昨晩は小さな学会の症例検討会がWEBであり、そこでプレゼン&進行をつとめへとへとになった。
この秋の大仕事、第1号。
診断の取りまとめというのを参加者の意見を聞きながら行うというのはずいぶん大変だ。
私よりもっとふさわしい人がいるのに、しばらくこのお役が続く。
先が思いやられるが、任せられた以上は責任を果たすように努力する以外に道はない。
毎日毎日何例も診断していると、難解な症例、手の掛かる症例があって手を抜きたくなることがある。
不思議なのはそんなふうに、時には絶望的な気持ちになりながらも標本と格闘し、診断に辿り着こうとする。
診断が無理そうなら誰かに相談(コンサルト)する。
ちなみにこれができるか出来ないか(わからないことがわかるかどうか)が、病理専門医かどうかの境目になる。
プロなのだから頑張るのは当たり前なのだが、そのパワーはどこから出るのだろう。
というのも、病理医である私は、日々顕微鏡にだけしがみついていて、臨床医のように目の前に患者さんがいるとか、周囲に励ましてくれる同僚やコメディカルがいるわけでもない。
標本は客観的な物体ともいえる生体反応の無い組織に過ぎない。
でも、申込書にある名前、性別、年齢、そして病歴からその人となりを思い、この診断をその人がどんな気持ちで待っているのかと思い、それをそれをおろそかにしてはならないという思いが診断をしているとふと頭をよぎる。
病理診断を受けるなんてほとんどの人は経験しない。
来る日も来る日も診断をしていると、ルーチン業務などと口では言ってしまうが、そんなことはない、それぞれの診断がそれぞれの人の一生を背負っているということを忘れずに病理診断という仕事に向かいたい。
一例一例気持ちを新たに引き締めて
応援よろしく
コメントお願いします!