こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

コロナ大雨土砂崩れに考えること

2021年08月16日 | 日々思うこと、考えること
 前線が南下し、それに乗じて北の冷たい空気が来たのだろうか、気温が20度と肌寒い。妻はジャケットも着ておいた方がいいのではと言ってくれたが、長袖のシャツだけで出てきた。ジャケットを羽織っている人は少なかったが、ウィンドブレーカーの人はチラホラ。半数近くの人は半袖姿、短パンの人もいて、風邪をひいてしまうのではないかと心配になる。妻の勧め通りジャケットを着ておけばよかったかと少し後悔したが、電車に乗ってしまったら肌寒さもなんとかしのげた。長傘をもっていることもある、身に纏うものは少ない方がいい。ちなみに通勤電車はまだ空いていた。

 昨晩、下にあるものを拾おうとかがんだ瞬間に腰をやられ、思わず床に突っ伏しまった。湿布を貼って、痛み止めも飲んで一晩経ったがまだ痛みはひいていない。先々週あたりから少しずつ違和感を感じていて、まずいとは思っていたのだけど、面倒で何も手当てしていなかったのがよくなかった。しばらくの間、慎重に動くことにする。

 思わぬ時期の長雨で花や野菜は元気がない。暑すぎるのはもちろんだが、これにも困る。天候不順に土砂災害、新型コロナ。人間が引き起こしたと思われる災厄に世界中が見舞われている。旧約聖書をしっかり読んだことはないが、もしかしたら現代社会は数千年の時を隔ててソドムとゴモラになっているのかもしれない。当時と違うのは、善良であったら救われるというのではなく、全ての人間が多かれ少なかれ現代文明による”利”を得て生きているということだ。さらには無辜の人というのが必ずしも富裕層にいるわけではなく、貧富の差によって身分が固定化した結果が今の世の中であるということ。

 話がややこしくなるのでこれはこれぐらいでやめにして、また改めて考えよう。ただ、言えることは、ほんの少し前までは昔話や逸話を単純に信じていたらそれなりに幸せな気持ちになったり、実際幸せになることもあったかもしれないが、今やそんなことはまずなくなってしまったということだ。まあ、人類とはずっとこの繰り返しだったのかもしれないが。
政府は”何か”しろ

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします




強力な対策が出せないのは丸投げばかりしてきたからではないの?

2021年08月15日 | 日々思うこと、考えること
 鎌倉は朝から土砂降りで、大雨警報。気温は19度で涼しいのを通り越して、やや肌寒い。一昨年挿し穂してだいぶ大きくなった紫陽花が今頃になって咲いているのをみると、梅雨かと錯覚する。このところの日照不足でトマトやナスの発育が悪くなるのが心配だ。花柄摘みだの、秋ナスのための剪定だのしたいのだけど雨脚が強く、何もできない。
 雨のおかげで人流が抑制されているというのは皮肉だが、昨日の神奈川県の新型コロナウイルス陽性患者数は2300人あまり。いつの間にか大きな数字に麻痺している。コロナと水害、大変な状況であることは間違いないが、コロナ対策に強力な措置を取らなくてはならないのにいまだ何もできないでいるのはどういうことなのだろう。まさか野党に遠慮しているわけでもあるまいし、今こそリーダーシップをとる絶好のチャンスなのに、それができない。政治家も役人もまったく機能していない。


 人から仕事を頼まれる時、

”これって、丸投げじゃん”

 と、呆れて物が言えないことがある。それでも、頼み方が丁重であったり、礼を尽くしていたら文句を言う気にはならないが、上から目線で、自分の無能さを棚に上げている様な時は怒りにも似た感情が沸き起こってくる。それがどういうタイプの人に多いか、ということは一概にはいえない。ただ、すでに機能していない緊急事態宣言に代わる何らかの決断をしなくてはいけないコロナ対策では、責任者たる政治家、役人が、そろいもそろって下に丸投げするような人たちなのではないかと思う。

 ”よきにはからえ”、

は平時では通用するが、いまは戦時下と同じ、緊急事態だ。リーダーは率先して仕事をしなくてはいけないのに、それができていない。残念としか言いようのない状況だ。このことは野党にもいえるもので、コロナ禍が深刻になって1年以上経つのに具体的な対案を出せないでいるようでは、政権批判をする資格はない。
せめて謙虚であったなら

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします


地球が壊れはじめている

2021年08月14日 | 日々思うこと、考えること
 九州中国地方を中心に日本列島がとんでもない大雨に見舞われている。鎌倉も朝から降ったり止んだりだったが、明日はもっとひどい降りになるというので、大谷の応援もそこそこにお墓まいりに出かけた。時々ざっと降られたが、なんとか無事お参りできた。気温は30度に届かず、しのぎやすく助かった。お寺の満開のサルスベリをみて今が真夏なのを思い出すほどだった。
 先日イタリアで50度近く(11日シチリア島で48.8度)を記録したそうで、山火事が頻発しているようだ。中国でも洪水が起きているらしい。世界中全く異常気象だ。地球が壊れ始めているのではないだろうか。その原因はその地球を食べ尽くそうとしている私たち人間であることは言うまでもない。
できることを考える

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします



コロナ禍は心の疲れを増幅する

2021年08月13日 | 生き方について考える
 しばらく雨が続くということで気分は晴れない。気温は9月並みというが、湿度が高いので、その頃の気候とはかけ離れている。電車の窓から見上げた空の雲の向こうに太陽の影があってほんの束の間喜んでも、それはすぐにどこかに消えてしまって、どうも元気が出てこない。

 おとといきのうのように自分のことを考える様になっている時は気分が落ち込んでいるサインだ。どことなく不安になっていて、そのことを払拭したいので自分のことを確認し、肯定したくなっているのだろうと思う。不安とは心の疲れのあらわれだ。

 こんなことになっている原因の一つに、忙しすぎることがある。一人で病理の部屋を切り盛りするようになってもうすぐ2年。それなりの量の診断を一人でやっていると難しい症例にぶつかることがあるし、自分しかいないとなると休みも取りづらい。実際、夏休みの予定は立っていない。頼まれ仕事もいろいろあって、それらもなかなかはけないで、心理的プレッシャーが募ってきた。

 以前は、ここにあれこれ愚痴を書き込みながらもなんだかんだと乗り越えることもできたいたが、心も年を取ってきているのか、今回はなかなかそれができない。コロナ禍で人との交流が激減してしまったせいか、自分の立ち位置がわからず、様々な不安が増幅する。この不安、どうやって乗り切ったらいいか、今のところよくわからない。逆に考えたら人と交流しないで済んでいるのだから楽だとも言える。人と交わるということは人に依存するということでもある。ジタバタしてもしょうがないのでしばらくの間身を任せてみることにする。
明日明後日はゆっくり

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします


”幸せ”をネット社会に求めるということ

2021年08月12日 | 電脳化社会
 季節がまた少し前に進んだようで、しばらく長雨となるらしい。秋の長雨というわけではないそうだが、まとまった雨量となる予想で、災害が起こる可能性もある。気候が極端になったのはたまたまなのかもしれないし、地球温暖化のせいなのかもしれない。ただ、何でもかんでもガンガン燃やして温室効果ガスを増やすというのは色々な意味で止めた方がいいだろう。

 今朝、NHKでLGBTsの人についてのドキュメンタリーをやっていた。人の持つ多様性を認める時の障害となるのは”こうあるべき”という固定観念だ。それぞれの人は自分とは何者かということを自身で決定する自由を持っているが、その自由は社会システムという中でどこまで許容されるのか。社会規範の範囲とはどこまでのことを指すのかまだまだ不明だ。

 自分とは何者なのかを知りたい、すなわち自己同一性を求めるのは、何歳になっても果てることのない欲求だ。自分というものは変わらずそこに存在する一方で、絶えず変化する。自分を表現することは困難な作業だが、今ではブログとかSNSで発信し、自身で心を文字に変換したり、反応を見たりすることが容易になった。

 この様にして自己の心の表現の場が飛躍的に広がった現代だが、それぞれの人はどれだけ解放されただろう。”幸せ”を求めることにすら疑問が生じる。果たして人間は”幸せ”でなくてはいけないのだろうか。”幸せ”であったとしても、それが誰かから何かを搾取して成立するものであったならばそれは真の意味で”幸せ”とはいえないのではないか。”不幸せ”の上に”幸せ”は存在し得ないと私は思う。各種のSNS、ブログはネット上の他者との差別化を前提としている。差別化には多少なりとも”不幸せ”の要素が含まれている。私自身、こうした考え方、生活、世界観を有しているということをここに書き連ねることで”幸せ”だと単純に考えてはいけない、そんなことを考える。
はしゃいでばかりでは

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします


わたしのブログのスタイルは

2021年08月11日 | 電脳化社会
 昨日に続いて今日も大変暑くなるということで、熱中症には気をつけたい。といっても、外を歩くことはほとんどないので大丈夫だろうが、寝ている間も気をつけなくてはいけないというのだから大変だ。クーラーの風のせいで、喉が荒れていて時々咳が出る。電車の中でそんなことになるとこのご時世、周りの人に気持ち悪く思われているだろうことは容易に想像がつき、いたたまれなくなるが、席を移動するわけにもいかずおかしな時代になったものだ。それに、新型コロナウイルスにいつの間にかどこかで感染していた可能性も否定はできないわけで、難しい。とにかく日々緊張を強いられているのは私だけではないはずだ。

 私がよく読ませていただいているブログがいくつかある。なかでも日々思うこと、例えばブログはあくまで自分のため、なんてことをさらりと書いておられる方のブログ、政治・社会について幅広く書いておられる作家さんのブログはほぼ毎日読ませていただいている(ちなみに、どちらのブログにもあしあと機能の様なものがなく、自分が行ったことを知らせることができず残念)。私もこの方達のように丁寧(政治家や役人の言うそれとは違う)に、話題と言葉を選びたいと思っているのだけど、どうもうまくいかない。とくに、話題となると私なんかはごく狭い、すなわち自分の目の届く範囲でのことを書くばかりだし、最近のコロナ禍で他の人との接触が極端に減ってしまい、その傾向に余計拍車がかかっている。

 そこで、今日のエントリーは、その作家さんの真似をしてオリンピックに絡めて東アジア情勢について書こうと思ったのだが、浅薄な知識のためあっさり挫折した。そこで、さらりと書いておられる方の真似をしようと思い、この”ブログスタイル”、なんてことを思いついたのだが、結局こんな風に字数は多くなってしまい、その上、内容もベトベトしていて重いものとなってしまった(まあ、重みのある文章を書きたいと考えているので悪くはないが)。なかなかうまくいかないものだ。かといって、このエントリーが自分(コロ健)のスタイルなのかと言われるとそれにも自信が持てない。

 それでも不思議なもので、どんなに古いエントリーでも、読み返すと”ああ、こんなこと考えていたな、こんなことあったな”と思い出すことができる。ブログでは自分の社会記号(本名、住所、職場)は消しているが、自分自身では”あの頃はこうだったなあ”と辿ることができる。読み返して恥ずかしくなることも多々ある。考え方とか、テーマは少しずつ変わっているかもしれないが、私の文章のスタイル、すなわち文体とか視点は変わらず比較的安定している。これが私のブログスタイルかと思うこともある。先日、作家さんのブログに取り上げていただき、内容が少し面白い方に変化してきたと褒めていただいた。励みになる言葉だ。
学びつつ進む

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします


みなさまお盆休み、かな?

2021年08月10日 | 日々思うこと、考えること
 昨日ほどではないものの、台風9号の余波の強風が今日もまだ吹いている。いろいろ片づけておいたのが良かった様で、飛ばされたり壊されたものはなさそうだった。海からの南風は水分を含んでいるものの、あまりにも強いものだから、駅のホームに並んで電車を待っている間も体感温度はそれほどは高くはならなかった。今週はお盆休みー13日(金)から16日(月)ーのせいなのか電車が空いている。緊急事態宣言中なのだから、これでも多いと思うが、致し方ない。みなさんエッセンシャルワーカーなのだろうと思うことにする。帰省は控えめに、ということが呼びかけられているものの、では休みを取ったはいいが、家でじっとしているというのもなかなか大変なことだ。

 刑務所というところは罪を償うために行動の自由を奪う場所で、狭い壁の中に入れられてそこから出ることができない。コロナ禍での行動制限というのも、自由が奪われている状態で、お家時間というのが刑務所に閉じ込められているように感じる人もいるかもしれない。考えること、思うことに自由はあるが、それにも限界がある。

 人間の防衛本能として、周囲に対して常に注意を払っておかなくてはいけないということがあるのだろう。それが見聞を広める、あちこちに行く、という様なことに形を変えて、なにかが起きている現場に向かうということになる。先日あった東京オリンピックでは、閉会式の行われた国立競技場周囲に人が溢れていたということだし、札幌でのマラソンコースの沿道にも見物の人垣ができていた。

 デルタ株の蔓延で新型コロナウイルス感染症の感染拡大は第5波という新たな局面を迎えている。感染予防に対してはワクチンの効果もあまり期待できなくなっているという話もあり、今後も行動制限を続けなくてはいけない様だ。この生活があと何年続くのかわからなくなってきたのを多くの人が気付き始め、閉塞感はより深刻なものとなってきた。ただ、コレラやペストの時代を乗り越えることができたのだから、コロナ禍もいつかは終わる。それが自分の生きているうちか、死んだ後かはわからない、それでもその不確かな未来に心を馳せながら今日を生きていくしか今の私たちにできることはない。
出口はどこに

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします




台風後の大嵐でどこにも動かず

2021年08月09日 | 日々思うこと、考えること
 朝から台風9号の猛烈な雨と風が吹き荒れた。滝の様な雨が降ったと思ったら青空がのぞく、天候は目まぐるしく変化した。ベランダの鉢を降ろしたり、プランターを少しでも風の弱いところに移動させたりと忙しかった。午後になって低気圧になり、雨は止んだものの風は夜になっても収まっていない。

 昨日まで連日東京オリンピックの中継を流していたNHKは朝から以前見たことのある番組の再放送ばかり流していた。オリンピックが終わって気が抜けたのかと思っていたら、甲子園の開幕が台風のせいで延期されて穴が空いたみたいだ。朝日新聞はオリンピックに対しては最後まで厳しい論調だったが、甲子園についてはどこ吹く風。これじゃあ誰も朝日のいうことに耳を傾ける気にはなるまい。
 さすがにテレビをつける気にもならず、そして出かける気にもならず、1日じっとして過ごした。明日はとても暑くなるとの予報で、熱中症には気をつけなくてはいけないようだ。明日には嵐が収まっていてほしい。
4連休に始まり3連休に終わった

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします



これがスポーツというものの持つ力か

2021年08月08日 | 日々思うこと、考えること
 東京オリンピック閉会式、誰もいない観客席に向かって手を振る様子がシュールではあったけれど、開会式同様控えめでいい式典だったのではないか。次の開催国フランス、パリからのライブ画像は素晴らしかったし、リメールがいて、柔道がフランスでも大切な競技であることがわかってちょっと嬉しかった。台風10号の雨は予想外に昼過ぎまでの大降りとなったが、東京2020閉会式には止んでいたという、奇跡的な状況となった。

 今日はその東京2020、最後のテレビ観戦。そして、不覚にも何度も感動してしまった。朝一番、男子マラソンでラストランと宣言していた大迫選手が、一度は遅れをとったものの上位に追いつき、6位に入賞した。目を真っ赤にしてインタビューに答えているのを見て、感動してした。

 初めて決勝戦に進んだ日本女子バスケ、アメリカ相手に健闘したものの残念ながら破れてしまった。それでも日本がバスケットボールという種目で決勝戦に臨むことができたというのを見て、大学でバスケットをやっていたものとして、そして一緒に汗を流した女子部を思い出し、泣けてしまった。

 これがスポーツというものの持つ力か。抗いようがなかった。

 客観的に見たら東京オリンピックを開催したことが正しかったかどうかわからない。でも、間違っていたとも言えない、見方はいろいろある。今日の朝日新聞では論説委員のコメントしてこのオリンピックに対して否定的な意見が述べられていた。天声人語も同様で、首尾一貫していたので、それなりに筋を通したのかと思う。新型コロナウイルス感染症観戦拡大は今日も続いている。少なくともオリンピックは関係なかったと思うし、そう思いたい。
いいじゃない、それでも

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします



東京オリンピックも残すところあと1日

2021年08月07日 | 日々思うこと、考えること
 午前中は台風10号の雨が降ったり止んだり。猛烈な湿度だったが、午後には日本列島から東の方に離れた様で北からの少し冷たい空気が入ってきたのか夕方には少し涼しくなった。明日の閉会式の時間に台風9号がどこにいるかが心配だが、オリンピック期間中の天候はまずまず持ったのではないか。

 開催の是非が議論されていた頃、オリンピックの意義は何か、ということを考えた。オリンピックなんて選手のためのものに過ぎない、と思ったこともあった。実際、始まってみるとレベルの高い戦いをみせられて、みている方のためにもなっていると思わされた。

 無観客とか曲がりなりにもオリンピックが開催されたことへの感謝を口にする選手は多く、誰もが不安の中で練習を積んでいただろうことがよくわかる。それにもかかわらず、それぞれがベストパフォーマンスをしていた。すごいことだ。

 日本選手団は今日もまた、幾つもの金メダルと獲得した。あと1日、最後までベストを尽くしてほしいものだ。
最後は女子バスケ

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします


東京オリンピックからなにか得るものがあるとすれば

2021年08月06日 | 生き方について考える
 台風(3つのうちの10号)が南の湿った空気を運んできているらしく、朝から蒸し暑い。とにかく、今日の仕事を頑張ったら、週末はまた家に引きこもることができる。ここのところの新型コロナウイルスの感染拡大の勢いをみると、これまでは大丈夫だろうと考えていた通勤電車もちょっと怖くなってきた。だが、エッセンシャルワーカーとしてはどうしようもなく、今日も往復4時間近く電車に揺られる。ロックダウンについての議論が必要という話が出始めたが、1年半以上経ってこんなというのは一体どういうことか、呆れてしまう。馬鹿に付ける薬はないのに、これまで本当に議論されることがなかったのだとしたら、この国の中枢は大丈夫なのかと心配になる。

 東京オリンピックも今日を入れてあと3日、オリンピック関連クラスターが発生したか否かが明らかになるのは、そろそろだろうが、いったいどうなるだろう。大会運営はうまくいっている様で、もう一息頑張ってほしい。その東京オリンピックだが、東京都が掲げている大会ビジョンというのがあった。”全員が自己ベスト”、”多様性と調和”、”未来への継承”の3つだ。どれもいいことを言っていて、オリンピック反対派はそういったことを理解した上で反対していたのだろうか。特に、”多様性と調和”では、「人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面での違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認め合うことで社会は進歩。」と謳われている。たしかにコロナで大変なの時期なのは事実だが、こういった理念とか理想を実現するために開催したと考えたらもう少し真剣な議論になったはずだ。もちろんそれなりの考えがあって、反対していたのだろうが、オリンピックの意義を俎上に挙げることなく、ただ単にやめろつぶせというのだったのだから誰も相手にしなかったのではないか。反対活動に署名した人はオリンピックに背を向けてこの二週間過ごしているのか。まあ、総理大臣の国威発揚を考えた様な”前回東京大会で日本選手が活躍したのをみて感動しました”というのも安易というかお粗末な話で、

 ”日本が”多様性と調和”を受け入れ、そのことを世界に発信するためにはコロナ禍の中であっても、オリンピック・パラリンピックは開催しなくてはいけないのです”

ぐらいの決意を言ってくれたらかっこよかったのに、結局”強行開催”みたいなことになってしまったのは残念。保身のためにオリンピックを貶めた様にすら見える。

 何はともあれ開催したからにはその意義を考えなくてはいけない。少なくともここから何か学びたいと私は思う。スポーツを応援するだけで、娯楽として消費してすぐに忘れてしまうのは簡単なことだが、コロナと引き換えにしただけのものをそこから得なくてはいけないのだ。メダル獲得に一喜一憂することはもちろん大切だし、参加した選手一人一人の人間ドラマはもちろん興味深いが、それはあくまでも個人レベルの話。これほどまでに世界中を巻き込んでの平和の祭典を行ったのだから、人類規模の視点を持って考えることが求められるはずのもので、このオリンピックを噛み締め、その意義を分かち合いたい。

 奇しくも今日は広島に原爆が投下された日。当たり前の様な平和の中でオリンピックが開催されていることに感謝しなくてはいけない。これまで以上に多様性というものを知り、そこから他者への寛大さというものを学びたい。青臭いことかもしれないが、こういうことを考えることを馬鹿にする風潮がはびこってしまったから、この国の民度は地に落ちてしまったのではないか、そんなことを考える。
応援は応援

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします


これがウィズコロナの形か

2021年08月05日 | 自然災害・事故・感染症
 快晴。
 プランターのナス2株を丸裸にしたアゲハの幼虫だが、今朝探したらいなくなっていた。カラスにでも食べられてしまったのだろうか、結局二匹とも失ってしまったみたいで残念。アイスバーグがまた花を咲かせ始めた。暑さはまだまだ続くが、涼しげな姿をみるとホッとする。

 東京オリンピックでの日本の獲得した金メダル数が20個に達した。メダル総数では過去最高を上回ったとか。まさしく目をみはるばかりの快進撃。後半に入ってからも調子が落ちる様子はなくまだまだ楽しみ。一方で、新型コロナウイルス感染症の感染拡大もとどまるところを知らない。世界では感染者数が2億人を突破し、日本でも新規感染者数が連日1万人を超えている。病床逼迫は私の勤務先でも現実のものとなっていて、入院病棟の整理、人員の再配置が行われている。息子が勤めている基幹病院でも状況は深刻で、”入院を必要とするありふれた病気”で入院することができなくなっている。

 政府が悪い、オリンピックが悪いという人が多いが、会食など感染リスクの高い行動をとって感染した人に対する批判はあまり聞こえてこないのはどうしてだろう。昨日、ワクチン打ってたけど感染したっていう自分の症状をユーチューブだかで報告しているあきれた医者の映像がテレビで流されていた。その中で”あの時の会食が原因だったろう”と何も悪びれずに言っていた。”ワクチン打ったから自分は平気”などとタカをくくっていたのではないか。こういう首をかしげざるを得ない行動をとる人が医者でもいるのだから世も末というか、この国の医者なんて(私も人のことは言えないが)こんなものだと思い知らされる。こういう人につける薬はないが、無分別な行動をとってコロナ対応で苦労している他の医者その他の医療従事者、そして感染対策を講じていたにも関わらず感染(例;家族の誰かが飲み会で感染して持ち帰って家族内感染)してしまって治療を待っている患者さんたちの邪魔はしないでほしい。

 もうちょっと別のことを書くつもりだったのだけど、すぐにコロナの話になってしまい、思考がそこに固定化されてしまうのはとても残念だ。考えなくてはいけないこと、やらなくてはいけないことは山ほどあるのに、コロナに振り回されてしまって、思いを巡らすことも自由な行動もできないでいる。これがウィズコロナの時代なのだけどストレスは大きい。
ワクチンは万能ではない

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします



亡命、抗議、ウォシュレット

2021年08月04日 | 日本のこと、世界のこと
 今朝も1日暑くなりそうな青空だったが、昼間はどうだったろう。
 ヨーロッパ最後の独裁国家といわれているベラルーシの陸上選手が、帰国すれば投獄されるかもしれないと亡命を希望し、隣国ポーランドが受け入れた。軍事クーデターのあったミャンマーのサッカー選手も先日亡命した。祖国に帰りたいけれども帰ったら大変なことになってしまうから帰れない、なんて悲しいことだろう。幸い、日本はそういったことを心配することはあまりない。テロリスト以外に亡命を余儀なくされた人はこれまでにいただろうか(彼らには彼らなりの正義があったわけだが)。

 東京オリンピックの表彰台上でLGBTに関する抗議のポーズをとった選手が問題となっている。日本人選手でそのようなことをした人は記憶にない。そういう場で声を上げる人が日本からなかなか出てこないのは、個人の意思が極端に抑圧された国だからなのかそれとも均質化された国だからなのか、これがいわゆるザ・ムラ社会なのかよくわからない。日本にマイノリティーがいないとは言えないが、ほとんどの人が日本語を話すことができるという点では極端に均質化された社会であって、多様性というものを理解することは難しい。

 もう15年も前の話になるが、歌手のマドンナがウォシュレットに惚れ込んだという話があった。あれからずいぶん経つので今では世界中でウォシュレットが当たり前になっているだろうと思っていたがそうではなかったらしい。どこかの国の選手はウォシュレットがうまく使えなかったらしい。外国でウォシュレットが普及しないのには、水の問題とか主食のこととか、いろいろ理由があるのだろうけど、もう少し普及してもいいような気がする。それはさておき、ウォシュレットに象徴されるのは、駅のトイレにウォシュレットがあって、それが壊されていないこと、盗まれていないことではないか。

 こういった話というのはただ単に文化の違い、考え方の違いに過ぎない。だが、日本の未来は暗い、不景気が来る、そんなことばかり書き立てていったい何になるのだろう。日本には少なくともある程度の自由が担保されていて、あれこれ発言してもそんなに咎められない。そして誰でもウォシュレットを使いこなしていること、そういったことが幸せであるということをもっと取り上げたらいいのにと、思う。

 そんなに日本に不満があるのなら、政治について興味を持ち、より良い政治家を育て、みんなが投票に行って国を少しでも変える努力をしたらいいのにとつくづく思う。それができないのならば、この程度で我慢するしかあるまいし、文句を言ってはいけない。
誰もが同じ一票

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします


アン・ハサウェイの歌声に魅せられて・・・2021年7月の読書記録

2021年08月03日 | 読書、映画、音楽、美術
 今朝、気もそぞろにナスのプランター(といっても、もう枝だけの残骸となっていてもとは何かわからない)を見たら、大きな青虫が最後の葉っぱを食べていた。もう一匹を探したら黒っぽくなって動かなくなっていた。餌となる葉っぱを食べ尽くしてしまったためだろう。残りの一匹のためと、庭のレモンの葉っぱを置いたが、食ってくれるだろうか。二匹とも育てようとしたのがよくなかったのか。虻蜂取らずというべきか、二兎追うものは、か。でも、そのためにナス2本を犠牲にしたのだが。生き物を育てるというのは難しい。

 レ・ミゼラブルはまだ途中。今読んでいる4巻は650ページ近くもあり、8月中に読めるかどうか。大作は後半に来ると読み終えたくもなくなるのでゆっくり読んでも差し支えない。読み終わったら見ようと思っている映画のサウンドトラックをダウンロードして、アン・ハサウェイの歌う”夢破れて”を聴いたらハマってしまって、現在ヘビロテ。

 フランスという国の歴史をかいつまんで読み、ヨーロッパという地域の歴史的背景が少しわかった。レ・ミゼラブルを若い時に知っていたかった。ジャン・バルジャンの話も、コゼットの話も多少は知っていたのに勿体無いことをした。それとも、今この歳になって味わっていることを幸せとするか。
 簡単な歴史本を読み、レ・ミゼラブルを読み、彼らにとっての”自由”というものが、真の意味で”勝ち取った”ものであるということがわかってきた。日本とは根本的に自由に対する考え方が異なるわけで、これが文化の違いということか。

読んだ本の数:2
読んだページ数:619
ナイス数:33

古代から現代までのフランス史が、どの時代に重きを置くというわけではなく、フラットに書かれている。 レ・ミゼラブルを読むにあたって、フランス史をざっと知っておこうと、解説本のつもりで読んだのだが、大変役立った。 レ・ミゼラブルでは、人々の貧富の差がことさら目立つが、それらがずっと昔から、そして今でも存続しているということがわかる。 それにしてもヨーロッパ、合従連衡仲違い、ずっとやってきているけれど、それは親戚同士の話にしか過ぎず、上流階級がずっと支配しているということか。 IOCもか。
読了日:07月12日 著者: 

第三部 マリユス "まだ自分を知らぬ魂の最初の眼差しは、(中略)純潔な心が知らずにはりめぐらし、思わず、われ知らず、人の心をとらえる罠である。" マリユスはこのまま"罠"にはまってしまうのか。 役者が出揃ったところで第四部へ。 「2度目以降のいさかい」はあるのか。
読了日:07月09日 著者:ユゴー

自由とオリンピック

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします

PVアクセスランキング にほんブログ村
読書履歴はコチラで→


猛暑と新型コロナと東京オリンピックで思考力はほぼ停止

2021年08月02日 | 日々思うこと、考えること
 週明け早々通勤電車が人身事故で止まってしまった。いったんはいつも通りに家を出たが引き返し、動き出すまで待つことにして水撒きやら何やらして時間を潰した。

 アゲハの幼虫はナスの葉っぱをほぼ食べつくしてしまい、早く蛹にならないと食べ物がなくなってしまうのではないかと心配になる。レモンの葉を少しやろうか。もう一つ、ナスを育てているプランターがあるのだが、そちらに移動しないように離した。そして、朝一番の凪ぎでムシムシしていた状態から、風が出てきて少し楽になったところで家を出た。
 東京オリンピックに踊らされて多くの日本人が今考えなくてはいけないことを忘れてしまいそうになっているように感じるが、これはもうコロナ禍という戦時下で仕方がないと思って諦めるしかないように思う。精神的ストレス回避のために思考停止が必要な時もある。こういう状況を単に悪いものとして片付けるのは簡単かもしれないが、ポジティブにとるようにしなくてはやっていられない。

 東京オリンピック関連自動車の事故(ほとんどは物損らしい)が多く発生しているそうだ。全国から集めた運転手さんの中には都内の運転に慣れていない人がいることが原因らしい。それでも、こんな些細なことでも仕事が生み出されているということは、多少なりとも経済効果があるということだ。コロナ禍は人類共通の戦争であり、世界の国々は分け隔てなく多大な犠牲を払わされていて、これに打ち勝つための努力をしている。経済的損失は免れないがそれはこの国に限ったことではない。
昨日よりずっと難しい(2匹)

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします