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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

ホームレスというレッテルで人は「見えない人」にされる 『JR上野駅公園口』が全米図書賞 柳美里さん

2021-02-07 07:45:35 | 政治・社会問題について
ホームレスというレッテルで人は「見えない人」にされる 『JR上野駅公園口』が全米図書賞 柳美里さん
ゆう・みり=1968年生まれ。
高校中退後、演劇活動を開始。93年『魚の祭』で岸田戯曲賞を最年少で受賞。97年『家族シネマ』で芥川賞受賞。自身の出産・みとりを描いた『命』はベストセラーに。2015年に鎌倉から南相馬に転居

昨年11月、柳美里さんの小説『JR上野駅公園口』(河出文庫・税別600円)の英訳が米国の代表的な文学賞である全米図書鑑賞を翻訳文学部門で受賞しました。原発事故被災地の福島県南相馬市小高区に住む柳さんが、上京した機会に話を聞きました。北村隆志記者



撮影・野間あきら記者

受賞作は南相馬市出身の上野公園のホームレスが主人公です。1964年開催の東京五輪の前年に東京に出稼ぎに出てからの、孤独な人生を振り返ります。
日本では2014年に出版されました。柳さんは本作を書くために上野公園に取材に通いました。
「2006年11月の『山狩り』の取材に行ったのが最初です。『山狩り』とは皇室の方々が上野の美術館や博物館に来るときに、ホームレスのブルーシートや段ボールを撤去する特別清掃のことです。ホームレスというレッテルは、一人一人の顔や名前を見えなくします。『見えない人』と扱われて、街でも人は通り過ぎる。皇室の目から隠す『山狩り』はその究極の姿です。でも、一人ひとりには生まれてからの物語がある。レッテルから一人の人間を救い出したいと思いました」
何度も通う中、ホームレスの人からだんだんと話を聞けるようになりました。
「煮炊きをしているところで声をかけると、『話せないこともあるけど、聞く耳を持っているなら話したい』と。猫を飼っている人が多くて、『猫の名前なんですか』と聞いたりしました。自分たちも見捨てられているから、捨て猫を放っておけないんだそうです。
なけなしのお金でキャツトフードを買い、費用を集めて去勢をさせた人もいました。上野公園のホームレスは東北出身の人が多いんです。出稼ぎや集団就職で東北本線や常磐線に乗って、最初についたのが上野駅。もう故郷とは縁が切れて帰れないけれど、東京で故郷に一番近い場所だ、と上野公園にいます」

原発事故後に
『JR上野駅公園口』は、作者とは全く別人の物語です。自身の体験をもとにすることが多かった作風が変化しました。「原発事故後、臨時災害放送局のFM番組で、6年間、被災者のお話を聞き続けたことが大きく影響している」と話します。
「私は、11年4月21日、初めて相馬・双葉地域に入りました。警戒区域として立ち入り禁止になる前日です。
ひどい状況でした。何もできない無力感を感じました。自分に何ができるか考えた時、地元の方のお話を聞くことならできるかもしれないと思ったんです。
12年3月から18年3月まで、毎週1回30分、のべ600人の話を聞きました。聞くことで相手のケアにつながる傾聴ボランティアに近いかもしれません。聞き続けたことで、11年3月11日はカレンダーの日付ではなく、地層のような時間として私の中に存在します。600人の声の層が厚みを持ったものとしてあるという感じです」

訳者の思いは
柳さんの数ある作品のなかから、この作品を選んで翻訳したのは、訳者のモーガン・ジャイルズさんです。
「彼女は私の作品から東京五輪の物語を二つ選んだと言っていました。もう一つ『8月の果て』はいま翻訳しています。『JR上野駅公園口』は64年の東京五輪とかかわります。『8月の果て』は戦争で中止になった40年の東京五輪の物語です。朝鮮のマラソンランナーだった祖父がモデルの一人です。彼女は両方とも射程の長い歴史小説だと言っていました。歴史の影の部分の、名もない人の物語という意味だと思います。彼女は米国のケンタッキー州出身で、近くに炭鉱があったそうです。子どもの時に炭鉱労働者をよく見ていたので、私の小説と重なるところがあるようです」


いま被災地に「来て」とは言えない せめて「思ってください」と―。

柳美里さんの自宅で再開したカフェ=南相馬市小高区(本人提供)

東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から10年です。
「いま大変厳しい状況です。新型コロナの感染拡大の中で気づきませんでしたが、旧避難指示区域である南相馬市小高区の居住者が昨年9月をピークに減少に転じています。事故前は1万2840人でした。そこまで戻るのは無理だろうけど、5000人ぐらいには戻るだろうと地元の人たちは考えていました。しかし昨年9月の3757人から減り始めました。これは予想しなかった動きです」
柳さんは小高区の自宅で本屋とカフェを開いています。カフェは昨年4月の緊急事態宣言から休業し、12月に再開しました。
「そもそも帰還住民が少ないので、1時間散歩しても誰にも会わないことが多いんです。コロナで、地域の清掃活動やお祭りも全部中止になりました。災害公営住宅で孤独死が起き、自死もありました。震災、津波、原発事故で破壊された場所で、残されたか細いつながりが断たれると死につながるんです。近所には三食がコンビニという90代の男性もいます。広い三世帯住宅に1人暮らしの方もいます。食事ができ、人に会える場所が必要だと思い、カフェを再開しました。いま被災地に『来てください』と言える状況ではありません。せめて『思ってください』と言いたい」
東京五輪には当初から反対でした。
「そもそも今のタイミングで五輪ではないと思います。五輪関連の建設事業で資材も労賃も高騰して、被災地の復興が明らかに遅れています。この際、新国立競技場や選手村は、海外で行っているように、コロナ患者の収容施設や医療施設に転用したらいいのではないでしょうか」

「しんぶん赤旗」日曜版 2021年2月7日付掲載


南相馬市小高区に居を構え、原発事故の被災者に寄り添って暮らす柳美里さん。
コロナ禍でも東京五輪が強行されようとしている今だからこそ。1964年開催の東京五輪、戦争で中止になった1940年の東京五輪。それぞれの五輪を舞台にした二つの小説。
上野公園のホームレスは東北出身の人が多いんです。出稼ぎや集団就職で東北本線や常磐線に乗って、最初についたのが上野駅。もう故郷とは縁が切れて帰れないけれど、東京で故郷に一番近い場所だ、と上野公園にいるとか。
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