攻防 消費税⑩ 「増税ノー」の審判
消費税の3%から5%への増税は1994年に村山富市内閣が決定し、97年に橋本龍太郎内閣が強行したものです。いずれも自民党、社会党(96年社民党に改組)、さきがけ3党の連立政権です。増税「決定」と「実施」の間にすでに「再増税」への動きが始まっていました。
長期ビジョン
96年1月、経団連は長期ビジョン「魅力ある日本―創造への責任」を発表します。その中で「直間比率の是正」として2020年度までに「間接税比率5割程度」まで引き上げるよう求めています。さらに同ビジョンは参考資料として、97年の5%への増税を前提に“2000年度には7%、05年度には10%に引き上げる”など「目標達成」にむけた試算を掲載しています。また、03年発表の経団連長期ビジョン「活力と魅力溢(あふ)れる日本をめざして」では、04年度から消費税率を毎年1%ずつ引き上げれば、14年度以降は「16%で据え置くことが可能になる」と述べています。
こうした財界の要求にこたえて、1999年2月に小渕恵三首相(当時)の諮問機関「経済戦略会議」が財政再建を口実に「消費税率の引き上げも視野に入れざるを得ない」と最終答申に盛り込んでいます。また同年12月の政府税制調査会答申には消費税について「今後、わが国の税財政にとってますます重要な役割を果たすべき基幹税である」と述べています。
2000年に入ると森喜朗政権の下で政府税調が「少子・高齢化が進展する二十一世紀を展望すると、消費税の役割はますます重要なものになっていくと考えられます」などとする中期答申をまとめています。
1998年7月の参院選挙で当選者の名に花をつける日本共産党の不破哲三委員長(右、当時)と志位和夫書記局長(当時)=党本部
怒りを恐れて
税率引き上げ後、最初の国政選挙である1998年の参院選では自民党は改選議席を16減らす大敗を喫し、社会党から党名変更した社民党は改選12議席から8議席へと後退、さきがけの当選はゼロとなっています。一方、消費税増税を一貫して批判した日本共産党は、改選6議席の2倍以上となる15議席を獲得しました。
いくら内閣支持率が高くても、「国民の怒り」への恐れは解消できません。戦後の首相で在職3位の長さ、発足直後の内閣支持率80%超を誇った小泉純一郎首相も消費税増税を正面から掲げられませんでした。社会保障を連続的に改悪した小泉首相は2003年9月の記者会見で、「(自民党総裁の任期)その間に税率を上げる環境にない」と表明しています。
しかし小泉首相は06年6月の経済財政諮問会議で「増税してもいいから必要な施策をやってくれ、という状況になるまで、歳出を徹底的にカットしないといけない」と述べるなど、消費税率引き上げに向けた環境をつくってきました。
つづいて首相となった安倍晋三内閣で増税計画は発動します。07年の参院選で、自民党は「(07年度をめどに)消費税を含む税体系の抜本的改革を実現する」と公約に明記したのです。安倍首相はテレビ番組で「秋に抜本的な税制改正を行う。消費税を上げないとはひと言も言っていない」と発言しています。
しかし、国民の審判は「増税ノー」でした。この選挙で自民党は、改選64議席に遠く及ばない37議席という歴史的な議席減に追い込まれました。国民の怒りは消費税増税を何度もとん挫させてきたのです。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年6月27日付掲載
1998年の参院選挙では定数2の兵庫選挙区でも大沢たつみさんを当選させました。自民党の新人候補を破っての2位当選でした。
消費税増税への怒りにあわせて牛肉の輸入自由化への怒り。それが、党組織のない但馬牛の産地美方郡美方町でも大沢たつみの票が伸びたことに感激したことを覚えています。
近畿の大阪、京都に続き兵庫県でも参院選挙区の議席を獲得したことに、当時JRがやっていた宣伝文句「三都物語」にかけて、近畿の三都で議席を取ったことに感激したことを覚えています。
今回の消費税増税法案はまだ衆院で可決されただけで、これから参議院での審議があります。世論で追い込んで、採決させないで廃案にさせましょう。
消費税の3%から5%への増税は1994年に村山富市内閣が決定し、97年に橋本龍太郎内閣が強行したものです。いずれも自民党、社会党(96年社民党に改組)、さきがけ3党の連立政権です。増税「決定」と「実施」の間にすでに「再増税」への動きが始まっていました。
長期ビジョン
96年1月、経団連は長期ビジョン「魅力ある日本―創造への責任」を発表します。その中で「直間比率の是正」として2020年度までに「間接税比率5割程度」まで引き上げるよう求めています。さらに同ビジョンは参考資料として、97年の5%への増税を前提に“2000年度には7%、05年度には10%に引き上げる”など「目標達成」にむけた試算を掲載しています。また、03年発表の経団連長期ビジョン「活力と魅力溢(あふ)れる日本をめざして」では、04年度から消費税率を毎年1%ずつ引き上げれば、14年度以降は「16%で据え置くことが可能になる」と述べています。
こうした財界の要求にこたえて、1999年2月に小渕恵三首相(当時)の諮問機関「経済戦略会議」が財政再建を口実に「消費税率の引き上げも視野に入れざるを得ない」と最終答申に盛り込んでいます。また同年12月の政府税制調査会答申には消費税について「今後、わが国の税財政にとってますます重要な役割を果たすべき基幹税である」と述べています。
2000年に入ると森喜朗政権の下で政府税調が「少子・高齢化が進展する二十一世紀を展望すると、消費税の役割はますます重要なものになっていくと考えられます」などとする中期答申をまとめています。
1998年7月の参院選挙で当選者の名に花をつける日本共産党の不破哲三委員長(右、当時)と志位和夫書記局長(当時)=党本部
怒りを恐れて
税率引き上げ後、最初の国政選挙である1998年の参院選では自民党は改選議席を16減らす大敗を喫し、社会党から党名変更した社民党は改選12議席から8議席へと後退、さきがけの当選はゼロとなっています。一方、消費税増税を一貫して批判した日本共産党は、改選6議席の2倍以上となる15議席を獲得しました。
いくら内閣支持率が高くても、「国民の怒り」への恐れは解消できません。戦後の首相で在職3位の長さ、発足直後の内閣支持率80%超を誇った小泉純一郎首相も消費税増税を正面から掲げられませんでした。社会保障を連続的に改悪した小泉首相は2003年9月の記者会見で、「(自民党総裁の任期)その間に税率を上げる環境にない」と表明しています。
しかし小泉首相は06年6月の経済財政諮問会議で「増税してもいいから必要な施策をやってくれ、という状況になるまで、歳出を徹底的にカットしないといけない」と述べるなど、消費税率引き上げに向けた環境をつくってきました。
つづいて首相となった安倍晋三内閣で増税計画は発動します。07年の参院選で、自民党は「(07年度をめどに)消費税を含む税体系の抜本的改革を実現する」と公約に明記したのです。安倍首相はテレビ番組で「秋に抜本的な税制改正を行う。消費税を上げないとはひと言も言っていない」と発言しています。
しかし、国民の審判は「増税ノー」でした。この選挙で自民党は、改選64議席に遠く及ばない37議席という歴史的な議席減に追い込まれました。国民の怒りは消費税増税を何度もとん挫させてきたのです。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年6月27日付掲載
1998年の参院選挙では定数2の兵庫選挙区でも大沢たつみさんを当選させました。自民党の新人候補を破っての2位当選でした。
消費税増税への怒りにあわせて牛肉の輸入自由化への怒り。それが、党組織のない但馬牛の産地美方郡美方町でも大沢たつみの票が伸びたことに感激したことを覚えています。
近畿の大阪、京都に続き兵庫県でも参院選挙区の議席を獲得したことに、当時JRがやっていた宣伝文句「三都物語」にかけて、近畿の三都で議席を取ったことに感激したことを覚えています。
今回の消費税増税法案はまだ衆院で可決されただけで、これから参議院での審議があります。世論で追い込んで、採決させないで廃案にさせましょう。