差別される立場になって物事を考えてみたい。肌の色、性差、体格。ポイントは次から次へと出てくるだろう。
民族浄化などという言葉は歴史上繰り返し出てくる忌まわしい言葉だ。
私は日本人なので、欧米人からみると、肌の色が明らかに違う人間だ。でも、そんな私がその社会に入りたいと思ったとき、人種が違うということで拒絶されたらどんな気持がするだろうか。こういうことを考えるのが、想像力というものだ。
だから、障害があるということで、迫害されたり、ましてや殺されたりすることはあってはならない。不治の病にあるとか、年老いたとかということであっても同じだ。
そんなことになった世の中を想像したらどうだろう?自分が病気になったら、家族に障害者がいたら、両親がそして自分が年老いたら。そういうことを考えないということが、 自分本位ということだ。他者の気持に気がつかない、気づこうとしない。だが、そこまでなら仕方のないこともあるかも知れない。けれども、傷つけたり、命を奪ったりするようなことは、許されないことだ。
明日は我が身とも言う