こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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医療を哲学的に考えてみる(7)・・・患者の願いはなにか

2013年12月03日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
患者の願いは何か。この質問に対する答えは案外わかりにくい。

例えば、すべての人間は自らの健康を願っている。と仮定してみる。
はたして、この仮定が絶対に正しいと証明することは可能か。
自殺する人が少なからず存在することを考えると、この仮定が正しいと証明することは困難である。
それに、自らの健康を真に願っていれば、他人を傷つけたり殺したりすることは本質的にできない。



少し譲って、医療を求めて医療機関にやって来る患者のすべては自らの健康を願っている。と仮定してみよう。
それでも、自分の意志でなく医療機関を訪れる患者というのもいるだろうから、この仮定も正しいとはいえない。
そもそも健康をどのようなものと定義するかは難しいし、それぞれの人がそれぞれの健康というものを持っている。



前回(9月12日)、私は、医療というものが「ある病気になった人を、その病気になる前の状態に近づけるために、医学教育を受けた人間(医師)がある病気の人に対して、その病気を治すために行うこと」であるというところまで考えるに至っている。

そう、人間は変化が嫌いなのだ。だから、患者というのはその直前の状態に戻してほしい存在なのだ。

歯が痛くなったら、いたくなる前。
目が見えなくなったら、見えなくなる前。
胃が痛くなったら、痛くなる前。

たったそれだけの望みしか持っていない。それが患者という存在ではなかろうか。
そう考えると、医療者が行うべきことというのは、それほど大それたものではない。



そう、医者が行っている行為というのは、患者の命に関わるものである一方で、大局的にみたら、ほんの些細な、”直前の状態に戻すという”患者への手助けにすぎない。

では、医療者による”手助けということ”の意義について考えてみたい。


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