若い先生と話すと相手がすくなからず緊張しているように見えることが多くなったような気がする。私の白髪混じりの中年太りの外見からしたら、彼らの親、中学・高校時代の年配の教師並みの歳だからむべなるかなと考えるようになった。中身はあまり進歩していないのに、外見だけはどんどん老けていっている。
実際、55歳といえば十分なおじさん、というか初老の域に近づいているのだから当然のことだ。
自分は自分であって、その自分をどう考えるかは相手次第なので、自分をどうこうしたところで、相手が変わるわけではない。だけど、社会規範を形作る上では年齢相応の身だしなみと振る舞いをするべきだと思う。
駅のホームでは走らず駆け込み乗車をしない、列に並んでわれ先にと席取りのために乗り込まない。自動車の運転なら、急発進をしない、あおり運転をしない、おまけに車庫入れが上手だといい。酔っ払って周りに迷惑をかけない。何にしてもマナー違反は厳禁だ。
職場では年長だからといって知ったかぶりはしないで、自分の専門領域をより深めた指導をする。学会や研究会でも同様で、自分の仕事を助けてくれた人、話す機会を与えてくれた人への感謝の気持ちを常に持ちながら振る舞う。
なによりも、他の人の人格、権利を尊重し、大切に考えるようにする。
歳を重ねてよかったのは、気配りや感謝といったことを考えながら生きることができるようになったことだろう。ただ、その分、目に見えない何かを失っているわけで、そういったものがあることを常に自覚して、謙虚に生きていくことが大切だろう。
自分勝手な振る舞いはある意味、滑稽であり笑いの対象にもなる。
残りの方が短いのだから