那覇市長選 城間みき子市長の決意(上)
知事選の勝利と一体に 子どもが夢追える市政へ
那覇市長選(10月14日告示、21日投票)に向けて、「オール沖縄」市政の継続と再選を目指す城間みきこ市長に、1期目の実績や市長選必勝の決意、前倒しとなった沖縄県知事選について聞きました。(聞き手・前田泰孝)
インタビューにこたえる城間みき子那覇市長(写真・林行博)
城間みきこ氏(しろま・幹子)
1951年1月20日に沖縄県島尻郡伊是名(いぜな)村で生まれる。宮城教育大卒。千葉県や沖縄県で中学校教諭を務め、那覇市教育委員会学校教育部長、市教育委員会教育長などを歴任し、2014年に副市長に就任。同年、翁長雄志市長(当時)の知事選出馬に伴い、翁長氏の後継、辺野古新基地反対の「オール沖縄」の候補として市長選に臨み、戦後最多の得票数を得て勝利。那覇市政初の女性市長。
「新基地ノー」姿勢堅持 翁長知事は県民に勇気与えた
8月8日に急逝された翁長知事のその揺るぎない姿勢は、私たち県民に、ウチナーンチュ(沖縄の人)としての自信と誇り、勇気を与えてくれました。埋め立て承認の撤回は、8月31日に職務代理者の副知事が行いました。公有水面埋立法に基づいて適正に判断したものです。知事も天国で見守って、一息ついたのかなと感じています。
翁長知事とは高校が同じで、翁長さんは討論仲間と一生懸命、沖縄の将来を語っていました。翁長さんが知事選に立候補を決意する時、辺野古の問題の、自身の市議会答弁記録を全部読み、ぶれていないことを確認していました。本当に尊敬できる政治家です。
これからの子や孫の世代に、米軍基地に翻弄される沖縄の現実を当たり前の風景にしてはいけない。私も那覇市政を受け継いだ者として、辺野古に新基地を造らせない、沖縄の過重な基地負担を減らすという基本姿勢は堅持したい。そのことが32万市民、そして県民の幸せにつながると考えます。
翁長知事は非常に言葉を大事にする方で、人の心に力強く残る言葉を発する人でした。
翁長知事の遺志を継ぎ、新基地反対の「オール沖縄」の候補として知事選に出馬する玉城デニーさんも、ラジオパーソナリティーだったということで、人を支え、動かす、言葉の力を持っています。小池百合子東京都知事が新党をつくろうとした時もデニーさんは、支援者の前でそれに参加せず、ぶれずに沖縄の立場を貫く決意を語る姿を私もこの目で見ました。デニーさんには、本当に翁長知事に近いものを感じます。知事選勝利に向けてぜひ突っ走っていってほしい。
デニーさんの相手となる佐喜真淳・前宜野湾市長も翁長知事の遺志を「引き継ぐ」といっています。でもどの部分を切り取って「引き継ぐ」と言ったのでしょうか。県政の課題には経済や教育もあるけど、辺野古新基地は重さは一番でしょう。「引き継ぐ」なら、辺野古に新基地を造らせない姿勢を最後まで貫いた翁長知事の全部を引き継いでいただきたい。
私も、那覇市で勝ち抜くことが知事選勝利にもつしながるという思いでのぞみます。デニーさんとともにみなさん、頑張りましょう。
出馬表明で勝利に向けガンバローをする城間市長(前列左から2人目)と翁長雄志県知事(その右)ら=7月24日、那覇市
独自の返済不要奨学金 人材育成が大きな柱の一つ
私は高校2年の春に突然、父を亡くしました。1年後の3月に大学を受験し、沖縄県内と本土の大学の両方に合格しました。私は母に本土の大学に行きたいと言いました。「行かせてあげるからね」の母の一言は今でも耳に残っています。後から聞いた話だと母は相談のため、親戚中を駆けずり回ったそうです。
奨学金を受けてアルバイトをしながら大学に通う苦学生でした。仕送りがほとんどない時があり、3畳1間、食べ物は1山100円のミカンで過ごした時もありました。
私自身もシングルマザーです。長女と次女を大学に行かせるため、共済組合からお金を借りて4年前の市長選初出馬のあたりにようやく返し終わりました。
成績優秀でも経済的理由で夢をあきらめてしまう子どもたちのため、市独自の返済不要の奨学金制度を創設しました。人材を育てることが私の市政運営の大きな柱の}つです。
私の一丁目一番地は待機児童ゼロに向けた取り組みです。2014年度以降、保育施設数は約2倍の141施設、保育定員は約1・6倍の1万1405人へと大幅に増加しました。待機児童はピーク時の75%減となり、待機児童ゼロの実現が目に見えてきました。
今年10月からは県の事業と連携し、就学前までの、窓口負担のない医療費無料化が実現します。今後も中学生までの年齢拡充を、市民の切なる願いの一つであると考え検討していきたい。
翁長県政が独自に県内の子どもの貧困について調査を行い、貧困率は29・9%と明らかにしたことは、子どもの貧困は親や学校など一部で抱える問題ではなく社会問題なのだとの認識を浸透させ、本格的な対策に乗り出すきっかけをつくってくれました。
私も那覇市の対策として、学校やケースワーカーと連携して子どもたちに寄り添いながら支援を行う「子ども自立支援員」の配置、経済的に困難な保護者への給食費の支払い支援、新入学児童生徒学用品費の増額などを実施しています。
内閣府の補助金は当初、支援員などの人件費には充てられないとの説明でした。しかし私は「人を救うのは人です」とはっきりと述べ、人件費にも使えるようになりました。
国が子どもの貧困対策を行う前に、本市は内閣府からヒアリングを受けました。
課題を抱える児童をつかむため、支援員による学校や家庭訪問、児童や保護者との面談を通して実態把握を行い、課題を明らかにすることの大切さなどを説明しました。
当時の内閣府室長から「那覇市の取り組み内容がとても参考になった」とお話があり、内閣府事業の根幹部分に本市の事業を参考に取り入れられました。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2018年9月9日付掲載
辺野古に新基地をつくらせない、普天間基地は即時返還。「オール沖縄」の思いを担えるのはデニー氏しかいない。
経済問題でも弱者の視点に立って返済不要の奨学金など。
県知事選挙に続いて県都那覇でも市長選で勝利を。
知事選の勝利と一体に 子どもが夢追える市政へ
那覇市長選(10月14日告示、21日投票)に向けて、「オール沖縄」市政の継続と再選を目指す城間みきこ市長に、1期目の実績や市長選必勝の決意、前倒しとなった沖縄県知事選について聞きました。(聞き手・前田泰孝)
インタビューにこたえる城間みき子那覇市長(写真・林行博)
城間みきこ氏(しろま・幹子)
1951年1月20日に沖縄県島尻郡伊是名(いぜな)村で生まれる。宮城教育大卒。千葉県や沖縄県で中学校教諭を務め、那覇市教育委員会学校教育部長、市教育委員会教育長などを歴任し、2014年に副市長に就任。同年、翁長雄志市長(当時)の知事選出馬に伴い、翁長氏の後継、辺野古新基地反対の「オール沖縄」の候補として市長選に臨み、戦後最多の得票数を得て勝利。那覇市政初の女性市長。
「新基地ノー」姿勢堅持 翁長知事は県民に勇気与えた
8月8日に急逝された翁長知事のその揺るぎない姿勢は、私たち県民に、ウチナーンチュ(沖縄の人)としての自信と誇り、勇気を与えてくれました。埋め立て承認の撤回は、8月31日に職務代理者の副知事が行いました。公有水面埋立法に基づいて適正に判断したものです。知事も天国で見守って、一息ついたのかなと感じています。
翁長知事とは高校が同じで、翁長さんは討論仲間と一生懸命、沖縄の将来を語っていました。翁長さんが知事選に立候補を決意する時、辺野古の問題の、自身の市議会答弁記録を全部読み、ぶれていないことを確認していました。本当に尊敬できる政治家です。
これからの子や孫の世代に、米軍基地に翻弄される沖縄の現実を当たり前の風景にしてはいけない。私も那覇市政を受け継いだ者として、辺野古に新基地を造らせない、沖縄の過重な基地負担を減らすという基本姿勢は堅持したい。そのことが32万市民、そして県民の幸せにつながると考えます。
翁長知事は非常に言葉を大事にする方で、人の心に力強く残る言葉を発する人でした。
翁長知事の遺志を継ぎ、新基地反対の「オール沖縄」の候補として知事選に出馬する玉城デニーさんも、ラジオパーソナリティーだったということで、人を支え、動かす、言葉の力を持っています。小池百合子東京都知事が新党をつくろうとした時もデニーさんは、支援者の前でそれに参加せず、ぶれずに沖縄の立場を貫く決意を語る姿を私もこの目で見ました。デニーさんには、本当に翁長知事に近いものを感じます。知事選勝利に向けてぜひ突っ走っていってほしい。
デニーさんの相手となる佐喜真淳・前宜野湾市長も翁長知事の遺志を「引き継ぐ」といっています。でもどの部分を切り取って「引き継ぐ」と言ったのでしょうか。県政の課題には経済や教育もあるけど、辺野古新基地は重さは一番でしょう。「引き継ぐ」なら、辺野古に新基地を造らせない姿勢を最後まで貫いた翁長知事の全部を引き継いでいただきたい。
私も、那覇市で勝ち抜くことが知事選勝利にもつしながるという思いでのぞみます。デニーさんとともにみなさん、頑張りましょう。
出馬表明で勝利に向けガンバローをする城間市長(前列左から2人目)と翁長雄志県知事(その右)ら=7月24日、那覇市
独自の返済不要奨学金 人材育成が大きな柱の一つ
私は高校2年の春に突然、父を亡くしました。1年後の3月に大学を受験し、沖縄県内と本土の大学の両方に合格しました。私は母に本土の大学に行きたいと言いました。「行かせてあげるからね」の母の一言は今でも耳に残っています。後から聞いた話だと母は相談のため、親戚中を駆けずり回ったそうです。
奨学金を受けてアルバイトをしながら大学に通う苦学生でした。仕送りがほとんどない時があり、3畳1間、食べ物は1山100円のミカンで過ごした時もありました。
私自身もシングルマザーです。長女と次女を大学に行かせるため、共済組合からお金を借りて4年前の市長選初出馬のあたりにようやく返し終わりました。
成績優秀でも経済的理由で夢をあきらめてしまう子どもたちのため、市独自の返済不要の奨学金制度を創設しました。人材を育てることが私の市政運営の大きな柱の}つです。
私の一丁目一番地は待機児童ゼロに向けた取り組みです。2014年度以降、保育施設数は約2倍の141施設、保育定員は約1・6倍の1万1405人へと大幅に増加しました。待機児童はピーク時の75%減となり、待機児童ゼロの実現が目に見えてきました。
今年10月からは県の事業と連携し、就学前までの、窓口負担のない医療費無料化が実現します。今後も中学生までの年齢拡充を、市民の切なる願いの一つであると考え検討していきたい。
翁長県政が独自に県内の子どもの貧困について調査を行い、貧困率は29・9%と明らかにしたことは、子どもの貧困は親や学校など一部で抱える問題ではなく社会問題なのだとの認識を浸透させ、本格的な対策に乗り出すきっかけをつくってくれました。
私も那覇市の対策として、学校やケースワーカーと連携して子どもたちに寄り添いながら支援を行う「子ども自立支援員」の配置、経済的に困難な保護者への給食費の支払い支援、新入学児童生徒学用品費の増額などを実施しています。
内閣府の補助金は当初、支援員などの人件費には充てられないとの説明でした。しかし私は「人を救うのは人です」とはっきりと述べ、人件費にも使えるようになりました。
国が子どもの貧困対策を行う前に、本市は内閣府からヒアリングを受けました。
課題を抱える児童をつかむため、支援員による学校や家庭訪問、児童や保護者との面談を通して実態把握を行い、課題を明らかにすることの大切さなどを説明しました。
当時の内閣府室長から「那覇市の取り組み内容がとても参考になった」とお話があり、内閣府事業の根幹部分に本市の事業を参考に取り入れられました。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2018年9月9日付掲載
辺野古に新基地をつくらせない、普天間基地は即時返還。「オール沖縄」の思いを担えるのはデニー氏しかいない。
経済問題でも弱者の視点に立って返済不要の奨学金など。
県知事選挙に続いて県都那覇でも市長選で勝利を。