攻防 消費税⑥ 増税の火種消さず
中曽根康弘内閣が導入をねらった売上税を葬り去ったのは国民各層の運動の勝利でした。当時、自民党は衆議院で304議席もの圧倒的多数を占めていましたが、公約違反の売上税を国会で一度も審議されることがないまま廃案に持ち込んだのです。
議長あっせん
しかし廃案に持ち込む過程で、衆院議長が示した「あっせん」を、日本共産党を除く各党が承認したことは後に禍根を残しました。
議長あっせんは売上税法案の審議が紛糾したために、1987年度予算の成立が危ぶまれた事態を打開するために出されたものです。その要旨は次のようなものでした。
①高齢化社会に備えるためには、直間比率の是正などの税制改革が急務であり、②各党は協調し、「税制改革協議会」を設けて協議する―これを承認することは、大型間接税導入の思惑に賛成することを意味します。大蔵省主税局長や国税庁長官を歴任した水野勝氏は「大蔵省としてはどのような事態になっても税制改革の火種が消えないようにすることが必要であると考え、これを強く各方面に要請した」(『主税局長の千三百日―税制抜本改革への歩み』)と当時のことを振り返っています。大型間接税に一貫して反対してきた日本共産党は反対しました。しかし、自民党、社会党、公明党、民社党の与野党が合意したため、後に導入される消費税への足がかりとされたのです。
水野勝氏は議長あっせんについて次のように評価しました。
「まったく審議されずにきたものが、議長あっせんによって野党もその審議の場に臨むことになったのであるから、一つの前進である」
「これまでは国会における総理の発言、選挙における公約的発言などさまざまな制約条件があったが、この議長あっせんによる打開によって一応これらのものとは切り離されて、国会でフリーの立場で審議がおこなわれることになるのであるから、ある意味では論議の展望が開けたということもできる」
経団連も「税制改革への新たな足がかりが残された」(『経済団体連合会五十年史』)と評価しました。
「大型(新型)間接税に反対しましょう 日本百貨店協会」の垂れ幕をかける伊勢丹=86年12月4日、東京都新宿区
野党取り込み
議長あっせんによって87年度予算は4月にずれこんだものの成立しました。予算の衆院可決の際、中曽根首相は次のような談話を発表しました。
「今回の税制改革は、ぜひ実行しなければなりません。政府は、謙虚に、かつ、慎重に、かつ、強力に、これが実現に努力いたす所存でありますので、国民の皆様のご協力をお願い申し上げます」
ここには大型間接税導入に向けたすさまじい執念があらわれています。
結局、議長あっせんにもとづく税制改革協議会は何の成果もないまま通常国会の閉会とともに幕を下ろします。売上税も審議未了、廃案となりました。しかし、日本共産党以外の野党が議長あっせんに合意し、税制改革協議会に参加したことで、大型間接税導入をねらう政府・自民党に取り込まれることになりました。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年6月21日付掲載
「議長あっせん」と言えば、小選挙区制導入をめぐって、1994年1月の社会党(当時)の土井たか子のものが記憶に新しいのですが・・・
1987年の時の衆院議長は、いわゆる「ハラケン」こと自民党の原健三郎。くしくも、社会党(当時)の土井たか子と同じ旧兵庫2区の選出議員だ。
旧兵庫2区は定数5の中選挙区制だった。
今になって思えば、自民党と社会党のいわゆる55年体制は、いまでいう談合政治の「はしり」だったのですね。
中曽根康弘内閣が導入をねらった売上税を葬り去ったのは国民各層の運動の勝利でした。当時、自民党は衆議院で304議席もの圧倒的多数を占めていましたが、公約違反の売上税を国会で一度も審議されることがないまま廃案に持ち込んだのです。
議長あっせん
しかし廃案に持ち込む過程で、衆院議長が示した「あっせん」を、日本共産党を除く各党が承認したことは後に禍根を残しました。
議長あっせんは売上税法案の審議が紛糾したために、1987年度予算の成立が危ぶまれた事態を打開するために出されたものです。その要旨は次のようなものでした。
①高齢化社会に備えるためには、直間比率の是正などの税制改革が急務であり、②各党は協調し、「税制改革協議会」を設けて協議する―これを承認することは、大型間接税導入の思惑に賛成することを意味します。大蔵省主税局長や国税庁長官を歴任した水野勝氏は「大蔵省としてはどのような事態になっても税制改革の火種が消えないようにすることが必要であると考え、これを強く各方面に要請した」(『主税局長の千三百日―税制抜本改革への歩み』)と当時のことを振り返っています。大型間接税に一貫して反対してきた日本共産党は反対しました。しかし、自民党、社会党、公明党、民社党の与野党が合意したため、後に導入される消費税への足がかりとされたのです。
水野勝氏は議長あっせんについて次のように評価しました。
「まったく審議されずにきたものが、議長あっせんによって野党もその審議の場に臨むことになったのであるから、一つの前進である」
「これまでは国会における総理の発言、選挙における公約的発言などさまざまな制約条件があったが、この議長あっせんによる打開によって一応これらのものとは切り離されて、国会でフリーの立場で審議がおこなわれることになるのであるから、ある意味では論議の展望が開けたということもできる」
経団連も「税制改革への新たな足がかりが残された」(『経済団体連合会五十年史』)と評価しました。
「大型(新型)間接税に反対しましょう 日本百貨店協会」の垂れ幕をかける伊勢丹=86年12月4日、東京都新宿区
野党取り込み
議長あっせんによって87年度予算は4月にずれこんだものの成立しました。予算の衆院可決の際、中曽根首相は次のような談話を発表しました。
「今回の税制改革は、ぜひ実行しなければなりません。政府は、謙虚に、かつ、慎重に、かつ、強力に、これが実現に努力いたす所存でありますので、国民の皆様のご協力をお願い申し上げます」
ここには大型間接税導入に向けたすさまじい執念があらわれています。
結局、議長あっせんにもとづく税制改革協議会は何の成果もないまま通常国会の閉会とともに幕を下ろします。売上税も審議未了、廃案となりました。しかし、日本共産党以外の野党が議長あっせんに合意し、税制改革協議会に参加したことで、大型間接税導入をねらう政府・自民党に取り込まれることになりました。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年6月21日付掲載
「議長あっせん」と言えば、小選挙区制導入をめぐって、1994年1月の社会党(当時)の土井たか子のものが記憶に新しいのですが・・・
1987年の時の衆院議長は、いわゆる「ハラケン」こと自民党の原健三郎。くしくも、社会党(当時)の土井たか子と同じ旧兵庫2区の選出議員だ。
旧兵庫2区は定数5の中選挙区制だった。
今になって思えば、自民党と社会党のいわゆる55年体制は、いまでいう談合政治の「はしり」だったのですね。