし、専門領域の臓器診断をする病理医もいるので、精度はそちらの方がむしろ高いこともある。
それでもやっぱり院内に、いつでも相談できる病理医がいるというのは大切なことだと思うのだ。
内科医とか外科医とかいるのが当たり前と思っていたらいつのまにかいなくなってるなんてことを想像してみれば、案外それと同じことだ。
一人の知識ではカバーできない

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