こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

勉強が追いつかない

2021年06月15日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 梅雨入り宣言はやっぱり昨日出されて、関東地方にも本格的な雨季がやってきた。午前中のうちは好天とのこと、段ボールなどの資源ごみを出しながら、今日の回収ではこれらが濡れないので、回収する人の手間も少しは減るのではないかと思い、ホッとする。昨日持って出た傘はそのまま置いてきたので、帰りには役に立つだろうと思っていたが、電車に乗るまでは降られずに済んだ。明日は前々から雨の予想だからちょうどよい傘のサイクルになったと、小さく喜ぶ。

 雑誌の連載(掲載は4月号から9月号まで)もいよいよ今月書くので最後の6本目。かれこれ昨年暮れごろからよく頑張ってきたものだ。私の専門分野から経験してきたあれこれの症例をピックアップしてきたが、いよいよネタ切れ。そんなわけで、あまり得意ではない遺伝性疾患に挑戦することにした。10年ほど前まではこれらのことにも多少は詳しかったのだが、ちょっと不勉強しているうちにずいぶんと後れを取ってしまった。ただ、最近がんゲノム医療が本格化してきて、私もがん診療を行う病院の病理医として否応無しにエキスパートパネルに参加するようになって、耳学問であれこれ知るようになった。

 医療は日進月歩だが、本質的な部分ではそんなに進歩しているわけではない。対象が人間だから当然といえば当然かもしれない。病理診断は組織学の延長のようなものだし、分子生物学は基本的にはDNAの二重らせん構造が1953年に発見されてからはその原則に則って進歩していて、これを覆す理論はない。以来、免疫組織化学やPCRといったエポックメイキングな技術革新はおこなわれ、多くの病気が形態学的に分類されたり、遺伝子解析が行われたりして、様々のことがわかってきて、人間の寿命はまた10年ぐらのびたのかもしれないが、学問的な部分についてはなんとか追いつくことができそうだ。そんなわけで、殊勝にもエキスパートパネルや学会で聞いていた、”新規の”用語を勉強し直している。

 そんな用語も、一つ一つきちんと整理したら、理解できるはずなのだがなかなかそうもいかない。原因の一つは、これらの用語に対する適当な日本語訳を作るのが追いついていないからで、理解が進まない。遺伝性腫瘍の原因となる遺伝子のことを、がん易罹患性遺伝子(cancer predisposition gene)なんてそのまんまいわれても、逆に日本語が難しくかえって混乱してしまう。そんなことを言っているばかりではキーボードを打つ手が止まるばかりなので、毎日ウンウン言いながら、自分が日常診断で行なっていることの本質的なこととはなにかということを考えながら原稿を書いている。幸い、病理形態学的な部分はなんとかなりそうで、脱稿の目処はおぼろげながら立ってきた。ただ、そうこうするうちに、出版社から2本前の原稿の著者校正が回ってきていて、少し混乱する。気が緩んだついでに調子に乗って論文の査読も引き受けてしまったが、さすがにこれには後悔している。
こんな話もあと数年

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昨日の半分寝落ちのエントリー

2021年06月14日 | 日々思うこと、考えること
 気温は低めだが、湿度が高い。昨日までと違い、蒸し蒸しする。いよいよ関東地方にも梅雨がやってきそうだ。

 昨日は、ブログを書きながら若者の自殺が増えているというNHKの番組を見ているうちうつらうつらしてしまった。番組は力作で興味深くみていたが、昼間の庭仕事の疲れが出てしまった。目が覚めたら11時少し前でG7サミット関連のニュースが流れていた。おかげで総理の記者会見をリアルタイムで見ることができた。ずいぶん短い会見だったということ、あの人はどこを見て話しているのだろうということ、新規な内容はなかったということ、そんなことしか印象に残っていない。

 そんなんで、なんだかよくわからないエントリーになってしまって恥ずかしい。読み直したらひどい書き損じがあり、さすがに少し手直しした。自分としては内容は分かっているので、大きく直すのややめておいて、朝のうちにこのエントリーに切り替えておく。

 今週は与野党攻防、国会会期延長か内閣不信任案か。国会の論戦しか存在意義のない野党としては国会の会期を延長してほしいところだし、やればやるほどコロナ対策、オリンピック対策で馬脚を露わす与党としては、長い夏休みの間に五輪を中央突破し、次の選挙に備えたいところだろう。

 政局含みとなってくると、国民の存在というのがどのぐらいのものなのか、急にぼやけてきてしまう。
政治に緊張感を

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起死回生?それとも・・・

2021年06月13日 | 日々思うこと、考えること
 G7サミットが終わっての総理大臣のコメントを聞いた。ほんの5分足らずの記者会見だった。各国首脳とディスカッションをした様で、オリンピック開催への賛同を得たらしいが、これが今回のお土産になるのだとしたらお粗末だ。

 G7 。ヨーロッパ4カ国、北米2カ国に対してアジア1国。インド・ヨーロッパ語族6に対して、アジアは1国で、まあよく頑張っている。日本が持っていることのできる最後のプライドの様な気もする。
 中国に一番近い国であり、その立ち位置は微妙だ。それでも海洋問題を考えると中国に厳しく対峙していこうという意思は確かなものでようだ。中国との経済的なつながりの強い国はあやふやにしたかったかもしれないが、この点はまあ頑張ったほうだろう。

 今回のサミット、総理にとって起死回生となるだろうか?それとも、この短すぎる記者会見で叩かれるだろうか?
それにしても静かな中国

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この国はいつの間に

2021年06月12日 | 日本のこと、世界のこと
オリンピック・パラリンピックを決行するかどうかであたふたしているなか、わが日本の総理大臣はG7サミットに出かけている。ワクチン接種が遅れているからだか何だかわからないが、存在感のなさが際立っているらしい。私から見たら、ワクチン接種云々というよりは、昨日書いた通り日本の政府が”何もやってこなかった”ということを見透かされているからではないだろうか。

日本の感染者数が少ないのは島国なのと、生活習慣に助けられている面が多いと思う。中国のような強権主義による感染抑制(ができているとすればだが)策も参考にはなるが、民主主義とは相いれない。1年半たってロックダウンに関する議論は一向に進んでいないのに、国会はもうおしまい。次は総選挙後。

G7に参加している他の主要国に引き比べ、いまやこの国ははっきりと劣っている様に映る。かつては、G7を強力にリードしていたのが今や遠い昔のことの様だ。一体いつの間にこんなことになってしまったのだろう。

わが首相がお土産に何を持ち帰ってくれるかはわからない。というか何も期待していないが、帰ってきたらG7出席を自信にしてしっかりしてほしい。
がんばれ

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試験前の茫然自失

2021年06月11日 | 日々思うこと、考えること
 おとといの党首討論、ここまで極限状態まできてしまっているからにはさぞ建設的なディスカッションが行われるのではないかと、一縷の望みをかけていたのだが、ネットニュースのトップ記事にはなっていなくて、”政治”のところにやっと入っているだけだったのには、大リーグエンゼルスの大谷が3打数3三振1四球だったと同じぐらい、拍子抜けした。その夜のテレビニュースで総理がオリンピックに関し、”国民に対して(また例によって)丁寧に話すことができた”という様なことを話しているのをみたので、具体策の様なものが提示されたのかと思っていたら、どうもそうでなかった様だった。CPCでヘトヘトだったので、詳しい話は見ないで寝た。

 そして昨日になって、党首討論で総理が”少年の頃のオリンピックにまつわる思い出話”をしたとかいう話を知って、この世の終わりというか、なんというか虚脱感に襲われた。”対応している感”、”説明している感”、そんなのがいつまでも通用すると思っているのかよくわからないが、一体どうなっているのだろう。一つは、優秀なブレーンが周囲にいないことが想像される。前総理には恫喝上手な官房長官はじめ、彼の行いたい政治のために適材適所に人を置いていたが、現総理にはそういった人がいそうもない。だが、コロナ対応で参謀を疎んじる様なことをするのでは、今後もついていこうという優秀な人はおそらくいない。そして、時間ばかりが浪費されていく。

 この光景を見て、自分の学生時代のことを思い出した。試験対策情報を集めるのが下手くそで試験には苦労した。初めのうちは講義はよく聞いていたので、自分1人でどうにかなると思っていたが、試験前になると、膨大な講義内容が平面的に広がっていてどこから手をつけていいかわかない。焦ってあれこれやろうとするが、浅く広くとなってメリハリ無くちょっと突っ込んだ問題が出るとお手上げだった。今の政治も、大した能力のない人たちが右往左往して、茫然自失の体をさらけ出している。このまま何も手を打つことができずに、オリンピック・パラリンピックに”なんとなく”突入してしまうのは火を見るよりも明らかだ。

 ある意味、人間がすべて消え去るまでは新型コロナウイルス感染症を完全に解決することは不可能だと、開き直ってしっかりした参謀のもとどうやったら正面突破ができるかを考える時ではないか。たとえば開会式、閉会式を含め全試合を無観客でやるとか、損切りしてでもやることを考えたらいい。なんのためのオリンピックなのか、なんのためのスポーツなのか、その存在意義そのものが問われているのだから、それらを守るにはどうしたらいいかということだ。あたふたしているうちに、否応なしに試験は始まる。
オリンピックと大リーグ

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新型コロナと血管内皮細胞傷害

2021年06月10日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 昨日、CPC(臨床病理検討会)を開催した。治療に難渋した症例で、診断にも苦慮した。主たる病態は血管内皮細胞傷害で、これに基づく全身症状が死因と結論づけられた。血管とは全身くまなく巡って、ほとんど全ての細胞に栄養と酸素を供給している管だ。この血管に傷害がもたらされたら、当然のことながら全身に影響が出現する。こういう重篤な病態を、どのようにして早期に発見して治療に結びつけるかが議論の中心となった。

 この血管、水道管の様なただの管ではなくて、その裏側は内皮細胞という薄い膜によって裏打ちされている。この内皮細胞の役割は多岐にわたっているが、これを傷害する因子があれば全身もしくは局所に様々な変化が起きる。代表的なのは、腎臓の糸球体という毛細血管の塊に多数の血栓が形成される血栓性微小血管症で、腎機能不全を呈する。傷害因子のターゲットは血管内皮細胞だから、結果として全身の血管に大なり小なり障害を生じる。結論が出たといっても、その機序は複雑かつ広汎なので、ピンポイントである様で、大雑把でもある。

 新型コロナウイルス感染症でもSARS-CoV-2が血管内皮細胞傷害を惹き起こすことが、新型コロナ感染で亡くなった方の病理解剖の報告でわかってきた。喫煙者、高血圧、糖尿病、心不全などの”基礎疾患”を有する人は血管内皮細胞が若者よりも弱いので、傷害を受け易いということだろう。基礎疾患がなくても、若者より加齢性変化を伴っている老人の方が重篤な傷害を受ける可能性は高い。若い人は感染しても重症化しないのは血管が若いからという言い方もできる。一部の人が”ただの風邪”と言っているが、これはあながち嘘ではない。コロナは若くて健康な人までは巻き込まないのだから、”若い人にとっては”ただの風邪と言えるかもしれない。ただ、若い人すべてが内皮細胞が健康かどうかはわからないし、”たまたま”内皮細胞傷害が増悪してしまうということもあるだろうから、うつされないに越したことはない。

 そう考えると若者と年長者は切り離すというのもコロナ対策の一つの手法となりうる様にも思う。実際、ワクチンを受けるまで家に引きこもっていたというお年寄りはたくさんいる。若者の間に年長者は入っていかなければいいのだが、病院などは若い人の力で支えられているわけで、完全に分離することは困難だ。となると、老人と接する機会の多い若者には老人との接触機会をなるべく減らしてもらうしかないし、われわれ年長者はなるべく若者を遠ざけるしかない。少々寂しい気もするが、ベネフィットが上回るのであれば今後もそうすることが最善の策ということになる。
年寄りは自己管理

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この政治家たちを育ててきたのは私たち

2021年06月09日 | 日本のこと、世界のこと
 いまさらオリンピックを延期、中止するわけにはいかないだろう。もう、やるやらないを表明しなくては、入国後の待機とか、ワクチン未接種の人の入国への対応とか間に合わない。絶対中止、という基準を明示することぐらいできるだろうになぜそれをしないのか。例えば東京の重症患者の病床使用率が90%を越えたらやめるとか。結果に対して責任を取る覚悟がないからすべてが腰砕けとなる。入国基準だって、こっちが来られる方なのだから勝手に決めたらいい。どこかの国だったら、自国の金メダル候補のライバルとなりそうな選手を弾くぐらいのことだってしそうなのに、何に忖度しているのだろう。

 コロナ対策の政府の分科会の尾身会長が、感染リスクなどに関する見解を関係者に伝えたいという意向を示したのに対し、厚生労働大臣が「自主的な研究の成果の発表だと受け止めさせていただく」と一蹴したが、その後、この件に関して釈明したという。大臣たるものが、軽々に、それもこれほど重大なことに関して釈明するとはいったいどういうことだろう。大いに受けて立てばいい、喧嘩をするなら最後までやったらいいだろうに、そうしない。今回も忖度する様な人間ばかりを周りに置いたつもりだったのかもしれないが、そうでなかったのは期待外れだっただろう。これまでの取り巻きは、一緒になって都合のいいことをする様な人ばかりだったのが今度はそうでなかった。医者は自分の免許がかかっているから、いい加減なことはできない。国民全ての命を預かっていると思えば、政治家に忖度してはいられない。

 コロナ禍が始まって以来のこんな政治家たちの姿を何度も見せられ、信念がない、責任感がないと思われても仕方あるまい。これまでは”やっている感”があれば済ませてこられたが、コロナ戦争ではそうもいかない。利権も何もない敵に対しての戦いに退路はない。それなのに、総理大臣ですら責任逃れの道を用意しながら仕事をしているように見える。今となっては仕方ないのかもしれないが、こんな人達をトップに据えてしまったわれわれ国民は自分たちがいかに政治(選挙)を軽んじてきたかを猛省すべきだ。

 与党の幹事長がしゃあしゃあと「ずいぶん政治とカネの問題はきれいになってきている」 と言ってのける世の中にしたのは私たち国民だ。そのことを全く考えないできたものだから、素晴らしい憲法があり、(開票に際して)不正のない選挙が行えるのに、カネカネカネの政治にしてしまっている。金に流されている有権者は、情けなくならないのだろうか。正義とは、それほど大変なことではない、ほんの少しの勇気と良心を持てば実行できることだ。
なんとかしよう

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多くのことを見直すチャンスだけど、日本にそれをする勇気はあるか

2021年06月08日 | 日本のこと、世界のこと
 妻と蕎麦屋に入った。結婚前からたまに行っていた店で、うどん党だった私を蕎麦好きに転向させてくれた都内の老舗だ。酒を出さないという張り紙があり、検温機がついた手指洗浄用アルコール噴霧器が置いてあり、店員のチェックを受けてから席を案内された。振り返ってみたら、この店に最後に来たのはコロナ前。あっという間に1年半がすぎていた。一瞬のことのようだが、妻も私も、すべての事物が1年半歳をとったということだけは確かだったし、実際様々なことが変わった。

 隣の席の客が食べ終わった後、店員がアルコール消毒をしている。都心の店ということもあってか、個食の人が多い。私たちも黙食に努める。”個食を孤食と書くことについてどう考えるか?”という話をしようかと思ったが、バカバカしいのでやめて、黙々と食べた。すすって食べるのもなんだかはばかられ、思わずつゆをたっぷりつけてしまった。この先、食事のマナーも徐々に変化していくだろう。それにしても、何も話さずに食べるというのは味気ないものだ。

 コロナ禍で世界は変革の時を迎えた。人流(こんな言葉の出現自体異様だ!)抑制、人との接触抑制、これに反する業態、行動は反社会的な行為となってしまった。不要不急、要不要、そんな言葉が全ての人に対して突きつけられた。旧態然としたことにしがみついている人は追い込まれ、退場する人もいる。ポストコロナ時代はこれまでの社会全体のことを見直す時だ。

 効率化を目指してやってきたことの歪みが図らずも露呈したわけで、そうしたことをどうやって乗り越え、どうしたら人類全体が幸せになれるかを考えなくてはいけない。様々なシミュレーションを行って、それぞれに対応する策を作る必要がある。まずは、COVID-19以上の強力な生物兵器が作出されたときに、これに対応できる体制を作ることだと思う。
それほど期待していない

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責任を取るのならそれでもいいが

2021年06月07日 | 日々思うこと、考えること
 梅雨前線はしばらく南下するとかで晴天が続くらしい。関東地方の梅雨入りはもう少し先になるのかもしれないが、気温だけは少しずつ上がっていくようで、口の周りに汗を感じるマスクが苦しい季節がまたやってきた。コロナ禍2度目の夏はいよいよ東京でオリンピックが開催される。

 昨日は多くの東京オリンピックの代表がたくさん決まったらしい。選考には悲喜こもごもあるだろうが、選ばれた人は頑張ってほしい。なんのためのオリンピックなのか、そしてなぜオリンピック開催に突き進むのかはよくわからないが、この間から書いている通り、その結果に対して政府が責任を取るというのであれば、やろうがやるまいがどうでもいいのではないかと思う。

 心配なのは、参謀である新型インフルエンザ等対策有識者会議会長の発言を、”自主研究”と一蹴したことだ。作戦本部で1年以上苦労を分かち合い、意見を聞いてきたはずだった人と、なんらの意思疎通もなく、信頼もしておらず、都合よく利用してきただけだということが露呈したのだ。

 政治家が主導するのはいいが、今の政治家たちの一体どれほどが最終的な責任を取る覚悟があるのかわからない状況で、”オリンピックには関係ない”と、参謀を切り捨てるなどということはあってはならないことではないか。この先の政策が暴走することを危惧する。
やってらんない

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忙しくて、あっという間

2021年06月06日 | 日々思うこと、考えること
 雨が降るというので、早起きしで1日が始まった。
昨日かっておいたお花で寄せ植えを作ったが、予報通りに雨が降り出した。
 午後には雨は止んで、夕食の買い出しに。
 街中には多くの人。
 飲食店の前を通りかかったら大声が聞こえた。一緒に歩いていた妻とのぞいたらノーマスクで大声でご歓談。
そりゃ、感染は拡大するわな。

 こんなものか。
 ニュースで、1年以上電車に乗っていないと話しているおばさんがいた。みんながみんなそうしてくれたらいいのだけど、どこかの飲食店でノーマスクで大声でしゃべっているような人が、気がついたら重症病棟を占拠している、そんなことにはならないでほしい。

夜は飲みすぎた

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土曜は土曜で忙しい

2021年06月05日 | 鎌倉暮らし
雨の合間をねらったかのような晴天。
近所の小学校から運動会の声が聞こえてくる。
その喚声を聞きながら、町内会有志でゴミ集積所のカラス対策のための修繕をした。
”ベテラン”住民のおじ(い)さんたちの指導を受けながら、最年少が45歳の若手3人が手伝って直した。
災害に備えてそこそこ若い人間が顔をあわせるというのも大切なことだ。

それにしても土曜日だからと言っても、結構忙しい。
今のところ、私には社会的なというか仕事上の顔と、地域での顔と二つがあることになる。
それと、あとブログのコロ健という顔。
いずれもそうたいしたものではない、というか、こんな程度の人間でも、いくつかの顔があるのだから、愛人がいたり、闇の顔があったりとか、いろいろな顔を持っている人はさぞ大変だろう。
家庭菜園のプランターに大きな蛾がいた。
が家のどれかを喰って育ったのか、たまたまどこかからやってきたのかわからないと、その毒々しい姿を見て思った。
カラスにしてもこの蛾にしても、生き物というのは人間などには想像もつかないことをしている。
それが、まあ多様性というものなんだろう。
明日は悪天候らしい

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東京オリンピックまであと50日を切って

2021年06月04日 | 日々思うこと、考えること
 全国的な大雨になるという予想。朝からの雨で、カン・ビン・プラスチックゴミも傘をさしつつ出しに行った。風も強くて、駅前ではお猪口になった傘が飛んでいかないように押さえている人を見た。東海地方まであっという間に梅雨入りとなったあと、しばらく小康状態となって晴天に恵まれることも少なくなかったが、いよいよ雨が多くなりそうだ。明日明後日もぐずついた空模様との予想で、そろそろ梅雨入り宣言が出されるのではないか。6月に入ってからならばそう違和感はない。

 東京オリンピックまで昨日であと50日、どうやら政府の中央突破で強行開催されそうだ。どうせやるのなら、責任は取るから必ずやる!と宣言したらいいのに、なんとも煮え切らない。”悩みに悩んで”というところを演出したいのだろうが、一部の人がいくら悩んだところで、それはあまり関係ない。国としてやるのであれば、それはそれで国民は従うしかない。戦争の時と一緒で、戦争に賛成する人もいれば反対する人もいるのと同じだ。今、政治を為しているのはわれわれが選んだ人たちであって、それはコロナ禍の有無に関わらない。そしてその人たちはこれまでずっと一緒にやってきた人の意見を"自主的な研究の成果発表"と一蹴してしまうのだから恐ろしい。

 新型コロナウイルス感染症の新規感染者数は、緊急事態宣言の効果があってか、確実に下がっている。このまま頑張ったら全国で1000人/日となるのも夢ではない。やっぱり、飲食店の閉鎖の効果はあったのではないだろうか。”人流抑制”にしたって、通勤・通学で毎日(私を含めて)こんなに多くの人の移動しているのに、そのことによる目立った問題は起こっていない。行った先で、飲めや歌えがあるからいけないのではないか。そうした証拠を出せと言う人がいるが、そんなのはナンセンス、というか揚げ足取りでしかなく、感染拡大の原因をピンポイントで挙げることなどどうしてできるだろう。複合的に行ったいくつかの施策が当たったから減っているのだとわからないのだろうか。そもそもそういうことはすべてが沈静化してから検証すべき問題であって、今、答えを出す出さないの問題ではない。走りながらみんなで知恵を出し合っていかなくてはいけない。

 オリンピック・パラリンピック、”PCR"検査で陰性の数万人の人が国内に入ってくる。それは、少し濁っている泥沼に、同じような濁り方の水を入れるようなものではないだろうか。それよりは、その数万人の人によってもたらされる経済効果、それがたとえ限局的なささやかなものであっても、それを取ろうと舵を切ったように見える。それならそのことをはっきりと言った方がいい、”オリンピックは平和の祭典”、だなんてまともに考えている人は今やほとんどいないのだから。
選手はほとんどプロでしょう

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日々の記事の言葉の命とその時間

2021年06月03日 | 生き方について考える
 今日は、7月並みの気温になるそうだが、まだ6月3日。先が思いやられる。世の中の話題がコロナ禍と東京オリンピック・パラリンピックに占められるようになり、最近ではもうエントリーする気力が失せつつある。だからと言って止めることもあるまいと、過去の書きかけのテーマを使おうかと見直したがどうも面白くない。これらの多くはボツ記事に行ってしまうのだろう。それでも何か思いつかないかと考えてひねり出したのが今日のテーマ。

 書くべきことというのは日々変動し、その時々に心に浮かんだこと、考えたことを反映させることこそがブログを生きたものとしている。そんな言葉たちを、いったん掴むことができたらしばらくの間離さずにいて、そこから考えが広がるかを吟味する。そして次の言葉が出てくるようであったら書き始める。一度生まれた言葉の命は大切に扱ってあげなくてはならない。

 その時、思ったこと、それに引き続いて浮かんでくる言葉というものは生きていて、その命はほんのわずかな時間しかない。ブログには普遍的なことを書いているつもりなのだけど、今ではその言葉の普遍性がコロナ禍による影響を少なからず受けるようになってしまった。新型コロナウイルス感染症は瞬間的な社会変動ではなく、ウィズコロナ時代としてこの社会を丸ごと飲み込んでしまった。もう、これに抗うというよりは、ともに生きていかなくてはいけないだろう。

 先日、私がよく読ませていただいていたブロ友さんが”アクセス数を上げたかったら、まずは高校生ぐらいが書く(読みやすい)文章にすること”と書いていた。なるほど平易な語で、理解する努力の必要のない文章の方が読む方は楽だ。アクセス数の多い=多くの人の共感を呼ぶ文章、というものを書くことができる人というのは羨ましいが、残念ながら私にはそんな文章を書く技量は無く、いつもくどくどとあれこれ書き連ねてしまう。ただ、自分から生まれてきた言葉というものをどうやって大切に扱うことができるか、それを考えることをやめてはいけないと考え、日々過ごしている。
てにをは誤字脱字

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死ぬことは人に代わってもらえない・・・2021年5月の読書記録

2021年06月02日 | 読書、映画、音楽、美術
 クララの話は、珍しく妻と読みたい本が一致した。ところが、読後感はかけ離れていて、長年一緒に暮らしていてもこんなものかと、少し驚いた。夫婦とはいえ、しょせんは他人、これもまた同床異夢といえるだろうか。今から映像化が待ち遠しいところだが、これまでこういう話、日本のコミックにはなかったか?
 ハイデカーは薄めの本だったが、読み進めるのにはけっこう時間がかかった。自分がどうして存在しているのか、いまだによくわからないが、それはおそらく死ぬまでずっとわからないだろう。ただ、死ぬ瞬間にそのことがわかったら、ずいぶん幸せなんじゃないだろうか。
 こうして2つの話を並べてみると、人間と人間に続いて出現したAIという存在がこの先、どんな関係に落ち着いていくのか興味深い。

読んだ本の数:2
読んだページ数:581
ナイス数:33

最初から最後まで、さまざまな光に包まれた美しい話。 映画化するのはたいへんだろう、だってAIが認識している画像というのはよくわからないから。クララはあくまでも機械であって、人間ではない。淡々としたラストは素晴らしい読後感を与えてくれた。クララの功績を誰かわかってあげてくれたら、とちょっと思ったがクララにとっては不要なことなのだろう。
読了日:05月27日 著者:カズオ・イシグロ

ハイデカー哲学というものに初めて触れた。誰にも代わってもらうことのできない自らが死ぬ時こそ、自らの存在を確認できるというのは、幸せなことだ。その時、「ああ、いい人生だった」と思える人生を送ることができたら、幸せだろう。ハイデカーの哲学は私にそんなことを考えさせてくれた。
読了日:05月17日 著者:貫 成人

AIに死はあるか

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今までが稼ぎ過ぎだったのではないか

2021年06月01日 | 日々思うこと、考えること
 未明にものすごい音がして目が覚めた。雷こそ鳴ってはいなかったものの、雨がずいぶん降っていた。それでも眠気には勝てず、すぐに寝入ってしまった。次に起きた時にはすっかり夜は明けていて、空の埃はすっかり落とされ、澄んでいた。気温も少しひんやりしている。こんな気持ちのいい朝から始まると気持ちがいい。

 気持ちよく出かけても、電車は通勤通学の人は多く、いきなりストレスが募る。すれ違う列車を見ると、鉄道会社はずいぶん人を押し込んでいるものだとつくづく思う。おしくらまんじゅうのように乗り込んでいる車両も見える。当たり前の光景だが、これは交通機関に限った話ではない。飛行機のエコノミークラスにしてもそうだし、スポーツ競技場のスタンド、映画館、劇場、コンサートホールの座席、あと、居酒屋の席にしてもそうだ。こういうあまりにも狭い風景というのは異常なんじゃなかろうか。

 新型コロナウイルス感染症対策で一つおきに座席を空けるようになり、一人当たりのスペースはこれまでの1.5倍ぐらいとなったのではないだろか。そしてこのぐらいがもともとは適当なサイズだったんじゃないかと思う。これまであまりにも売り手市場だったわけで、これからはもっと見直して、買い手すなわち客にもう少し優しい業態となっていいのではないかと思う。

 どこかの業種が商売のスケールを変えたら、それは次々と連鎖していくだろうから、様々なことが大きく変化していくに違いない。巡り巡って、産業革命以来の効率重視の稼げばなんでもいいという社会を変えることができるようになるかもしれない。SDGsのヒントは、こんなところにないだろうか。コロナ禍をいままでのようなある意味気違いじみたスケールでの生活を見直すための奇貨としてもいいんじゃないかと思う。
ストレスが跳ね返ってくる社会

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