こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

インフル、梅毒、新型コロナ

2022年11月15日 | 自然災害・事故・感染症
新型コロナが第8波に入ったとのことで、勤務先も再び臨戦体制に入ろうとしており検査科もピリピリしている。
だが、6波以降、患者の推移を見たらそれはそうなのかとわかるが、実感としてはいつ増えて、いつ減っているのかわかりにくくなっている。
昨日は仕事のやりくりをつけて、5回目の新型コロナワクチン接種に行った。
オミクロン株対応の新しいワクチンということでこれまでと違う副反応が出るのではないかと少し心配だったが、頭痛、肩こり、接種部位(左肩)の鈍痛があるが、いずれも軽度で、これ以上悪くなることはあるまい。

東京駅の接種会場は7月以来2度目だが、すっかりシステム化されていてベルトコンベアーに乗ったらこんな調子かという感じであっという間に終わった。
会場な出口には"地上行き"と"地下通路から東京駅へ"という案内があり、もちろん新鮮な空気を吸いに皇居前の地上に出た。
銀杏の黄葉は見事なものだったし、丸の内のオフィス街はもうすっかりクリスマスツリーやイルミネーションがしつらえてあった。
こんなのをみると年末が楽しみになるがインフルエンザの流行も予想されていて、果たしてどうなるだろう。
つい先日にはインフルエンザのワクチンを打ったが、何でもかんでもワクチンワクチン、わが左腕がかわいそうになるが、致し方ない。
こうして、ヒトvsウイルスの戦いは続いていくわけだが、これは人間社会が生み出した弊害なので呆れるべきなのか、これに対抗する人間の叡智を称賛すべきなのかよくわからない。
新型コロナにしても、人間社会がこんなに高度化していなかったとしてもやがては世界中に蔓延して相当数の人間の命が失われていたかもしれないわけで、過去にもある種のウイルス、細菌によって個体数を極端に減らした生命はいただろう。

ところで今、梅毒が爆発的に増えている。
梅毒が流行り出したということは4、5年前から知っていたが、先日のNHKのニュースでは、患者数が過去20年余りの間で最多ということで、深刻だ。
患者数の推移見ると2010年ごろまでは年間500人から800人ぐらいだったのが、近年感染者が急増している。
こういうのは氷山の一角だからこの数倍、数十倍の人が新規に感染しているのだろう。
感染者の年齢分布は、男性はそこそこ幅広いが、女性は20代が圧倒的に多く、30代と合わせて75%に達するとか。
性風俗に従事したことのある人が多い一方で、そうでもない人も少なくないらしいのには驚く。

どこでどんな人がうつし、うつされているのかなど、今の私の想像の範囲を超えてしまうが、いろいろな解析が行われているそうだ。
私が若いころはとにかくHIVだったが、再び梅毒とは。
梅毒にはワクチンのようなものはないので、かからないためにはうつされないようにするしかない(台東区のホームページ 注意!梅毒が流行しています)。
性行為感染症はきまりの悪い病気ではあるが、どうも怪しいと思っていたのになかなか言い出せないうちに気がついたらひどくなっていたなんてことがあるので、複数の人と性的関係を持っている人は、バイ菌をばら撒かないように気をつけてほしい。
逃げるしかないが

ブログランキング・にほんブログ村へ

ランキングに参加中。

応援お願いします! 

 PVアクセスランキング にほんブログ村

個人レベルでの温室効果ガス削減

2022年11月14日 | 日本のこと、世界のこと
昨日の雨で、季節がは少し進んだようで、空は寒々としている。
地球温暖化は進み季節も巡る。
エジプトで開催されているCOP27では温室効果ガス削減のためのこれといった有効な打開策は出ていないようで、地球の未来が不安になる。
自分にできることに何があるかと考えながら生きているが、自家用車を使って移動したり、ゴミ袋を余計に使ったりしている。

自家用車によって節約される時間と、排出されるCO2はどれほどつりあうか、というようなことを考えていると頭がこんがらがってしまうが、もしかしたら全員がスマートウォッチを着用し、個人レベルでの排出目標などというものが設定される時代がやってくるかもしれない。

ウィークデイとウィークエンドというのもいまや効率が悪いように感じられる。
どんな職場でも、人間が働いているのだから、全員が顔を合わせるコアタイムは必要だろうが、会議などはリモートで十分だから、もう少し時間に融通をきかせることはできるに違いない。

時間の使い方も十人十色。
この人はこの時間に必ずここにいてこれをやっていなくてはいけないということはないわけで、それぞれの人が最大限に有効に時間を使うことができるようになれば、無駄な動きが減ることになり、そして無駄がなくなればエネルギー消費も減るのではないか。
などと素人考えしてみるが、話はそんなに簡単ではないのだろう。

細かく削減

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしくお願いします

 PVアクセスランキング にほんブログ村


花におかしなメンツはない

2022年11月13日 | ガーデニング・菜園・花・緑
昨日は寝落ちになってしまったが今日は気を取り直して。
といっても、身辺雑記を。
低気圧が通り過ぎて、午後から天候は崩れ、明日から季節が一つ進むとのこと。
ベランダにはゼラニウムのプランターを置いているのだが、真冬になると吹きっさらしで傷んでしまうので、その時に取り替えるプランターを準備した。
両サイドにノースポール、その間にバコパ、そして、この奥にチューリップの球根を仕込んだ。
落ち着くまでしばらくバックヤードで育てて、ゼラニウムの花が終わったら取り替える予定。
そのゼラニウム、以前にも紹介したバラ咲きゼラニウム、今年も剪定し損ねたまま徒長させてしまっている。
それはさておき、この”バラ咲き”ゼラニウムの鉢は地植えのバラの横に置いている。
こういう配置はバラに対して失礼か、ゼラニウムにたいして失礼か、などとどうでもいいようなことを考えた。
失礼とかどうとかいうのは誰が決めて、誰が考えるのだろうか。
花は自分がぞんざいに扱われているのか、そうでないのかなどということは考えない。
それなのに、失礼、とかメンツ、そんなことを考えるのは人間だけで、馬鹿馬鹿しいことだとつくづく思う。
私も生きてきて色々と失礼なことをしてきたし、侮辱されたと思うようなこともあった。
だが、それによって変わることは何もない。
いろいろな感情というものを人間は生み出すそんなことに振り回されないように注意して生きる必要がある。

  君たちは、そんなこと考えやしないよね

などと心の中で呟きながら水やりをした。
午後はアイロンかけ

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしくお願いします

 PVアクセスランキング にほんブログ村




今夜はちょっと飲み過ぎにつき

2022年11月12日 | 日々思うこと、考えること
今日は仕事。
鎌倉は観光地で、朝出かける時はいいのだが、帰ってくる時は街は大渋滞。
今日も帰ってくる頃には大渋滞。
裏道から帰るのもつまらないのできょうは海沿いの道を通って帰ったら、ちょうど夕焼けの時間でこれは良かった。
帰ったら、娘が外食だからということで、妻と一緒に裏駅の居酒屋に出かけた。
この店コロナ禍をなんとか乗り切り、この秋に新装開店。
行こうと行こうと思ううちに2ヶ月も経っていた。
久しぶりにずいぶん飲んだ。
以前と変わらず美味かった。
ほろ酔い気分で、のんびり歩いて帰った。
今夜も月が美しかった。

すみません、今夜はこの辺で。
おやすみなさい

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしくお願いします

 PVアクセスランキング にほんブログ村

ノートに書き込み仕事を管理

2022年11月11日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今週は休みもなく、仕事にじっくり取り組もうと思っていたのだが、なんだかんだやっているうちにあっという間に金曜日になってしまった。

仕事の管理というのは難しい。

若い同僚には”仕事の見える化”と”短期的および中長期的な目標設定(ToDoリストの作成)”をするように促しているのだが、なにせ、タブレット世代、ノートをばんと広げて、それを一緒に見てあーだこーだ話したいところなのだが、PCとかタブレットの画面を覗き込むということが気が引けて、どうも確認できない。
結局のところ、なあなあになって、今週もなにをやっていたのかよくわからないままとなりそうだ。
まあ、自分が何をやっているか上司に逐一覗き込まれるなんてこと、私でも嫌なので、諦めている。

では私はこの一週間、何をしていたかというと、日常診断のほか、査読を1本終わらせ、事務仕事をいくつか、そして他院からのコンサルテーション、等々で時間が溶けてしまったかのように流れていった。
一応、ほとんどすべての事項は自分なりの業務日誌であるA4版のノートに書き込んでいるので、しばらく経っても振り返ることができる。
いざ振り返ると、どれもこれも中途半端で、結局のところ、診断書を報告するまで書き上げ報告したということ以外は、記録には残っていないし、書き上げたからというだけで、あとで追加訂正が生じることもあるからキリがない。
あとは、メールの記録か。
仕事をどうやって管理するか、どうやったら効率的になるかというのは、古くからの課題で、ハウツー本はそれこそ星の数ほどある。
もともと、仕事のやり方、取り組み方なんて人それぞれで、どの方法がいいかなんてわからないし、利用できるツールの選択肢が広がったということもあり、いつまで経ってもそんな本は出版され続け、その都度吊り広告に惹かれて購入する人が後を立たない。
私の仕事の管理方法は、とりあえずノートに書き込むことだが、これは実験をしていた頃身に付いたもので、自分なりにはいい癖がついたと思っている。
タブレット端末を使う若手医師も、紙のメモを持っていろいろ書き込んでいるが、あれをいちいちタブレットに書き写しているのだろうかと心配してもそれは大きなお世話か、それとも写真に撮っているのか。
ちなみに、病理診断業務はもちろんPCに入力している。
既往症例、類似症例の検索が容易で十分効率化していることは言うまでもない。 
万年筆を使っているので手が少し汚れる

ブログランキング・にほんブログ村へ

ランキングに参加中。

応援お願いします! 

 PVアクセスランキング にほんブログ村





病理医の仕事を言い換えてみると

2022年11月10日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今日もいい天気。
横須賀線が西に向きを変える大船駅手前の大きなカーブから見える富士山が、少し前より黒っぽく見えるのは一度積もった雪が溶けてしまったのだろうか。
などと今日も前振りから書き出してしまうと、ついいつものペースになってしまう。
大体は天気から始めて、本題にはいる。
本題といっても折々に思いついたこと、仕事のこと、普段から関心を持っていることについてのニュース、重大事故事件について考えたことを書いているうちにあっという間に3、40分経ってしまう。

普段考えることというのは、漠然とした塊のようになっていて、それを文字化するのは病理医という仕事に通じるものがある。
病理診断の診断文というのは、所見を病理医でない医師が読んでもわかるように”書かれていなくてはならない”。
したがって使うのは総論的な用語までにとどめ、あとはわかりやすい言葉を繋いで診断書を完成させる。
だから、自動販売機のようにお金を入れてボタンを押したら診断がポンと出てくることなどない。

病理診断が求められる組織というのは、ほとんどの場合そこに何らかの病変が含まれていて(含まれていないことを証明することを求められることもあるが)、それを診断書という形にしなくてはプロ(専門医)とは言えない。
例えば、一昨日の皆既日食で見えた地球の影の映った月の姿を表現するにはどうするだろう。
私だったら、

Moon and Uranus, 15 minites after total eclipse, binocular observation
  Eclipse of lunar and Uranus

検討したのは地球による皆既月食が終わってから、15分後の月です。地球の影が月の右側のほぼ半分に認められます。左側は白色調に輝いています。背景の星は皆既食の時点に比して不明瞭です。月表面の形状は皆既食の時点ではわかりやすかったものの、凹凸を確認することは困難です。地球の食に入っている部分の右下には青紫色の点が認められ、天王星と考えられます。以上の所見は極めて稀な、皆既月食+月による天王星食と考えられます。

なんて書くのかもしてないが、それでも皆既月食とか天王星食という、食ということの最低限の知識がないとわからないことで、こういうことが基礎的な医学知識、総論的なこととなる。
私は天文学音痴なので、なぜ天王星が青紫に見えるのか、食の方向が斜めに進むのかなどの知識はないから、上記の”診断文”では詳細に触れておらず、こんなことでは診断書を責任を持って出すことのできる"専門医"すなわちプロとは言えない。

それはさておき、今抱えているある腫瘍の診断をどのようにしたらいいか悩んでいる。
組織像は目の前にあるかのようにありありと浮かんでいるのだが、なかなか文字化できないでいる。
これはおそらく大量の視覚情報がここに理解されておらず、多くの情報が並列状態にある(月と天王星が同時に見えている状況)せいで、このあと見えているものの重要度に従って文章を整えていかなくてはならない。
ああまた時間を使ってしまった

ブログランキング・にほんブログ村へ

ランキングに参加中。

応援お願いします! 

 PVアクセスランキング にほんブログ村







時間を作り出すためにブログのスタイルを変えるのはどうか

2022年11月09日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
仕事で使う顕微鏡は双眼鏡で、いつも俯くようにして覗き込んでいるのだが、昨夜は双眼鏡を上に向けて皆既月食を見た。
食は帰宅途中から始まり電車の車窓から眺めた。
鎌倉に帰り着いて改札を出たら、駅前にはスマホを空に向けて写真を撮る人がたくさんいた。
周辺が妙に暗い感じがしたのは、一昨日の晩までの煌々とした月明かりの記憶があったせいだろうか。
皆既食の時間が1時間以上ととても長く、部分食になると地球の影が月に映っているのがよくわかった。
残念ながら天王星は入る時も出る時も確認できず、国立天文台の実況中継で見た。
日本にいる多くの人が楽しんだと思うが、実はこんな自然からの無償の贈り物こそが何よりも素晴らしいショーだった。
私も何枚か写真を撮った。
欅の木を入れようとするとどうしても小さくしか映らないが、月のアップではどこで撮ったものでも大差ない。
このエントリーに選んだのは2機の飛行機が飛んでいたもので、旅客機とは向きも高度も違ったので、あれは横須賀に向かう軍用機だったのだろうか。
レンズの向こうの画像は、月に映る地球の影もくぼみも、顕微鏡の奥の細胞も同じようだった。

6年ほど前に、ある学術書を単著で出した。
累計で2千部近く出ているので、マイナーな領域の医学書としては驚異的なヒットだった。
本を出してからだいぶ時間が過ぎたからそろそろいいだろうが、あの本を書いた頃、私は閑職にあった。
いきさつを語るには、私はまだ現役だし、なにより当時の状況について複雑な思いが残っており、時期尚早だろう。
とにかく閑職というだけあって、執筆する時間が比較的あったのと、そんな立場に追いやられたことに対して奮起したのが良かった。
そのほかにも私の企画を引き受けてくれた編集者さん、その部署での上司、そして家族の協力ほか多くの人の助けのおかげだったのはいうまでもない。

その本だが、今、見返すと色々手直ししたいところがあり、改訂版を出したいと思っている。
そうなるとそれなりに気合を入れなくてはいけないのだが、どうもその気力が湧いてこないので、出版社にそのことを話すのをためらっている。
最大の理由は、今の仕事でそこそこテンパっていて、執筆に充てる時間がなかなか見つからないからで、どこでどう執筆のための時間を捻り出したらいいかというのが最大の問題となる。
忙しいと言ってしまうのは簡単だが、それでも時間は作り出さなくてはならない。
残っているのはこのブログを書く時間、それなりに推敲までしているので、ゆうに1時間は越える。
通勤時間という、スキマ時間を使っているとはいっても、この時間を資料集めと執筆に転用することはできる。

ほぼ毎日拝読しているブロ友さんがおられる。
その方のエントリーのほとんどは、その日の写真1枚と4、5行の記載だが、日々の思いは十分に伝わってくる。
そんなブログに変身できないだろうかと思うが、無理だろう。
モノマネをしたところで、習い性となったスタイルを変えることはできそうにない。

では、改訂版はどうするか、ということになってしまうし、では、そもそもブログの意義とは何かということにまでなり、落とし所が見つからない。
無駄に費やしている時間はまだあるはず

ブログランキング・にほんブログ村へ

ランキングに参加中。

応援お願いします! 

 PVアクセスランキング にほんブログ村


病院に対してわたしになにができるかを考える日

2022年11月08日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
風のほとんどない穏やかな朝。
こんな日は花の写真でも並べて気楽なエントリーを書きたいところだが、昼から幹部との面接があり、そこでのプレゼンテーションのことを考えなくてはならない。

私は病理診断科に所属する病理医だが、こういう外来患者を診ない部門は、中央部門とか中央診療部門とかいわれ病院のバックヤードというか屋台骨・背骨のような存在だ。
病理診断科は検査科に含まれることもあるが、病理診断は医者がおこなわなくてはいけない“医行為”であるため、私の勤務先のように臨床部門に配置されていたり、半分臨床のような位置付けだったりする。
中央部門としては、臨床検査、放射線科、薬剤科、栄養科などコメディカルの人が主体となっている部門が一般的だったが、最近では診療部門の垣根を超えてICU、化学療法部、臨床研究部、DMAT等々ある。
これというのも、医療というものが、医者もコメディカルも事務職も全ての人がそれぞれの立場で診断・治療に加わるというチーム医療で行わなくてはならないものという認識が反映されてきたおかげだ。

こうやって病理診断科と病院との関係を俯瞰してみると今日のプレゼンの内容も自ずと見えてくる。
今、私の勤める病院は何を必要としているのかを考え、そのために私は何ができるのか、何をしなくてはならないのかということを考えなくてはならない。
この病院は、地域医療の中核病院であることは当然だが、がんゲノム医療連携病院であるほか、いくつかの拠点施設となっているので、地域医療から国レベルでの医療を見据えた取り組みが必要だ。
もちろん医療はがん診療だけではなく、腎疾患をはじめとした非腫瘍性疾患についても同様に取り組まなくてはならない。

今日はこういったことを話そうと思うが、これを一人で行うというのは無理。
後継者の育成も重要な問題だが、病理専門医を育成するのは本当に時間がかかる。
さらには、遺伝子診断、電子顕微鏡診断の補助のできる臨床検査技師も育成しなくてはならない。
今後の課題としてこのことを話さなくてはならないのは、少々辛いが、仕方がない。
不平ばかりでは何も進まない

ブログランキング・にほんブログ村へ

ランキングに参加中。

応援お願いします! 

 PVアクセスランキング にほんブログ村

論文を出そうにもなかなかうまくいかない国日本

2022年11月07日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今日は立冬。
いかにも立冬らしい空模様と気温で、冬がやってきたのだと実感する。
今年の冬は寒くなりそうだという予想だが、地球全体の温度は上昇していて第27回気候変動枠組条約締約国会議(COP 27)がエジプトで始まった。
地球温暖化の原因は二酸化炭素などの温室効果ガスだという観点から、それらの排出抑制を人類が一致協力してなんとかしようという話し合いだが、どんな着地点が見出されていくだろうか。
このような話し合いが、平和を前提としないで成り立つのかも甚だ疑問だが、自分には何ができることを考えながら、その行方を見守りたい。
その、”自分にできること”に関して、昨日の朝刊のトップに残念な記事が出ていた。
新型コロナウイルス感染症に関する結構いいデータがでて、その発表の準備をしている身としては忸怩たる思いなのだが、今の日本は研究する者にとって劣悪な状況だといえる。
これにはいろいろな要因を挙げることができるが、基礎的研究を行う人への予算(人件費、設備費)が少ない。
記事にもあるが、連携が乏しいということもいえる。
多くの研究者がオールジャパンで、と口では言うものの実際のところはお山の大将的な人も少なくなく、”小さなパイ”を我がちにと取り合っていると言う側面がある。
ある意味、オールジャパンというのだったら、もはや日本の人材を欧米の一流大学2、3個分に集約して戦わないと論文など出ない。
さらには、偏差値による大学、学部の序列化の解消、飛び級の推進など、優秀な人間を適切な場所に配置しなくてはいけない。

臨床医学の世界だと、データを集めるのが得意な人、データを記録するのが得意な人、統計処理が得意な人、論文を書くのが得意な人、交渉が得意な人、などのチームを組むことができたら効率も良くなるのだが、そこそこ優秀な人材が分散してしまっている状況で、日常業務に追われながら論文を出すのは至難の業だ。
日本の現状は、そういうシステムがごく一部の施設を除くとほとんどなく、研究の手法、論文を出すことなどをすべて”素人同然”の人間がやらなくてはならない。
そうはいっても、私自身、早く論文化して世に出さなくてはいけないと焦ってはいるのだが、それができていない。
週末をのんびり過ごしているのが悪いのだろうかと、昨日一昨日を思い返すのだが、失った時間は帰ってこない。
こんなことの繰り返しだが、気を取り直し、まずは目の前の仕事を片付けよう。
一人にできることは限られている

ブログランキング・にほんブログ村へ

ランキングに参加中。

応援お願いします! 

 PVアクセスランキング にほんブログ村


英気を養い明日からに備える

2022年11月06日 | 鎌倉暮らし
昨日に引き続いての秋晴れ。
庭仕事にはちょうどいい気候で、午前中はこまごましたものを整理して過ごした。
ちょっと手を抜いているうちにボウボウとなっていたり、枯れ枝が目立ってきたりとかしていたのを手入れしていただけだが、あっという間に時間は過ぎる。

裏のベランダにはプランターで育てている植物がいくつかある。
花を咲かせてくれたので、写真に撮っておいた。
クチナシ(これは鉢植え)の実もいくつかついて、そろそろ収穫かと考えている。
あっという間に午後になり、妻と娘と3人で散歩がてらお昼に出かけた。
行ったのはいつも混んでいてなかなか入ることのできない、浄明寺の石窯ガーデンテラス
紅葉のシーズンは予約ができないので行って並ぶしかないのだが、今日は珍しく空いていてすぐに入ることができた。
3時を過ぎるとお日様は山に隠れてしまって少々寒いのだが、昼間暖かったおかげで、ゆっくりとお食事をした。
お会計の時にお店の人に聞いたら、今日はいつもよりずいぶん空いていたとのこと。
そういえば、道路も車も人も少なかった。
帰る頃には日は沈んで東の空にはお月様。
今週末はゆっくりと休んで英気を十分養うことができた。
明日からの一週間は忙しい

ブログランキング・にほんブログ村へ

ランキングに参加中。

応援お願いします! 

 PVアクセスランキング にほんブログ村



山の紅葉とサンラータン

2022年11月05日 | 料理・グルメ
毎朝の写真の東の山がずいぶん色づいてきた。
街路樹だといちょう、けやき、少し丈は低いがハナミズキもいい色だ。
これらに比べてサクラは見劣りするが、花の素晴らしさに免じてこのことは気にしない。
家のことをいろいろやったあと、近くのショッピングモールに出かけた。
ちょうど昼時で、どこにしようとレストランのあるフロアを歩いていたら、私も妻も大好きな酸辣湯(サンラータン)の写真を店先に出しているところがあってそこにした。

麻婆豆腐も一皿頼んだが、どちらも真っ赤。
酸辣湯はとろみがあり、うっかりするとやけどするので、ふうふうしながらゆっくり食べた。
食べ終わると体はポカポカしてちょっと寒くなった日にはちょうどよかった。
モールの中は幼い子供を連れた若い親子が多く、あんな頃もあったなと懐かしい思いでみた。
おとといに続いて夕方の綺麗な月の出を見ることができた。
のどかに過ごせた1日に感謝

ブログランキング・にほんブログ村へ

ランキングに参加中。

応援お願いします! 

 PVアクセスランキング にほんブログ村

仕事の中で通勤が最も重労働

2022年11月04日 | 通勤・交通・旅行
ポインセチアの短日処理を始めてから二週間目ほど経った。
風にあおられて折れてしまった枝を、小さな鉢に挿し穂した二つがなかなかいい色になってきた。
これなら出遅れを取り戻すことができるだろうか。
一方、丸葉のものは色の変わる気配がない上に、出し入れするうちにまた大きな枝を折ってしまった。
ポインセチアは折れやすくて扱いが難しい。
専用の段ボールで覆ったらいいのかもしれないが、それはそれで大掛かりだし、見栄えも悪い。

今日は飛び石連休の中日だった。
学生はまあ仕方ないとしても、通勤の人は少し減るのではないかと期待していたが、普段とあまり変わらず車内はなかなか混んでいた。
最近は混雑度も少し改善されてきたが、昔はもっとひどかったのを今でもよく思い出す。
結婚してしばらくは妻と一緒に出勤していたが、最寄りの駅から乗るのが一苦労で、妻だけ押し込んで私は次の列車を待つなどということがよくあった。
混雑のひどい電車では立っているのももちろん苦しいし、座っていても目の前の人が倒れ込んでくるし、最寄駅がターミナル駅の手前なので降車も一苦労なんてこともあった。
そんなわけで少しでも楽な通勤時間、経路を日々工夫し、現在に至っている。
それにしても日本の電車というのは安全だ。
残念ながら、これまでには何度も筆舌に尽くし難い悲劇はあったが、こんなにぎゅうぎゅう詰めの電車をたくさん、しかも時刻通りに運行しているのは奇跡に近いことのように私には見える。
その分、安全確保のためにしょっちゅう遅延が起こる。
車内トラブル、線路内への立ち入り、荷物挟まり、非常ベル、急病人の発生、人身事故、いったいなにが起こっているのだろうと思いながらも、止まってしまった電車が再び動くようになるのをじっと待つ。

鉄道でのトラブルは、決して他人事ではない。
どれもいつ自分に起こる、もしくは自分が引き起こしてもおかしくないことだ。
電車を使っていると、マナーの悪い人(本人は普通だと思っている)はいくらでもいて、そんな人のことを見てしまったり、自分自身、大丈夫だろうとひょいとギリギリで飛び乗ることもある。目の前で倒れた人を私が面倒を見ることになったこともあったが、この先自分が急病人になるかもしれない。
ホームから落ちてしまうことだって十分ありうるし、痴漢にでも間違えられたら目も当てられない。
そう考えると、通勤中というのは常に緊張感を持って行動せねばならず、結果としてこれだけで1日の半分ぐらいの体力を使ってしまっているのではないかと感じるのも止むを得ないのかもしれない。
雑用とも言えず

ブログランキング・にほんブログ村へ

ランキングに参加中。

応援お願いします! 

 PVアクセスランキング にほんブログ村








秋晴れとJアラート

2022年11月03日 | 日々思うこと、考えること
爽やかな秋晴れの朝、サフランを収穫した。
黄色の花粉がつかないように本来なら蕾のうちにとるのだそうで、こんな花がおわったあとに収穫しているようではダメなのだろうが、色をつけるだけなのでいいだろう。

そんなことをのんびりしていたらテレビの画面が、北朝鮮がミサイルを発射したという警報画面になった。
やれやれという気持ちになる。
今日は、新潟、宮城、山形が対象地域となったようだが、日本国内どこにいてもランダムにミサイルを打ち込まれたら一定の確率で被害を被るということを覚悟しなくてはいけないのだろう。
ウクライナではロシアによるインフラ攻撃が断続的に繰り返されている。
戦争、侵略にルールなどない。
ちょっと買い物に出かけたが、今日の鎌倉市内は結構空いていて、助かった。
気持ちのいい午後をのんびり過ごしていたらあっという間に日が暮れた。
コメントへのお返事を考え考え書いていたらあっという間に2時間以上過ぎていて、今日のエントリーを書く気がなくなったので、この辺で。
また明日

ブログランキング・にほんブログ村へ

ランキングに参加中。

応援お願いします! 

 PVアクセスランキング にほんブログ村




自分の価値観と人間的に成長する

2022年11月02日 | 生き方について考える
冬から春へ、三寒四温を何度か繰り返して季節は移り変わるが、秋から冬へも同じように寒い日と暖かい日が交互に訪れやがて季節は冬へと至る。
ちょうど今がその時期で、昨日は11月中旬の気温だったとかが、今日の日中は4、5度も高くなるとかで、マフラーは余計だったかもしれない。
それでも気温は花たちにはちょうどいいみたいで、今年の夏の猛暑から立ち直ったように元気よく咲いているのは嬉しい。

そんな元気な花たちに比べ、私自身はあまり元気がない。
ブログを書いていてもあまり楽しくないし、読み返しても、老いの繰り言、発展的なことはほとんど書いていない。
ブログというものそんなものと割り切ってしまえばそれでいいのかもしれないが、ではそんなことのために書いているのかというとそんなはずではなかったと思う。

人間的な成長を願って始めたはずなのに、いっこうにその兆しは見えてこない。
その機を逸したまま、子供たちはいつのまにか成人して私の手を離れた。
この間、東日本大震災があり、両方の父が亡くなり、犬二匹も見送り、そうこうするうち新型コロナが起こり、2年近くの空白が生まれ、トンネルの出口が見えてきたと思ったところで、ダメ押しのようなプーチン大統領の暴挙と至り、今や世界には生きること、将来への明るさがない。

人間、それぞれ、その人なりの正しいことを考えているし、行動している。
だから、その人たちの目線で社会なり人間関係を見たらまわりは迷惑だと思っていても、間違っているとは言えない。
ロシアにしても、中国にしても、北朝鮮にしてもそうだし、私が身の回りでうっとうしいと思っている人たちにしてもそうだ。
皆、自分のことで手一杯だし、自分のことを良くすることが正しいのだ。
他人を変えることはできないから、自分が考え方を変えるしかない。
それこそが、自らの成長なのだが、その成長の実感がみえない。
成長したつもりになって、成長をやめてしまうようなことになっても、それはそれでいけないわけで、結局のところいつまでたっても自分は成長し続けなくてはいけないのかもしれない。
進歩することは大変だが

ブログランキング・にほんブログ村へ

ランキングに参加中。

応援お願いします! 

 PVアクセスランキング にほんブログ村



なんとか生きてくることができた人間に残された使命

2022年11月01日 | 生き方について考える
ハロウィーンの昨夜、You tubeで、渋谷駅前のスクランブル交差点のライブカメラというのを少しの間見た。
信号が変わるたびにたくさんの人が、規制線沿って行儀良く交差点を横切っていたが、その先のハチ公前広場やらセンター街の入り口には結構な数の人がぎゅうぎゅうになっているのが遠目でもよく見えた。
朝になってどうやら大きな事故は起こらなかったようだが、警察や渋谷区の尽力があってこそのことだろう、ご苦労様でした。
韓国であんな悲惨な事故があったばかりでも、やっぱり渋谷に行った人はたくさんいた。
一体どんな人が行ったのだろうかと思うが、私だって若ければ2度や3度は行って、さんざん酔っ払って、そこらへんに酔い潰れていたか、喧嘩をして大怪我をしていたかもしれないし、下手をしたら死んでいたかもしれない。
それとも渋谷などもはやおのぼりさんのいるところだからと二丁目あたりでハメを外していたかもしれないが同じことだ。
そう考えるとよく、これまでほぼ五体満足で生きてくることができたのは奇跡的なことだと感じる。
若い時というのはどうして何も怖いものがないのだろう、というか歳をとるとどうしてこう分別くさくなってしまうのだろう。

若い時は人生経験も背負うものもあまり多くないのでさまざまのリスクが分からないのだろう。
歳を重ねるごとに肉体的には強靭になり、少ないながらも経験を積むことでいろいろなことが見えてきて怖いものはどんどん少なくなる。
そんなことで馬鹿をやってしまう若者はいくらでもいるし、経験がないために期せずして事件や事故に巻き込まれてしまうこともある。

逆に歳をとると人生経験を重ね、多くのものを背負って生きるようになる。
さまざまなリスクを知るようになるし、肉体的に自分の力が衰えてくることも自覚するようになる。
さらには、社会的地位、家族といったものに対してさまざまな責任が生じる。
そういうことが重なって、年寄りは慎重に生きることを学び、分別くさくなっていく。

でも、実際に多くのものを背負っているのは、年寄りではなく若者だ。
人類の未来は若者の双肩にかかっていて、年寄りの存在価値はそれを守り、育ててあげることでしかない。
私など歳をとっても相変わらず馬鹿で、私よりもよほど立派な若者はたくさんいるので、守り育てるなどと言うこと自体おこがましいのかもしれない。
そうなると、私にできることなど、彼らに迷惑をかけないように、ひっそりと生き、やがて消えていくことなのかもしれない。
それなりに頑張りながら

ブログランキング・にほんブログ村へ

ランキングに参加中。

応援お願いします! 

 PVアクセスランキング にほんブログ村