今日は父の命日。
勤務医として多くの人を病院で見送ってきた父だったが、自分自身は自宅で眠るように旅立った。
あれから2年。
妻と一緒に墓に行き、父が好きだったナデシコを墓石の周りに植えたが喜んでくれているだろうか。
そんな父は私がやりたかったことのいくつかを却下し、私はいまだにそのことについてわだかまりを持っている。
昨日、ふと思った。
その時々、私はなぜやりたかったことをやりぬこうとしなかったのだろう、と。
父に与えられた環境の中でそれほどいいことはなく、むしろその都度失敗しながら生きてきだような気がする。
医師として専門を選ぶ時になって、私は初めて自分の進みたい道を自分で選んだ。
私が臨床医にならなかったのは、単なる父への反抗だったかもしれない。
病理医という職業を選んだことを後悔してないが、では、どうしてその前の人生の局面局面で私は自分の意思を貫かなかったのだろう。
親子のことは、他の誰にもわからない。
人間一人に父も母も一人ずつ。
だれもが親に対していろいろな思いがある。
そして、親からも。
父はどんな思いで私の人生に介入したのだろう。
そもそもそれは介入というようなものだったのか、それとも介入として自分の意思を貫かなかった私がただ単に父に自分の人生を委ねていただけで、自分自身の人生に無責任だったのか。
この先、答えがみつかることはあるのだろうか。
親子とは
共感していただきうれしいです。
失敗の多い人生でしたが、まだもう少しありそうですが、もう頼ることのできる父はおらず自力で歩いて行こうと思います。
一番大事な人生の選択の時、おそらくそれまでの私と父の全部をひっくるめて考えて選んだ仕事を、今も続けていられることのありがたさを気づかせていただきました。
ありがとうございました。
でも、コロ健先生はそれなりに多くの努力をされてキャリアを積んで成功人生を勝ち取っていらっしゃいますよね✨
私のような者が「共感」なんて言っては失礼だなぁとは思います😅
コロ健先生の意外な一面ですね😓
私は父親の虐待(暴力もふくむ)の中で育ちました。
今もパワハラを受けています。
それはともかく、
なぜ自分のやりたかったことを貫かなかったのか…
自分の過去や、また多くの人の葛藤をみて思うのですが、
親の介入に対し子供の段階で、それは意味がない、と気づくのは稀です。
不良行為に突き進んでいるお子さんなら別ですが、
普通に学校に行き、卒業して社会人になろうという人なら、
若年の段階で、親の考えは間違っているのではと気づく、
あるいはどうでもいいと踏みたおす、
それはかなり、無理です。
特に日本では自分で考える、人に反対意見を言う(考える)という訓練が
まったく教育されません。
父親に流されてしまった、と悔やまれている
その出来事はいつのことでしたか?
専門を選ぶ前なら、10代か20代のころではないですか?
私は、その年なら普通だ、とお伝えしたいです。
そしてそれでも、専門を選ぶ、その一番大事な人生の選択では
きちんと自分の方向を選ばれた、
それは素晴らしい胆力だったとお伝えしたいです。
どんなことを悔やまれているのか、
また貴方の人生や親子関係のことなど何も知らない身ですので、
的外れでしたら、すみません。
でも、自分の人生に無責任だった、などと
ご自分を責めないであげてください。
たぶん、たいていの若年の人には無理です。
そして今はそうして、あの介入は意味がなかった、と気付ける、その成長を誇ってください。
これからの貴方の人生が豊かに充実したものになることを願っています。
差し出がましいコメントを失礼いたしました。