国境の島・沖縄与那国 自衛隊配備を問う② ゆがめられた町の自立
背後に“安保基地族”の影
2008年の与那国町議会決議は、表面的には町民の自発的な誘致運動かのような印象を受けますが、事実は違いました。先島(宮古島・八重山)地域に軍事拠点を置きたい“安保基地族”(日米同盟の既得権益を享受するグループ)の策動が背後にかかわっていたのです。
配備への執念
日本共産党の元県議で自衛隊配備を阻止するため、生まれ故郷の与那国島に移り住んでいる宮良作さん(87)は話します。「05年に当時の伊良部町議会で、下地島空港(現宮古島市)への自衛隊の常駐が白紙撤回とされた時、安保基地族の一人が言っていたのをよく覚えています。『われわれの指導した計画を町議会が守らなかったから失敗した。だが、(自衛隊基地を)絶対にあきらめない』と」
与那国で一部有力者を中心に防衛協会が立ち上がったのは、その2年後。宮良さんは、いま所在すら不明となっている08年の誘致要請決議文自体が、安保基地族主導でつくられたものとみています。
「基地を置かないと『いざという時、誰も助けてくれない』『じり貧の状態で座して死を待つのか』など、今にも他国が攻めてくるような脅しのオンパレード。要請文は政府ではなく町民に向けられていたなど、おかしなことばかりだった」
アメリカも与那国への軍事力の展開を狙っていました。07年6月、米艦船が町の祖納港へ地元の反対を押し切って寄港を強行。その際、のちに「沖縄県民はゆすりたかりの名人」の暴言を発したケビン・メア沖縄総領事(当時)が、軍艦の掃海拠点に同港は使えるとの外交公電を米本国に送っていたことが、ウィキリークス(内部告発サイト)によって明らかにされています。

防衛協会が自衛隊誘致へ島内各所に掲げている横断幕=沖縄県与那国町
変節した町長
「この07年から08年にかけて外間守吉町長がおかしくなっていった」。野党の田里千代基町議は、町の自立を掲げていたはずの外間町政が次第に自衛隊誘致へと傾いていった時期をこう評します。
04年、石垣市や竹富町との合併を問う住民投票で反対が多数を占めた結果、与那国町は合併協議を離脱しました。合併しない道を選んだことで町民参加の下に与那国の将来像を議論し、「自立ビジョン」がつくられます。
自立ビジョン策定チームの事務局長だった田里町議は「ビジョンの基礎にあったのは、小さくても自らの意思で町づくりを進めていくという住民自治でしたが、自衛隊は一切入っていなかった。ところが、外間町長は防衛省とこそこそ裏で交渉し、町民に知らせないまま誘致を進めたあげく、ビジョンは全くの絵に描いた餅で終わっている」といいます。
これに対し、地元住民団体の「与那国改革協議会」は11年、誘致請求を上回る556人分の誘致中止署名を集めて町に提出。12年には、自衛隊配備の賛否を問う住民投票を求める署名544人分を集めたものの、推進派町議の多数により議会で請求を否決されるなど民意無視が繰り返されました。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年2月7日付掲載
たとえ町長が変節しても、自衛隊配備反対の町民の総意は変わらない。
背後に“安保基地族”の影
2008年の与那国町議会決議は、表面的には町民の自発的な誘致運動かのような印象を受けますが、事実は違いました。先島(宮古島・八重山)地域に軍事拠点を置きたい“安保基地族”(日米同盟の既得権益を享受するグループ)の策動が背後にかかわっていたのです。
配備への執念
日本共産党の元県議で自衛隊配備を阻止するため、生まれ故郷の与那国島に移り住んでいる宮良作さん(87)は話します。「05年に当時の伊良部町議会で、下地島空港(現宮古島市)への自衛隊の常駐が白紙撤回とされた時、安保基地族の一人が言っていたのをよく覚えています。『われわれの指導した計画を町議会が守らなかったから失敗した。だが、(自衛隊基地を)絶対にあきらめない』と」
与那国で一部有力者を中心に防衛協会が立ち上がったのは、その2年後。宮良さんは、いま所在すら不明となっている08年の誘致要請決議文自体が、安保基地族主導でつくられたものとみています。
「基地を置かないと『いざという時、誰も助けてくれない』『じり貧の状態で座して死を待つのか』など、今にも他国が攻めてくるような脅しのオンパレード。要請文は政府ではなく町民に向けられていたなど、おかしなことばかりだった」
アメリカも与那国への軍事力の展開を狙っていました。07年6月、米艦船が町の祖納港へ地元の反対を押し切って寄港を強行。その際、のちに「沖縄県民はゆすりたかりの名人」の暴言を発したケビン・メア沖縄総領事(当時)が、軍艦の掃海拠点に同港は使えるとの外交公電を米本国に送っていたことが、ウィキリークス(内部告発サイト)によって明らかにされています。

防衛協会が自衛隊誘致へ島内各所に掲げている横断幕=沖縄県与那国町
変節した町長
「この07年から08年にかけて外間守吉町長がおかしくなっていった」。野党の田里千代基町議は、町の自立を掲げていたはずの外間町政が次第に自衛隊誘致へと傾いていった時期をこう評します。
04年、石垣市や竹富町との合併を問う住民投票で反対が多数を占めた結果、与那国町は合併協議を離脱しました。合併しない道を選んだことで町民参加の下に与那国の将来像を議論し、「自立ビジョン」がつくられます。
自立ビジョン策定チームの事務局長だった田里町議は「ビジョンの基礎にあったのは、小さくても自らの意思で町づくりを進めていくという住民自治でしたが、自衛隊は一切入っていなかった。ところが、外間町長は防衛省とこそこそ裏で交渉し、町民に知らせないまま誘致を進めたあげく、ビジョンは全くの絵に描いた餅で終わっている」といいます。
これに対し、地元住民団体の「与那国改革協議会」は11年、誘致請求を上回る556人分の誘致中止署名を集めて町に提出。12年には、自衛隊配備の賛否を問う住民投票を求める署名544人分を集めたものの、推進派町議の多数により議会で請求を否決されるなど民意無視が繰り返されました。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年2月7日付掲載
たとえ町長が変節しても、自衛隊配備反対の町民の総意は変わらない。