最近、哲学がブームだそうだ。
そのことを知ったのは、東京駅近くの丸善にはいったら、ちょとした哲学コーナーが作られていたのをみてだった。ポップに”いま、哲学ブーム”とかそんなことが書かれていた。素人向けの面白そうな本が何冊かあったが、衝動買いもどうかと思いとどまり、ポイントカードのある紀伊国屋書店で後日買うことにした。そして新宿の紀伊国屋に行ったわけだ。人文コーナーのカウンター前には哲学に関する本が平積みになっていた。高校時代、倫理でお世話になった山川まで哲学と銘打って本を出していた。今や、哲学に関する本はすっかり売れ筋のようだ。入門書のようなものを2冊、村上春樹の新刊と一緒に買い求めた。
NHKで"世界の哲学者に人生相談"という番組が数年前(2018年)から放送されている。毎回ではないがザッピングしていて偶然当たった時にはそのまま観ている。ざっくばらんな気軽な感じの番組で、もっと高尚なものだなどと大上段に構えてから観るとがっかりするが、哲学なんてこんなものかと考えたらいいのだろう。哲学者を聖人扱いする必要はない。哲学を人生の悩みの解決に用いることが適切かどうかはわからないが、最近のブームは自己啓発、自分発見、人付き合い、といったような生き方指南的なものの行き着いたところのように見える。哲学をしたいということが特別なことではなく、自分を知りたい、真理を知りたいと多くの人が考えていたということかもしれない。
私は哲学者になりたかったけど、結局なれなかった、というかなろうともしなかった。最近ではもう考えることを諦めている(考え過ぎの人生か - 2012年5月29日)。以前は哲学者になりたかったということをブログの自己紹介欄も書いていたが、みっともないのである時からやめた。ただ、哲学者であることと哲学することは同じではないということに最近気がついた。私は哲学者にはなれなかったが、考えながら生きることはできる。哲学は哲学者のものではなく、アマチュアであっても哲学しながら生きることはできるのだ。
同じ花であっても蕾であったり、鮮やかな咲いたばかりのもの、満開の大輪のもの、色あせ枯れつつあるもの、さまざまだ。命あるもの、時間の長短こそあれ、だれもが結局最後は死ぬ。死ぬまでの間、哲学しながら生きるということを目標にしようと思った。これが私にとってワクワクすることとなるかどうかはわからない。これまでにも何度か哲学めいた言葉を振り回してみたけれどどれもエセだった。こんどこそ、少し勉強し、少し継続してやっていこうと思う。
単なる教養ではなく