攻防 消費税⑤ ウソついた「この顔」
大平正芳内閣が導入しようとした一般消費税が総選挙で与党・自民党の大敗をもたらし、最終的に「国会決議」という形で葬り去られたことによって、「財政再建」を口実とした大型間接税の導入は難しくなりました。こうした状況を消費税推進勢力が打破しようとしたのが中曽根康弘内閣のときでした。
首相の「公約」
まず動きだしたのは財界です。1986年2月、経団連の稲山嘉寛会長が記者会見で「増税なき財政再建を放棄するわけではないが、それ一点張りでは無理」と述べ、大型間接税導入に前向きな姿勢を示しました。3月には意見書「行財政改革と税制の抜本改革について―中間報告と提言」をとりまとめ、「所得、資産、消費に対する課税の適正化とバランスを確保するためには、国民が広く薄く負担する税体系を構築しなければならない」としたうえで、「課税べースの広い間接税導入の是非を含む税体系について、根本的に再検討する必要がある」と踏み込みました。
一方、国民の審判にさらされる政治の側は大型間接税の導入をなかなか口にできませんでした。政府税制調査会の委員、会長を長く務めた石弘光氏は著書『消費税の政治経済学』で当時の自民党の作戦について「選挙前まで減税中心でそれを中間報告にまとめ、選挙後にその減税に必要な財源を検討するといった基本戦略」と述べました。
実際、政府税制調査会は4月に所得税、法人税などの減税に関する報告を発表。衆参同日選挙に向けて6月に開かれた自民党の決起集会では中曽根首相が「国民が反対し、党員も反対するような大型間接税と称するものは、やる考えがない」と公約しました。
当時、大蔵省主税局長を務めた水野勝氏は中曽根首相の発言から大型間接税はすべてやらないと読みとられる恐れがあると懸念し、発言の翌日早朝、遊説前の中曽根氏を首相官邸に訪ね、「この取り扱いについての慎重な対応と、でき得れば発言の修正をお願い」したといいます(『主税局長の千三百日―税制抜本改革への歩み』)。それほど公約は重く、世論を気にする状況でした。しかし中曽根首椙からは「それほど懸念に及ぶ必要はなく心配はいらない」との言葉が返ってきました。
86年7月の衆参同日選挙で中曽根首相は「大型間接税と称するものは導入する考えはない」「この顔でウソをつきますか」と繰り返し、304議席を獲得しました。
大型間接税に反対する人で埋め尽くされた10・25二万人大集会=1986年10月26日、東京・明治公園
売上税を突如
87年に入ると中曽根内閣は所得税、法人税の税率引き下げを含む大企業、大資産家優先の減税法案とともに、大型間接税としての売上税法案を突如国会に提出しました。大平内閣時の一般消費税と同様、国内における商品とサービスの売買に5%を課税するもので、食料品や新聞などが非課税だったほかはほとんど現行消費税と同じ仕組みです。
公約違反に怒りの声が上がったことに加え、当時、円高不況に苦しんでいた業者を中心に反対運動が広がりました。デパートやスーパーなどの大企業も巻き込み、各地のデパートには「売上税反対」の垂れ幕が下がりました。そのさなかに行われたいっせい地方選挙では自民党が大量の議席を失う一方、日本共産党が議席を伸ばしました。こうしたたたかいの結果、売上税法案を含む税制改革関連法案は87年5月に廃案になります。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年6月20日付掲載
304議席と言う絶対多数をもってしても、国民世論には逆らうことができなかったのですね。いっせい地方選挙での自民党の敗退は国政の勢力圏には直接関係しませんでしたが、相当なショックだったようです。共産党の躍進と合わせて、自民党の動揺ぶりはよく記憶しています。
あのころはまだ、マスコミも一定程度はその事を報道していたように思います。
今日の民主党の多数を頼んでの79日間の会期延長(9月8日(土)まで)。民自公3党の密室での談合を実現するためとでしょうが、国民世論は許しません。
民自公3党の議席は中曽根さんの時の304議席よりはるかに多いいですが・・・
会期延長を受けてJR元町駅東口で日本共産党の「経済提言」のパンフレットを配布しながら宣伝しました。あいにくの雨模様の中、多くの方に受け取ってもらいました。目線があって、「決意した思いで受け取っている」と思えるのは、今までにない事でした。
大平正芳内閣が導入しようとした一般消費税が総選挙で与党・自民党の大敗をもたらし、最終的に「国会決議」という形で葬り去られたことによって、「財政再建」を口実とした大型間接税の導入は難しくなりました。こうした状況を消費税推進勢力が打破しようとしたのが中曽根康弘内閣のときでした。
首相の「公約」
まず動きだしたのは財界です。1986年2月、経団連の稲山嘉寛会長が記者会見で「増税なき財政再建を放棄するわけではないが、それ一点張りでは無理」と述べ、大型間接税導入に前向きな姿勢を示しました。3月には意見書「行財政改革と税制の抜本改革について―中間報告と提言」をとりまとめ、「所得、資産、消費に対する課税の適正化とバランスを確保するためには、国民が広く薄く負担する税体系を構築しなければならない」としたうえで、「課税べースの広い間接税導入の是非を含む税体系について、根本的に再検討する必要がある」と踏み込みました。
一方、国民の審判にさらされる政治の側は大型間接税の導入をなかなか口にできませんでした。政府税制調査会の委員、会長を長く務めた石弘光氏は著書『消費税の政治経済学』で当時の自民党の作戦について「選挙前まで減税中心でそれを中間報告にまとめ、選挙後にその減税に必要な財源を検討するといった基本戦略」と述べました。
実際、政府税制調査会は4月に所得税、法人税などの減税に関する報告を発表。衆参同日選挙に向けて6月に開かれた自民党の決起集会では中曽根首相が「国民が反対し、党員も反対するような大型間接税と称するものは、やる考えがない」と公約しました。
当時、大蔵省主税局長を務めた水野勝氏は中曽根首相の発言から大型間接税はすべてやらないと読みとられる恐れがあると懸念し、発言の翌日早朝、遊説前の中曽根氏を首相官邸に訪ね、「この取り扱いについての慎重な対応と、でき得れば発言の修正をお願い」したといいます(『主税局長の千三百日―税制抜本改革への歩み』)。それほど公約は重く、世論を気にする状況でした。しかし中曽根首椙からは「それほど懸念に及ぶ必要はなく心配はいらない」との言葉が返ってきました。
86年7月の衆参同日選挙で中曽根首相は「大型間接税と称するものは導入する考えはない」「この顔でウソをつきますか」と繰り返し、304議席を獲得しました。
大型間接税に反対する人で埋め尽くされた10・25二万人大集会=1986年10月26日、東京・明治公園
売上税を突如
87年に入ると中曽根内閣は所得税、法人税の税率引き下げを含む大企業、大資産家優先の減税法案とともに、大型間接税としての売上税法案を突如国会に提出しました。大平内閣時の一般消費税と同様、国内における商品とサービスの売買に5%を課税するもので、食料品や新聞などが非課税だったほかはほとんど現行消費税と同じ仕組みです。
公約違反に怒りの声が上がったことに加え、当時、円高不況に苦しんでいた業者を中心に反対運動が広がりました。デパートやスーパーなどの大企業も巻き込み、各地のデパートには「売上税反対」の垂れ幕が下がりました。そのさなかに行われたいっせい地方選挙では自民党が大量の議席を失う一方、日本共産党が議席を伸ばしました。こうしたたたかいの結果、売上税法案を含む税制改革関連法案は87年5月に廃案になります。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年6月20日付掲載
304議席と言う絶対多数をもってしても、国民世論には逆らうことができなかったのですね。いっせい地方選挙での自民党の敗退は国政の勢力圏には直接関係しませんでしたが、相当なショックだったようです。共産党の躍進と合わせて、自民党の動揺ぶりはよく記憶しています。
あのころはまだ、マスコミも一定程度はその事を報道していたように思います。
今日の民主党の多数を頼んでの79日間の会期延長(9月8日(土)まで)。民自公3党の密室での談合を実現するためとでしょうが、国民世論は許しません。
民自公3党の議席は中曽根さんの時の304議席よりはるかに多いいですが・・・
会期延長を受けてJR元町駅東口で日本共産党の「経済提言」のパンフレットを配布しながら宣伝しました。あいにくの雨模様の中、多くの方に受け取ってもらいました。目線があって、「決意した思いで受け取っている」と思えるのは、今までにない事でした。