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こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ストレス解消はやっぱり土いじりで

2022年10月16日 | ガーデニング・菜園・花・緑
今朝の写真はピンボケになってしまったので、代わりはわずかについたオリーブの実の写真。
このオリーブ、最近急に元気がなくなっているが、どうやら黄金虫の幼虫にやられているみたいで心配。
この実を摘んで、オルトランを撒いた。

今日は1日いい天気、気温も湿度もちょうどいい塩梅。
午前中のうちに買い物を済ませ、午後は少し土いじり。
大船のスーパーにハロウィンのカボチャの木があったので思わず手を出してしまった。
急に枯れてしまったサフィニアの鉢にハロウィン仕様の寄せ植えにしようと土を掘り返したら黄金虫の幼虫がザクザク。
これではまたやられると、結局鉢をひっくり返して残らず見つけて裏山に投げておいた。
この黄金虫がオリーブの鉢にいるのではないかと推測したわけ。
寄せ植えを仕上げた時はやっぱり暗くなっていて、あまりよくわからないが、以前からの鉢植えからも宿根草を植え替えるようなこともできるようになった。
いろいろ工夫をするとそれはそれで面白い。
さあ、明日からまた頑張ろう

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人の優劣というのはどこで決まるのか

2022年10月15日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
私が学位をとった病理学教室の、年に一度の同窓会がオンラインで行われた。
オンラインなのはもちろんコロナ対策。
いつもは、懐かしい面々と会い、懇親会もあるのだが、今年も残念ながらそれはなかった。

毎回、記念講演が行われ、今年は先日某大学の教授に転出した後輩。
いつもニコニコしている気のいい青年だとおもっていたが、ちょっと会わないうちにすっかり教授の風格が漂っていた。
講演の内容は難しくて、ほんの少ししかわからなかったが、司会をしていた教室の教授はよく理解してディスカッションをしていた。

いまさらどうというわけでもないが、どうして私のような凡人と、こういう優秀な人たちとの差というのはどこでできるのだろうかと難しい話を聞きながら思った。
まあ、こういう優秀な人たちのおこぼれで、私も勉強させてもらったのでよしとしよう。
そもそも、この先それほど時間も残っていないので焦っても仕方あるまい。
才能ガチャ

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マクロの視点とミクロの視点

2022年10月14日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
雨続き、今日も肌寒い。
気温は平年並み(10月は13度から20度)かそれより少し低い程度のようだが、お日様がないので、感覚的には11月ぐらいの気分で、どうも元気が出ない。

インフレ、円安、ウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル、中国共産党の話などで社会は日々刻々目まぐるしく変化している。
それぞれの時間を切り取り、あとで詳細に観察するとどう見えるだろうかと思った。
これはちょうど、病理組織の標本を顕微鏡で観察することに似ている。
患者さんから切除された組織を顕微鏡で観察して診断、すなわち病理診断を行うとき一番大事なのはその肉眼所見だ。
この写真は胃ガンの写真で、大きな噴火口のようなくぼみがあるところが、ガンによって生じた病変。
こうしてみると、世の中にとんでもないガンができて、周囲の正常な社会まで浸潤しているように見える。
ガンを何に置き換えてもいいが、わかりやすいのはロシアが周囲のおとなしく楽しく平和に暮らしていた国に侵攻しているようにみるとわかりやすい。
そして顕微鏡で見たとき、紫色に濃く染まっているのが胃ガンの細胞。
DNAなどに傷を負って正常の胃の細胞になりたくてもなれなかった哀れな細胞たち。
興味深いのは、こんな異常な細胞が形作る胃のような環境にも、赤血球とかリンパ球といったまともな働きをするまともな細胞や血管があってガン細胞に酸素や栄養分を与えたり、炎症を起こしたりしている。
兵隊がやってきて街を破壊しても、そこには兵隊を支えるような一般市民がいるようなものだろうか。
こんな例えには無理があるのは承知だが、一時が万事、巨視(マクロ)的な視点、顕微鏡でみるようなミクロの所見というのが必要だということだ。
私は病理医なので、こんな一番身近な例えをしてみたが、この文をお読みの方も、身近な例えで社会を捉えてみると面白いのではないだろうか。

私の日常業務は目の前にひろがる病気の世界を自分の知識を駆使して解釈、判断し、臨床医が読んでわかるような客観的な言葉に置換することだ。
このブログのエントリーもそんな、客観性を持つことを心がけて続けていきたいし、もちろん生きていくうえに於いてもそうなのは言うまでもない。
予断を持たないで

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裏山の木の伐採

2022年10月13日 | 鎌倉暮らし
朝からシトシトと冷たい雨が降っている。
おまけに、寒い。
ちょっとしたことでもすぐにコロナに結びつけて考えてしまうのは良くないのだが仕方ない。

しばらく前からわが家の裏山は県が管理するようになったのだが、その裏山で木の伐採が始まった。
土砂崩れ対策ということなのだが、けっこうな樹齢の木が、腕をもがれたような無惨な姿に変わっていくのをみるのは心苦しい。
木を切るのは簡単にできるが、元通りにするのは自分が生きているうちにはできない。
できるだけ、残してほしいと思っているのだが、どうだろう。

鎌倉はナショナルトラスト運動発祥の地として知られ、鶴岡八幡宮の裏山の開発を住民運動でそれを止めさせたという歴史がある。
わが裏山の木々もそれに倣って、という具合に守ってほしいところだが、行政は融通がきかないからたぶん無理だろう。

この雨が、木々の涙雨のように思えてしまう。

なんでも簡単にやってしまうな

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マスクについての仮想パネルディスカッション

2022年10月12日 | 日々思うこと、考えること
今日のエントリー、マスク着用も旅行もお墨付きがなければ判断できない日本人が、思いもよらぬ反響を呼んだ。
せっかくなので、パネルディスカッション形式でお返事を書かせていただくことにした。
ーーーーーー
コロ健:本日はお忙しい中、私のブログをお読みいただいた上に、コメントまで入れてくださり、ありがとうございました。
さて、今日のエントリーではコロナ禍におけるマスク着用風景を見ての私の思いを書いたわけですが、大きくは二つのテーマがありました。
ひとつめは、マスクによる匿名化の問題。
コンビニの店員さんが匿名であるというわけではないのですが、まあ、ある意味のっぺらぼうのような、そんな感じがしたんですが、そのことについてはYukiさんがご意見をくださいました。

Yuki:私は屋外では「ノーマスク派」の1人です。
人気がほとんど無い屋外でも、8割~9割の人がマスク姿なのは異様に思えます。
「外したくても人の目が怖い」という「同調圧力」のせいでしょうか。
マスクをしていると表情が分かりにくいため全員が無表情に見えますし、恐怖心さえ感じます。その中で育てられた今の子どもたちを見ていると、将来が心配です。
1日でも早くマスクが不必要な日が来て、思い切りおしゃべりをして笑顔を見せられたらと思います。

コロ健:ほんと、私もそう思います。
人気のほどんどない屋外でというのが異様です。
そしてマスクをつけるのが前提で子供たちが育つのは恐ろしいことです。
異様ですが、どうしてマスクが外せないのか。
これが二つ目のテーマです。
突然誰かに会ったとき、マスクをつけないといけないからでしょうかね。
私としては、外すのがめんどくさいからだと思っていましたが、そうではないというご意見がありました。

kinntilyann:日本人はマスクが大好きです。
これは理屈じゃなくて好き。
今まではマスクしてる方が異様だったけど、今はしてない方が異様。
せっかく手に入れたマスクを手放すわけないです。

コロ健:たしかにそんな気はします。
何より花粉症対策でマスクが一般化して以来で、私も春には以前からマスクをつけていました。
マスクのおかげで団子鼻や長い鼻の下が隠せて、案外可愛い目を活かせるという効果もありますね。
個人的には、白人よりも日本人の方がマスクが似合うと思っています。
え?そんなことではない?
それはさておき、なんで日本人はマスクを外さないのでしょうか。

kinntilyann:なにより鉄道会社!!!
車内アナウンスはマスク着用してくれ会話はするな席は動かすなの繰り返し。
そういえば、エスカレータのあの偏りも関西の鉄道会社のキャンペーンから始まったことです。
鉄道会社と航空会社が変わらないと変わらんでしょ。
変わってもエスカレータと同じになる気がします。
コロ健さんのおっしゃる通りだ。
誰かにガイドラインを作ってもらってそれに沿ってる僕は私はカッコいいとする国民性なんだと思います。

コロ健:ありがとうございます。
いや、ほんと、今も駅構内ではマスク着用を!とアナウンスしてますが、黙っていたらいいのではと思って、外してます。
そしてガイドラインがあると、そうだそうだとそれに追従してしまい、やがてはそれが金科玉条になってしまうと。
では、いつも鋭いコメントをくださる荻野さん、どうぞ。

荻野誠人:おじゃまします。
それは国民性でしょう。
”お墨付きがなければ判断出来ない日本人”ということですが、はい。
日本は世界でもとても珍しい安定した平和な国ですからね。
異民族に支配されたのはGHQによる1回だけ。
それもたった数年。
日本人は前例やお上に従って生きてきたんです。
だから個人が考える必要がありません。
これを変えるのは50年や100年では無理かもしれません。

コロ健:確かに、変える必要があるかはまた別の議論になるかもしれませんが、グローバル化の波が押し寄せていることを考えると、さすがにこのままではいけないように思います。
でも、50年とは、私も荻野さんももうこの世にはいませんね。
とりあえずは鉄道会社と航空会社ですね。
小平次さんは、ご自身のブログでもマスク社会についてご意見を述べておられましたが、ここまでの話はいかがだったでしょうか。

小平次:強く共感いたします!

コロ健:ありがとうございます。
これから寒くなる上、日本は乾燥するので、マスクは正直助かりますが、私の場合メガネが曇るので、自由に着けたり外したりしたいのですけどこの先も難しそうです。
さて、今夜も遅れた電車がやっときたのでマスクを着けて乗り込むことにします。
今日は大変貴重なご意見をいただきありがとうございました。
これからもどうぞ当ブログをよろしくお願いいたします。

勝手なことしてごめんなさい!

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マスク着用も旅行もお墨付きがなければ判断できない日本人

2022年10月12日 | 日本のこと、世界のこと
起床時間と夜明け時間がだいぶ近づいた。
夜明けは鳥たちの起床時間でもあり、すでに賑やかなおしゃべりが始まっている。
餌となる木の実が豊富にあるだろうからさしずめ今朝はどこのモーニングにしようかなどと相談しているのか。
今朝は大事な仕事があり背広を着て出てきたもののそれでも少し肌寒い。
やはり今年の冬は寒くなるのだろうか。

この間、コンビニで買い物をしたとき店員の顔を見たら、これまでに経験したことのないような違和感を感じた。
コンビニの店員はマスクをしている。
これは当たり前のことで、なにもコンビニの店員に限った話ではないし、接客業であったらリスクも高いのでなんら問題はない。
だが、実はそれが異常な状態だという感覚に急に襲われた。
コンビニの店員という存在はもともと匿名的な存在だったが、マスクによりいよいよその度合いが強くなった。
コンビニの無人化が進み、店員が不要になりつつあるが、マスクをした店員があの精算機のように見えるようになったからかもしれない。

今日の話題は、コンビニ、スーパーの無人化ではなくて、マスクの話。
レジの無人化の話は後日また別の時にして話を戻す。

人間は顔がある動物だから顔を半分覆って隠しているというのはどうしたって異常な状況であり、子供が正常に発育することを妨げている。
それが、大人である私も他人の顔を見るのに異常さを感じるようになったわけで、いよいよこれは危機的状況に陥ったものだと感じていた。
それがやっと、いよいよ屋外でのマスク着用が不要となる
色々な理由でマスクを外したくない人はたくさんいるようだが、私は外せるのが嬉しい。
2メートル以内で会話をする場合はマスクの着用が推奨されるようだから、まだ手放すわけにはいかないが、ずいぶん緩和されることになる。

電車の中でもマスクを外している人をちらほら見るようになったがまだ少ない。
私はまだ電車内ではマスクをつけていて、改札を出るまでは我慢している。
そろそろホームでもマスクを外して歩きたいと思うが、2メートルの距離がとりづらく、大声で話しながら歩いている人とすれ違うのが怖く、しばらくは難しそう。

それにしても、外を歩いていてもマスクを外している人は1割程度。
今朝だって、ひと気のない道路を一人で歩いている人がマスクをつけていた。
マスクをつけたり外したりが面倒だというのもあるのかもしれないが、よく平気なものだ。
この先日本にやってくる外国人が、渋谷駅のスクランブル交差点を行き交う人のほとんどがマスクをしているのを見て、どういう感想を持つかを知りたい。

日本的右に倣え社会ではどうしても”お墨付き”が必要で、マスクもそうだが、旅行にしても今度の全国旅行支援が"旅行すること"への許可を与えた格好になった
人それぞれなので濃淡はあるが、いわゆるお墨付きに依拠する心理は日本人のほとんどにある。
こんなことだから、政治家を利用する宗教団体にまんまと騙されてしまうのかもしれないが、言われるがままではなく、まずは自分で考える努力をしなくてはなるまい。
考えることをサボるな

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観光立国への道と北朝鮮という魚の小骨

2022年10月11日 | 日々思うこと、考えること
ベランダに出ると、寝起きのままでもいられるようなまだすこしの暖かさを残す、からっとした東風が吹いていた。
天気予報だと過ごしやすい1日となるそうだが、残念ながら今日から出勤。
出勤だなんだといっても、昨日も一昨日も病院から連絡があって、病理検体の扱いとか、処理についてとかの問い合わせに対応していた。
私の病理医生活の中、休みが完全にフリーだったのは、当番制があった大学病院にいた頃だけで、あとはずっと病院に縛られていて、おそらくこれは定年まで続く。
緩やかながらでも拘束され続けるのは臨床医だけの話ではない。
今年も年休はだいぶ残っているが、あと2ヶ月半で去年からの繰越分を使い切るのは難しそうだ。

先週末、箱根には多くの人が観光に訪れていた。
昨日の鎌倉も大雨後にもかかわらず多くの観光客で賑わっていた。
感染対策に関する感覚としては、コロナ禍前の7、8割程度の感覚に戻っているのではないだろうか。
あとは景気が良くなったらもう少し人が動き回ることができるだろうということか、全国旅行支援が始まるそうだ。
GoToトラベルの時は、ちょうど息子の結婚式に合わせて軽井沢行に利用したが、今回はどうしよう。
旅行支援は買い物支援に比べると”どうしてもしなくてはならないもの”ではない。
ただ、”支援”というだけあって、コロナ禍でダメージを受けた人のためだし、観光業は地域経済にとって結構な産業なので、行った先の地域の支援にもつながると考えると、あながち自分達の遊びのための消費だと決めつけるわけにはいかない。
今日からは、新型コロナウイルス対策としての入国制限が大幅に緩和され、外国人の個人旅行客の入国を解禁し、1日5万人という入国者数上限も撤廃するそうだ。
実質3〜4割引になっている猛烈な円安を利用した外国人観光客によるインバウンド増加には多くの観光業関連業者が期待をしているだろう。

安全で安心で清潔で古来からの独自の優れた文化を持つ国日本は世界中から観光客を集める力がある。
この先、観光立国としてやっていくことは可能だろうと思うが、気がかりなのはこのところミサイルの発射実験を繰り返す北朝鮮。
昨日、このことに関する多くの写真を発表したらしいが、真の目的はよくわからないし、キム総書記の姿は後ろ姿がほとんどで本人かどうかもよくわからなかった。
大義も無いのでさすがに攻め込んでくることはないと思うが、喉の奥に刺さった魚の小骨のようでいつまでも嫌な感じがしてしまう。

日本にようこそ

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暑くなるとはいっても季節は秋で

2022年10月10日 | 鎌倉暮らし
昨日よりも気温が8度も上がるというので短パンTシャツでいたら、午前中は雨が降ったり止んだりで気温は20度前後で肌寒いほど。
それでも、天気予報通り、昼過ぎには雨は止んで3時ごろには晴れた。
気温はどんどん上がって、少し蒸し暑いほどになった。

鎌倉文学館の秋バラが見頃だからと妻に誘われ歩いて行った。
ちなみに今、鎌倉市民は無料。
入場時間ギリギリに間に合った。
庭はすっかり日陰になっていて、歩いて汗ばんだ体は一気に冷えてしまった。
少々暑くなっても、季節はやっぱり秋だ。
バラ園に下りると様々なバラの香りが混じったいい匂いがした。
見に来ていた人は少なく、ゆっくり30分ほど回った。
由比ヶ浜から裏道を歩いていたら、江ノ電が夕日を背に走ってきた。
少し撮り鉄っぽい写真を。
下馬のスーパーで夕食を買い、段葛を歩いて帰った。
こんな大雨だったのに、ずいぶん多くの人が鎌倉に来ていたようだ。
鶴岡八幡宮前まで歩いてきたら残照が美しかった。
全行程ゆっくり7キロ

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神奈川県西エリアドライブ

2022年10月09日 | 日々思うこと、考えること
昨日はそのまま仙石原のホテルに泊まり、久しぶりに熟睡。
朝風呂に浸かり、朝食を食べてから仙石原草原まで散歩。
去年もちょうど10月に来ていたので、2年続き。
去年同様多くの人が訪れていた。
道路が混む前に帰ることにしたが、このまま鎌倉に戻っても渋滞がひどいのは目に見えていたので、寄り道しながらのんびりドライブしながら帰ることに。

ハーブ園があるというので、松田町の松田山ハーブ園を訪ねたが、残念ながら臨時休館。
それでも、上がっていた甲斐あって振り返ったら遠くに相模湾を望む絶景が広がっていた。
奥の方まで歩くとコキアの園というのがあって、いい色となっていた。
このあと、大山に移動して昼食。

この4月に開通したばかりの新東名の伊勢原大山IC-新秦野IC間を走ることもできて楽しい神奈川県西ドライブとなった。
134号線はやっぱり大渋滞

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ピカソ 青の時代を超えて  ポーラ美術館

2022年10月08日 | 読書、映画、音楽、美術
連休ということで、箱根まで行った。
箱根まで、といったところで、同じ神奈川県内なのでそうたいした移動ではなかった。
ポーラ美術館でピカソをやっていたので初めて訪れた。
仙石原から少し山を上がったところにある環境に配慮して建てられた低い建物の美術館がポーラ美術館。
人が映り込まないように撮ったが、結構混んでいた。
ピカソの青の時代の作品が集められていた。
絵のことは詳しくないので、蘊蓄はさておき、ピカソの絵を十分楽しむことができた。
青の時代からキュビズムの絵まで。
一部の絵は写真を撮らせてもらったので、気に入ったのをいくつか撮った。

注意書きをを読んで驚いたのは、写真OKでも、ブログ等すべてOKとか、個人で楽しむだけならよくてSNSはNGというのとか細かく分類され、写真の横にサインがあった。
ここに乗せたのは大丈夫だと思うが・・・。

心と目の保養

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あずかった命とともに生きることの意味と義務

2022年10月07日 | 犬との暮らし
マルチーズのコロが死んでからもう1ヶ月経った。
あっという間に時は経つ。
3年前にフラットコーテッドレトリバーのナイトが死んだ後もコロはすこぶる元気に見えて、このままずっと一緒に暮らすのかと思っていた。
姿形は可愛らしいままでも、体は少しずつ年老いていて、最後のひと月ほどはずいぶん辛そうだった。
それでも、懸命に生きる姿は私たちとずっと一緒にいたいと訴えてくれているようで、私たちもできる限りのことはしてやった。
そんなコロの姿が、家のそこここに感じられ、ふと思い出して胸が締め付けられることがこのところ増えてきた。

ナイトが死んだあと、また可愛いフラットがいないか探してみようかと思ったこともあったが、コロを失ってからはそのような気が全く起こらないのは、生き物を預かり育てる責任の大きさがわかったからかもしれない。

私も妻もそれぞれ犬を飼ったことがあったものの、マンション住まいでは飼うことはままならず、残念に思っていた。
ところが、そのマンションで内緒で犬を飼う人がいて、その人のことをいわば”問題視”することで、管理規約を変えることにした。
それまでにも小鳥を飼っている人はいて、”動物”を飼うこと自体は許容されていて、”何はよくて、何はダメ”という議論となり、最終的にはサイズで決めることになり、(正確なサイズは忘れたが)小型犬はOKということにした。
今では、ペット可のマンションはいくらでもあるが、15、6年前はこんなだった。

そんなことのあと、近くのペットショップでコロと出会い、わが家に連れてきた。

動物を飼うことは情操教育に良いと言われるが、コロを飼い出したのは、すでに子供たちが小学生になってからのことだったので、二人揃って心根が優しい人間に育ったのにどれほど影響したのかはわからない。
だが、私と妻に対しては少なからず良い影響をもたらしてくれたのは間違いないとコロを失ってから初めて実感している。

犬一匹飼うのにも、お金がかかるし、時間もかかる。
ナイトはよく食べたし、コロなど、私の散髪代よりよほど高いトリミング代が必要だった。
家族の一員として当たり前のように共に暮らしていたが、無意識のうちにあの子たちの気持ちを思いやっていたように思う。

犬と共に暮らしたことが私の実生活、とくに仕事上の対人関係とかそういったものにどれほど役立ったかはわからないが、コロやナイトを撫でてやった時の感触は一生忘れるものではなく、それはあの子たちが飼い主である私と妻に命とともに差し出してくれていたものだと、今は思う。

故安倍元首相がコロナ禍で星野源の歌をBGMにして、犬と共に家で過ごす姿を流したら、ものすごいバッシングに遭ったということがあった。
おうち時間をどう過ごそうがその人の自由だし、その時に犬がいたっていいのにと思った。
もちろん犬を飼うのが大変な人がいるのはよくわかるが、あれは気の毒だった。
あの犬は飼い主を喪ってどうしているだろう、未亡人とともに故人のことを偲んでいるのだろうか。
そういえば、エリザベス女王のコーギーたちはご子息のアンドリュー王子が引き取ったとか。
命あるものを一旦預かったからには、犬に限らず、最後まで面倒を見る(困難な場合はそれを担保する)ことだけは必ずしなくてはならない。
MUST

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北はいったいいつまで続けるのか、そして失敗したらどうするのか

2022年10月06日 | 日本のこと、世界のこと
ロシアによるウクライナ侵攻は武力行使をしたという時点で言語道断だが、ロシアの立場からの情報が発信されているということで、何を考えているかはわかるが北朝鮮はそれがなく不安になる。

そんな折、北朝鮮に何度も訪問したことのあるアントニオ猪木氏が亡くなったのはとても残念だ。
外交の常道からは外れていたのかもしれないが、まず行動したということは、評価されるべきだろう。
ご冥福をお祈り申し上げる。

ほぼ鎖国状態の北朝鮮に単身乗り込んで、状況の打開を図ったという点では、トランプ前米国大統領も小泉元総理も同じでそれぞれ大変な努力を払ったと思うが、結果はほぼゼロで、あの国はいったいどうなっているのだろう。

昨日から臨時国会が開かれ、旧統一教会に関する山際、細田問題、岸田氏の長男の人事などについても話題に出たようだが、結局これ、岸田総理の身内の話ではないか。
世界情勢が緊迫の度を増していく一方で、日本もこんな話に時間を取られている場合ではないと思うがこれが現実なのが残念だ。
情報化社会のおかげで、こういったことが明るみに出て、それらに蓋をしておくことができなくなったというのはいい時代になったとみるべきだが、北朝鮮からは情報はほとんど漏れてこないのは恐るべきことだ。

この人さえいなければ、という独裁者は世界中に数多くいて、そんな人が数百万、数千万人の国民の命を握っている。
日本のような民主主義国家に住んでいる人間から見ると、それらの国々に住む人たちはどんな思いでいるだろう。

北朝鮮に対してそんなことを考えるのは大きなお世話だろうが、ミサイルを発射し続ける理由、拉致した人たちの消息だけは教えて欲しい。

北朝鮮はいったいいつまでミサイル発射を続けるのか、そして失敗して日本の国土に落ちたらどうするのか、それとももういつ落ちても、結果として攻撃となってもいいと考えているのだろうか。
日本政府はこれに対してどうするか、どんなシュミレーションを立てているのだろう。
軍事的なことはもちろん最高機密だが、被害を受けないよう逃げなくてはいけないのは私たち国民だ。
その辺りのことは早めに周知してもらいたい。
ミサイル連発のおかげでJアラートの不備が分かったというのはある意味皮肉なことか。
寒い

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間の悪い総理の間の悪い人事

2022年10月05日 | 日本のこと、世界のこと
今朝の空にはルネ・マグリット風のポコポコした雲がたくさん浮かび、その間からは青空ものぞけた。
天気予報では朝から雨のはずだったがこれなら普段自転車で駅まで通っている娘も心配ないねと、声をかけたら、ほんの10分か15分後に雨が降り出した。
私は少し遅く出るので、駅まで車で送った。
鎌倉駅あたりでは土砂降りとなったが、家に帰り着く頃には小雨となっていて、私が妻に送ってもらった時にはすっかり止んでいた。
車で送ってもらって娘はタイミングが良かったというべきなのか、間が悪かったというべきか。
こんなこと、どうでもいいと言えばどうでもいいことだが、人生には間の良し悪しというのがある。
今、間が悪い政治家といえば岸田総理を措いて他にいないのではないか。
最たるものは、安倍元首相の国葬で、そのほかのこともなんだか今ひとつだが、彼自身ばかりが悪いわけでは無い。

でも、今度のこれはどうだろう。
岸田総理が、息子を秘書官に起用したということだ(岸田首相、長男を秘書官起用へ 時事 2022年10月04日00時09分)。
長男氏は弱冠31歳、社会経験もろくにないまま世襲政治家への道まっしぐらということだが、この時期にそれへの布石を打つ岸田総理の間の悪さを感じたし、とてもガッカリした。

岸田政権が誕生して以来1年。
経済政策がダメでも、「聞く力」が思っていたほど大したことなくても、長年培ってきた外交手腕もそれほどではなかったけれど、開成出身だから地頭はまあまあいいだろうからと、期待して応援してきたが、支持率と不支持率がこんなことになっている状況下でこんな人事を平然とやるのはさすがにダメなんじゃないだろうか(内閣支持率続落45%、不支持46%で初の逆転…読売世論調査 2022/10/02 22:02 )。
名門中高一貫進学校によくいるKY人間に過ぎなかったのではないかと思い始めている。

丁寧、説明という言葉が政治家によって空疎化された時代で、岸田総理の「聞く力」にはとても期待しているし、「新しい資本主義」からも多くを発信してほしいのだが、実は違ったのだろうか(岸田内閣の新しい資本主義と来年度予算概算要求 2022年09月01日 )。

以前にも『政治家や官僚が使う”丁寧”の意味とは』で書いたが、モリカケサクラ問題の頃にあらゆる不祥事に蓋をしてきたのがまずいと思って、政治家たちはこんどはのらりくらりと本当ではないけれど嘘でもないことを、”丁寧に説明を尽くし話し続け”て、世論がおさまるまでやりすごす。
岸田総理にはそんな悪循環を勇気をもって断ち切って欲しかったがどうもそうではないし、今回の縁故人事を見るとこの政権でもまたモリカケサクラ問題が起きてしまうのではないかと不安になる。

こういったことが、やっぱり単に間が悪いだけなのか、岸田総理が引きつけているものなのか、それは神のみぞ知ることだが、彼の双肩には私たち1億2千万人の運命がかかっているということを自覚し、奮起して旧弊・悪弊を打破してほしい。
まだ、期待している

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人生に意味を持たせるのは難しい

2022年10月04日 | 日々思うこと、考えること
金木犀の香りにふと出くわすとちょっと驚く。
そしてそれがどこにあるかというのを探すとすぐには見当たらず、思っていたよりもずっと遠くにあるのをみつけるとその香りの強さに感動する。
病院の前の金木犀も盛りを過ぎて少し色褪せてきたもののもうしばらくは香りを楽しませてくれそうだ。
こうやって季節は移ろっていく。

子供の頃、季節は勝手にどんどん過ぎた。
いつの間にか夏の暑さがきて、気がつくと木枯らしが吹いて、雪が降っていた。
自分にとって重要なのは、寒くて手がかじかんでコマが上手くまわせなくなることぐらいのもので、新緑に心躍るとか、紅葉の中にはかなさを見出すなどということとは無縁だった。

ところが、今はどうだろう。
目の前を思いのほか早く過ぎていく季節、時間に驚き、なすすべもない。
毎日一体何をやっているのかわからない。
無意味な日常を繰り返していったい何になるというのか。

人生に意味を持たせることは難しい。
誰かの役に立てばそれでいいというわけではないし、かといって誰かの役に立たなければ具体的に目に見えたものにならない。

今年のノーベル生理学・医学賞が発表された。
人類(ホモ・サピエンス)の進化、起源に迫る研究に対してであったが、報道していたNHKのアナウンサーは「このことはどんなことに役に立つのでしょうか?」と解説していた記者に聞いていた。
聞かれた記者は予想外の質問に戸惑って、お茶を濁すような回答をしていた。
アナウンサーの質問は研究ということに対してナンセンスであるが、彼はこの研究に意味は見出さなかったのだろうし、そう考える人が世の中の大多数なのかもしれない。
ノーベル賞は”無意味な難しい研究”に意味を持たせたわけだが、研究に限らず人間の営みなんて一見無意味なものばかりのような気がする。

それに比べると、ほとんどすべての人を幸せな気持ちにしてくれる金木犀の香りの方がよほど意味があるのかも知れない。
残すのはもっと難しい

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忙しいと何も考えなくなる

2022年10月03日 | 日々思うこと、考えること
朝から忙しく、エントリー書きもままならないまま一日が過ぎた。
やらなくてはいけないことがたくさんあるのが悪いわけではないが、忙殺されているとなにも考えなくなってしまう。
これはあまりいいことではない。

考えながら前に進むからこそ人生なのであって、考えなければ人間としての価値はなく、AIと大して変わらないし、処理能力の観点からしたら、そっちの方がよほど優れている。
となると、私なりにも少しは何かを考えなければいけないわけで、言い訳程度だがこうやって今日のエントリーを書き残しておく。
写真を付け足しました

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