誰かの悪口を言ってしまうときというのは、自分とその人と意見とか考え方が違うからとか、利害が対立するいうことが多い。だからといって、そのことを理由に軽々しく悪口を口走ってはいけない。どんな言葉にしても、いったん口から出てしまったら、それを取り返すことができないからだ。後になってその言葉が逆の意味になるようなことはまずなくて、たいていの場合は取り返しのつかないこととなる。
言ったことを手のひら返しで、無かったことにしてしまおうというほとんど理解不能な人も、広い世界にはいないわけではないが、政治的な話をここではしたくないので、話を元に戻す。
さて、昨日私は、自分自身を見つめ直せば、ひとのことを悪く言わないことが可能になるかもしれないという考えまでたどりついた。
その人は本当に悪いのだろうかと、気を落ち着かせて考えることが大切なのはよくわかる。さらにそこで大事なのは想像力。その人が悪いのか、何を考えているのかと想像することが必要となる。ひとのことをあれこれ言う時、まずはその人の立場で考えることが求められる。
以前、私にはとても苦手な人がいた。その人とどうやって折り合いをつけていいかわからなかった。その人から逃れたくて、死んでしまおうかと思うほどだった。その時私がしたことは、”その人の良いところを自分で見つけようとした”ことだった。その人の中に一つでも良いところがあれば、いつもそこだけ見ていたら良くて、私も苦痛も消えるはずだった。でも、その人に良いところは一つもなかった。いや、私からみたらそれは見つからなかったのだ。
考えてみたら、そんなこと当たり前で、自分の都合からだけ考えていたら、苦手な人の中に自分にとって良いところなんて見つかるわけがなかったのだ。
結果として、私はその人の悪口を言っていた。揚げ足取りのようなことをしばしば言ってその人を貶めていた。たしかにそういうところがある人で、いまだにそう(らしい)のだが、そればかりで良いのか。そして、私の努力、すなわち自分本位にその人のことを評価し、その人には良いところが一つも見つからなかったことを強調した。だからその人は全くダメな人だと結論づけた。
その頃の私・・・まあ、今でもそうだが・・・は、浅はかだった。
その頃の私には想像力が足りなかったのだ。想像力とは、人を思いやる気持ちであり、勇気だ。
勇気がなくてはひとの気持ちにはなれない