きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

攻防 消費税⑩ 「増税ノー」の審判

2012-06-27 23:53:22 | 予算・税金・消費税・社会保障など
攻防 消費税⑩ 「増税ノー」の審判

消費税の3%から5%への増税は1994年に村山富市内閣が決定し、97年に橋本龍太郎内閣が強行したものです。いずれも自民党、社会党(96年社民党に改組)、さきがけ3党の連立政権です。増税「決定」と「実施」の間にすでに「再増税」への動きが始まっていました。

長期ビジョン
96年1月、経団連は長期ビジョン「魅力ある日本―創造への責任」を発表します。その中で「直間比率の是正」として2020年度までに「間接税比率5割程度」まで引き上げるよう求めています。さらに同ビジョンは参考資料として、97年の5%への増税を前提に“2000年度には7%、05年度には10%に引き上げる”など「目標達成」にむけた試算を掲載しています。また、03年発表の経団連長期ビジョン「活力と魅力溢(あふ)れる日本をめざして」では、04年度から消費税率を毎年1%ずつ引き上げれば、14年度以降は「16%で据え置くことが可能になる」と述べています。
こうした財界の要求にこたえて、1999年2月に小渕恵三首相(当時)の諮問機関「経済戦略会議」が財政再建を口実に「消費税率の引き上げも視野に入れざるを得ない」と最終答申に盛り込んでいます。また同年12月の政府税制調査会答申には消費税について「今後、わが国の税財政にとってますます重要な役割を果たすべき基幹税である」と述べています。
2000年に入ると森喜朗政権の下で政府税調が「少子・高齢化が進展する二十一世紀を展望すると、消費税の役割はますます重要なものになっていくと考えられます」などとする中期答申をまとめています。



1998年7月の参院選挙で当選者の名に花をつける日本共産党の不破哲三委員長(右、当時)と志位和夫書記局長(当時)=党本部

怒りを恐れて
税率引き上げ後、最初の国政選挙である1998年の参院選では自民党は改選議席を16減らす大敗を喫し、社会党から党名変更した社民党は改選12議席から8議席へと後退、さきがけの当選はゼロとなっています。一方、消費税増税を一貫して批判した日本共産党は、改選6議席の2倍以上となる15議席を獲得しました。
いくら内閣支持率が高くても、「国民の怒り」への恐れは解消できません。戦後の首相で在職3位の長さ、発足直後の内閣支持率80%超を誇った小泉純一郎首相も消費税増税を正面から掲げられませんでした。社会保障を連続的に改悪した小泉首相は2003年9月の記者会見で、「(自民党総裁の任期)その間に税率を上げる環境にない」と表明しています。
しかし小泉首相は06年6月の経済財政諮問会議で「増税してもいいから必要な施策をやってくれ、という状況になるまで、歳出を徹底的にカットしないといけない」と述べるなど、消費税率引き上げに向けた環境をつくってきました。
つづいて首相となった安倍晋三内閣で増税計画は発動します。07年の参院選で、自民党は「(07年度をめどに)消費税を含む税体系の抜本的改革を実現する」と公約に明記したのです。安倍首相はテレビ番組で「秋に抜本的な税制改正を行う。消費税を上げないとはひと言も言っていない」と発言しています。
しかし、国民の審判は「増税ノー」でした。この選挙で自民党は、改選64議席に遠く及ばない37議席という歴史的な議席減に追い込まれました。国民の怒りは消費税増税を何度もとん挫させてきたのです。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年6月27日付掲載



1998年の参院選挙では定数2の兵庫選挙区でも大沢たつみさんを当選させました。自民党の新人候補を破っての2位当選でした。
消費税増税への怒りにあわせて牛肉の輸入自由化への怒り。それが、党組織のない但馬牛の産地美方郡美方町でも大沢たつみの票が伸びたことに感激したことを覚えています。
近畿の大阪、京都に続き兵庫県でも参院選挙区の議席を獲得したことに、当時JRがやっていた宣伝文句「三都物語」にかけて、近畿の三都で議席を取ったことに感激したことを覚えています。


今回の消費税増税法案はまだ衆院で可決されただけで、これから参議院での審議があります。世論で追い込んで、採決させないで廃案にさせましょう。

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攻防 消費税⑨ 態度180度変えて

2012-06-27 14:35:29 | 予算・税金・消費税・社会保障など
攻防 消費税⑨ 態度180度変えて

細川護煕内閣が導入を画策した国民福祉税を、与党内で最も強く批判したのは社会党でした。1994年4月、細川首相は自らの金権疑惑もあり、突然退陣。その後、発足した新生党の羽田孜党首を首相とする内閣に、社会党とさきがけは参加しませんでした。少数与党だった羽田内閣は、94年度予算の成立を待って、わずか2カ月で総辞職しました。

社会党が容認
羽田内閣退陣後、政権復帰に執念を燃やした自民党主導の多数派工作で、社会党の村山富市委員長を首相とする自民、社会、さきがけの3党連立政権が成立しました。村山首相は94年7月の所信表明演説で、「所得、資産、消費のバランスのとれた税体系を構築する」と述べ、消費税の増税を表明しました。細川内閣の与党時に取った態度を百八十度変えた社会党について、当時、政府税制調査会委員だった石弘光氏は「社会党が消費税率引き上げを認め、よく歩み寄ったと驚きを禁じ得ない」「土井たか子委員長の下で、選挙で『ダメなものはダメ』と、一度は政治的に消費税を葬り去った社会党も、政権につけばその存在を認めないわけにはいかなかった事実は重い」(『消費税の政治経済学』)と述べています。
消費税増税という公約違反をはじめ、日米安保体制の堅持、自衛隊合憲、「日の丸・君が代」の全面容認など、かつての主張を完全に投げ捨てた社会党に対して、国民は厳しい評価を下し、96年1月、社会民主党へと党名を変更せざるを得ませんでした。
非自民連立から、自民、社会、さきがけ連立へと政権の担い手が代わっても、消費税増税の方針が「堅持」されたのは、財界が執拗(しつよう)に消費税増税を求めたからです。
羽田内閣が総辞職する直前の94年6月に、経済団体連合会、日本商工会議所、日本経営者団体連盟、経済同友会の財界4団体が連名で発表した「政策本位の国会運営を求める」との意見書は、「規制緩和、税制改革など、内需拡大や改革の具体的な姿を明示する」ことを求めています。村山政権発足直後には経団連が「政策運営に関する緊急提言」を発表し、税制改革の課題として「国際的に極めて高い法人税負担の引き下げをおこなう」「(その財源については)直間比率の是正によって手当てする」ことなどを提起し、「課題の解決に全力を尽くすべきだ」と発破をかけました。
石弘光氏は、「この連立政権は、細川・羽田両内閣が残した税制改革を仕上げることが責務となっていた」(前掲書)と述べています。



消費税引き上げ反対署名を国会に提出する全国商工団体連合会代表=1994年2月17日、衆院議員面会所

思惑の通りに
財界の後押しを受けて、村山内閣は97年4月から消費税率を3%から5%に引き上げることなどを柱とする税制改革関連法案を94年10月に国会提出、11月には可決・成立させました。89年に消費税が導入されてから5年後のことでした。
消費税増税の際、水面下で暗躍したのが消費税導入時の首相、竹下登氏でした。竹下氏は自著『平成経済ゼミナール』でインタビューに答え、消費税導入当初から5年後の税率引き上げを構想しており、その実現に向けて画策したことを認めています。思惑通りに動いた村山首相を「村山さんも、税について、それほど詳しい方ではないが、理解は早い」と評価しました。
97年4月、自民、社会、さきがけ3党連立の橋本龍太郎内閣の下で、消費税増税は実行されました。増税に加えて、社会保障改悪によって国民には9兆円もの負担増がかぶせられ、国民の暮らしと日本経済はどん底に突き落とされることになります。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年6月26日付掲載



社会党が変節したことが、消費税が3%から5%に値上げされたことに大きく貢献したのですね。もともと社会党は1980年の社公合意で安保条約容認で右転落していたわけなんですが、この時の自民党との連合政権でいよいよ落ちるところまで落ちました。
社会党は分裂してその大半は今の民主党の流れになります。一方は名前を変えて社民党に。
本当に許されないことだなあ!
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